第四十七話
掌に汗が滲む。
風が冷たい。
身体は細かく震え出していた。
至る所にヒントがあった。
校門で私の刀を見た時のせつなさんの様子。
朝からこの昼休みまで、さらに剣闘なんていう一大イベントに及んでも一向に喋ろうとしないハク。
私は全て昨日のケンカが原因でハクがヘソを曲げているものだと思い込んでいた。
でも、違った。
そう、最初から違っていたんだ。
お母さんの椅子に立てかけられていた刀を掴んだその時から。
左手を柄から離し、そっと鞘の表面を撫でる。そこには昨日の大ゲンカでついたはずの傷が、ひとつもなかった。
私が握っている刀は、ハクではなくお母さんの物だったのだ。
「どうした。かかって来ないのか」
私が寝坊なんかせず、朝ちゃんと起きていたら、きっとお母さんともハクとも話す時間があったに違いない。思えばお母さんは出がけに何かを伝えようとしていた。
ヘソを曲げていたのは私の方だった。ちゃんとハクと向き合おうとしていたら、もっと早くにこの刀が別物だって気が付いていたはずだった。
呼吸が荒くなる。
「なぁ、美夜日の様子おかしくないか」
「ミヤッピー、だいじょぶー?」
結局私は甘えていたんだ。
最後の最後にはどこかできっとハクが助けてくれるって。他人を当てにして吹き上がった結果がこのザマだ。
「来ないのならこちらから行かせてもらおう」
構えた《小次郎》永久子が一直線に走り込んで来た。
「ひっ」
迫り来る鬼。もはや恐怖しかなかった。
この世界に来て、斬り合いで初めて恐怖を感じた。いつもハクがそばにいたから一度も恐怖を感じなかったのか、それとも本来の私がこの場で初めて顔を出したのか。
分からない。でも、そんなの今はどっちでもいい。私は背中を向けて屋上の端へと逃げた。
その様子にどよめきが起こった。
続けて梅花組側からヤジが飛んだ。
「なによあれ」
「完全にびびってるじゃん」
「無っ様~」
あははと笑い声まで上がる。
「なにやってんの美夜日!」
「迎え撃ちなよっ」
「逃げてんじゃないよ、闘え!」
玻璃組からは応援とも苛立ちとも取れる声が上がったが、気にしている余裕はなかった。
なんとか《小次郎》永久子から距離を取ろうと屋上を走る。だが、向こう正面には梅花組生、後ろの階段側には玻璃組生。左フェンス前には七を飛ばした十席から六席までの十剣鬼、右フェンス前には五席から三席までの十剣鬼。どこにも逃げ場はない。
そうだ。敗北の諾だ。降参、負けを認めれば。
私は立会人を務めているらみるちゃんを見た。その目には、私に対する深い嫌悪の色が浮かんでいた。
小さく丸まって泣いている私を慰めてくれた、優しい姉上様はそこにはいなかった。「この場を誂えた私の顔に泥を塗って」、そう眼で言われている気がした。
足が止まる。両膝が落ちるのも時間の問題だった。もう無理だ。走れない。
「美夜日ちゃん!」
「ほんとにどうしたのっ。立ち向かいなよ。《小次郎》来るよ!」
玉砕覚悟で突っ込んでいったとしても、恐らくどうにもならない。それくらい私にだって分かる。
みんな、ごめん。あれだけ大口叩いたのに。私が斬られた後は、全力ジャンピング土下座でも何でもして許してもらって。
ああ、これで玻璃組も元の落ちこぼれクラスに逆戻りか。
ううん、いい勝負をしたんならともかく、こんだけ盛り上げて盛り上げて盛り上げた結果の私の体たらくだ。前よりきっと扱いひどくなるに決まってる。ほんと、ごめんね。
とうとう《小次郎》永久子がすぐそばまでやって来た。
「ふん、剣闘の開始に至って今さら怖じ気づいたか。しかし今回は私も剣を収める気は無いぞ」
分かってるよ。そっちにだって面子があるもんね。剣の腕前が物を言う学園のナンバー2が、コケにされて簡単に許したんじゃ示しがつかないよ。
構えも取らないまま私は《小次郎》永久子に向き直った。長刀が振り被られる。
今までジタバタ足掻いて来たけど、この辺でもう終わりにしよう。最後くらい潔くするよ。でも、なるべく痛くないのがいいなぁ。
「闘ってよ、ミヤッピ!」
「ちょっと美夜日!」
「美夜日ちゃん!」
みんなの声も周りの景色も徐々にぼやけて遠くなる。最後にハクにはちゃんと謝っときたかったなぁ。
『てめぇいい加減にしろよ。どうせまたアホ面晒してんだろ』
少しずつ静かになっていく世界で、聞き慣れた声が頭の中に響いた。脳髄に電流が駆け抜ける。
一気に音も視界も戻ってくる。今にも愛刀を振り下ろさんとする《小次郎》永久子の姿が目に入る。
ハク? どこ、どこにいるの?
もうほとんど諦めかけていたのに、ハクの声を聞いた途端死にたくないという気持ちが大きくなる。
ハク、このままじゃ私殺されちゃう!
