第二話 廃村の食堂と、三人だけのお客様
おじいさんの名前はゴルドといった。
この村に六十年住んでいて、疫病が出たときも逃げなかった。「逃げる足がなかっただけだ」と言ったが、目が笑っていなかったので本当のことではないと思った。
食堂の建物は、広場の角にある石造りの小屋だった。中に入ると、テーブルが四つ、椅子が十二脚。全部埃をかぶっていて、厨房の竈には蜘蛛の巣が張っていた。でも、石造りの壁はしっかりしていて、屋根に穴もない。
「最後に火を入れたのはいつですか」
「三年前だな」
私は袖をまくった。
掃除に半日かかった。竈の煤を落として、鍋を磨いて、テーブルを拭いて、椅子の埃を払う。ゴルドじいさんは腰が痛いからと椅子に座って見ていたが、私が重い鍋を棚から下ろそうとすると「そっちじゃない、下の段だ」と的確に指示を出した。長年この厨房を使ってきた人の目だった。
夕方、厨房に火が入った。竈に薪をくべて、火が安定するのを待つ。オレンジ色の炎が揺れる。この感覚だけは、王都にいたころと変わらない。
(さて、何を作ろう)
食材は、ゴルドじいさんが「裏の畑にある」と言ったものだけ。玉ねぎ、ニンジン、じゃがいも、乾燥豆。それから小麦粉が少し。
お姉様なら、これを見て即座に「最高の一皿」を思い浮かべるのだろう。
私には、そういう才能はない。
でも——この素材が今どういう状態か、どう火を入れれば一番おいしくなるか、それはわかる。
玉ねぎを触ると、少し柔らかい。収穫してから時間が経っている。ならば、じっくり炒めて甘みを引き出すほうがいい。ニンジンは皮の近くに香りが詰まっている。薄く剥いて、大きめに切る。豆は一晩水に浸けたほうがいいが、今日は時間がない——ならば強火と弱火を交互に使う。
素材の声を聴く、というほど大げさなものじゃない。
ただ、長年手を動かしてきた人間の、地味な勘だ。
一時間後、スープが完成した。豆と野菜のスープ。地味で、見栄えもしない。お姉様が作ったら絶対に出さないような、素朴な一皿。
ゴルドじいさんに差し出すと、じいさんはスプーンで一口すくって、口に運んだ。しばらく黙っていた。
「……懐かしい味だ」
ぽつりと言った。
「この村に食堂があったころの、冬のスープの味だ。三十年前に死んだ女房が作ってた味に、少し似てる」
私は何も言えなかった。
「うまいよ、アンナ」
うまい。私の名前で、私のスープを、うまいと言ってくれた。
目の奥が熱くなった。七年間で初めての感覚だった。
翌朝、残り二人の村人がやってきた。
一人は四十がらみの無口な男、ベルトといった。もとは猟師で、今は村の周りの森を一人で管理している。私を見た瞬間「誰だ」とだけ言った。
「アンナです。食堂をやります」
「料理できるのか」
「できます」
「ならいい」
それだけで、椅子に座った。注文は「何でもいい」だった。
もう一人は、七十近い小さなおばあさん、マリナさん。白髪を後ろで束ねて、腰に大きなエプロンをしている。昔はこの村の唯一の薬師だったらしい。
「まあ、若い子が来てくれたの」マリナさんは私の手を両手で握った。「料理人さん? 手を見ればわかるわ。いい手ね」
私は少し驚いた。この手を「いい手」と言われたのも、初めてだった。
三人のための昼食を作った。ベルトさんが今朝仕留めてきたという小さな兎が一羽あったので、それを使った。
私は鍋のそばを離れなかった。この一羽の兎を、三人のために、最高においしく作る。それだけを考えていると、不思議と心が静かになった。
昼食の時間、三人がテーブルに座った。ベルトさんが一口食べて、少し目を細めた。皿が空になるのが一番早かった。
「おかわりはあるか」
それが最大の褒め言葉だと思った。
「あります」
ゴルドじいさんは、食べ終わってから言った。
「アンナ、明日も来るか」
「住み込みでいいですか」
「食堂の裏に部屋がある。使え」
その夜、裏の小部屋に荷物を運びながら、私は思った。
客は三人だ。王都の大広間とは比べ物にならない。
でも——三人とも、私の名前を知っている。
包丁を布で丁寧に拭いて、棚に並べた。これは私の包丁だ。これから作る料理は、私の料理だ。
(明日も、作ろう)




