逃走
「副伯、騎兵が追って来ます」
「やはり見逃してはくれんか」
「歩兵を連れたままでは逃げ切れません。副伯だけでも先に」
「家臣を見捨てていくわけにはいかん」
「主君を逃がすために盾になるのが家臣の務めですぞ」
フォロブロンとヨーレントの押し問答を黙って聞いていたウレスペイルは、やれやれと言いたげな顔でため息をつくと、叫んだ。
「まったく、観念論に縛られた面倒な主君を持つと苦労する。ごちゃごちゃおっしゃっている時間があったらさっさと逃げませい!」
絶句しているフォロブロンを無視して、ウレスペイルは自分の鞭でフォロブロンの馬の尻を力いっぱいたたいた。
「ヨーレント卿、副伯は貴公に預ける。兵たちは私がもらっていく」
ウレスペイルは、軍勢を停止させて後ろを振り返った。
ウレスペイルの従者が、覚悟を決めた顔で主君を見つめている。
ウレスペイルは、ことさら明るい口調で従者に語りかけた。
「敵騎兵の数はそれほど多くない。この騎兵でこちらの足を止めて、本隊で圧倒するつもりだろう」
「つまり、ここで敵本隊を食いとめれば副伯が逃げる時間を作れますな」
「そういうことだ」
ウレスペイルは、ひどくさっぱりしたという顔で笑った。
成すべきことは明白。
迷う要素は何もない。
「皆々様! ナインバッフ公を騙し打ちにした不逞な反逆者のツラを見物していきましょうぞ!」
◆
エグバーレントは、片側を岩場、片側を森に守られた街道に布陣した皇帝軍を見て騎兵たちを停止させた。
敵は、長槍を構えた歩兵を最前列に並べている。
「よし、このまま本隊が到着するのを待つ」
「何もしないのですか」
「しない」
「しかし……」
「我々の任務は、本隊が到着するまでの足止めだ。ほら、足止めできているではないか」
「この間に、アレス副伯が逃げてしまうのでは?」
「だろうな。だが、あの槍ぶすまを突破できると思うのか?」
しばらくして、ニークリット公国軍本隊が到着した。
ソルドマイエ二世は、隘路に布陣している皇帝軍を見て状況を把握した。
「なるほど。騎兵では突破できぬだろうな」
「いかがなさいますか」
「ヘゲデインらに油壺を使わせろ」
傭兵たちは矢戦を仕掛けて敵を牽制しつつ、革と紐で作った投石器を使って油壺を投擲した。
油壺は盾で簡単に防がれた。
だが、油をまき散らしながら燃え上がり、これを初めて経験する皇帝軍を混乱に陥れた。
「ようし、我らの出番だ」
エグバーレントは騎兵たちに突撃を命じた。
各所で発生した炎に混乱して、槍ぶすまが乱れている。
そこに騎兵突撃を受け、皇帝軍歩兵の戦列は大いに乱された。
ヘゲデイン麾下の傭兵部隊がその機を逃さず攻め込み、戦果を拡大する。
皇帝軍の戦列は崩壊。潰走状態に陥った。
ウレスペイルは、混乱が浅い兵たちを指揮して踏みとどまっている。戦場に少しでも長くとどまり、フォロブロンが逃走する時間を稼ごうとした。
ウレスペイル隊が邪魔をして、エグバーレントは追撃戦に移れない。
「主君を逃がすためにあくまでも踏みとどまるか。アレス副伯はよい家臣を持っているな」
ソルドマイエ二世は、曇りなき賞賛をフォロブロンとウレスペイルに送った。だが、顔は憐れみに満ちている。
「エグバーレントを下がらせろ。弓兵、前へ」
エグバーレント隊が下がったのと同時に、ウレスペイル隊に矢が降り注いだ。数十人で辛うじて戦線を支えていたウレスペイル隊が、つぎつぎに射倒される。
ウレスペイルも三本の矢を体に受けて、落馬した。
「あまり時間を稼げなかったか。副伯、逃げ切ってくだされ……」
意識が遠のきつつある。
そこに傭兵隊が殺到してきた。
剣を振り下ろす傭兵の姿が、ウレスペイルが見た最後の光景だった――。
エグバーレントは、すかさず追撃戦に移った。
五騎ずつ並走する隊列を組むことで、後列は風の抵抗をあまり受けずに走ることができる。先頭の速度が落ちてきたら、先頭は後ろに下がって二列目が先頭になる。
「騎兵の追いかけっこってのはね、数が多い方が有利なんですよ副伯」
エグバーレントは、哄笑しながら馬を走らせる。
そして、西に向かって走る数騎の騎兵の背後を捉えた。
「目標、発見」
エグバーレントは、笑うのをやめてフォロブロンの背中を睨んだ。
ひどく嫌そうに顔を歪めて。




