第五十三話
一ノ瀬教頭はゆっくりとこちらへ歩いてくる。
途中遥乃のそばにしゃがみ込むと、傷口などを検め、軽い手当てをした。
「刀傷も深くないし、骨にも異常はなさそう。気を失っているだけね」
私たちはその様子を黙って見ていた。
「教頭先生とらみるちゃんが、親子。あ、そうか、母親が教頭だから、新入生の資料も閲覧出来たんだ」
立ち上がった一ノ瀬教頭が私とお母さんに顔を向けた。らみるちゃんの横に立つと、私たちを交互に見比べる。
「カトリアーデ高校の入学願書に貼られた美夜日さんの顔写真を見た時、本当に驚いた。昔の美菜萌にそっくりだったから」
「そりゃあ娘だからね。あなたのとこもよく似てるよ。特に目元なんか」
屋上の手前で一ノ瀬教頭を見た時、誰かに似ていると思った。そうか、あれはらみるちゃんだったんだ。
二人はお互い笑顔を交わし合うが、不思議と冷たい空気が流れている。
「朝岡という苗字にまさかと思った。そして入学書類の保護者欄には、朝岡美菜萌という忘れようにも忘れられないあなたの名前。夫と思われる人間の名前はなかった」
「娘が小さい時に離婚したからね。苗字も旧姓に戻した」
クスッと一ノ瀬教頭が笑う。
「望んだ世界を創造しても、暮らしまで上手くいくわけではないようね」
「ほんとねぇ。まさか私も将来離婚を経験することまでは読めなかったな」
はははと笑うお母さん。笑うとこか。
「でも私には好都合だった。美夜日さんがあなたの娘であり、保護者欄に書いてあるのは、私の知っているあの朝岡美菜萌だと確信出来たから。母子家庭だということもね」
「母子家庭がどうして好都合になるの」
よく分からないとお母さんが首をかしげる。
「ひとり親なら娘の入学式にやって来る可能性が高いじゃない」
「あ、なるほど」
「お母さん、感心するとこじゃないでしょ! 離婚や母子家庭を好都合とか言われてんだよ!」
ぽんと手を打ちそうな顔をするお母さんを思わず叱り飛ばす。
「あぁ、ほんとだ。康恵、よくないよそういうの」
本当に分かってんのかこの人は。
「間違った世界の創造主を剣闘によって倒し、鍵による士峰館学園の世界線への回帰を図る。それが私たち親子の悲願。それを行えるのはこの学園敷地内と、ここに通う生徒のみ」
ようやく全てに納得がいった感じでお母さんが頷く。
「そうして私はらみるさんに剣闘を挑まれて、負けたってわけね」
「《剣帝》って聞いていたからどれほどかと思っていたけど、全然大したことなかった。拍子抜け」
らみるちゃんが嘲る。さすがにお母さんを悪く言われるのは気分が悪い。けれど言われた当の本人はけらけらと笑い飛ばす。
「何年ブランクがあると思ってるの。平和な世界で長年主婦やってたロートルおばさんに勝てなかったら、そっちの方がまずいと思うよ」
今度はらみるちゃんの方がムッとした顔をする。へん、ざまぁ見ろ。
「ところでお母さんと教頭先生ってどういう関係だったの」
「契りを交わした義理の姉妹よ」
んぁ?!