『今お前がどういう状況にあるのかは知らねぇ。だが教えておいてやる』
このギリギリの状況下でいったい何を。
『使ってたのは俺様だがな、剣気も肉体もお前自身のもんだ。恐れるな、踏み込め、爆発させろ』
握っている刀はハクじゃない。なのに、ハクの声が確かに聞こえる。たった半日聞かなかっただけで懐かしいあの憎たらしい声。たったほんの少しの言葉なのに、不思議と元気と力が湧いてくる。我ながら単純だ。
《小次郎》永久子が歯を見せて笑った気がした。きっと自分の勝利を確信した笑みに違いない。
笑ってろ。
長刀が振り下ろされた。
無眼縦横無尽流。
「爆雷パルフェっ!」
お母さんの刀を全力で振り上げた。
刀と刀がカチ合わさる。練り上げた剣気を一気に爆発させて相手に叩きつける爆雷震は、本来ガード不可の大技だ。
刀身がぶつかり合った瞬間、まるで水が流れるかのような動きで、《小次郎》永久子の長刀がこちらの力を受け流すように滑り落ちてくる。水鴎理巌流・湖切。
斜め上からの斬撃が水面を裂くように振り下ろされ、一撃目を凌いでも水中から立ち上がる抉るような二撃目が相手を襲う。
《小次郎》永久子の剣筋は流派名が示すように水の如し。斬り下ろしの圧力は最初しなやかで、穏やかな流水を思わせたが、途中から明らかに流れが変わった。それはさながら大きな滝、大瀑布だ。
私の斬り上げる刀を絶妙にいなしながら押し込まれる。体勢が崩される。
「ああ~!」
玻璃組生から大きなため息が上がった。
「爆雷パルフェは? 不発?!」
ギンッ。
二つの白刃が離合するのと同時に私の片足も地面から離れた。上半身を完全に崩され地面が迫る。そこへ振り抜かれたはずの刃による水中からの二撃目。私の首筋目がけて返しの刃が跳ね上がる。
「美夜日っ!」
いくら達人でも、いくら私が素人でも、同じ技を何度も見せ過ぎだよ。
「さっきの、爆雷震じゃないね」
唯一まともに爆雷震を食らった《大谷》いくみんの声。
大当たり。
みんな引っかかってくれた? 言ったじゃん、爆雷パルフェだって。私は爆雷震だなんて一度も言ってないよ。
そして本命はこっち。
「ッ?!」
湖切の斬り上げよりも倒れ込んで腕を伸ばすだけの私の方が速い。
慌てて《小次郎》永久子が斬上げを中断、バックステップで距離を取ろうとする。逃がすか。
行け!
私は倒れ込みと同時に、切っ先をコンクリートの地面に突き刺した。
ゴンッ!
足元で最大火力の剣気が爆発した。轟音と共に床を砕き、礫を巻き上げ、振動と衝撃波を発生させる。
それらをもろに浴びた剣徒たちの悲鳴や叫びが、よく晴れた空に響き渡る。
「うげっ」
当然爆心地にいた私はそれくらいじゃ済まなかった。吹き飛ばされ、屋上を二度三度と転がり、金網フェンスに激突してようやく止まった。あちこちを擦り剥き、頭はクラクラする。やっぱりハクのように上手くはいかない。なりふり構わない捨て身戦法が精一杯だ。剣気や肉体は私のものでも、使い手はただのJKなんだから。
それでも刀だけは手放さなかったよ、ハク。上出来でしょ。
『見てねぇから知らね』
あんたね、そこはウソでも褒めるとこでしょ!
「攻撃を当てられぬと見越して、最初から狙いはこっちだったとはな」
砂と埃にまみれた《小次郎》永久子がダンと右足で地面を示すように踏み締めた。爆雷震の衝撃波、砕けたコンクリートの破片が至近距離で肉体を叩いたはずだが、大きな傷などはなさそうだった。
「褒めてやろう、朝岡美夜日。なかなかやるな」
敵に褒められちゃったよ。
「最初の戦意喪失は、私を油断させるための演技だったか」
ぶんと長刀をひと振り。
くっそぅ、ほぼノーダメじゃん。こっちは今ので大半のスタミナ持ってかれたってのに。
「さぁ、続きといこう。昼休みはまだたっぷりある」
同意を求めるようにらみるちゃんの方を見る。
「剣闘、続行!」
立会人の声が響く。
いったい、これ以上どうすりゃいいの。
絶体絶命。
――その時だった。
ジリリリリリリリリリリリリッ。
けたたましいベルの音が鳴り響いた。
屋上にいる全剣徒がざわめき、キョロキョロと辺りを見回す。
続いて、
カンカンカンカンカンカンッ。
鐘を叩くような音がベルに重なる。
「半鐘? いったい何事だ!」
木南ちゃんがよく通る野太い声で叫んだ。
「すぐ下の階で火事だよ、みんな急いで逃げて!」
ざわめきを斬り裂いて誰かの大声が上がった。
「さっきの衝撃のせい?!」
誰かの叫びを皮切りに、階段室の一番近くにいた玻璃組生のひとりが、扉に飛び込んだ。そばにいた二人組も顔を見合わせた後、すぐにそれに倣う。後は雪崩を打ったようになった。
我先にと階段室へ剣徒たちが大声を上げながら殺到する。梅花組生たちも例外じゃない。
ワーキャー言っている人波をかき分けて、教頭が人の少ない場所に踊り出た。それほど大きくない身体で声を張り上げる。
「皆さん、落ち着いて。危険です!」
しかし誰も聞いちゃいなかった。もはや剣闘どころの話じゃない。
「剣武会!」
教頭に呼ばれた九名が、はっと我に返る。学園最強の武人たる彼女たちは、いまだ剣闘に後ろ髪を引かれているのは無理なかった。が、一度動き出せば誰よりも早い。
「剣武会、直ちに全員で剣徒らを誘導しろ!」
第二席の《小次郎》永久子の号令の下、慌てて事態の対応に全員で乗り出した。




