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第4会議室の静寂の中、一輝さんの熱い吐息が私の耳元をかすめた。
「……はる、今夜は私の家へ来い。この続きだ」
独占欲を隠そうともしない、いつもの強引な誘い。でも、私は彼の胸をそっと押し返し、潤んだ瞳で真っ直ぐに一輝さんを見つめた。
「……今日は、行きません」
一輝さんの眉が、ピクリと不快そうに跳ね上がる。
「……どうしてだ?」
「理由は……一輝さんが、今日も会社で皆さんに『猛毒』を振りまいていたからです」
意を決して、言葉を紡ぐ。
「さっきの佐藤さんも、その前の若手の子も、みんな一輝さんの言葉に怯えて、萎縮して……本来の力が出せなくなっています。一輝さんは、自分の凄さを人を壊すために使っている。そんな一輝さんを見てると、私の胸が苦しくなるんです」
彼は鼻で笑い、傲慢な口調で言い捨てた。
「能力と努力のない者は会社を腐らせる。無能を切り捨てるのは私の仕事だ。感傷で仕事は回らない」
「そうやってすぐマウントを取る……! 私は、私を助けてくれた時の一輝さんを知っています。本当は誰よりも強くて、優しい人だって知ってる。だからこそ……今の冷たい一輝さんのままなら、私……一緒にいたくありません」
目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
一輝さんの動きが、凍りついたように止まる。どんな巨額の損失も、狡猾な罠も、眉一つ動かさず対処してきた彼が、私の流した涙と「一緒にいたくない」という言葉に、ひどく動揺しているのがわかった。
「……はる」
伸ばしかけた手が、空中で微かに震えている。
「待て。……泣くな。私が……私が間違っているとでも言いたいのか」
「……一輝さんは、間違っていません。でも、正しくもありません」
私は涙を拭うことさえせず、ただ彼を見つめ続けた。一輝さんは視線を彷徨わせ、長い沈黙の後、絞り出すような低い声で囁いた。
「……努力、してみよう。言い方に問題があるのは知っている。ただ……変える術を知らなかった」
「……え?」
「……お前がそこまで言うなら、明日から言い方を、その……考える。だから……その顔はやめろ」
周囲から「歩く猛毒」と恐れられる男の、不器用な譲歩。
それは、私という存在が彼の中で何よりも重い価値を持っているという、彼なりの敗北宣言だった。
「……約束ですよ? 一輝さん」
私が小さく微笑むと、彼は毒気を抜かれたように溜息をついた。
「ああ。だが、その代わり条件だ。明日から、私以外の男とは三言以上話すな」
「それは無理です。仕事になりません」
「むぅ……やはり辞めさせるか」
「何言ってるんですか、もう」
抱きしめる腕に力がこもる。そこには、私を失いたくないという切実な焦燥と、溢れんばかりの愛しさが混ざり合っていた。
◇
一輝さんはこれまで、自分を守るために誰かの上に立って優越感を確認していなければ、自分がいつか消えてしまうような恐怖を抱えていたのだと言った。だから毒を振りまき、自ら周りを遠ざけていた。
父親の呪縛は、彼の魂をあまりにも深く縛り付けていた。
そんな自分を変えることなど、本人もできないと思っていたようだ。
けれど今、彼はその鎖を断ち切ろうと一歩を踏み出した。
一輝さんの背に、小さくても強い風を吹かせてあげたい。
私の言葉で変わろうと思ってくれた彼の覚悟を追う風を。