「ちなみにお母さんが姉上様」
「じゃあ、さっき教頭先生がいるのを見破ったのは……」
「《無形》は康恵も得意としていたからね。らみるさん以上に技はよく知ってる」
一ノ瀬教頭が厳しい声を発した。
「美菜萌、どうして剣を捨てたの。あの圧倒的な強さを誇ったあなたはとても素敵だった。この世界で、学園を越えたさらなる高みへと登っていける存在だった。私は一番近くでそれを見ていられるはずだったのに、どうして……!」
やれやれとお母さんは頭を掻いた。
「それがうん十年経ってこんなことをしでかした理由なのね。剣に取り憑かれてるね、康恵」
「答えて、美菜萌!」
「私がこの世界を捨てた理由は簡単。グルメ、ファッション、恋愛を心の底から楽しみたかったから」
ポカンとした顔をする一ノ瀬親子。まさかそんな答えが返ってくるとは思ってもいなかったんだろう。
「それで結局離婚してたら世話無いんじゃないの」
「娘なのに手厳しい。でもバツイチくらいご愛敬よ」
全く堪えていないらしい。
でも、よく分かった。私は確かにこの人の娘で、同じ血が流れているんだなって。
のほほんとした空気が流れる私たち朝岡親子とは打って変わり、一ノ瀬親子の空気は冷たく凍えていく。
「もう、いいわ。らみる、さっさと終わらせなさい。話は鍵を取り戻してからよ」
「分かった」
らみるちゃんがギラつく瞳で私を睨む。
「康恵、あなた……」
「余計な口を利かないで、美菜萌。私たちはもう剣徒じゃない。行く末を決めるのは二人よ」
何かを口にしかけたお母さんを、一ノ瀬教頭が鋭い口調で遮る。
「立会人、やってくれるんでしょう。久しぶりに見たいわ」
「……分かった。あ、でも私、よく考えたら士峰館学園を卒業してないからOGじゃないね。てことは帯刀も本来したら駄目よね?」
「この士峰館学園の世界線に回帰したことで、あなたの略歴もこの世界に合わせて上書きされた。朝岡美菜萌は間違いなくこの学園の卒業生よ」
「そう。なんだかちょっと複雑な気分」
一ノ瀬教頭はその場を離れると、ランエボを見つめた。
「まったく校舎裏にこんなもので乗り付けるなんて。無茶苦茶なところは相変わらずね」
呆れたように首を振るが、その表情はどこか嬉しそうだった。腕を組んでランエボの車体にもたれる。
「二人とも、準備は良い?」
お母さんが私とらみるちゃんの間に立って問う。私たちは頷く。
「では、距離を取って」
指示に従い互いにゆっくりと後退する。
「これで最後。覚悟してね、美夜日ちゃん」
「はん、こっちの台詞。ハクが私の手にあるってことは七席のらみるちゃんに勝ち目はないよ」
「ふふ、おめでたいね」
なに、まだなにか隠してるの?
『油断すんなよ、美夜日』
分かってる。
私たちはしっかりと距離を取った。
「これより、士峰館学園十七条の剣法第九条に基づき、剣闘を執り行う! 立会人は私、士峰館学園卒業生《剣帝》朝岡美菜萌が務める!」
お母さんの声が校舎裏に響き渡った。これまでに聞いたことのないような、凜とした力強い声音だ。
「剣闘は得物の折損、あるいは敗北の諾をもって決着し、これを剣裁とする。両者異存はないな」
「ない」
「もちろん」
私は抜刀し、ハクを構える。
「我が命は剣に」
すでに抜刀していたらみるちゃんが腰を沈める。
「我が剣は理に」
私たちの剣気が渦を巻き、吹き付けた一陣の風と共に唸りを上げる。
「郁美さんとの闘いを見ていて思った。美夜日ちゃんは元々の体力がなさ過ぎて、ハクロウを扱える時間はとても短いよね。《小次郎》との剣闘で消耗していることと合わせて考えたら、全力を出せるのはほんの僅かな時間に限られるんじゃない?」
「また言葉で揺さぶろうっての。もうたくさんだよ。決着にはその僅かな時間で十分だって教えてあげる」
ハク、らみるちゃんの言うことには一理あるよ。ここは一気に決めよう。
『おし。開始と同時に爆雷震をお見舞いしてやるぜ』
ハクの言葉を合図に剣気を一身に集め、凝縮させる。
お母さんが刀を振り上げた。
「剣閃抜刀!」
そして振り下ろされた。
「――不退転!」
白刃が空間を縦に裂き、お母さんが飛び退る。
ついに最後の闘いが始まった。




