第五十二話
真っ赤な車体が砂埃を上げながら校舎裏に猛スピードで走り込んでくる。らみるちゃんが一瞬虚を突かれた。
今だ!
私は持っていたお母さんの刀を、思いっきりらみるちゃんに向かって投げ付けた。
「なっ?!」
まさかハクを自ら手放すなんて思ってなかったのだろう。驚きの表情で刀を振り上げ、お母さんの刀を寸前で弾き飛ばした。明後日の方向に刀が転がってゆく。
すぐに事態に気付いて構えを解く。転がった刀へ向かってらみるちゃんが走った。私を包んでいた優しい空気が霧散する。
突っ込んでくるランエボが、車体の右側をこっちに向けてスライドした。全開の窓にお母さんの姿が見える。
「美夜日ちゃん」
ランエボが私の数メートル手前で停止すると、お母さんが窓から身を乗り出した。
「忘れ物よ」
投げられた細長いシルエット。一歩も動くこと無く、絶妙な位置とタイミングで伸ばした左手にそれは収まった。
「ハクっ!」
「待たせたな」
「待ちくたびれたよ!」
「だったらどこにいるかくらいさっさと教えろってんだ。こっちはお前と一緒じゃねぇから、言われなきゃわかんねぇだろが」
憎ったらしい声、ヤクザな口調、傷だらけの鞘。間違いなくハクだった。
「うん、ごめん」
まずは謝ろう。そう決めていた。
「……分かりゃいいがよ、なんて言うと思ってんのかクソアマ。幼稚に不貞腐れてやがるからピンチになってんだぞ。お前がいなくなったら俺様の楽しみはどうなる。そこんとこミジンコ並の脳みそでよく考えて行動しやがれ」
こめかみがピキッとなりそうになったが、我慢我慢。じゃないとこの局面を乗り切れない。
「この際だから言っておいてやる。弱っちいくせにすぐに調子に乗る、顔は十人並みのくせして無駄に自己評価は高い、理想ばっか語るくせに中身はねぇ。もう少し客観的に自分を見るって事をしろこの低脳」
あ、ダメ。やっぱ無理。
「誰が低脳よっ。人が素直に謝ってんのにクドクドクドクド嫌味ばっかり! あんたはお嫁さんをいびる姑か! そもそもあんたがらみるちゃんを永久子だって勘違いした上に犯人だって言い張ったからこんなことになってんでしょうが!」
「あん? らみる?」
「そうだよ。昨日の竹林での襲撃犯は《無形》で永久子の剣気と剣技を複写したらみるちゃんの仕業だったんだよ!」
「……ほう、なるほどな」
「なにひとりで納得してんのよ。こっちの話はまだ終わってないのよ。その後のあんたの不意討ちのせいで、朝から玻璃組の皆に白い目で見られるし、こっちはこっちで大変だったんだからね。分かってんの! そういやあんた昨日桃が言った士峰館剣徒の本分に感心してたよね。その割には、平気で後ろから永久子に自転車で突っ込むってどういうことよ!」
私の剣幕に押されたのかハクは黙った。すぐに言い返してくるものと思っていたのが拍子抜けだ。返してこないのなら罵倒を続けてやろう。口を開きかけた時、ハクが笑った。
「クック、すっかり士峰館学園の剣徒ってわけかよ。え、美夜日」
「そ、そんなわけないじゃん。はぐらかさないでよ」
「そっちこそ履き違えんなって言った俺様の言葉覚えてるか。お前の目的は元の世界に戻ることで、この学園の剣徒としてやってくことじゃねぇだろ」
そうだった。そのはずだった。私の目的は元のカトリアーデの世界線に戻って青春キラキラJKライフを謳歌することだ。なのに、変わってきている自分がいる。例えどんな叶えたい願いがあったとしたって、どんな手段を用いてもいいわけではないと思い始めている自分がいる。
「ったく、俺様抜きで楽しみやがってよ。いいぜ、俺様は使い手に合わせるだけだ」
「美夜日ちゃん、無事で良かった」
ランエボから降りて来た、お母さんが私のすぐ横にやって来ていた。
「見なさい」
視線が示す先を追うと、ギリギリとお母さんの刀を握りしめているらみるちゃんがいた。鬼の形相で私を睨んでいる。
「どういうこと、これはハクロウじゃなかったの? そっちが本物なの?」
ひゅんっと風を切る音がした。私の目の前にお母さんの刀が突き立った。
「馬鹿にして!」
私だって持っている刀がハクじゃないのに気付いたのは剣闘の時だから、全然騙す気なんてなかった。だけど、らみるちゃんからしたらそうは思わないのも分かる。
お母さんが自分の刀を地面から引っこ抜く。私は腰の鞘を渡して換わりにハクを差す。
「あなたの顔を見てようやく全部思い出した」
お母さんが私の前に出た。らみるちゃんの正面に立つ。
「カトリアーデの入学式の日、私にハッくんを渡して剣闘を申し込んで来たのはあなただったわね。名前は確か一ノ瀬らみるさんと言ったっけ」
