第三十八話
窓の外からの明るい光と、聞こえて来るスズメの鳴き声で目が覚めた。
あんまり寝た気がしない。頭の奥に重たい塊が残っている気がした。
それでも無理やり上半身を起こすと、体中に痛みが駆け抜けた。
「~~~っ!」
言葉にならない声が口から漏れ、動けるようになるまでしばらくの時間を要した。
大けがをしたわけではないので、慣れてくると我慢出来るほどに落ち着いたが、寝起きで固まっていた身体にはかなりの刺激だった。
右手で目を擦りつつ壁の時計に目をやった。
「げっ」
一気に覚醒した。ベッドから飛び出る。身体が痛いだの言っていられない時間だった。完全に寝坊だ。 壁のハンガーに掛けてある制服に手を伸ばそうとして我に返った。
「あ……」
ここ数日、いつもそこにあったはずの士峰館学園の変形セーラー服は掛かっていなかった。昨日ドロドロに汚しお風呂に入る前に脱ぎ捨てたっきりだった。
「どうしよう」
体操着やジャージで登校するべきだろうか。いや、そんなものでもし登校しようものなら、また『三剣存立』だの『十七条の剣法』だの持ち出して剣武会の奴らが難癖つけてくるに決まってる。今、あいつらにこっちを責める格好の口実を与えるのは癪だった。
「さすがに中学の時の制服で行くわけに行かないし……」
どうすべきかと部屋を見回していると学習机の上で目が留まった。
「えっ」
士峰館学園の制服一式がきっちりと畳まれて、置かれていた。
「もしかして、お母さんが?」
手に取り広げてみる。まるで新品のように綺麗だった。私が寝ている間に綺麗にしてくれていたのだ。
パジャマを脱ぎ捨て手早く着替える。
この和服のような変形セーラー服を着るのにも、すっかり慣れてしまっていた。考えたら、カトリアーデの制服を着るよりももうこっちの制服を着ている方が回数としては多いのだ。
最後に合わせの部分をピッとしごいて背筋を伸ばし、赤いスカーフを結んだ。昨夜あれだけ今日行きたくないと思っていたのに、朝になればほぼ条件反射的に学校に行く準備をしている。基本的に私は学校が好きなのだ。でなきゃ青春キラキラJKライフだとかそもそも言い出していない。
「我ながら単純だ」
っと、独りごちている場合じゃない。
部屋を出ると洗面所へと向かう。顔を洗いうがいをして髪を整える。
ひと晩寝て、昨日よりは大分マシな顔つきになっていた。昨日はボロボロの本当に酷い有様だった。
疲れがすっかり抜けたとは言い難いが、見れないほどじゃない。頬や額に擦り傷や切り傷を負わなかったのは不幸中の幸いだった。
「おはよう、美夜日ちゃん」
浴室のドアが開き中から声が掛かった。見るとお母さんだった。お風呂掃除をしていたらしい。
「どう?」
何が、とは言わない。お母さんも聞かない。
「うん」
ただ私も頷いた。お母さんは泡だらけのスポンジを片手に笑った。
「あ、お母さん、その、制服ありがとう。綺麗にしてくれて」
「ああ、違うのよ。どうせ斬り合いですぐボロボロになっちゃうから、何着かまとめて買ってあるの。ほとんどの家庭でそうしてるのよ。まぁ綺麗に着てくれたら家計的には助かるんだけどね。いくらお母さんでもそんなクリーニング屋さんみたいに綺麗にするのはさすがに無理よ」
笑顔でゴシゴシとバスタブ磨きに戻りながら言う。なんとも返答に困る。
それにしてもいつものお母さんだ。昨日のハクとの大喧嘩などまるでなかったかのようだった。
「どうしたの。ぼーっとしてると遅れるわよ」
「あ、うん」
洗面所を出るとリビングへと向かった。
食卓には朝食が用意されていた。あまりゆっくり食べている時間はなさそうだ。
大好きなイチゴのジャムが塗ってあるトーストを牛乳で流し込んでいると、お母さんの椅子に立てかけられている刀が目に入った。
何も考えずそちらへ手を伸ばしていた。ふと気がついて伸ばした手が途中で止まる。私たちは昨日庭で大喧嘩をしたのだった。
きゅっとほんの一瞬目を瞑る。
口の中のトーストを飲み下すのと同時に目を開けた。考える前に刀を掴んで椅子から立ち上がり、袴スカートの帯にぐいと差し込んだ。
「おはよ、ハク」
自分でもずい分素っ気ない言い方だなと思った。でも、今の私にはこれが精一杯だ。こっちから声を掛けて上げただけでも褒められていいくらいだ。
少し待ったがハクからの返答はない。まだ拗ねてるのかもしれない。
ったく、面倒なやつ。
「あ、やばっ」
さすがにもう出ないとまずい時間だ。
私はくるりと向きを変えると玄関に向かってダッシュした。浴室の前を通るとお母さんが声を掛けて来た。
「いってらっしゃい。あ、そうそう美夜日ちゃん」
お母さんが何か言いかけたが、急いでいた私は止まらず、
「ごめん、スマホにメッセージ送って」
帰りに買い物して来てとかそんなのだろうと、私はそのまま浴室前を通り過ぎ玄関へ向かった。
三和土にはあんなに汚れていたローファーがピカピカになって置いてあった。さすがにこれは予備の買い置きじゃないだろう。お母さんが磨いて綺麗にしてくれたのに違いない。
ありがとう、お母さん。
ローファーに爪先を入れた。
パンと両手を膝で叩き、気合いを籠める。
「行って来ます!」




