第九話
「お母さん、私に言わなきゃなんないこと、あるよね」
家に帰るなり私はお母さんに詰め寄った。
「今日の晩ご飯は美夜日ちゃんの好きなハンバーグよ」
「ほんとに。やった! ……じゃなくてさ」
「分かってるわ、冗談よ。献立は焼き魚よ」
「そこは冗談じゃなくてハンバーグでいいじゃんっ」
ニコニコといつもの調子を崩さないお母さん。
台所を離れて隣の和室へ私を促すと、畳みの中央に背筋を伸ばして正座をした。真っ直ぐにこっちを見つめてくる。
その無駄のない所作と目つきは朝と全く同じだ。腰の刀を抜くと自分の右側に置く。
「ここへ座りなさい」
「あ、はぁい」
お母さんの放つ雰囲気に、「あれこれ根掘り葉掘り問い質してやる。しょーもない言い訳なんかしたらぜったいに許さないんだから!」そう意気込んでいたが途端に気持ちが萎んでいく。
お母さんは怒らせるととんでもなく恐い。
今の顔は笑っているが、お説教が始まる時と同じものを私は感じていた。
「美夜日ちゃんの方から聞いてくれた方が答えやすいかもしれないわね。今日は色々と大変だったでしょう」
「大変なんてもんじゃないよ。なんなのあの学校。危うく殺されるとこだったんだよ」
「ちゃんと教えたじゃないの。死ぬわよーって」
「言ったけどさっ。本当に殺されそうになるなんて思わないじゃん。隣の席のエリちゃんなんて朝のホームルーム前に巨女にぶった斬られたんだから」
「あらー」
「あらー、じゃないよ! なんでそんな軽いのっ」
お母さんはこの世界のシステムを違和感なく受け入れているように見えた。
クラスメイトたち同様人の死に恐怖や嫌悪を抱いているようには見えない。さも当然といった顔つき。
この常識が書き換わった世界で、お母さんが何か事情を知っているのではという私の考えは間違っていたのだろうか。
「それで、美夜日ちゃんの聞きたいことっていうのは?」
突っ込みすぎた質問をしたらスズちゃんやゆっこみたいにお母さんもフリーズする可能性があった。しかしその心配があっても、聞かずにいられなかった。
だからあえて私は率直に聞いてみた。
「私が通うはずだった私立カトリアーデ高校、覚えてるよね」
「ええ、覚えてるわよ」
あっさりと言い放つお母さん。こっちが面食らう。
「は? 覚えてんの?」
「ええ、昨日二人で入学式に行ったわよね」
お母さんの言葉に頭が混乱する。
いや、以前のことをお母さんが覚えていてくれていたのは涙が出るくらい嬉しい。
こんなおかしな世界に私ひとりじゃない、少なくともお母さんだけは私の事情を分かってくれている。
そう思うと素直に喜びが湧いた。
だけど。
「なんで朝ちゃんと教えてくれなかったの! わけわかんないまま放り出してさぁ!」
同時に怒りも湧いた。
「ちゃんと説明しようと思ってたわよ。美夜日ちゃんが寝坊してギリギリに起きてくるから時間がなかったんじゃないの」
「運転中鼻歌ふんふん歌ってる時、時間あったじゃん」
「そうだったかしら? 運転中は集中してるから」
全然そんなふうには見えなかった。ぜったいリラックスしてた。
「少なくとも刀については言おうとしたわよ。そしたら美夜日ちゃんが、さっさと車を降りてっちゃったんでしょ」
うっ、そうだった。でも寝起きに刀見せられた挙げ句死ぬわよとか脅されて、まともに話を聞くような姿勢を取れるわけもなかった。
クククと腰でハクが笑い声を上げる。なに笑ってんのよ。
「あ、そうだ。車は前は軽だったよね、カワイイ色のやつ。それはどうなってんの」
「前の車はスパーダ(剣)よ。それは間違えてないわ」
「あーっ、もう!」
なにこれ。イライラする。
『以前の記憶は多少残っちゃいるが、この世界に合わせて大部分の記憶や常識は書き換えられちまってるみてーだな』
なんかずい分都合良過ぎない?
『俺様に言われてもな』
そーだけどさ。あんたの記憶はどうなのよ。
私の質問にハクが答える前にお母さんが続けた。
「聞きたいのはそれだけ?」
「まだだよ。入学式に出たそのあとは? 私は一年生の教室に移動してスズちゃんやゆっこと知り合って、ロングホームルームが終わって、その後中庭でお母さんと合流したよね。確か写真撮って一緒に帰……って、あれ?」
おかしい。その後どうやって家に帰ったっけ?