「それが何? 今さら文句でも言いたいの」
「違う」
「じゃあ何よ。娘に加勢する気ならご自由に。かつて《剣帝》って呼ばれてたみたいだけど、何年も刀なんて振ってなかったんでしょ。ハクロウのサポートがあっても、七席の私に負けるようじゃ役に立つとは思えないけど」
お母さんはそれには答えずじーっとらみるちゃんの顔を見つめる。
「ちょ、ちょっと待って。らみるちゃん、さっきもお母さんのこと《剣帝》とかなんとか言ってたけどなんなの、それ。どういうこと?」
「何にも知らないんだね。いいよ、教えてあげる。朝岡美菜萌はかつて士峰館学園女子高等部の頂点に立つ存在だった。その時の呼び名が《剣帝》」
驚いてお母さんを見る。だけど、私の様子になど気が付かないのか、じっとらみるちゃんの顔を見続けている。
「ハクロウは世界を創造、変革、回帰するための鍵ってさっき言ったよね」
「聞いた。どうやるかは知らないけど、要するにハクを使って、らみるちゃんが私たちをこの常識を改変した世界に引っ張り込んだってことでしょ」
ゆっくりと首を横に振る。
「美夜日ちゃんは勘違いしてる」
「勘違い?」
「そう、美夜日ちゃんはカトリアーデの穏やかで平和な世界から、この剣の腕が物を言うおかしな世界に連れて来られたと思ってるでしょ」
「思ってるってか実際そうでしょ。元に戻せるなら早いとこ元に戻して欲しいんだけど」
「だから元に戻ったんだよ」
「は?」
さっきから何言ってんの。意味分かんない。
「ここ士峰館学園の世界線が元なんだよ」
「んん?」
「分かるように言ってあげる。元々この士峰館学園の世界が先にあり、朝岡美菜萌は学園の剣徒だった。あなたの母親が望んだの。剣も力も必要ない世界を。そうしてカトリアーデの世界を創造し、全てを改変した!」
「嘘っ」
お母さんを見る。
「飽きちゃったからね。誰かを斬ったり誰かに斬られたりってことに。もう、うんざり」
小さく首を振るお母さん。
「まさか、ほんとに」
「ええ。美夜日ちゃんにはショックかも知れないけれど」
そんな。私が暮らしていた平和な日常は、お母さんが望み、作り上げたものだったなんて。このおかしな世界の方が先にあっただなんて……。
らみるちゃんが続ける。
「ハクロウを使った人間や、その時そばにいた人間だけが前の世界の記憶を残したまま別の世界へと移行出来る。改変時の衝撃で前後の記憶がしばらくあやふやになることはあるみたいだけどね」
「ああ、だから思い出せなかったのね」
「なるほどなぁ。そういうわけだったのかよ」
軽っ。お母さんもハクもちょっと軽過ぎない?
「つーかハク、あんた超重要な存在じゃん」
「みてーだな」
「みてーだなって、そんなことまで普通忘れる?!」
「憶えてたら、とっくに前の持ち主がらみるだって言ってるだろ」
「自分の存在意義まで忘れんな、このポンコツ!」
「あんだとぉ……」
「漫才なら他でやって」
ぴしゃりとらみるちゃんが言い放つ。
「さぁ、もういいでしょ。ハクロウを渡して。こんなのは私の望んだ世界じゃない。私はハクロウを使ってもう一度世界を創り換える」
「それがカトリアーデの世界線なら大人しく渡すけど」
腰を落として柄に手を置く。
「冗談。あんな甘ったるい世界反吐が出るよ」
「だったら渡せない。私はらみるちゃんを倒して、この手で青春キラキラJKライフを勝ち取るよ」
私たちの間で目に見えない剣気が爆ぜる。
「待ちなさい」
お母さんの待ったがかかった。聞いたことないような厳しい声。これが《剣帝》の声。
「剣闘には立会人が必要でしょ」
「もしかしてお母さんが?」
「ええ。でもその前に」
なぜか足元に落ちていた手頃な石を取り上げた。
「らみるさんといったっけ。どこかの誰かに似ているなってさっきからずっと考えていたの」
あ、だかららみるちゃんの顔をじっと見ていたのか。
「色々と思い出して来た。私がハッくんを使って改変を行ったここの剣徒だった頃、そばにいた人間はひとりしかいない」
ぽんぽんと石を掌で遊ばせる。
「昔を思い出すね、お互い。柳沢康恵!」
お母さんが聞き覚えのない名前を呼んだかと思うと、校舎に向かって石を投げ付けた。
がつんっとコンクリートの壁に当たった石が弾け飛び、さっきまで誰もいなかったはずのそこに、ひとりの女性の姿が浮かび上がった。
「……柳沢は旧姓よ」
現れた女性が皮肉っぽく口にする。
「母さん!」
らみるちゃんが叫んだ。
「え、母さんって……」
「今は一ノ瀬康恵」
そう言って士峰館学園女子高等部教頭は冷たい瞳で微笑んだ。




