第五十話
十剣鬼第七席《無形》一ノ瀬らみるがそこにいた。
彼女の足元に転がったスマホからは、お母さんの声がまだ微かに聞こえていた。急に途切れた会話に、きっと私のことを心配しているに違いない。
らみるちゃんがうるさそうに爪先で蹴っ飛ばすと、私のスマホは雑草の中へと消えた。
「うーん、攻撃と《無形》壱の型はやっぱり同時には無理か。どうしたって殺気が発生しちゃうな」
「なにを……、なんで……」
「何を言ってるの? なんでこんなことするの? って聞きたいのかな。じゃあまず前者から」
しゅんっと刀を構えて私に突きつける。
「でも、その前に」
らみるちゃんが刀を素早く納刀し、目の前にしゃがんでいた遥乃の顔面目がけて蹴りを放った。頭部が引っこ抜けるんじゃないかと思える強烈な蹴りに、遥乃が吹っ飛ばされて地面を転がった。ぴくりとも動かない。完全に伸びている。
「ひどい、なにすんの!」
「だってムカつくじゃん。人がせっかく最高の舞台を整えたってのに、邪魔してくれちゃってさ。せつなさん以外を引っ張り出すの、どれだけ骨が折れたと思ってるの。お仕置きは必要でしょ」
冷たく吐き捨てる。剣闘の時に私に向けた目と同じ色をしていた。暗く侮蔑を含んだ目。
「じゃあ話の続き。私の《無形》は読んで字の如く。形が無いの」
遥乃の存在など無視して話を再開する。その切り替えの早さにぞっとした。
「形が無いってことは気配もない」
それで私たちに少しも気付かせず近付くことが出来たのか。
そういえば、剣武会執行室で《凶剣》桃とやりあってた時、ハクがあっさりと後ろを取られた。あの時《無形》のらみるとはよく言ったもんだとかなんとか言われていた。それがらみるちゃんの特殊能力。
「これが壱の型。弐の型は複写能力」
「複写って、コピー?」
「そう、形がないってことはどんなものにでもなれるってこと」
「変身、出来るの」
「見た目の話じゃないよ。剣気と剣技の話」
稲妻のように言葉の意味が私の中を駆け抜けた。
それは、つまり……。
パズルのピースが頭の中でパタパタといくつも嵌まってゆく。
「もっとも短い時間が限界だけど。お馬鹿な美夜日ちゃんを騙すくらいは十分だったね」
「……嘘、だよね」
「なにが? 《無形》の能力の話なら本当だけど」
「竹林での話だよ! 覆面してた女子、あれ永久子の剣気と剣技を《無形》で真似たらみるちゃんだったってことなの?!」
私の疑問にらみるちゃんが不思議そうに首を傾げる。
「え、そう聞こえなかった? 説明がまずかったかな。それとも一から十まで噛み砕かないと理解出来ない人?」
「本当、なの。なんで、そんなこと」
「うん、じゃあ後者の説明ね。簡単に言うと、美夜日ちゃんに勘違いさせて《小次郎》と潰し合わせるためだよ」
「潰し合わせる?」
「そう。私の席次は七。美夜日ちゃんは六席の郁美さんを倒した。ということは少なくとも私より実力は上になる。悔しいけどね」
口調はそのままに私を見つめる目が変わった。そこには憎しみに似たどす黒い感情が籠められている気がした。
「桃さんとの闘いを見ても、互角かそれ以上。もし第二席よりは下でも《小次郎》に手傷を負わせられれば御の字でしょ」
「なんで私を使ってそんなことする必要があんのよっ!」
「はぁ? 少しでもこの学園の頂に登り詰めるためじゃない。上の人間を蹴落とせば、私の席次は繰り上がる。上手い具合に美夜日ちゃんは十剣鬼じゃないしね。他にどんな理由があるって言うの」
そんなことのために、私は昨日からあんな馬鹿げた争いをいくつもする羽目になったのか。
「永久子を慕ってたんじゃなかったの!」
「姉上様呼びしてたこと? 演技に決まってるでしょ。《無形》の私にはお手の物だよ。そうしていれば隙を見せるかなって思ってたんだけど、さすがに第二席は伊達じゃないね。なかなか上手くはいかない。でもそこへ美夜日ちゃんが現れてくれた」
上を狙うもなかなか上手くいかない日々。そんなところへ、私がやって来たのだという。
