第二十三話
「お姉ちゃん、刀を」
遥乃がハクを差し出した。受け取って帯に差す。
「持って来てくれたんだ」
「あと上靴も。わずかの間だけど温めといたよ☆」
懐から私の上靴を取り出して地面に置く。
「……やっぱ引くわ」
「ご無体な!」
「ウソ、ウソだって。とにかくここを離れよう」
上靴を履いて走り出し、いくらも行かない内だった。
「よけろ!」
ハクが声を上げた。耳元で風を切る音がした。
がつんっ。
なんの前触れもなく遥乃が吹っ飛んで地面に倒れた。
「遥乃!」
「動くな、美夜日!」
慌てて駆け寄ろうとするのをハクが制する。
『狙われてる。ゆっくりと柄に手を置け』
そんな、いったいどこから。
『静かにしろ。どこだ、どこから狙ってやがる』
ハクにも分からないなんて。
言われた通りにゆっくり柄に手を置くと、どこか遠くでキンッと甲高い音が響いた。続いて風を切る音。
『「ふっ!」』
まさに電光石火。
稲妻の速さで抜刀された刀身が、飛んできた物を両断した。身体の制御が完全にハクに移っている。でないとこんな真似、私に出来るはずがない。
目の前で二つに分かれて地面にぼたりと落ちた物。それは、
「野球のボール?」
「美夜日、上だ!」
剣徒会館の屋根の上。吹き付ける風に制服と剣武会十剣鬼の羽織をなびかせて立っていたのは、《大谷》こと高本郁美。
夕暮れをバックにしたすらりとした長身はめちゃくちゃ絵になっている。さっきまで着ていなかった羽織がマントのように大きく風に膨らむ。
こんな時じゃなかったらスマホで撮っときたいくらいかっこいい。
『ぼーっとすんな。また来るぞ』
《大谷》いくみんは制服の袂をゴソゴソやると、中から野球のボールを取り出し、ぽんと空中に向けて軽く放り上げた。
右手に持っていた鞘に収まった状態の刀が唸った。腰の効いた綺麗なスイング。
キンッ!
「ノック?!」
超高速でボールが私目がけて飛来する。
横っ飛びにそれを回避した。打ってくる場所が分かっていれば、ハクの実力ならいくら速くてもよけられない道理はない。
ドスン!
あり得ない音が後ろでした。振り返るとボールがコンクリートの地面で跳ねずにめり込んでいる。
「はぇ?」
変な声が漏れた。
倒れたままの遥乃を見る。まったく起き上がる様子がない。え、もしかしてこれを喰らったの?
ぞぞっと鳥肌が立った。
屋根の上に目を戻す。
「どうだい」
そう言わんばかりに、すでに用意した次の球を掌で弄ぶ。
「まずいよ、ハク。また打つ気だ。ここにいたら遥乃に当たっちゃう!」
「剣徒会館の周りにゃ隠れるもんが何もねぇ。動くぞ!」
走った。
私を追うように次々野球ボールが発射された。
背後数メートルの辺りに順番に着弾し、その都度もの凄い音が鳴り響く。
あんなもんまともに喰らってタダで済むわけがない。
「ハク、ちょっとずつ近付いてる!」
きっと狙いを少しずつ修正して来てるんだ。
だってのに、なぜかハクは走りながら私の身体を操り、鞘を腰から抜いて納刀してしまった。
「なにやってんのよ!」
キン!
次弾が発射された。
あろうことかハクは急ブレーキを掛けてその場に止まると、両手で刀の柄を握り込み、左足を上げた。
ぶらんと一瞬その足を引くようにしたかと思うと、タイミングを合わせて前方へと踏み込む。
腰が力強く回転し、発生した力を上半身へ、腕へ、刀へ連動させてゆく。
『「おっらぁあ!」』
バキンッ!
なんとハクは飛来する豪速球を思い切り弾き返した。
豪速球は超豪速球となって《大谷》いくみんへ向けて飛ぶ。
ボールは剣徒会館の屋根、《大谷》いくみんの足元へと着弾した。
バガンッ!
