第十二話 影からの完全なる脱却、傷と王都との決別
大晩餐会が閉幕した後、王宮の謁見の間には厳かな空気が満ちていた。
玉座に座る国王陛下の前に並ぶのは、料理服を着た私と、私の後ろで堂々と控えるベルトさん、ゴルドじいさん、マリナさんだ。
「見事であった、アンナ。余はこれまで数々の贅を尽くした宮廷料理を食べてきたが、あのように身体の芯から生命が湧き上がるような皿は初めてだ」
「アンナよ。お前に筆頭宮廷料理人の地位を授けよう。アルバート家を廃嫡となったクロエに代わり、お前がこの国の料理界の頂点に立つのだ。王都に大邸宅を構え、最高の食材と何百人もの部下を約束しよう」
これ以上ない破格の提案。
しかし、私はお辞儀をすると、迷いなく顔を上げた。
「恐れ入ります、国王陛下。ですが——その栄誉あるお誘い、お断りさせていただきます」
「な、何だと……!?」謁見の間がざわめいた。
「私は、王都の偉い方々のために料理を作る機械にはなりたくありません。私をただの『アンナ』として受け入れ、私の料理を心の底から美味しいと笑ってくれた、あのガラン村の人たちのために包丁を握りたいのです。私は、あの廃村の小さな食堂の料理人ですから」
私は後ろを振り返った。ベルトさんが誇らしげに口元を緩め、ゴルドじいさんが涙を堪えるように鼻を鳴らし、マリナさんが私の手をぎゅっと握ってくれた。
地位も名誉も、お姉様への復讐すら、今の私にはどうでもいいことだった。私は私の名前で、大好きな人たちのために生きる。それが私の、王都との、過去の傷との「完全な決別」だった。
「……ハハハ! 欲のない娘だ。だが、その芯の強さがあるからこそ、あの雑味のないスープが作れるのだな。分かった、お前の意志を尊重しよう」
その夜、王宮の裏手で、松明を持った男たちがガラン村の食材の馬車へ忍び寄っていた。指図していたのは——ボロボロのドレスを身に纏い、髪を振り乱したお姉様クロエだった。
「全部焼き払ってやるわ!! アンナのくせに、私からすべてを奪うなんて!」
「やれ! 火をつけろ!」
男たちが松明を投げ込もうとした——その瞬間。
ドゴォォォンッ!!!
「ぎゃあああっ!?」
凄まじい衝撃音と共に、松明を持った男が夜空を舞い、地面に叩きつけられた。暗闇から、巨大な弓を背負ったベルトさんが冷徹な眼光を光らせて歩み出てきた。
「ガラン村の特級猟師を前にして、夜襲のつもりか? 殺気がダダ漏れなんだよ、素人が」
「ワシの、最高特級の、カブを——焼き払おうとしたなあああッ!!」
ゴルドじいさんが爆発的な怪力でクワをぶん回し、男たちの剣を次々と叩き折っていく。わずか数十秒で、全員が地面にのされた。
「あ、あり得ないわ……!」
腰を抜かして震えるクロエの前に、私が静かに歩み寄った。
「お姉様。これが、あなたがドブネズミと呼んで馬鹿にしていた、ガラン村の本当の強さです」
私は冷たくではなく、ただ静かに、お姉様を見つめた。
「お姉様には本物の才能がある。食材の組み合わせを思いつく、天才的な発想力が。でも——料理は、人を傷つけるための道具じゃないのに」
「アンナ……頼むわ。私をお前の助手にして。お前の技術があれば、私はまた——」
その手が私に触れる前に、近衛騎士たちが突入してきた。
「クロエ・フォン・アルバート! 放火の教唆および器物破損の現行犯である! 連行しろ!」
「嫌よ! 離しなさい! 私は天才料理人クロエよ! 離してえええっ!!」
お姉様はみっともない悲鳴を上げながら、騎士たちによって引きずられていった。
偽りの天才に用意されたのは、輝く厨房ではなく、冷たく暗い地下の監獄だった。
翌朝、王都の正門前。雲一つない青空の下、私たちの馬車はガラン村への帰路についていた。
「見送りに来てくださって、ありがとうございます、レオンハルト様」
私が微笑むと、宮廷料理長はフッと満足げに笑った。
「いや、王都の料理界に巣食う膿を出してくれたのだ、礼を言うのはこちらの方だ。……気が向いたら、いつでも戻ってくるといい。お前の席は、常に空けておく」
「ふふ、ありがとうございます。でも、きっと戻りません。私には、待ってくれている村のみんながいますから」
ベルトさんが御者台で鞭を鳴らす。
「行くぞ、アンナ。ガラン村へ帰ろう」
「はい!」
馬車が動き出す。白亜の城壁が少しずつ小さくなっていく。
もう、ここには私の傷は何もない。私は完全に、影から脱却したのだ。




