第六話 消えた行商人と、冷めても美味いお弁当の秘密
ルキウス様が帰ってから数日後、ベルトさんが食堂に飛び込んできた。
「アンナ、大変だ。あの行商人の男が、山道で土砂崩れに巻き込まれたらしい」
「えっ……あの、最初に私の料理を二皿食べてくれた……!?」
数日前の大雨で崖崩れが起き、行商人を含む数人の旅人が山中に孤立してしまったという。夜の辺境の山は凍えるほど寒い。救助隊が動いているが、長引く悪天候で二次遭難寸前だという。
「俺も救助の手伝いに向かう。だが、あいつらは数日間まともな食事をとっていないはずだ」
私をこの村で見つけ、口コミを広げてくれた大切な恩人が危機に瀕している。じっとしていられるわけがなかった。
「ベルトさん、一時間だけ時間をください! 救助隊の皆さんと、行商人さんのためのご飯を作ります!」
過酷な遭難現場に届ける食事だ。山を登る間に料理は完全に冷め切ってしまう。普通の料理は冷めると脂が固まり、食感もガチガチになる。
「冷めてもジューシーで、一口食べた瞬間に身体が震えるほど美味い弁当……。お姉様の厨房で、何百人もの遠征兵のために仕込んだあの技術を使おう」
山鳥のモモ肉を切り分け、すりおろした玉ねぎとリンゴ、蜂蜜とハーブを混ぜた特製ダレに漬け込む。果物と野菜の酵素の力で、肉の繊維が驚くほど柔らかく分解されるのだ。
それを香草油で二度に分けて揚げる。一度目で中にじんわりと火を通し、二度目の高温で表面をカリッと仕上げる。冷めても油が回らず、外はサックリ、中は肉汁が溢れる完璧な唐揚げが完成する。
次に、大麦を混ぜたご飯に合わせ酢と甘辛く煮た根菜を混ぜ込み、お出汁をたっぷり吸わせた油揚げの中に詰め込んでいく——いなり寿司だ。油揚げで包むことで、中のご飯の水分が絶対に抜けない。冷めるほどに油揚げの旨味がご飯へとじわじわ染み込んでいく「冷めてからが一番美味しくなる」お弁当に仕上がる。
竹の皮で手際よく一人前ずつ包み、紐で縛る。約束の一時間ぴったりで三十人分の特製弁当を作り上げた。
「ベルトさん、お願いします!」
「ああ、預かった」
ベルトさんは大きな背嚢にお弁当を詰め込むと、引き締まった顔で山の闇へと消えていった。
山中の天幕の中で、行商人の男は凍える手でお守りを握りしめていた。孤立して四日目。備蓄の干し肉は底を突き、指の感覚はもうない。
そこへベルトさんたちが飛び込んできた。
「おい、お前たち。動けるようになる前に、これを食え」
ベルトさんが背嚢から取り出したのは、竹の皮に包まれたお弁当だった。
「こんな冷え切った山の中で、冷たい弁当なんて喉を通るかよ……」
救助隊員が弱音を吐きながらも、渋々竹の皮を開く。行商人の男も震える手で唐揚げを一つ掴み、力なく口に運んだ。
——サクッ。
「……っ!? な、なんだこれは……っ!?」
冷めているはずなのに、衣は全く油っぽくなくサクサクとしている。歯が沈み込んだ瞬間、冷たいはずの肉から、信じられないほど濃厚でジューシーな肉汁がジュワッと溢れ出してきた。
「硬くない……! 冷めているのに、肉汁が……! あの廃村の女の子の料理だ……!」
「このいなりとかいう飯も信じられんぞ……!」隣の救助隊長が涙を流しながら叫んだ。「口に入れた瞬間、冷たい油揚げから極上のお出汁がジブジブと溢れてくる! 冷めているからこそ、味が凝縮されていて美味すぎる……!!」
凍えていた天幕の中が、一瞬で驚愕と歓喜の渦に包まれた。絶望に沈んでいた顔に、みるみるうちに血色が戻った。
「全員自力で歩けるな。山を下りるぞ」ベルトさんが不敵に笑うと、全員が「応!」と力強く立ち上がった。
翌日の昼下がり。食堂の扉が、勢いよく開いた。
「アンナさん……!」
泥だらけで、でも元気に満ちた目を輝かせた行商人の男が立っていた。
男は厨房の私のもとへ大股で歩み寄ると、私の両手をがっしりと握り締め、深く頭を下げた。
「あの山の中で、あなたの弁当を食べた。大袈裟ではなく、あの料理に命を救われたんだ。冷めてもあんなに美味い、人を心の底から救う料理を作れるのは、世界中であなただけだ…! 本当に、ありがとうございました!」
男の目から、ぽろぽろと熱い涙がこぼれ落ちた。
お姉様の華やかな料理は、人を驚かせるためのものだった。でも、私の料理は今、確かに誰かの命を救い、心を満たしたのだ。
「お帰りなさい。今、温かいスープを作りますね」
私が満面の笑みで答えると、食堂の片隅でゴルドじいさんとマリナさんも、我が事のように嬉しそうに頷いていた。