破砕音と共に屋根の一部が砕け散った。
同時に《大谷》いくみんは回避のため前方へと飛んでいる。剣徒会館屋根の外側へと。
『「無眼縦横無尽流・振り子打法。あっちが大谷ならこっちはイチローだぜ」』
何対抗してんのよ、ぜったいないでしょそんな技!
『「割れが大事なんだよ、割れが」』
よく分かんないことを私の口で言った後、走り出していた。
ハクの超剛速返球を躱すため、ひらりと剣徒会館の屋根から身を躍らせた《大谷》いくみん。
ハクはその着地を狙うつもりだ。
『今度こそ綺麗に無眼縦横無尽流・爆雷震を叩き込んでやるぜ』
あ、木南ちゃんの時のあれ、やっぱり不満だったんだ。
『空中では身動き取れねぇ。これで終わりだ』
その時ギラリと《大谷》いくみんの手元で夕日が反射した。
なんか、やばい!
「ハクっ!」
足の指に力を込め、全力の急ブレーキ。目の前にズガッと刀が深々と突き刺さった。《大谷》いくみんは持っていた刀の一本を空中でこっちにぶん投げたのだ。
一瞬でも踏ん張るのが遅れていたら串刺しになるところだった。
ハク、こっちの出足を上手く止められちゃったよ。
『ああ。だがよ、奴宇だか刃亜だか知らねーが、あいつは名前の由来にしてアドバンテージでもある二本の内一本をこれで手放しちまったってわけだぜ』
剣武会十剣鬼の羽織を翻し、広い駐車場に音もなく着地した《大谷》いくみん。ゆっくりと立ち上がり、腰に残ったもう一本の刀を抜く。
『二刀流の大谷が聞いて呆れるぜ。一気に畳みかける』
私たちの距離は二十メートルほど。ハクが操る私の身体なら一瞬で埋められる距離だ。
とんとんと抜いた刀の峰の部分で肩を叩く《大谷》いくみん。
「まさか躱すだけじゃなく打ち返してくるとは驚いたよ。木南をやったってのは伊達じゃないみたいだね」
余裕の笑みが癪に障ったので、私は文句を言った。
「いきなりボール打ち込んでくるなんてひどい。剣闘は立会人を立てて口上を述べてから始めるのが決まりじゃなかったの」
「あはは、これは剣闘じゃないよ」
「じゃ、なんなのよ」
「ただの手合わせさ」
こいつらぁ、そん時の気分でやりたい放題じゃないか。
きっと少しの疑問もなく、自分たちこそがルールそのものだって思い上がってるんだ。
よしハク、ぶっ飛ばそう。超ムカついて来た。
『端っからそのつもりだ。だがよ美夜日、スタミナは大丈夫か』
うん、もう少しならいけそう。
『なら一気に決めるぜ』
言い終わらない内にハクは一直線に猛スピードで飛び出した。
「美夜日ちゃん、今から『奴宇』と『刃亜』は『たっちゃん』と『かっちゃん』に変わる」
知るか。勝手に変わってろ。
――抜刀すると、ハクの考えていることが何となく分かった。
木南ちゃんの時みたいに爆雷震を使う。
叩きつけた刀ごと剣気を瞬間的に爆発させるガード不可の大技だ。大柄なパワー系の木南ちゃんは刀だけで済んだが、《大谷》いくみんの体格なら、例え防がれても刀ごと本人を吹き飛ばせる。
全速で走る。
もう《大谷》いくみんまではすぐそこだ。
七メートル、六メートル。
『「無眼縦横無尽流……」』
剣気が刀身に充実していくのが分かる。
五メートル、四メートル。
その時《大谷》いくみんの刀を握っていない左手が奇妙な動きをした。
なに?
私たちの間で何かが光った。とても細くてとても長い何か。
夕日が差していなかったら、きっと気づかなかったろう。
ヒュンと背後で音がした。
《大谷》いくみんまではもう少し。
『美夜日、このまま押し込むぜ』
ダメだ、ハク!
