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九月の午後の光は、木々の間を抜けて小道に複雑な影を落としている。ここ「萌木の村」は、森の中にアンティークな建物が点在し、まるでヨーロッパの古い村に迷い込んだような不思議な場所だった。
「……一輝さん、見てください。あっちにメリーゴーラウンドがありますよ」
「……森の中に回転木馬か。おとぎ話みたいで雰囲気は悪くないが、維持するだけでも結構な手間がかかりそうだな……いや、せっかくの休みにこんな現実的な話はやめておこう」
一輝さんは苦笑いして、私の手を引き寄せた。白いカットソーの袖を捲り、ラフな格好で歩く彼の姿は、この村のどこかおとぎ話のような景色の中に驚くほど溶け込んでいる。
村の中心部にある、石造りの重厚な建物。そこが自動演奏楽器の博物館「ホール・オブ・ホールズ」だった。一歩足を踏入ると、そこには巨大なオルガンや繊細なアンティーク・オルゴールが並び、微かに木の香りと金属の冷ややかな匂いが漂っている。
「……ほう。この部品の噛み合わせはなかなかの精度だ。当時の職人が、いかに完璧なリズムを求めて作ったかがよくわかる」
一輝さんの瞳が、展示されている100年以上前のオルゴールを鋭く見つめる。彼にとって、精密機械は単なる道具ではなく、美学の対象なのだろう。
「一輝さん、あちらで自分たちのオルゴールを作れる体験コーナーがあるみたいです。思い出に、何か一つ作ってみませんか?」
「いいな、お前の好みと私の手先で、最高のものを作るとするか」
体験工房に入ると、そこにはいくつもの小さなオルゴール機材が並んでいた。
一輝さんが座るだけで、そこが工房ではなく高級時計の設計局のような空気に変わる。他にも数組の観光客がいたが、一輝さんの存在感に、周りの女性たちが「……あの人、すごい格好いいね」「モデルさんかな?」と小声で囁き合っているのが聞こえてきた。
「……はる、まずは曲選びだ。あれこれ難しく考えず、お前が一番聴いていて落ち着く曲を選べ」
「そんなこと言われても……。あ、この曲がいいです」
私が選んだのは、静かで透明感のあるクラシックの小品だった。
一輝さんは無言で頷くと、ピンセットを手に取り、小さなネジやドラムを組み込み始めた。その手つきは驚くほど器用で、一分の無駄もない。
「……いいか、はる。オルゴールはすごく繊細なんだ。ほんの少しネジを締めすぎただけで、綺麗な音が響かなくなってしまう。……ここを、お前の指で軽く押さえていてくれ」
「……こうですか?」
「……そうだ。そのまま動かすなよ」
一輝さんの手が、私の手の上に重なる。
集中している彼の体温が、指先から伝わってきた。彼の真剣な横顔があまりにも近くて、私はオルゴールよりも、彼の長い睫毛や、結ばれた薄い唇に目を奪われてしまいました。
「……はる。手元を見ていないぞ。……私の顔に何かついているか?」
「えっ……あ、いえ。一輝さんがあまりに真剣だったので」
「……当たり前だ。お前と一緒に過ごす時間を形にするんだぞ。……手抜きなんてできるはずがないだろう」
さらりとそう言った一輝さんの耳元が、ほんの少し赤くなっているのを私は見逃さなかった。
一時間ほどかけて、ついにオルゴールが完成した。
一輝さんは最後にネジを巻き、静かにその音色を響かせた。
小さな音を立てて始まったメロディは、どこまでも澄んでいて、九月の高原の風をすべて閉じ込めたような、優しい響きだった。
「……完璧だな。どこも音がズレていない」
一輝さんは満足げに頷くと、完成したオルゴールを大切そうに箱に収めた。
「一輝さん、ありがとうございました。……一生の宝物にしますね」
「……ふん。もし壊れたらいつでも私が直してやる。……お前との時間は、このオルゴールのネジみたいに、私が責任を持ってずっと巻き続けてやるからな」
その不器用な言葉が、オルゴールの音色よりも深く、私の胸に響いた。
工房を出ると、夕暮れが近づき、村のあちこちに暖色系の灯りがともり始めていた。
二人で並んで歩きながら、手元にある小さな箱の重みを愛おしく感じていると、一輝さんの足がふと止まった。
「……はる。……少し、寒くなってきたな」
彼は自分の肩を寄せるようにして、私を優しく抱き寄せた。