少しも覚えていなかった。
いくら思い出そうとしても、お母さんとどのルートでどんな風に歩き、家でどう過ごして夜寝たのか、まるで記憶が出てこない。
いや、思い出せないのとは違う。
例えばノートに自分で書いた文章を忘れてしまった場合、頑張れば思い出せる可能性があるが、この感覚を例えるならページを根こそぎ破り取られたかのように欠落している。
もしくは最初から頭の中に存在していない。
そんな手触りがあった。
自分の記憶の中に明らかな断絶があることに私は改めてぞっとした。
「ハッくん」
唐突にお母さんが私の腰の刀に視線を送り呼び掛けた。
「なんだ美菜萌」
普通にハクがお母さんの呼び掛けに応えた。
ちなみに美菜萌というのはお母さんの名前だ。いや、でもハッくんに美菜萌って。めっちゃ親しげじゃん。
「っていうかハク、あんた普通に喋れたの?!」
「まぁな。お前のクラスメイトの前で喋ったら面倒なことになるから、今後も積極的に声を出す気はねぇぞ」
「あ、うん。いや、それはいいんだけど」
いいのか? うん、まぁいいか。
頭の中で会話出来る刀は、普通に声に出してお喋りも出来た。
うん、なんだこの世界。もう何が起きても驚くだけ損な気がしてきた。
「ハッくんは詳しく覚えてる? 美夜日ちゃんが今言った後のこと」
少し考えるような間があったあと、
「入学式のあと、か。……すまねぇ。俺様もよく覚えてねぇ」
「それが私もなのよ。どうしたものかしらね。困ったわねぇ」
頬に手を当てて大して困っていなさそうに笑って言う。まるで人参買い忘れちゃったのよ、程度の困り顔だ。
いや、まったく笑い事ではないよ。
「ちょっと待って。よくってことは、少しは覚えてるんでしょ。なんでもいいからとにかく覚えてる部分を教えてよ」
「そうねぇ。でもその場には美夜日ちゃんもいたと思うのよねぇ」
「ああ、そうだな。それは間違いねぇな」
「えっ、私も?!」
すこっっしも記憶にない。
「お母さんは誰かにハッくんを渡されたの。そして人気のないカトリアーデの校舎の裏で誰かと闘った。そして」
一度言葉を切る。
ちらりとハクを見て言い難そうに、
「負けたの」
お母さんの敗北の表明に無言のハク。
「その相手は?」
「分からない」
「お母さんにハクを渡したのは誰? 闘ったのと同じ人? それとも違う人? なんでその人はハクを持ってたの?」
「分からない」
「ならハクは? お母さんに渡される前は誰があんたを持ってたのか分かる?」
「すまんな。俺様の場合はそれ以前の記憶もあやふやだ。美菜萌の手に渡された辺りから意識がスタートして、その後また飛んでる感じだ」
「そもそもお母さんの勝負と、世界がこんな風に変わってしまったことの因果関係ってなに?!」
どちらからも返答はない。
話になんない。
これじゃなにも分からないのと一緒だよ。
「いったいお母さんはなんなの。なんで私はこんな意味分かんない世界の学校に通わなきゃなんないわけ」
「最初の質問には答えられる。これを持ってるって事は、お母さんも士峰館学園のOG」
身体の右側に置いていた刀を手に取り素早く左手に持ち替えると、一気に引き抜いた。
流れるような動きでピタリと私の鼻先に切っ先が突きつけられる。今朝のあの時を過ごした私には分かる。刀を扱い慣れた者の動きだ。
「マジで?」
「みたい」
冗談きついって。
「この世界で帯刀を許されているのは初等部から高等部までの剣徒と呼ばれる士峰館学園女子部の剣徒たちか、そのOGのみ。分かりやすいでしょ」
そんな分かり易さが本当に必要かどうかは疑問だけど。
「剣徒の中で美夜日ちゃんだけがどうしてカトリアーデの記憶を残したままなのかは正直分からない。でも、元の世界に戻りたいなら、ハッくんを持ってその謎を解き明かすため士峰館学園に通わないといけないのは確かね」
「勝手に決めないでよ。人権侵害だ! 誰だか知らないけど私の青春キラキラJKライフを返してよ!」
私は大声で叫んだ。
「ただ美夜日よ、学園での目的ははっきりしたじゃねぇか」
え?
「俺様と美菜萌を打ち負かした奴、そいつを見つけ出すんだ」
「そっか。その闘いの後から記憶がないって事はその犯人――あえてそう呼ぶけど、その犯人は事情を知ってるって事だもんね」
無関係だったらそっちの方が驚きだ。
「よーし」
私から青春キラキラJKライフを奪ったそいつを必ず見つけて出してやる。
「やるぞー!」
私は両手の拳を握りしめた。でも。
「……ちょっと待って、具体的に何からすればいいわけ?」




