第四十話
キュッキュッと上靴の音を響かせ三階の廊下を急ぐ。私の教室は廊下の一番端っこ。
入学式翌日、ひとりでここを歩いた時のことを思い出す。あの時、初めてハクがせつなさんの剣気に当てられて目が覚めたとか言って話しかけて来たんだった。
似たシチュエーションに、今度もハクから何か言ってくるかと思って待ってみたが、ちっともその気配はなかった。
普段ハクの言葉にうるさいだの黙れだの返すことが多かったが、いざこんなにも長く黙り込まれてしまうと妙な寂しさが募った。人っ子ひとりいない廊下の静けさもあったかも知れない。
私はいつの間にかハクがずっと黙っていることが耐え難くなってきた。ここは私が大人になって、昨日のケンカをひとこと謝り、仲直りしよう。うん、それがいい。
腰の刀に手を添えて、なんと言葉かけようか考えるのだが、最初の第一声がなかなか浮かばない。思えばお互い口を開けば言い合いになることが多かった。ぶっ壊れた常識と状況に翻弄されるばっかりで、ハクと落ち着いて話をした記憶なんかほとんどない。
「あ……」
やがて時間切れとなった。
ろくな言葉のひとつも考えつかないまま両足は働きを続け、気付けば一年玻璃組の教室前へと私を運び終えていた。
ハクとの仲直りはまた後でもいいか。
それこそ授業中にでも頭の中でハクとは会話は出来るのだから。
そうしよう。もうすぐ予鈴が鳴っちゃうし。
私は自分に言い訳するように扉の取っ手に手を掛け、勢いよく引き当てた。
「おはよー」
しん。
ざわめいていた教室の空気が一瞬にして凍り付いた。全員の視線が一斉に私へ向く。
ドキッとした。でもすぐに理由に思い至る。入学翌日と同じだ。みんな先生が入って来たと勘違いしたのだ。私は肩をすくめて教室の中に入り、自分の席へと向かう。
違和感に気付いた。
みんな押し黙ったままなのだ。じっとりとした湿っぽいクラス中の視線が私にまとわりついている。
スズちゃんも、ゆっこも、他のみんなも硬い表情で私を見ている。私の動きに合わせて視線も動く。
いったいなんなの、これ。
奇妙なクラスメイトたちの態度に晒されながらも、私は自分の席へと歩いた。剣道部の防具入れ鞄が昨日のまま席に残されていた。
昨日剣武会執行室に強制連行されたあと、《小次郎》永久子を追って自転車で学園を飛び出したため、一日置きっ放しになっていたのだ。
「あっ」
そこでとても大事なことを思い出した。私は隣のエリちゃんの自転車を強引に持ち出した挙げ句、バラバラにぶっ壊してしまったのだ(バラバラにしたのは私じゃないけど)。
「あの、その、エリちゃん……」
横で聖剣バーティミアスの鞘を磨いていたエリちゃんの手がピタリと止まった。
「えっと、借りてた自転車なんだけどさ。その、実は壊しちゃって……」
ゆっくりとエリちゃんがこっちを見た。
「ひっ」
表情は無だった。けれど、その向こう側にとてつもない怒りが隠れているのが不思議と感じられた。
「その、ごめん。やっぱ怒ってる、よね」
「なんでか分かる? 美夜日ちゃん」
言われて考える。自転車はピカピカだった。新学期に合わせて新しく買って貰った物だったのかも知れない。それを強引に持ち出された上に壊されたと聞いたら怒るのは当然だった。
「えぇっと……」
言葉に詰まる。
「美夜日ちゃんが昨日自転車持ってっちゃったから、私『ラディカルエイミー』の放送に間に合わなかったんだよ」
全然違う理由だった。
「その、誰か録画してるかも。あ、『根と掘り』で配信してるんじゃない?」
「私がリアタイ視聴勢なの知ってるよね」
いや、少しも知んないよって言いたかったけど、自転車を壊した負い目があってさすがに言えない。っていうか自転車壊したことより、アニメのリアタイ視聴の方が大事なんだ。なんというかオタクの鑑。
