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愚者たちの輪舞 ―ブランタール公の凱旋―  作者: 中里勇史
帝国監察使

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12/197

監察使とロンセーク伯

 ナルファスト公国の首府、ワルフォガル郊外の丘の上。

 レーネットは、モルステット山脈から吹き下ろされる涼風を右頬に感じながら、北の地平に目を細めていた。彼の後ろには、プテロイルやフォルゴッソらが控えている。


「監察使は我らが必ずお連れします。ロンセーク伯(レーネット)は、やはりワルフォガルでお待ちになってはいかがか」

「くどい」


 フォルゴッソの進言を、レーネットは否定した。「スハロートが接触する前に監察使を取り込む」。これは規定事項だ。


「斥候が戻ってまいりました。事前の通達通り、監察使が率いている兵力は三〇〇〇とのこと。公国の最大動員能力四万からみれば微々たるものです」


 プテロイルが嘲笑するような口調でレーネットに報告する。


「侮るな。我々が握っているのは約七〇〇〇。スハロート派は恐らく五〇〇〇程度。監察使がどちらに付くかで大勢が変わるのだ」


 監察使の三〇〇〇の兵力がスハロートに付けば、兵力は逆転する。だが、味方にすることができれば兵力で圧倒できる。皇帝の支持を得たという宣伝効果も絶大だ。日和見を決め込んでいる領主たちも雪崩を打って参陣してくるだろう。


 純軍事的にも政治的にも、監察使の歓心を買って自陣営に取り込む必要がある。しかし、媚びを売るのは抵抗がある。そこまで卑屈にならねばならぬのかと苦々しく思う。


「やって来る監察使は、爵位も持たない下級貴族だとか。ロンセーク伯(レーネット)が出向いてまで迎えるのはやはり……」

「だが、『監察使の格式』はないのだろう? フォルゴッソ卿」

「帝国法にも規定のない、皇帝の私的な使用人に過ぎません。正式な官職であれば格式も定められており、それに応じた待遇もおのずと決まります。しかし監察使の格式などないゆえ、どう遇すべきかという慣例も存在しません」

「とはいえ、皇帝の代理人『のようなもの』だから権威と権限だけはやたらとある、というわけか。始末が悪い」


 そのようなわけで、レーネットは監察使をどう遇すべきかを決めかねている。公爵の嫡子として下級貴族に親しく接してやるべきか、帝国諸侯として皇帝の代理人を恭しくお迎えすべきか。

 レーネットは、監察使が下級貴族だからといって見下すつもりは全くない。だが監察使が皇帝の権威を盾にして尊大に振る舞ってきたらどうなるか。家臣の手前、最低限の威儀は保たねばならない。それは監察使との対立を生むかもしれない。


 レーネットが監察使をどのように迎えるべきか思案していると、彼方から軍列が近づいてきた。

 先頭の、異様に豪華な馬具を付けた馬に乗っている、弱々しくて風采の上がらぬ男が監察使だろうか。レーネットと同年代であることも彼にとっては意外だった。ヘルル貴族だと聞いていたから老人だと思っていたのである。

 いまひとつやる気が感じられない顔の青年は、レーネットたちから十メルほどまで馬を近づけて止まった。すると、もたもたと馬から下りてレーネットに近づき、右手を左胸に当てて三〇度ほど腰を曲げて会釈した。下級貴族が上級貴族に対する完璧な儀礼である。

 レーネットも馬からひらりと下り、同じく右手を左胸に当てて軽くうなずく。上級貴族の答礼だ。


ロンセーク伯(レーネット)とお見受け致します。皇帝陛下から遣わされましたヘルル・セレイス・ウィンと申します。お出迎え、かたじけなく存じます」

セレイス卿(ウィン)、遠路はるばるご足労をおかけした」

「二日前にナルファスト領に入りましたが、どこも平穏で結構なことです。このまま穏便に解決したいものです」

「長旅でお疲れであろう。ワルフォガルの居城で疲れを癒やしていただきたい」


 レーネットはウィン一行をワルフォガルにいざなった。まずは監察使を勢力圏内に取り込んで、スハロート派との接触を断たねばならない。


 だがウィンは動かなかった。


「あー、それですがね。ナルファストにはデルドンという風光明媚な地があるとか。せっかく来たからにはぜひとも視察しておかねばと、帝都を発つ前からソワソワしていたのです。というわけでひとまずデルドンの近くのデルドリオンを拠点にする所存」


 横で聞いていたプテロイルは「遊びに来たのか!」という一喝を辛うじてのみ込み、「酒宴の用意もしております。監察使殿にはぜひともワルフォガルにおいでいただきたい」とウィンに翻意を促した。

 だが、ウィンはプテロイルらの焦りを知ってか知らでか、予定を変える気は全くない。


「お気持ちはありがたいが、旅装でワルフォガルを汚すのも気が引けます。旅塵を落とした後、改めて参上仕る。“デルドンの朝日”とやらも楽しみですし」


 「本音は後半だろう」と誰もが思ったが、ウィンはレーネットどころかフォロブロンたちまで困惑するのを尻目に、話は終わったとばかりにきびすを返して馬にとりついた。

 が、馬に乗るのにモタついた。多少は恥ずかしかったのか、ウィンはやや顔を赤らめて「ではまた後日」と言って去ってしまった。


 ここまで固辞されてはどうにもならない。レーネット一行はウィンらを見送るしかなかった。


「何だあれは。物見遊山にでも来たつもりか」


 顔を紅潮させて憤るプテロイルをレーネットはあえて無視した。


 ――デルドンだと? 違う。彼の真の狙いはデルドリオンだ。


 レーネットは、心の中で公国の地図を開いた。


 デルドリオンはワルフォガルとスハロートの領地のほぼ中間に位置する。ここに三〇〇〇の軍勢が駐屯すれば、レーネットとスハロートの武力衝突を牽制できる。さらに、ここには主要路であるミロール街道が通っている。これを使えば、ワルフォガルやスハロート領を通らずにナルファスト公国外に抜けることができる。

 レーネットとスハロートのどちらにも付かないという意志を示しつつ両陣営ににらみを利かせ、いざというときの退路も確保するという意味で、デルドリオンは最適だ。


 ワルフォガルに迎え入れて交渉の主導権を握るという目論見も外れた。交渉は改めて仕切り直すしかない。


 ウィンという監察使は、見た目とは裏腹に食えない男なのではないか。自陣営に取り込むのは容易ではないかもしれない。

 レーネットは、新たな課題を抱え込むことになった。

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