第三十四話
「本気で言ってるの、ハク」
「嘘で言ってどうすんだよ」
笹藪に再び冷たい風が吹き抜けた。
「だって、だってさ、あの人は帰ったはずだよ。それにわざわざ辻斬りの調査を私に命じたんだよ?」
「俺様は事実を言っただけだ」
「で、でもさ……」
「奴の思惑なんか俺様が知るかよ。辻斬り騒動もお前を人気のないこの場に誘導するための狂言だったのかもしれん。五人の被害者がいるってのも奴らが言ってただけで確かめたわけじゃない。いや、辻斬りは本当としても、奴自身が辻斬り犯、あるいは犯人ってことを否定する事実はねぇ」
ハクの言いたいことは分かる。だけど。
「やってることがあまりにも回りくど過ぎない? タイミング的に桃ちゃんが犯人って言われた方がまだ納得出来るよ。手分けしたタイミングで顔を隠し、私が油断してるところに不意討ちを仕掛ける。こっちの方がありそうじゃない?」
「その桃はどこ行ったんだよ」
言われて辺りを見回すと、数十メートルほど離れた所に動く人影が見えた。
「おい、朝岡! てめぇなにやってんだ。手がかりは見つかったのか? 遊んでんじゃねぇぞ」
ガッサガッサと大股で笹藪を踏み分けて今頃になってこっちへやって来る。でも、これがつい今し方剣を合わせた相手の態度だろうか。この人の性格からしてそんな演技が出来るとはとても思えないけど。
「あん、お前なんか失礼なこと考えてるだろ。分かんぞ」
そんな桃ちゃんを私もハクも無視する。
「襲ってきた相手は桃と別れた後、逆方向から来た。あのタイミングじゃあ少なくとも桃がこっちの背後に回り込んで不意を突くってのはいくら何でも無理だ」
「じゃあ本当にさっきの覆面はあの人なの」
九堂院永久子。
「体格はどうだった? 永久子は結構背が高かったと思うけど」
「ほぼ笹藪の中だったし、激しく動き回ってたからなぁ」
見た目から分かるのは、やはり覆面と制服着用の女子ってことくらいしかないか。
「ファミレスと茶室。そこで感じた剣気とさっきの相手は間違いなく同じもんを発していた。それは間違いねぇ」
……分かった。
私は抜き身だった刀を納刀する。
「おい。抜刀までして何やってたんだ。言えよ」
目の前にやって来た《凶剣》桃ちゃんを無視して私は横を素通りした。
「待てよ」
肩を掴まれたが、私はその手を打ち払った。
「あぁ、なんの真似だてめぇ」
「こっちのセリフだよ。お遊びはもう終わりだから」
私はお腹の奥底でふつふつとした怒りが込み上げるのを感じていた。エリちゃんが目の前で斬られた時の感情に似ていた。
「どういう意味だ、そりゃ」
気付けば走り出していた。
「おい、待て!」
後ろで何か叫んでいたが野良犬に構っているヒマはない。
ついさっきの出来事なのだ。まだ《小次郎》永久子はそう遠くには行っていないはず。
笹藪を飛び出し竹林を駆け抜けると、そこは剣徒会館のすぐそばだった。日は大分傾き、辺りにはすでに茜が差している。
キョロキョロと辺りを見回しながら、爪先をコンクリートの地面に打ち付けてローファーの土を落とす。
必死の形相で竹林から全力疾走で飛び出して来たからだろう、近くを歩いていたらしい女子たちが、ギョッとした表情を顔に貼り付け、私を見たまま凍り付いていた。
『ここにはいないみてぇだな』
人通りは多いが、近くの剣徒たちの中に《小次郎》永久子の姿はない。
絶対に逃がすか。
刀の鞘を握り締めると私は剣徒会館に沿って走った。私がいたのとは逆方向に逃げたとしたら、絶対にこっちへ向かったはずなのだ。
「美夜日ちゃん!」
大きな声が唐突に私を呼び止めた。《小次郎》永久子を追わなければいけないのに、呼ばれた身体が反射的に急ブレーキを掛けた。
振り返ると、剣徒会館の窓がひとつ開いている。そこから体操着に着替えたらみるちゃんが顔を出していた。
「なにやってんの、辻斬り犯の調査は終わったの?」
急いでいるってのに……。
「手がかりは何か見つかった?」
暢気な発言にイラッとした。
「それどころじゃないよ、犯人は」
『よせ、美夜日』
ハクが待ったを掛ける。なんで止めんのよ。
『《小次郎》はらみるの姉上様だ。余計なことを言って、今こいつまで敵に回すのは得策じゃねぇ』
「犯人は、なに? なにか分かったの」
くそぉ。
「……まだ分かんない」
「そっ。なのにそんなに慌ててどこへ行こうってのかな」
最初出会った時とはずい分違う、嫌味たっぷりな物の言い方だった。
「そっちこそ、体操着なんか着て何やってんのよ」
「はぁ、本当に人の言ったこと全然聞いてないんだね。私、茶室の片付けをするって言ったよね。昨日盛大に真っ白けにしてくれたのはどこの誰? 制服なんかで掃除出来るわけないじゃない」
そういうことか。いや、今はそんなどうでもいいことに構っている場合じゃない。
急いている私の様子を見て取ったのか、らみるちゃんは意地悪な言葉を重ねる。
「こっちは美夜日ちゃんの質問に答えたよ。なのに私の質問にはまだ答えて貰ってない。もう一度聞くよ、与えられた役目を放り出してどこへ行こうとしていたの」
くっそ、こうしている間にも《小次郎》永久子に逃げられてしまう。それとも二人は共犯で姉上様を逃がすためのこれは時間稼ぎ?