「郁美さんを倒したのを陰から見てて思った。この子は使えるってね。上手く利用してコントロール出来れば、私は手を汚さず上にいける」
なんてこと。《大谷》いくみんを倒した時点で、もう私を利用することを考えていたのだ。剣武会執行室ではあんなにもっともらしく私にあれこれ指図していたのに。犯人を探し出せだの言った裏で、私を襲撃する策をとっくに練っていたなんて。
そこまで考えてはっとした。
「竹林で私と桃が調査していた時、もしかして……」
「うん。《無形》で気配を消してそばで見てたよ。でないとあんなドンピシャで出てこれないでしょ。まず美夜日ちゃんに電話をかけて意識を逸らし、同時に桃さんにスマホから文章を送って、次の行動を指示した」
確か通話を切った後、すぐに《凶剣》桃は手分けしての調査を提案したのだ。あの時彼女はスマホを見ていた。
「美夜日ちゃんの実力がどれほどのものか、私自身で試したかったからね。郁美さんを倒したとはいえ、壱の型の不意討ちであっさりやられるようなら《小次郎》にはどうせ届かないし、実力通りの腕前なら弐の型の複写能力に絶対に引っかかる。達人であればあるほどね。桃さんを引っ張り込んだのだけが誤算だったよ」
「人選はあんたがしたんでしょうが!」
「ムカつくこと言うからだよ。桃さんとまた斬り合ってくれても良かったんだけど、そうはならなそうだったから当初の計画通りに事を進めた」
それは私と《小次郎》永久子との潰し合い。
「永久子を無理に下校させたのも罪をなすりつけるため?」
「当然でしょ。濡れ衣を着せる人間のアリバイをあやふやにしておかないと意味ないじゃない」
なんて奴だ。ハクも私も完全に騙され、そのせいで《小次郎》永久子を追いかける羽目になったのは全部仕組まれたことだった。くそう、ムカつくのはこっちも同じだっての。
そこまで考えてあることに気がついた。
「……え、ちょっと待って」
もうひとつ、私は重要な出来事を思い出していた。
「途中らみるちゃんに会ったよね! 剣徒会館のとこで!」
窓かららみるちゃんが顔を出して、確か私を呼び止めたのだ。
「意外? 上手く引っかかってくれたか確認する必要があったから敢えて声をかけたの。うんこって叫ばれたのにはびっくりしたけど」
くっくと思い出し笑いをするらみるちゃん。そんなに私のうんこ宣言がおかしいか。
「なに笑ってんのよ!」
「いやさぁ、だってほんと間抜けなんだもん。私が襲った犯人なのに、まんまと騙されて《小次郎》を追いかけてっちゃうんだから」
「あんたがそう仕向けたんでしょうが!」
「うん、まぁそうなんだけどさ。当然バレる危険性もあるわけだから、こっちも冷や汗ものではあったんだよ。あの時美夜日ちゃん、なんで体操着なのかって私に聞いたよね」
確か、聞いた。茶室掃除で制服が汚れてしまうから、体操着に着替えたって答えだった。
「制服は笹や落ち葉、土にまみれて汚れてたからだよ。美夜日ちゃんもそうだったよね。さすがに同じ汚れ方してたら、いくら剣気と剣技を真似て覆面してたっていっても襲ったのが私だってバレバレじゃない」
駐輪場でのことを思い出す。竹林の笹や落ち葉まみれの私を、エリちゃんが払って綺麗にしてくれたのだ。
なんて、こと……。らみるちゃんは着替える必要があったのだ。バレないよう体操着に。
目の前に犯人がいたのに、ヒントもあったのに、頭に血の上った私もハクも、まんまと掌で転がされてしまった。
そんな私をあざ笑うかのようにらみるちゃんは袂から何かを取り出した。黄金糖。
「食べる?」
「……いらない」
「そ」
ぺりりと包装を剥がして自分の口に放り込む。
「聞きたいことはもうない? あれば何なりと答えるよ」
反転していく自分の認識に、頭の奥がぐわんぐわんと揺れている気がした。
「新入生を標的にした辻斬りも、らみるちゃんなんだよね? なんでそんなことしたの」
私は言葉を絞り出した。
「ああ、あれね。むしゃくしゃしてたってのもあるけど、ある意味新学期に毎年起こる腕試しの一環だよ。やり過ぎて大事になっちゃったのはちょっと反省してる」
