第四十六話
階段を上った先、鉄扉の前に人影があった。
帯刀した和装の四十代くらいの女性。ひっつめた髪に金属製のフレームの眼鏡を掛けている。ふとその顔が誰かに似ていると思った。
いったい誰に……。
「教頭先生」
ゆっこが発した声に、私の思考は中断する。目の前の女性はぞろぞろと階段を上がって来た玻璃組生を見渡した後、中央にいる私の所で視線を止めた。
スズちゃんが教頭に向かって言った。
「こんな所で何やってるんです。学園内自治は剣武会及び在校剣徒に一任されていますよね。よほどのことがない限り教師陣は介入しないのが決まりのはずですよ」
声が自然と鋭くなる。ここへ来ての余計な横槍は許さないと言外に告げていた。
教頭はその言葉を受けてふふと笑った。
「勘違いさせてごめんなさい。邪魔をしに来たんじゃないのよ」
「じゃあ?」
「観戦に来たの」
後ろの方で仲間たちがざわっとなる。
「こう見えて私も士峰館学園の卒業生なのよ。昔の血が騒ぐっていうかね」
そう言って腰の刀を示した後、私を見る目が細められた。そこには学園の剣徒とは違う、とても怪しくて危ない光が宿っているような気がした。
「外部生が入学早々十剣鬼を二人も倒した上に、まさか第二席にまで剣闘を申し込むなんてね。こんなこと学園始まって以来よ。この目で直に見ないわけにはいかないじゃない」
かつて剣徒だった頃の自分を思い出しているのか懐かしむように言った。続けて教頭は細めた目で上から下までを品定めするように私のことを眺め回した。絡みつく視線が落ち着かない。
「ご自由にどうぞ。私たちはもう行きます」
「ええ。頑張ってね、朝岡美夜日さん」
私は振り切るように鉄製のノブに手を掛け、勢いよく扉を開け放った。
吹き込んだ一陣の風が私たちの間を駆け抜けていった。
それを押し返して屋上へと躍り出る。
明るい春の日差しと抜けるような蒼穹が私を出迎えた。
「えっ」
屋上に広がっていた光景に、私は自分の目を疑った。
ドンッと後ろから背中に衝撃が来る。
「なにやってんの、後ろつっかえてるよ」
「前さっさと行きなよー」
「止まれ!」
背後のクレームをスズちゃんがシャットアウトする。
状況を察した前の人間から順に沈黙が下りてゆく。
やがて誰かが口にした。
「三年梅花組の全剣徒……」
正面奥側のフェンス前には、《小次郎》永久子の所属する梅花組の人間が壁を作るようにずらりと居並んでいた。
だけど一番の問題はその前に立っている連中だった。
「剣武会十剣鬼……」
誰かのごくりと唾を飲む音が聞こえた。そこには《小次郎》永久子だけでなく、山籠もりしていたはずの木南ちゃんや、入院中だった《大谷》いくみんの姿もあった。
壮観だった。でも、せつなさんの姿だけはない。本当に帰ったらしい。
「お出迎えってわけだ」
口調は余裕ぶっているが、さすがのスズちゃんも声が掠れていた。やや圧倒されている。
真ん中に他の十剣鬼から少し前に出る形で、《小次郎》永久子が目を瞑り腕組みして仁王立ちしている。
「まさか《聖母》以外の十剣鬼が全員出張って来るとはね。ただ事じゃないよ。それくらいこれが重要な剣闘だと認めてるんだ」
《小次郎》永久子がゆっくりと両目を開いた。
「待ちかねたぞ」
剣武会十剣鬼第二席《小次郎》こと九堂院永久子。
鋭い眼光が私を射貫く。風で白い羽織の裾が大きく翻った。
「ねぇスズちゃん、見たことない人たちがいる。あの人たちもやっぱ十剣鬼なんだよね」
「ああ。《小次郎》の背後、向かって右から第三席《影竜胆》皆方景子、第四席《時雨牡丹》冷泉爽火、第五席《凶剣》神楽木桃、第六席《大谷》高本郁美、第七席《無形》一ノ瀬らみる、第八席 《おひさま》山本陽奈、第九席《月姫》山本月奈、そして最後が第十席の木南華英」
