居眠り卿
ワルフォガル近郊を出立したのが夕方の少し前だったこともあり、ウィンたちはその日のデルドリオン入りを断念した。
結局デルドリオンの手前5キメルの辺りで野営し、デルドリオンには翌日の8月7日南中前に到着した。
デルドリオンは人口4000人程度の小さな街である。この街に3000の兵を入れるのは無理があるので、街を囲む城壁の外側に宿営地を設営することにした。宿営地の周囲には防御設備として堀と土塁を巡らす。宿営地と陣地構築はフォロブロンとベルウェンが統括した。慰安も兼ねて交代で兵を街に宿泊させたり物資を周囲の街から集めたりする手配はムトグラフを担当にした。
ウィンは「彼らに任せる」手配を済ませると、昼寝の準備にとりかかった。
「デルドン見物はしないのですか?」
「ん~、もうどうでもいいや。アデンは見たいのかい?」
「奴隷身分に物見遊山をする権利などありません。景色を愛でる趣味もありません」
アデンの返答は相変わらず愛想がない。もっとも、ウィンも景色にはあまり興味がない。“デルドンの朝日”って一体何だ? 朝日などどこで見ても大して違いなどないではないか。
取りあえず、監察使軍がデルドリオンに陣取ったことで事態の急変は防げるだろう。日和見を決め込んでいる領主たちは、両陣営への参陣をますます控えるに違いない。これで勃発的な軍事衝突の可能性を減らせるはずだ。まずは現時点の情勢で固定して、交渉の時間をかせぐ。
「ロンセーク伯とサインフェック副伯のどちらから話を始めますか」
「ロンセーク伯の言い分は想像が付く。となると気になるのはサインフェック副伯の言い分だね。真意がまるで分からない」
「サインフェック副伯はロンセーク伯がナルファスト公を殺害したと主張しているようですが」
「常套句だよね。だけどそれが本当なら、ロンセーク伯にはもう少しうまい殺し方があったような気がする。そもそもそんな御仁には見えなかったな」
「人は嘘も吐けば演技もしますよ。あなたにそれを見抜く眼力があるとは思えませんが」
「相変わらず手厳しいね。まあ今考えても仕方がない。もう寝る」
と言うやいなや、ウィンはすとんと眠りに入った。「得意技は昼寝」と豪語するだけのことはある早業だ。
フォロブロンとベルウェンが各種の手配を済ませてウィンの天幕に戻ると、板材の上でウィンが熟睡していた。
「あんな板の上で寝たら、起きたときに体中が痛むだろうに」
「あの御仁は意外に平気らしいですがね。さすが居眠り卿だ」
「ベルウェンは妙なところに感心するものだ」とフォロブロンは思ったが、苦笑するだけにとどめた。ウィンをたたき起こそうかとも一瞬考えだが、やめた。寝ている方が邪魔にならない。それよりも、駐屯が長期化する可能性を考えると天幕ではなく小屋程度は建てた方がいいかもしれない。今はともかく、いつまでも監察使殿を板切れの上に転がしておくわけにはいかない。万年雪を頂いたモルステット山脈から涼風が吹き下ろしてくるためナルファストは真夏でも比較的過ごしやすいが、天幕では風通しが悪くて熱がこもる。
ベルウェンは革袋に詰めた液体をぐいっとあおった。あの中にはぶどう酒が入っているはずだ。
「やりますかね?」とベルウェンが革袋を差し出す。フォロブロンは「頂こう」と答えて受け取ると、ぶどう酒をあおった。悪くない酒だ。
ベルウェンはウィンの仕事を何度か見ており、どうやらそれなりに評価しているらしい。フォロブロンにとってはこれがウィンとの最初の仕事であり、ウィンの手腕については未知数だ。
「ベルウェン殿は監察使と何度か組んでいるのだろう? 実際のところ、どうなのだ」
ベルウェンは少し左眉を上げると、ふふんと笑った。
「今回を入れて3回ですな。面白い男だ」
「面白い?」
「優秀……なのかね、アレは。まあ、イカれてる、あるいは面白いとしか言いようがない」
「確かに、噂に違わぬ奇人ではあったが……」
「今のところまだおとなしいですぜ。前は海賊騒ぎを起こしやがった」
「海賊!? まさかファッテン伯領の騒ぎか」
「アレですよ。メチャクチャに引っかき回した挙げ句、何だか丸く収まっちまいましたがね。ひでぇ目に遭った」
1年前、帝都でも話題になった事件に関係……というか首謀者なのか? とにかくあの事件に絡んでいたとは。あれを丸く収めただって?
「これは俺の勘ですがね、あれは優秀だから監察使にされたってわけじゃねえって感じですな」
「優秀じゃないのか」
「いや、だから面白いんですよ、そこは。要はね、何やら上の方に思惑があって監察使をやらせてる、気がする」
珍しくベルウェンの歯切れが悪い。だがベルウェンが言わんとしていることは分からなくもない。年齢、身分、職位、全てがチグハグなのには理由があるはずなのだ。その違和感を除外すると、「面白い」と表現するしかないのだろう。
何かと欲得ずくのベルウェンがウィンに関しては甘いように見えるのも、その辺りにあるのだろう。そう冷静に分析している自分もウィンを受け入れつつあることに、フォロブロンはまだ気付いていない。