剣武会十剣鬼の名を使えば、新入生を呼び出すことは簡単だったろう。入学早々学園十指に入る実力者から声をかけられて、どの子も舞い上がって駆けつけたに違いない。『呼び出したことは秘密にしてね』などとひと言添えておけば周りに漏れる可能性も低い。
「でもみんな大したことなかったなぁ。この機会にあわよくば十剣鬼第七席を倒してやろうって気概がそもそもないんだもの。どいつもこいつも憧れの姉上様にお声をかけて貰っちゃったって、餌を貰う犬みたいな顔して待ってるんだよ。張り合いがないったら。《大谷》の郁美さんじゃないけど、憧れるのはやめましょうってのよ」
ぶつぶつと文句を言う。
「あーあ、ちゃんと資料見て強そうな子たちを選んだんだけどな」
資料? 十剣鬼は剣徒の個人情報も簡単に閲覧出来るものなんだろうか。いや、今はそんなのどうでもいい。
「なんで後ろから斬ったの。十剣鬼なら当然士峰館の本分は知ってるんでしょ」
「あはは、《小次郎》に後ろから自転車で突っ込んだ美夜日ちゃんがそれ言うんだ」
「答えなさいよ!」
ムカッと来てつい大声が出た。
「確かに《無形》壱の型の隠形で気配を消して呼び出した子たちに後ろから近付いたよ。でも、さっき言った通り見た通り、攻撃に移る時にはどうしても隠形は解除されてしまう。本人たちに実力と油断無き心構えの二つがあれば対処出来たはず。実際渡会さんは反応出来てた。剣の腕はいまいちだけど、そっちの才能はあるんじゃないかな。木南さんや美夜日ちゃんじゃなくて、私が妹にしてもいいかも」
「殺さなかったのはそのため?」
「さぁね」
伸びている遥乃を楽しそうに見る。
「遥乃は私の妹だよ」
「だったらなに?」
私の意見などどうでもいいと鼻で笑う。
「せっかくだから全部教えておくよ。今朝、教室に入ってからの美夜日ちゃんの様子は隠行を使って全部見てた。どう出るのか気になったからね。でもみんなひどいよね、美夜日ちゃんは私に騙された勢いでやっただけなのにあんなに冷たく当たってさ。まさかその後《小次郎》に真っ正面から剣闘申し入れに行くとは思わなかったけど、彼女の性格なら受けないのは分かってた。まぁおかげで失意の美夜日ちゃんを上手く操ることが出来たんだけど」
ぎりっと奥歯を噛みしめる。こいつ、どこまで性格悪いんだ。今の私、たぶんだけど超可愛い顔に青筋浮き上がらせてると思う。
「だけど美夜日ちゃんもさ、少しくらいおかしいと思わなかったの。私だって何もかもが完璧だったわけじゃないんだよ」
「どういう意味よ」
「教室に戻りにくいなら茶室の鍵を貸そうかって言ったの憶えてる?」
「憶えてるけど。それがなに」
「この言葉ってよく考えたらおかしいよね。美夜日ちゃんと玻璃組生たちとのやりとりを実際に見ていないと出ないはずの言葉でしょ。走って行く美夜日ちゃんを、二年の群青組教室から見かけて追いかけて来たって私の言葉とは完全に矛盾する」
らみるちゃんの言う通りだった。
「だから私がなんでって聞き返した時……!」
もにょもにょとしどろもどろになっていたのだ。
「さすがにこれはバレたかなーって内心焦ってた。結果は大丈夫だったけど。踏み込み過ぎたって後でかなり反省したよ」
にっこりと笑い返して来る。その下に邪悪な計算高さを隠しに隠して。
茶室で、初対面の笑顔に騙されたと知った時、もうこの笑顔を信じないと思った。それなのに、また私は騙されていた。騙されまくっていた。
「《小次郎》犯人説への誘導も惚れ惚れするくらい上手く決まったし、姉上様って呼ばれた時はちょっとゾクゾクしちゃった。あ、そうだ。私が抱きついた時のことは憶えてる? あれ思わず笑いそうになってたんだよ。とっさにああしないと吹き出しちゃいそうだったから」
気がつけば刀を握る私の手はぶるぶると震えていた。らみるちゃんが喋るたび震えは強くなる。
「メソメソ泣いてる馬鹿で間抜けな美夜日ちゃん、とっても可愛かったよ」
私の中で何かがぶっ千切れ、一瞬にして血が沸騰した。
「らみるゥっ!」
「姉上様でしょ、美・夜・日」
「呼ぶかぁあ!」