木南ちゃんって華英って名前だったんだ。見た目に似合わずとってもかわいらしい。ん、でも。
「そういえば木南ちゃんの二つ名って聞いた覚えないけど、持ってないの。剣武会をやめちゃったから名前も剥奪ってこと?」
「だったら羽織を着てこの場に立ってないよ。本人はあんたに負けたことで辞任を申し出たみたいだけど、《聖母》の欠席が多いのもあってかまだ正式に承認されてなかったみたいだね。だからあいつはまだ十剣鬼だよ」
「じゃあ二つ名もあるんじゃん」
「あるよ。でもなぁ、第五席の《凶剣》が名付けたらしいんだけど、ちょっとひどい上に締まらないからあんまり名前にくっつけて呼びたくないんだよね」
「散々最弱最弱言ってたくせに」
どの口が言うか。
「そうだけどさ」
「いいじゃん、教えてよ」
最後になるかも知れないのだ。気になることは全部聞いておきたい。
スズちゃんが向こうで腕組みしてこっちを睨んでいる木南ちゃんをちらりと見た。そして言い難そうにぽつりとその二つ名を口にした。
「《デカタブツ》」
ぶっ。
思わず吹き出した。
「純粋にデカいからデカブツ。規則や規範にうるさいから堅物。合わせてデカタブツ」
第十席 《デカタブツ》木南華英。
うん、申し訳ないけど、他の十剣鬼と比べたら明らかに浮いている。まぁ《大谷》も大概変だけど、《デカタブツ》よりはましだ。そういえば最初の木南ちゃんとの剣闘の時、私確か「デカブツ」って叫んだらもの凄い形相で振り返ったっけ。
そんな私の様子を見ていた《小次郎》永久子が皮肉っぽく言った。
「随分と余裕だな、朝岡」
「そんなわけないじゃん。でもこれがこの世界での私なんだから仕方ないって」
もはやただの開き直りだと自分でも分かっている。
私は《小次郎》永久子の正面に進み出た。
一歩踏み出しただけでふざけた空気が瞬時に消し飛び、近距離で私たちの視線と剣気がぶつかり合う。
「らみるに何をどう言ったか知らんが、馬鹿な真似をしたものだ」
「剣闘の場を作って貰ったこと?」
「そうだ。私に勝ちさえすれば、自分の主張が是となる、そう考えているんだろう」
「悪い?」
「茶室で言ったはずだ、熱くなるのも時と場合を考えろと」
その言葉には肩をすくめるしかない。
「それが今なんだよ。私が頭でごちゃごちゃ考えても、それで上手くいくとは思えないんだよね。だったらひとつに定めて一点突破。そうして私は駆け抜ける」
「なら問答は無用だな。だが、十剣鬼第二席の名は貴様が思っているほど安くはないぞ」
「やってみりゃ分かるよ。案外お買い得だったりしてね」
「試してみるがいい」
「そのつもり」
お互いの殺気と剣気がぶつかり弾けて混ざり合う。
らみるちゃんが私たちの間にゆっくりと進み出た。
「両者、下がって距離を取って」
真ん中にらみるちゃんを挟み、一歩二歩と同時に下がって二人合わせて二十歩ほどの距離を取る。
「これより、士峰館学園十七条の剣法第九条に基づき、剣闘を執り行う。立会人は私、二年群青組一ノ瀬らみるが務める!」
剣徒たちの喝采が挙がると同時に、屋上に強い風が吹き付けた。《小次郎》永久子の羽織を、私の髪を、この場の皆の感情を大きく煽る。
「一年玻璃組・朝岡美夜日の主張。――昨今学園内で起きている辻斬り事件の犯人は、剣武会十剣鬼・九堂院永久子による凶行である。十剣鬼の座にありながら、無辜の剣徒を襲う不埒な行いは決して許されるものではない。よって己が剣を以てこれを誅するものである」