「知ってるよねっ!」
ゴシゴシゴシ。
バーティミアスを磨く手を高速で動かしもう一度聞いてくる。
「あ、うん。知って、る。ごめん」
嘘、全然知らない。ごめん。
それきりぷいとエリちゃんはそっぽを向いてしまった。けれど、言わなければいけない。
「エリちゃん、それで自転車の弁償だけど……」
なんか昨日からそんな話ばっかだなと思いつつも、私は恐る恐る切り出した。
「自転車はいいよ。もう弁償して貰ったから」
「え、どういうこと」
「永久子姉上様が斬ったんでしょ。壊したのは自分だからって、夜遅くになってわざわざ私の家まで新品を届けてくれたんだよ。自転車通学の許可番号から調べてね」
まさか、《小次郎》永久子がそんなことを。私なんてエリちゃんの自転車の事なんてさっきまで思い出しもしなかったのに。
ねぇ、ハク。やっぱりあいつは本当に……。
そう呼び掛けようとして思いとどまる。私たちはいまだ冷戦中だった。
「ん?」
妙な雰囲気に辺りを見る。
いつの間にか私とエリちゃんの会話にクラス中が無言で聞き耳を立てていた。ぐるりと見回すと、全員が私の視線を避けるようにわざとらしくそっぽを向く。
なんなの。
ガタンッと音がした。見るとスズちゃんが立ち上がっていた。私に向かってつかつかと歩いて来る。ゆっこもそれに倣うようにして立ち上がり、スズちゃんの後を追って来る。すぐに二人は私の目の前へと立った。昨日の十剣鬼二人組がそうしていたように。
「美夜日、聞きたいことがあんだけど」
両手を腰に当て、今までに見たことがないくらいスズちゃんは真剣な顔をしていた。隣のゆっこも何か言葉を我慢しているのが表情で分かる。
「どしたの、改まって?」
「昨日道端で、十剣鬼の九堂院永久子に不意討ちで斬りかかったってのは本当?」
そのひと言で教室の空気が一瞬にして張り詰めた。
私はこのおかしな雰囲気の理由をようやく理解した。昨日ファミレス前でのことは、もう学園中に広まっているのだ。
玻璃組の剣徒全員が私の答えを耳を澄ませて待つ。
我知らずスズちゃんを、ゆっこを、エリちゃんを、他のみんなの顔を見回す。けれど誰の顔にも上手い返答の仕方なんて書いてあるわけもなかった。
「あ……、その」
何かを言おうと思ったが、まともな言葉が口から出て来ない。それが質問を肯定していた。
私の反応にスズちゃんの目つきが険しいものへと変わる。ゆっこの表情が明らかに崩れた。
「うそ、だよね? ミヤッピ」
振り上げたスズちゃんの右の掌が、勢いよく私の机を叩いた。クラスの全員が飛び上がるほど大きな音が出た。
「あんた自分が何やったか分かってんのっ」
「え、な、なにって」
「士峰館の剣徒においてあるまじきことだって言ってんの。自転車で後ろから突っ込んで斬りかかるなんてさ!」
私は絶句した。
何も言葉が出ない。二人に限らず、見回した玻璃組生全員が同じ表情をしていた。
昨日私のしたあの行為が、まさかこんなにもみんなを怒らせ、冷たくさせ、白い目にさせるだなんて。
ひとことで言うなら、軽蔑。
「あーし言ったよな。剣闘には体裁があるって」
「……えっと」
「言ったよな」
「……うん」
「立会人と口上。例え剣闘じゃない手合わせであっても後ろからなんて論外だよ。しかも自転車で突っ込むって。それでも士峰館の剣徒かよ!」
この学園に籍を置く者たちは、一見ふざけているように見える人間でも、みんな剣に生き、剣に懸けているのだ。スズちゃんも、ゆっこも、エリちゃんでさえも。私のしたことは、神聖な剣徒たちの精神を冒涜するものだったようだ。
だけど、私にだって言い分がある。
「聞いてよスズちゃん。私は永久子に……」
そこまで言って言葉が止まる。本当に《小次郎》永久子が犯人なのか。辻斬りの? それとも私をこの世界に送り込んだ方の?
