第四話
などと美人の上級生に見とれている場合なんかじゃなかった。予鈴が鳴るまであと少ししかない。
キュッキュッと上靴の音を響かせ三階の廊下を急ぐ。
私の教室は昨日の通りなら一番端っこのはずだった。
それにしてもこの静けさは何だろう。
並んでいる教室には人の気配があるものの、どれからも全く物音がしない。
奇妙な雰囲気が廊下一杯に張り詰めている。
教室に近付いて行くほどに、私の胸は緊張でドキドキし始めた。
『クク、剣気が乱れ飛んでやがる。面白ぇ』
どこからか声が聞こえた。
口調もずい分と乱暴だ。
立ち止まって辺りを見回してみるが誰もいない。
どこかの教室から漏れ聞こえたんだろうか。
静寂とも相まって少し気味が悪い。私は教室へと向かう足を速めた。
やがて私は自分の教室の前へと辿り着いた。
ゴクリとひとつ唾を飲み込む。この向こうはいったいどうなっているのか全く想像が付かない。
昨日知り合い、連絡先を交換したあの子やこの子は? もし何もかも変わってしまっていたら、私はどうすればいいんだろう。
ドアを開けるのが恐い。でも、ずっとこうしているわけにもいかない。
「あ……」
よく見ると戸が少しだけ開いていた。そこから微かに漏れ聞こえてくるざわめきは、どこか懐かしいものだった。
細い隙間の奥にはケラケラと笑い、じゃれ合っている同い年の女の子たちの姿が確かにあった。
不意に涙が出そうになった。
くっと唇を噛んで堪えると、一気に戸を引き開けた。
「おは」
しん……。
挨拶の言葉が途中で途切れた。
みんなの視線が私ひとりに集まった後、教室内全ての時間とともに私の呼吸も止まる。
言葉が出ない。逃げ出したい。でも、体が動かない。
「はぁ、なんだよ美夜日か。先生かと思ったじゃん。脅かさないでよ」
背が高く巻髪茶髪、メイクバッチリの子が言った。彼女の名前は道山鈴蘭、昨日私が連絡先を交換したクラスメイトのひとりだった。
何のことはない、私が戸を開けたのをみんなは先生が来たと勘違いしただけだったのだ。大きく息を吐き出しようやく呼吸が再開された。
「あ、おはよ。スズちゃん」
昨日知り合ったスズちゃん本人に間違いない。着てる制服は全然違うが。
「おはよ。面白いもん見せたげるから鞄置いてこっち来なよ」
言われた通り自分の席に鞄を置くと、私はスズちゃんの席に近付いた。
「ずい分遅かったね。休みかと思ったよ」
「うん、寝坊しちゃって。で、面白い物ってなぁに?」
「そうそう、見てこれ。よくない?」
ヒョイっと私に差し出した細長いそれは、見間違いなどではなく刀だった。
ただ、圧倒的に私の刀と違うのは鞘にキンキラにラインストーンが張り巡らされていることだった。
「な、な、な……」
「どう? イケてるっしょ?」
光り輝くLOVEの文字。
「ミヤッピ、私のも見てみて」
スズちゃんの後ろの席から声がした。
視線を向けると黒髪を頭の上でお団子にした小柄な女子が笑いかける。
彼女は村瀬結宇子。この子も昨日連絡先を交換した内のひとりだ。
「私は下緒のとこに、ホラ」
さ、さげお?
