ウリセファ その二
「ウ……ウリセファ?」
まだ一四、五歳程度の小娘が、ぞっとするほど妖艶な笑みを浮かべている。ウリセファの激変に、アディージャは驚きを通り越して恐怖を覚えた。
アディージャの呼び掛けに反応したウリセファは、アディージャの顔をまじまじと見つめた。
初めて名前を答えたときとは違う。目に力があった。だが、アディージャのことを初めて認識した、という感じだ。
「あなたは……誰?」
「え、ア……アディージャ」
「アディージャ……。そう」
妖艶な笑みは消えていた。今は、やや大人びてはいるが年相応に見える。
小首をかしげて、何かを考えている。
「ここは、どこですか?」
「ここ?」
「娼館だということは分かります。一体、どこの街の娼館でしょうか」
「デウデリアという街よ」
「デウデリア? それはナルファスト公国ですか?」
「ナルファストの北の帝国直轄領よ。ストルン街道の宿場町」
「ああ……ストルン街道の」
ウリセファは、一つ一つ考えながら質問し、アディージャの返答を咀嚼するように時間をかけて理解した。
ウリセファは、自分がどこに居るのかさえ理解していなかった。どこで行き倒れ、どこの農家に保護され、どこに売られ、今どこに居るのか。特に農家以降については、完全に心を閉ざしていて自分について知ろうとしていなかった。
「デウデリア……か」
「ウリセファ、あんた……」
と言いかけて、アディージャは言葉をのみ込んだ。娼婦の過去を詮索するのは野暮の極みだった。
ウリセファは、アディージャが何を言おうとしたのかを察した。だが、それに答える気はなかった。
ナルファスト公女が落ちぶれてこんなことをしているなどと知られるわけにはいかない。知られたくない。矜持が許さない。それならば、最初から惨めな女だったという方がましだった。
ウリセファはアディージャの疑問に気付かなかった振りをして、話を戻した。
「どうすれば帝都に行けますか?」
「帝都?」
「はい。こんな田舎町では何もできません。帝都に行きたいのです」
力になってやりたいが、厄介な問題だった。
アディージャは売られたわけではないので、いつでも好きなときに好きなところに行ける。この娼館に居るのは、娼婦をやる上で安全な場所が欲しかったからだ。娼館の部屋を利用させてもらう代わりに、上がりの一部を娼館に利用料として納めている。
だがウリセファは、この娼館が他の娼館から買い取った娼婦だ。奴隷と同じ扱いであり、行動の自由はない。デウデリアどころか、娼館から出ることすらかなわない。
方法は一つしかない。
「自由を取り戻すには、自分を買い取るしかない。この娼館があんたを買い取った金額を用意するの。正確には、これまでにこの娼館で稼いだ金額は差し引いて」
「私の値段はいくらでしょうか」
これも難しい質問だ。これほどの「上玉」だ。金貨一〇〇枚、いや二〇〇枚はするかもしれない。まあ、娼館の主人に聞けば教えてくれるだろう。
「金貨二〇〇枚を稼ぐにはどれくらいかかりますか?」
換算比率は変動するが、今は金貨一枚で小銀貨五〇枚分くらいか。下級の傭兵の賃金が一日当たり小銀貨三枚なので、一〇〇人の傭兵を一カ月雇える金額だ。
ウリセファの客は娼館に小銀貨三枚を払う。その中の一枚がウリセファの取り分。一晩に五人の客を取ったとして、一日五枚。
三六〇日休まず働いたとして、一年で小銀貨一八〇〇枚。つまり金貨三六枚だ。金貨二〇〇枚となると五年以上かかる。
だが話はそこまで単純ではない。自分の取り分で食事や服その他を調達する必要があるので、実際には一〇年以上かかるかもしれない。
「一〇年以上……」
一〇年でさえ、かなり甘い見積もりだ。そもそも一日も休まず客を取り続けるなど不可能だ。女には仕事ができない期間が定期的にあるし、妊娠でもしたら出産するにせよ堕胎するにせよ、やはりしばらく仕事ができなくなる。
自分を買い戻そうとして、二〇年以上この仕事をしている娼婦を何人も見てきた。自力で抜け出すのはほぼ不可能な世界なのだ。アディージャの母はかなり運が良かったと言える。
アディージャはこの少女を助けてやりたいと思った。
「あんたの目的は娼婦から足を洗うことかい? それとも帝都に行くことかい?」
ウリセファはアディージャの質問の意図が分からなかったようだが、少し考える仕草をしてから答えた。この少女はまず自分で考えようとするようだ。
「まずは帝都に行くことです。……この娼館に売られたように、帝都の娼館に買ってもらうことはできないでしょうか。できれば、貴族を相手にするような」
アディージャは感心した。
頭の良い娘だ。その手があったか。とにかく帝都に移動することだけが目的であれば可能性はある。
帝都の貴族に身請けしてもらうことを狙っているのか。ウリセファの美貌であればそれも夢ではないだろう。
「分かった。帝都の娼館にはつてがある。私が帝都に行ってかけやってやるよ。あんたほどの上玉なら帝都でも引く手あまたさ」
「アディージャが?」
「ま、もともと帝都に行くつもりだったしね。しばらくここでのんびりするつもりだったけど、そういうことなら明日にでも出発するさ」
「お願いしてもいいのですか?」
「任せておきな。ただ、帝都に行って娼館の人間を連れてくるとすると二カ月以上はかかるよ。待てるかい?」
ウリセファは表情を曇らせた。
「でも、何もお礼が……」
「私は旅ができればそれでいいのさ。そのついでにあんたの手伝いをするだけ。気にするこたぁないよ」
特に目的というものがなかったアディージャに、目的ができた。帝都に行きたいというウリセファの願いをかなえてやる。悪くない目的だ。
アディージャは、自分のことが少し好きになった。
これが帝国を戦乱に陥れる元凶になるなど、誰にも予想できなかった。