『おい、どっちでもいい。急ぐぞ美夜日!』
分かってるよ。けどらみるちゃんが……。
「……ええっと」
「なに?」
「そのぅ……」
「その、なに?」
もうこうなりゃヤケクソだ。
「うんこよ!」
私は大声で叫んだ。ヤケクソだけに。
背後でざわっと声がした。私たちのやりとりを後ろから見ていたらしい剣徒たち、ポカンとしているらみるちゃん、それらを振り切って私は再び駆け出した。
剣徒会館前を抜けた先は駐輪場になっていた。
停められている自転車の数はすでに三分の一ほどになっている。自転車通学の人間はもうかなりの数が帰宅した後ということだ。
ここにも《小次郎》永久子の姿はない。もう、学校を出たあとか。
駐輪場にいた剣徒たちの中に、私は見知った顔を見つけた。
「エリちゃん!」
そこにいたのは自転車を出そうとしている、聖剣バーティミアスを腰に差したエリちゃんだった。
「あ、美夜日ちゃん」
ダッシュで近付くと、上半身を仰け反らすようにして私から一歩距離を取った。
「どうしたの、その格好。泥だらけだし、葉っぱまみれだよ」
手を伸ばしてエリちゃんが制服を払ってくれた。大量の笹だの砂だのがパラパラと地面に落ちた。
「《小次郎》、十剣鬼の九堂院永久子見なかった!」
「永久子姉上様? ううん、見てないけど。あの人がどうかしたの」
こっちじゃないのか。だとしたら別ルートから学園外に出たか、それとも校舎のどこかに入って身を潜めている可能性もあるか。
『校舎の中って線はねぇんじゃねぇか。あいつは俺様たちの前ではっきり帰るって言っていたんだ。なのにずい分経った後、もし誰かに姿を見られでもしていたら、帰らずに何してたんだって話になる』
あえてリスクは犯さないってことね。
なら考えられるのは、こっそりと学園外に出てった線だ。
今からで追いつけるか。
「ねぇ、何かあったの?」
不思議そうに首を傾げながら私を見るエリちゃん。彼女が両手で支えているそれに私の目はすーっと吸い寄せられた。
「エリちゃんごめん、自転車貸して!」
「え、なになに?!」
私はエリちゃんを押し退けるようにして手からママチャリのハンドルを奪い取った。
「ちょっと、美夜日ちゃん!」
「明日ちゃんと返すから!」
ピカピカの銀色のママチャリが夕日を受けて輝く。
思い切り押し出して加速しサドルに飛び乗る。袴スカートの裾が大きく翻った。どうせここは女子ばっかりだ、気にするほどでもない。
私は校門へ向けて猛然とペダルを漕いだ。
敷地内を一気に横断し、薬医門を飛び出してママチャリをトップスピードに乗せる。
道行く人や士峰館学園の人間を次々に追い抜いていく。
目を皿の用にして制服姿の女子の中に《小次郎》永久子を探すが、その姿はない。
とりあえず大多数が向かう駅の方角に自転車を走らせる。でも本当にこっちでいいのだろうか。
「美夜日、ファミレスだ!」
「ファミレス? どういうこと?」
「前に《小次郎》の奴ファミレス前を通りがかったことがあったろ」
「ああ、あったあった」
「てーことは、少なくともあの辺りはあいつの通学ルートってこったろ。下校時にあちこち寄り道しそうなタイプにゃ見えねぇからな」
「さっすがハク。やるじゃん!」
「もっと褒めやがれ」
「愛してるよ!」
私は全力でペダルを漕いだ。
「もし《小次郎》が、今日の玻璃組やファミレス前で見た時みたいにファンに囲まれるような状況なら、移動は早くないどころかかなり遅いことが考えられる。間に合うかもしれん」
よぉっし。
身体は傷だらけ泥だらけでとっくに体力も限界のはずなのに、怒りと気合いがそれを補う。
銀色のママチャリが夕暮れの街中を疾駆する。