背後の玻璃組生全員の間でどよめきが起こった。私が《小次郎》永久子に剣闘をふっかけた動機を今まで知らなかったのだから当然だ。永久子が私をこの世界に送り込んだ犯人の可能性は残っているが、話がややこしくなるだけなので、みんなの前で言うわけにもいかない。らみるちゃんが私の剣闘の動機をそう告げたのは当然の判断だ。
「次に三年梅花組九堂院永久子の主張。――自身にはなんら疑われる由なし。このような根拠なき疑惑をかけられることは甚だ遺憾であり、剣武会十剣鬼第二席の名誉を大いに毀損する行為である。よって己が剣を以て身の潔白を証明せんとするものである」
梅花組生からここぞとばかりに私に対して罵声が飛んだ。
「とーこが辻斬り犯なわけないでしょ」
「今度こそやっちゃいなとーこ」
「上半身と下半身、一刀でずんばらり、だよ」
「水鴎理巌流の凄さ見せつけてやれー」
私の剣闘の動機に大人しくなっていた玻璃組生だったが、ヤジや煽りに黙っているわけがなかった。階段室側に残っていた子たちも、屋上へと押し合いへし合い一斉に飛び出してくる。
「うっせー、ひっこめ三年のババアども」
「そっちこそ吠え面掻くんじゃないよ」
「美夜日に負けた奴らもデカい顔して十剣鬼名乗ってんじゃねぇ」
「ミヤミヤ、無眼縦横無尽流・爆雷パルフェの錆にしてやろう」
ヤジは木南ちゃんや《大谷》いくみんにまで及び、いつの間にか勝手に付けられた必殺技名まで叫ばれる。
「静粛に!」
らみるちゃんが抜刀して白刃を振り上げた。一同が一瞬にして静まり返る。
十剣鬼たちが左右に分かれ、フェンスのそばまで下がる。空気が張り詰めた。
「剣闘は得物の折損、あるいは敗北の諾をもって決着し、これを剣裁とする。両者異存はないな」
「ああ、異存ない」
《小次郎》永久子。
「私も」
答えて柄に右手を置く。
「我が命は剣に」
《小次郎》永久子が左肩の柄を握ると同時に長刀を担ぐようなモーションをする。抜刀するだけで大変そうなバカ長い刀を、寸分の隙もなく流れるような動作で華麗に抜き放つ。
姉上様の抜刀を見届けて、らみるちゃんが私を見やる。
「我が剣は理に」
頷き返すように私は私の意志で、初めて他人に向けて刀を抜いた。ずしんと両手に重みがかかる。
…………えっ?
なに、これ。
圧倒的な違和感が掌から全身に駆け巡った。
胸の内がざわざわする。背中が粟立ち、額に冷や汗が滲んだ。
なにかがおかしい。どこかが間違っている。でもいったいなにが。
――まずい。
私は何かとてつもない勘違いをしている。それだけは分かる。
違和感が膨れ上がる。
はっとして辺りを見回した。
今にも爆発して走り出そうとしている《小次郎》永久子との剣闘。なんとか止めようと、「ちょっと待って!」と言いかけた時だった。
「剣閃!」
らみるちゃんの鋭い声が響いた。
言葉は出口を失くし、さらにその場にいた梅花組生たちが応じるように、あるいは私を圧し潰すように一斉に叫んだ。拳を振り上げて。
「「「剣閃!」」」
待って、待ってよ。待ってったら。
私の願いなど聞き届ける価値もないかの如くらみるちゃんが続ける。
「抜刀!」
「「「抜刀!」」」
玻璃組生たちも唱和し、負けじと拳を突き上げる。地獄のコール&レスポンス。
「ハク!」
一縷の望みを託して刀に呼び掛ける。当然返事はない。
バカだバカだバカだ私は。土壇場になって違和感の正体に、こんな大事なことに気がつくなんて。どうせなら気がつかない方がまだましだった。
……そう、いっそ斬られるまで。
「「「不退転!」」」
十剣鬼も含めた、その場にいる全員の声が重なる。
らみるちゃんの白刃と共に剣闘の火蓋が、ついに斬って落とされた。
――私の握っている刀は、ハクじゃなかった。




