第三十七話
庭先で暴れ回り、喚き散らす私たち。次の一手をどうするか、お互い爆発寸前になった時、勢いよく玄関扉が開いた。
「うるさいっ! 近所迷惑でしょ!」
怒声に一瞬身体が硬直する。それはハクも同じだったようで、私の頭に流れ込んでくるハクの感情が一時停止した。
見ると、エプロン姿にクロックス、腰に刀を差したお母さんが鬼の形相でポーチに立ちはだかっていた。
「美夜日ちゃんにハッくん、二人して玄関先で何を騒いでいるの」
「聞いてよお母さん、ハクったら人の話全然聞かないんだから。頭カッチカチだよ。まぁこいつに頭とかないんだけど」
「はん、言ってろ。どうせ俺様はFe(鉄)だからな。かてぇのは仕方ねぇだろ」
「なに開き直ってんのよ!」
「てめぇが最初に言いだしたんだろが!」
「黙りなさい」
抜刀。
お母さんの手が閃いた。
「えっ」
刀が下から上へと振り抜かれ、私の手元から刀が弾き上げられた。
あ、満月。
回転する刀がお月さまと重なった。
鍔鳴りと共に納刀。そのすぐ後、落ちて来た刀を一歩も動かずにキャッチする。
「美夜日ちゃん、刀は魂と教えたはずよ。それを随分乱暴に振り回したみたいね」
傷だらけになった鞘を見ながら話す声は冷たい。
「ハッくん、剣闘や斬り合いで出来た美夜日ちゃんの怪我に関しては文句を付ける気は無い。けど、ここでのことはそうじゃないでしょう」
右手に持った私の刀――ハクに顔を近付けて語りかける。
「お母さん、ハクったらひどいんだよ!」
「美菜萌、聞け。俺様が間違えるはずがねぇ。それをこいつが!」
やれやれという風にお母さんが首を左右に振った。
「今はどっちの言い分も聞きません」
ぴしゃりと言い放つ。
「美夜日ちゃん、ハッくんはお母さんが預かるからあなたはまずお風呂に入って来なさい」
「お風呂なんか!」
「入りなさい」
有無を言わせぬお母さんの圧。だけど素直に従いたくない自分がいる。
「汗臭くって血まみれ泥だらけ、おまけに眉間に皺寄せて目頭尖らせているのが、美夜日ちゃんの青春キラキラJKライフだって言うの。そうなら好きになさい」
言い返せなかった。
「お風呂に入りなさい」
「……はい」
にっこりと笑う。私はハクとお母さんと別れ、玄関へと向かった。
ドロドロのローファーを脱ぎ捨てると、まっすぐ洗面所に向かった。ジャブジャブと冷たい水で顔を洗う。鏡に写った濡れた私の顔は、お母さんの言うように酷い有様だった。鼻血や傷や汚れももちろんあるが、それだけで酷いわけじゃない。
鏡の中の私はとにかく情けない顔をしていた。
こんな顔した奴が青春だとかキラキラだとか言っていることがとんでもなく間抜けだった。
見ていられず、鏡から視線を逸らす。
好きでこんな世界に迷い込んだんじゃない。なんでこんな目に遭うのか分からない。ただ、私はカトリアーデ高校での生活を楽しみたかっただけなのに。
そう叫びたかった。
本当に声を上げて泣いてしまいそうだった。
なんとか堪えられたのは、今の私をハクに見られたり聞かれたりすることが我慢ならなかったからだ。絶対にバカにして来るに決まっているんだから。
心と身体の痛みに歯を食いしばりながら、着ていた制服を乱暴に脱ぎ捨てると、私は浴室へと飛び込んだ。
髪を洗い、身体を洗い、顔を洗う。
温かい湯船に浸かると、全身の強ばった筋肉が緩んでいくようだった。自分が考えているよりも、ずっと私は心身共に緊張していたらしい。お湯が傷にしみたが、心地よさの方が上回った。
だけど、身体の汚れは落とせても、心のくすみまでは落とせなかった。
お風呂から上がった後、あちこちに出来た傷の手当てをし、無言で食卓に並べられた夕飯を食べた。お母さんもハクも私も、誰も口を利かなかった。
味気ない食事を終え、私はさっさと自分の部屋へと引き上げた。無言が気詰まりだったのもあるが、体力はもうとっくに空っぽだった。
電気も点けず、そのままベッドに倒れ込む。全身から力が抜けた途端、睡魔が猛威を振るって襲って来た。
考えることは山ほどある。
九堂院永久子こと《小次郎》は辻斬り犯なのか、それとも私をこの世界に引っ張り込んだ犯人の方なのか。あるいはその両方か。
はたまたハクが彼女を覆面の襲撃犯と認識したのは何かの間違いで、全然違う他の誰かが犯人なのか。
明日、《小次郎》永久子は私の話を聞くと言った。ただ、その結果を受けて今後がどんな展開になるのかはさっぱり想像がつかない。
「……学校、行きたくないな」
思わず弱気が口を突いて出た。
だけど分かってる。行かずに先延ばしにしたって事態が良くなるわけじゃない。何も変わらないだけならまだましで、それどころか今よりもっと悪くなるってことも十分考えられた。
打ち首だの拷問だの学園内引き回しだの。欠席したり行かなかったのを理由にして、剣武会の奴らならやりかねなかった。
例え行きたくなくても行くしかない。
私の意思を無視して重くなり、閉じようとしてくる瞼に必死に抗う。
ハクはどうするつもりなんだろう。
そう考えて、私は思わずはっとした。
恐ろしい想像が浮かんだからだ。
もし、もしも、覆面の襲撃犯を《小次郎》永久子と断定したハクの言葉が私を騙すため、間違った犯人へと誤誘導するものだったとしたら?
今まで私は一方的にハクの言葉を信じて行動して来た。おかしなこの世界のルールに乗っかりつつも、自分の目的を果たすためにはそうするしかなかったからだ。
ただ、それは本当に正しい行動だったって言えるの?
そこまで考えて、私は慌ててその想像を打ち消す。
ダメだ、ケンカが原因で相当疑心暗鬼になっている。
なんでハクがそんなことする必要があるの。なんのために? あり得ないよ。
少なくともハクとはここまで二人三脚でやって来て、何度も死線を潜り抜けてきた。竹林での調査というあのタイミングで、そんな嘘を吐く理由が思いつかない。それに短い付き合いだけれど、ハクが超プライドが高いってことは嫌というくらい分かり切っている。アホ面って言って小馬鹿にしている私に対して、回りくどい方法で騙すなんてしないと思うのだ。どっちかというと正々堂々真っ正面からぶつかって、俺様のやり方に従え、出来ないなら死ねって言うタイプだ。
うん、本気でハクが怪しいとは思えない。
思えないんだけど……。
一度、ほんのわずかでも疑いを持ってしまった心はそう簡単に真っ白な状態には戻ってはくれなかった。
もしかしたら……。どこかでそう思ってしまう自分が嫌だった。
私はどうしたらいいんだろう。何を考えたらいいんだろう。
疲労と眠気で頭が回らない。睡魔と心の乱れが働きを一層鈍くする。
徐々に思考力が落ちていく。何かが微かに思い浮かんでも、端からほつれてバラバラになってゆく。
もう、ダメ。
私は深い眠りの底に引っ張り込まれた。