彼女も自分の刀を見せた。鍔のすぐ下、ヒモが何重にも固く結んである所にキャラ物のぬいぐるみが二つも三つもぶら下がっている。
「ゆっこ、それは?」
「リラックマ。え、知んないの?」
「……ううん、知ってる」
私はゆっくりと教室中を見回した。
ネイルやメイクをしている者。スマホをいじっている者。刀を抜いて友達と撮影している者。
みんながみんな、昨日とは違う制服を着て刀を持っている。
「ああ、なんだこれ。なんかちょっと違う気もするけど、これはこれでアリ、なのかなぁ……。ハハ」
思わず乾いた笑いが出た。
「どした? え、泣いてんの?」
「えー、ミヤッピだいじょぶ? お腹でも痛い?」
二人とも不思議そうな顔をして聞いてくる。ここで流されたらダメだ。
「二人とも、変って思わないの? 昨日とは学校や制服が変わってたり、刀持たされたりさぁ」
「変って、昨日もこの格好だったでしょ」
「ズーラン、ミヤッピは高校から途中入学の外部生だから勝手がまだ分かってないんじゃない?」
「あ、そういうことか。あーしらは内部進学組だから分かんないことあったら聞いてよね。この学校に関しちゃ先輩だから」
頼もしそうな姉御肌のスズちゃん。
ニコニコと笑顔がカワイイゆっこ。
そんな二人や、クラスメイトたちを見て考える。
昨日まで比較的自由な校風が売りの女子校だったものが、士峰館学園なんていう聞いたこともない学校にスライドするように置き換わっている。みんなはこの和服のような変形セーラー服に刀という格好を、昨日もしていたという認識なのだ。
はっとした。私は違う。
みんなと同じように取り巻く環境の方が置き換わったのなら、壁に掛かっていたカトリアーデの制服がすり換わっていないとおかしい。
私は今朝、お母さんに制服と刀を渡されたのだ。
何より私はここが昨日までは全然違う学校だったのを覚えている。
……そう、お母さんだ。
お母さんは制服と刀を私に与え、少しだけど心得のようなものを説いた。
お母さんの認識もみんなのように置き換わっていたのなら、言動が矛盾しやしないか。
お母さんはきっと何かを知っている。帰ったら今度はきちんと話を聞かないと。
でもその前に。
「ねぇスズちゃん、私は今朝お母さんにこの制服を渡されて始めて袖を通したんだよ。なら昨日私はどんな格好で入学式に出たっていうの。ゆっこもよく思い出して!」
そう、矛盾している。辻褄が合っていないのだ。
この世界がおかしいものだって、みんなが気付けば、もしかするとそれが突破口になるかも!
しかし私の願いはあっさりと打ち砕かれた。
二人の目からすっと光が消え、電源をオフにしたかのように表情すらなくなった。
「キノウ?」
「ミヤッピノカッコウ?」
まるでロボットの口調だった。
いつの間にか他のクラスメイトたちが発するざわめきも消えている。
それは教室の戸を開けた時にした静けさとはまるで違う、もっと圧倒的な無音に近いものだった。
「どうしたの、二人とも」
「セイフク?」
「ニュウガクシキ?」
壊れた。そんな言葉が頭に浮かぶ。
不気味としか言いようがない。見回すとクラスメイト全員が二人と同じに表情を失くしていた。
背中が瞬時に粟立った。例えここが変な世界でも嫌だ、こんなのは。ついさっきまで笑い合ってたじゃない。
「ねぇ……、冗談だよね」
テレビの画面にノイズが走るように景色が揺らぐ。パリパリとどこかで耳障りな音がする。これは、いったいなに?
「みんな!」
クラス全員に呼び掛けた。
バチバチ!
「え?!」
一瞬だけど、目の前の二人の着ている制服が歪み、ブレザーの上着と胸元のリボンが見えた。
薄い膜の向こうに、元々の世界があるの?
ならこのおかしな世界の矛盾を突けば、もしかしたらワンチャンある?!
『おい、やめとけ。最悪全部崩壊するぞ』
どこからか声がした。それは廊下で聞いた声と同じだった。頭の中に直接響いている。
「え、誰? どこにいるの?」
『お前の腰だよ、美夜日。さっきの校門の所にいた女の剣気に当てられて目が覚めた』
刀だった。刀か喋り、私に話しかけているのだ。
『俺様の名はハクロウ。この刀に宿る大剣豪だ。ま、ひとつよろしく頼む』
「え、マジ? 喋る刀とかヤバい。剣豪とかサムいのいいから有名人になりたいんだけど。ていうか、あんたがいればなれそう!」
『お前さっきまで泣きそうだったくせに割と切り替え早いな』
「泣いてないし!」
『分かった分かった。大剣豪の俺様に興奮するのは仕方ないが今はしばらく置いとけ。なぁ、お前は元の世界に戻りたいか?』
「当たり前。こんなわけわかんないとこにずっといるなんてムリ」
『いいか、ならこの世界の矛盾にはツッコむな。それほど盤石な世界じゃないみたいだからな。今のこの状況は処理出来ない事柄にフリーズしているようなもんだ。あんまり追及しすぎると、お前も俺も、何もかもが跡形なく粉々に消し飛ぶぞ』
「な、によ。それ」
背筋がぞっとした。
『まずはこの世界を受け入れろ』
「あんたなんか知ってるんでしょ。なら教えなさいよ」
『分かるのは、そうするのがまずいと分かるってことくらいだ。まぁ本能みてーなもんだな。いいか、もう一度言うぞ。この世界を受け入れろ。話はそれからだ。急げ、崩壊が始ま』
教室中に不協和音が鳴り響き、声が途切れる
「ねぇ、ちょっとハクロウ、ハクロウ! ハク!」
これ、かなりヤバいやつじゃないの?