昨日の笹藪の中で闘った覆面の女子。ハクは間違いなく《小次郎》永久子だと言い切った。
けれど、ファミレス前で取り巻きを気遣ったり、切り刻んだ自転車を即座に弁償する彼女が本当に犯人なのか分からなくなっていた。
自分でも確信が持てていないことが、口から出てくれるはずもない。
「なに、続けなよ。九堂院永久子に後ろから自転車で突っ込む納得出来る理由があるってんなら聞くよ」
あいつが辻斬り犯。もしくは私をこの世界へ送り込んだ犯人。あるいはその両方。そう思ったから。相棒のハクがそう言ったから。
どれも話せない事ばかりだった。苦し紛れに口から出たのは、みっともない言い訳だった。
「エリちゃんだって木南ちゃんと闘った時、立会人を立てたり口上の前に不意討ちで斬りかかったじゃん。なのに私の時は咎められなきゃなんないの」
バーティミアスを拭く手を止めたエリちゃんが、隣の席から私を見た。目に浮かんでいるその色は、侮蔑。
「確かにエリは勢い余って立会人を立てて口上を述べる前に斬りかかったけど、剣闘自体は二人で合意していた。それに不意討ちとは言っても正面からだ。そもそも十剣鬼の木南相手にエリじゃ不意討ちにもならないよ」
「ズーラン辛辣過ぎ」
ゆっこがツッコむ。
「どーせ私はあっさりぶった斬られましたよ」
エリちゃんがふんっと鼻を鳴らす。
「そもそも斬りかかられた方の木南が問題にしてないんだ、あんたの場合とは明らかに違う。フライングしたとはいえ正面からの斬撃と、後ろからの自転車での突撃。不意討ちは不意討ちだろって言いたいんだろうけど、本気で同じ土俵で語れるって思ってんの、美夜日」
何も言い返せなかった。本当は《大谷》いくみんのノック狙撃を持ち出して反論したかったが、あの手合わせを最初から見ていた人間は恐らく一人もいないだろう。それに闘いは茶室の時点から始まっていたと考えたら、あれも不意打ちとは言い切れない。
「で、自転車で突っ込んだ理由は? まだ聞いてないんだけど」
私が何も言えないでいると、やがてスズちゃんは大きなため息を吐き出した。
「ただ勝ちたかっただけか。あんたにはがっかりだよ」
失望。
それは刀で斬られるより、突き刺されるより、私の胸を抉った。
「要するに木南や《大谷》ならなんとかなったけど、流石に第二席の《小次郎》は無理だったから汚い手を使った。そういうことか」
スズちゃんが私の行為を勝手に結論付ける。
「あんたに期待した私たちが馬鹿だったよ。スーパールーキーだの超新星だのって持ち上げて悪かった。確かにあーしらは落ちこぼれの玻璃組生だよ。だけど剣徒としての誇りはある。汚い真似してでも勝ちたいなんて人間はここにはひとりもいないよ」
言いたいことは全部言った。スズちゃんはウェーブの掛かった髪を揺らして背中を向けた。
「あ、ズーラン!」
ゆっこは私とスズちゃんを交互に見て、やがてスズちゃんを追った。
ひそひそと教室のあちこちで小声が囁き合う。その全てが私に関するものだと聞かなくても分かる。耳を塞ぎたかったが、私の意志に関係なく会話が入って来る。
「ね、学園内で辻斬り事件が立て続けにあったの知ってる?」
「え、なにそれ知らない」
「噂になってるよ、剣武会は必死に火消しに回ってたみたいだけど。でね、なんでも玻璃組生が疑われてるんだって」
「えぇ、それってうちらの中に辻斬り犯がいるってこと? まさか、それって……」
再びの静寂。全員の視線が私に向くのを感じる。
ぎゅうと痛いくらい袴スカートの上で拳を握りしめた。
なんで、なんでこんな思いをしなきゃいけないの。
私は望んでこの世界に来たわけじゃない。この世界を受け入れろと言われて、必死に今までやって来ただけだ。おかしいのはあんたたちだろ。おかしいのはこの世界の方だろ。
それなのに!
ガタンッ。
気付いた時には椅子を蹴立てて立ち上がっていた。
クラスの全員をひとりひとり睨みつける。
私が十剣鬼を倒した時は、やれ合コンだの、クラスの地位が上がっただのとどいつもこいつも浮かれ騒いでいたくせに。人が死のうが生きようが、必死に足掻いている人間を動画配信して盛り上がるような人間性のくせに。
視界がぼやけた。くそ、誰が泣くもんか。
「そんなに形が大事だ大好きだってんなら分かったよ、スズちゃん。言う通りにするよ」
「美夜日?」
自分の席で面白くなさそうに頬杖をついていたスズちゃんが、不審げに私を見た。
左手で強く鞘を掴み、床を力強く蹴った。私は玻璃組の教室を飛び出した。
「おい、美夜日っ」
「待ってよ、ミヤッピ」
スズちゃんとゆっこの声が後ろに聞こえた。待たない。
廊下を走り抜け、階段を駆け下りる。
目指すは三年梅花組の教室。




