第三十九話
目の前の薬医門を見上げて息を吐く。
「ふぅ」
何とか間にあった。ギリギリだ。
いつかの時のように辺りには人がいなかった。
士峰館学園の剣徒たる者遅刻などもっての外、どころか始業十五分前には着席しておくべしってなとこだろうか。下手したらぶった斬られるわけだし。
でも私からしたら、元々こんな学園に入学した覚えはないから、遅刻さえしなければそんなの知ったことじゃないけど。
それよりも今気になっているのは、
「ねぇハク、いつまでヘソ曲げてんのよ」
ハクは登校中ひと言も口を聞かなかった。
昨日のケンカの原因がよっぽど腹に据えかねているのかも知れなかったが、さすがにいい加減しつこい。
「今日は永久子のとこに行かなきゃいけないんだよ。話し合い次第ではどうなるか分かんないんだから。そんなんで大丈夫なの」
それでもハクからの返答はない。
「なんなのよ。ちょっと感じ悪いよ」
私だって昨日のことを完全に水に流したわけじゃない。でも、目の前にやらなきゃいけないことがあるし、そのためには私はハクとなんとか力を合わせてやっていかなきゃならないんだ。
だからこうして色々話しかけてるってのに、こいつと来たら……。
「放課後までにその機嫌、なんとかしなよね」
私は会話を打ち切り、一礼して薬医門を潜った。
「えっ」
一歩、学園内に足を踏み入れた時だった。
何かが違う。そんな気がした。何が、と言われたら上手く説明出来ない。でも、何かがいつもの朝と少しだけ違うと感じる。
いったい、何が……。
「おはようございます」
辺りを見回していた私の前に、門の陰からひとりの女子生徒が歩み出て来て挨拶をした。
「え、あ、おはようございます」
声のした方に向けて慌てて挨拶を返す。
「ふふ、また会いましたね。朝岡美夜日さん」
天空寺せつな。
その姿に思わずほわぁってなる。上手く表現出来ないけど。
朝の光を浴びて優雅に微笑む彼女は、誇張じゃなく輝いていた。後光が差すその姿は、さながら天女のようだった。さすがは学園のカリスマ。でもこの微笑みにやられた剣徒たちはみんなみっともなくゾンビ化するんだけど。
「どうしました?」
「あ、いえ」
「さっきの一礼、この前よりよかったですよ。士峰館の剣徒としての作法が少しずつ身についてきたみたいですね」
歩き出したせつなさんの隣に並んで歩きながら、私は首を振った。
「そんないいもんじゃないです。私、迷ってばっかり、惑ってばっかりで。今もずっと不安なままで」
「そういうものですよ。ここの剣徒たちの多くは霧の中でもがいている状態。自分の立っている場所をきちんと見極められている人間なんてほとんどいません。私も同じです」
「せつなさんも?」
「もちろん。だから迷ったり惑ったりした時は、自分の心に素直に、そして正直に剣を振るうのです。立ち止まることも時には必要。よくて?」
言葉の通りってわけでもないだろうが、せつなさんはその場で立ち止まり、私に微笑みかけた。
「はい」
「すみません。なんだか偉そうにお説教みたいなことを言ってしまいましたね」
「いえ、そんな」
ポンと私の腰の刀を軽く叩いた。その瞬間せつなさんが不思議そうに小首を傾げた。
私の腰の刀――ハクを見て、
「この刀、この前と……」
やばっ。
この人の剣気で最初ハクが目覚めたのを考えたら、もしかしたらハクのことも見抜けるのかも知れない。
まさか刀が喋り、私の肉体を操って十剣鬼を次々と倒していったとまでは思わないだろうけど……。
「いいえ、なんでもありません」
しかし、せつなさんはそれ以上は何も言わなかった。もし根掘り葉掘り詮索されたら走って逃げるしかないところだったので胸を撫で下ろす。
「では、私はここで」
校舎までもう少しだという所で、せつなさんはくるりと百八十度回転して、再び門の方に身体を向けた。
「え、どこへ行くんですか?」
「今日は気が乗らないので帰ります」
なんととんでもないことを言い出す。
「まずいですって、サボりなんて。剣武会の十剣鬼にバレたりしたら。あいつら二言目には規則だ剣法だって、すぐに人をぶった斬ろうとするんですよ」
「ふふ、言っておきます。今年はちょっとみんな気合い入り過ぎているから。新学期でどうしても力が入るのは分かるけれど、もう少し肩の力を抜いていきましょうって」
言っておく? みんなって、どういうこと?
「えと、せつなさんて……」
「あ、ごめんなさい。さすがにもう知ってると思っていたから、そのつもりで話していましたね。改めて自己紹介をしておきます。三年桜花組所属・剣武会十剣鬼第一席の天空寺せつなと申します。私はあまり好きではないんですけど『聖母』なんて名前で呼ばれていますね」
まさか、この人が剣武会の会長にして十剣鬼の第一席だったなんて。
呆然としている私に構うことなくせつなさんは暇を告げる。
「それでは左様なら。またお会いしましょう、朝岡美夜日さん」
笑顔とふわりと香るいい匂いを残し、《聖母》せつなは歩き去って行った。