『「なにっ!」』
嫌な感覚が急激に胸の奥で膨れ上がる。
「後ろっ」
振り返った目の前には回転した白刃が、夕日を受けて煌めいていた。『奴宇』? 『刃亜』? それとも『たっちゃん』だっけ、『かっちゃん』だっけ。
『「なんでもいい!」』
背中に襲いかかろうとしていた刀を寸前で叩き落とした。
「ハク、見て。糸だよ。柄の辺りから伸びてる」
『刀に仕込んで操ってやがったのか。それにしても美夜日、お前良く気づいたな』
「あ、うん。なんでだろ」
『まぁ、いい。今はそれどころじゃねぇ』
《大谷》いくみんの左手が再び引くように動いた。落ちていた刀が浮き上がり、切っ先がこっちを向く。
『「やかましい!」』
刀を上靴の底で地面に踏みつけた。同時に腰から鞘を引き抜くと、糸に引っかけて一回転させ思い切り引っ張った。これで完全に一刀は封じた形だ。
糸の先を目で追うと、どうやら《大谷》いくみんの左手首の辺りに繋がって固定されているらしい。
ぐいっと勢いを付けてもう一度引っ張った。
大きくつんのめって体勢を崩す《大谷》いくみん。もう一度引けば、完全に引き摺り倒すことが出来そうだ。
よーし行くよ、ハク。せーのぉ……!
引いた瞬間糸からブツンと完全に手応えが消えた。何が起きたの分からない。
『野郎、糸を斬りやがった!』
気づいた時にはもう遅い。不格好に地面に尻餅をついてしまった後だった。
「痛っ」
刀を構えた《大谷》いくみんが迫る。口元には勝利を確信したのか笑みが張り付いていた。
ヤバいって、ハク! 起き上がるより向こうの刀の方が速いよ!
『だったらこういうのはどうだよ』
手に取ったのは足元に落ちていた《大谷》いくみんの刀。『奴宇」だか『刃亜』だか知んないけど。
『「そらよ!」』
向かってくる《大谷》いくみんに向けて思い切りぶん投げた。
顔に向かって飛来する自分の刀を弾いた。出足を止めて隙を作る。さっきこっちがされたのを全く同じにやり返した形だ。
予備動作のための時間を得るには十分だった。
『たっちゃん』だか『かっちゃん』だかを弾き、もう一度構え直した時には、私はとっくに元の場所にはいない。
『「無眼縦横無尽流……」』
「上か!」
飛び上がってハクを上段に振り被る。自分の刀を跳ね上げる《大谷》いくみん。さすがは剣武会十剣鬼の第六席。防御、いや即座の反撃だったかもしれない。でも、この技はどっちだろうが関係ない。
『「爆雷震っ!」』
剣気が爆発した。
ドガンッ!!
発生した衝撃波が大気を震わせ、雷のように爆ぜ、周辺のコンクリートを砕いて土煙と一緒に舞い上げる。
「はぁ、はぁ、はぁ」
マジでヤバい。これ以上はムリ。今ので決まんなかったら、本格的にまずい。
さっきまではあんなに軽かったハクが、今はとんでもなく重かった。全身が汗に濡れている。
どうなったの、《大谷》いくみんは……。
風が吹いて辺りの土煙が流れた。
「…………冗談きついって」
なんと《大谷》いくみんは刀を振り上げた体勢で立っていた。口元には笑みを浮かべたままで。
『こいつ、爆雷震に耐えやがった』
ハクも驚いた声を上げる。
「無眼縦横無尽流、か。面白い流派だね。木南がやられたのも頷ける。でも、今ので限界って感じじゃないか」
お見通しだった。
「これで、僕の勝ちだ」
振り上げていた刀に力が籠もる。
ダメだ、やられる。
私は両目を強く瞑った。
…………あれ?
やってくると思われた斬撃が、一向に来ない。
そっと目を開ける。
「おかしいな。手に力が入んないや」
言ってるそばからするりと刀を取り落とした。さっきので向こうも限界を迎えたらしい。
「僕が、ウソ、だろ」
ついに《大谷》いくみんの膝が崩れた。仰向けにその場にぶっ倒れる。