「スズちゃん、ゆっこ……」
目の前の二人を見る。この異変にも関わらず、全ての動きを止めて無表情のまま虚空を見つめ続けている。
雑音とノイズが酷さを増す。
ハクは世界を受け入れろと言ったけど、何をどうすりゃいいの。
教室を見回すと黒板の前で真剣を縦に構えた状態でピースサインしている女子がいた。その子に向かってスマホを構えている別の女子。
「あーっ、もう!」
こうなりゃヤケクソだ。
これが正解かは分からない。でも、受け入れるって言葉で思いついたのはそれしかなかった。
私は机に置いてあった誰かの抜き身の刀を引っ掴むとスマホの真ん前、ピースサインをしている女子の隣に躍り出た。
カチンと刀と刀を交差させ、空いた手でピースサイン。もうほとんど破れかぶれだ。
「見てみて、スズちゃん、ゆっこ。抜刀トリプルピースVVV!」
真ん中に二人で二本の真剣を交差させてVの字を描き、続いて私の左手と、隣の子の右手を合わせて三つのピースサインを作った。名付けて抜刀トリプルピース!
どうだ、この野郎! JK舐めんな!
すぅっと二人の目に光が戻る。世界のノイズと不協和音が消えていく。
ブッとまずスズちゃんが吹き出した。
スマホを構えていた子も笑顔になる。隣の子はいきなり現れた私に戸惑いながらも、すぐに右手のピースを目元に持って行く。
当然私も真似する。
「あっはっは! 最高じゃん美夜日!」
「いいよ、ミヤッピ! みんなでそれやろう」
教室の空気が完全に元に戻った。
やった。やったよ。
『おー、冷や冷やもんだったがなんとかなったな』
もっと褒めなさいよ、ハク。大金星じゃないの。
『元はと言えばお前が余計な真似したからだろうが。ところでハクってのは俺様のことか?』
そうだけど。
『まぁいい。でも美夜日よ、抜刀トリプルピースはねぇだろ。さすがにIQ低過ぎねぇか』
やかましい。って、私普通に頭の中でハクと会話してる。これがこの世界を受け入れるってことなんだろうか。
『ま、そういうことなんじゃねぇか』
とにかく一度落ち着こう。
私はほっと小さく息を吐き出した。いつの間にか浮いていた汗をこっそり拭い、キャッキャと盛り上がっているみんなを見る。
「ねぇねぇ、ハッシュタグどうする? やっぱり#士峰館JKは外せないよね。それとも#シホ女にする?」
「うーん、#抜刀女子とかは?」
「#マジ(真剣)ピースってのよくない?」
「いいじゃんいいじゃん! デコ鞘も撮ろうよ!」
「刃の逆光で白飛びさせてみる?」
「それなら瞳の中に白刃のキャッチライトを入れるのがいいんじゃない?」
「んじゃ、さっそく撮ろうよ。ミヤッピも入んなよ~」
「え、あ、その、うん」
『お前、自分でぶっ込んだくせに若干引いてんじゃねーか』
ひ、引いてないし。
ハクを無視して真剣を構えるクラスメイトたちの輪に入る。
「いくよ~。マジ(真剣)、ピース!」
パシャッ。
「おー、いいんじゃね」
「真剣でピース。マジピ~」
「超ウケる。ぜったい流行るよこれ」
「バズったらどうしよ」
「万バズ間違いなし。うちらカワイイし」
真剣でピース、真剣だからマジ、マジピース、マジピ……。
「は、あは、あははは……。キラキラJKが遠くなる-。キラキラっていうかギラギラだよー」
『ま、そのうち慣れるって』
テキトーなこと言うな!




