第十話 決戦前夜——偽りの天才と、本物の料理人
王都に来て三日目の夜。
下仕込みをすべて終え、翌日の晩餐会に備えて食材を最終確認していたとき、宮廷料理長レオンハルト様がひっそりと厨房に現れた。
「アンナ、少し話がある」
二人きりになると、レオンハルト様は静かな声で語り始めた。
「明日の晩餐会、クロエは必死になるだろう。お前が下仕込みを完璧にこなしたことで、彼女は表向きの自信を取り戻している。だが……」
レオンハルト様は少し間を置いた。
「私は、クロエを長年見てきた。彼女には本物の才能がある。食材の組み合わせを思いつく天才的な発想力が。ただ——それだけでは料理は完成しない。お前のような、素材を極限まで引き出す『手』がなければ、彼女の料理はただの空想で終わる」
「……知っています」
「だからこそ、聞きたい。お前はなぜ、七年間も黙って耐え続けた?」
私はしばらく考えた。
「最初は、お姉様の料理が本当に好きだったから、だと思います。お姉様が思い描く料理を形にするとき、食べた人が目を閉じる瞬間が——好きだったんです。自分の名前じゃなくても、その瞬間だけは、私も誰かを幸せにできていた気がしていた」
「過去形だな」
「はい。でも今は違います。自分の名前で、自分の料理で、誰かに笑ってほしい。七年間で、やっとそれがわかりました」
レオンハルト様は静かに頷いた。
「明日、お前は私が用意した枠でメインディッシュを出す。クロエの皿と並ぶ形になる。正々堂々、お前の名前で、出してみせろ」
翌朝、お姉様は私のところへ来た。
いつもの冷酷な顔ではなく——どこか、焦りを必死に押し隠したような顔をしていた。
「アンナ、昨夜、下仕込みを確認した。……完璧だったわ」
私は黙って聞いていた。
「あなたの仕込みがあれば、私の料理は完璧になる。今日の晩餐会も……一緒に、やってくれないかしら」
お姉様の声は、七年間で聞いたことのない、小さなものだった。
私は少しの間、お姉様の目を見た。プライドと、恐怖と、そして——かすかな、本物の懇願が混じっていた。
かわいそうだと思った。本当に、心からそう思った。
でも。
「お断りします、お姉様」
私は静かに言った。
「今日の晩餐会で、私は私の料理を出します。お姉様も、お姉様の料理を出してください。……せっかくだから、正面からぶつかりましょう」
お姉様の顔が、怒りで紅潮した。「生意気なことを……!」
でも、それ以上は何も言わなかった。お姉様は踵を返して、厨房の奥へと消えていった。
その背中を見ながら、私は包丁の柄を握りしめた。
(今夜——終わりにしましょう)




