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九月の清里は、夏の名残を惜しむような強い日差しと、時折混じる秋の冷ややかな風が、高原の空気を心地よく引き締めていた。
標高1400メートル。観光客で賑わう「清泉寮」の広場に、その二人が現れたとき、周囲のざわめきがわずかに質を変えた。
とりわけ、はるの隣を歩く男――瀬良一輝の姿は、あまりにも目を引きすぎていた。今日の彼は、仕事で見せる冷徹なスーツ姿とは打って変わり、驚くほどカジュアルな装いだ。上質な白のヘンリーネックのカットソーに、チャコールグレーのリネンパンツ。足元は素足にレザースリッポンという、計算し尽くされたラフさ。
腕まくりされた逞しい前腕や、カットソーの薄い生地越しに分かる鍛え上げられた体躯。そして何より、彫刻のように整った、それでいて人を寄せ付けないほどに美しいその顔立ち。
「……ねえ、あの人、モデルかなんかかな?」
「格好良すぎじゃない……? ちょっと、こっち見たよ」
すれ違う女性客たちが、あからさまに足を止めて囁き合い、スマートフォンを向けるべきか迷うような視線を送っている。けれど一輝本人は、そんな周囲の「雑音」など一分も気にかけていない様子で、隣を歩くはるだけを見下ろしていた。
「……はる。みんなが見ていて落ち着かない。早くソフトクリームを買って、静かな場所に移動するぞ」
「えーっ、せっかくの清里なのに。ほら、見てください一輝さん、みんな一輝さんのこと見てますよ。あっちの女の子なんて、顔を赤くしちゃって」
「私にとっては、お前の歩く速度がいつもより遅れていることの方が、よほど重大な問題だ」
相変わらずの言い草に、はるは苦笑いしながらも、行列の先に並んだ。ここに来た最大の目的――清里名物のソフトクリームを手に入れるためだ。
「お待たせしました!」
店員から手渡されたのは、驚くほど黄色みがかった、濃厚そうなソフトクリーム。はるは目を輝かせ、さっそく一口頬張った。
「……んっ! 濃厚……! すごいですよ一輝さん、これ。九月の涼しい空気の中で食べると、甘さがより引き立つ気がします。……一輝さんも一口食べますか?」
はるが差し出したコーンを、一輝は不純物でも見るかのような冷ややかな目で見下ろした。
「いらない。出所のわからない甘いものはあまり口にしたくないんだ。……そもそも、そんなに濃厚だと体に良くないだろう。本当にジャージー牛100%なのか?」
「ちゃんとお店の看板に書いてありますよ。ジャージー牛100%って」
「看板などは大衆を惹きつけるための飾りに過ぎない。数値的な裏付けがなければ、本当に正しい情報とは言えないだろう」
一輝はそう吐き捨てると、腕を組み、ソフトクリームを幸せそうに舐めるはるを見詰めていた。その佇まいは、ただ突っ立っているだけでも雑誌のグラビアのような美しさがあり、通りがかる人々が思わず振り返り、チラチラと彼を盗み見ていく。
九月の陽光はまだ強く、冷たい風とは裏腹に、濃厚なクリームはみるみるうちに溶け始め、はるの唇の端に残ってしまった。
その瞬間。
先ほどまで能書きを垂れていた一輝の瞳が、鋭く細められた。
「……はる」
「はい? ふふ、やっぱり食べたくなりました?」
「……動くな。食べ方が下手くそだな。口元にたくさんついているぞ」
「えっ、嘘。どこですか?」
はるが指で拭おうとした瞬間、それよりも速く、一輝の長い指が彼女の顎を掴んだ。強引に上向かされた視界に、逆光を浴びた彼の、恐ろしいほどに整った顔が近づく。
周囲からは、二人の急接近に気づいた女性たちの「きゃっ」という小さな悲鳴のような吐息が漏れた。
「え、一輝さ……」
広場には多くの観光客が溢れているというのに、彼は周囲の好奇の目など気にせず、はるの唇の端に残った、甘くて冷たいクリーム舐めとった。
数秒後、一輝はゆっくりと顔を離した。
彼は、はるの瞳を真正面から見据えたまま、親指で自分の唇を無造作に拭った。その仕草に、周囲のギャラリーはもはや息を呑むことしかできない。
「……ふん。味見してみたが、甘すぎるな。でも……お前の口についていたせいか、悪くない。……これは私の計算外だ」
「な、何言ってるんですか、こんなところで……! みんな見てますよ!」
顔を真っ赤にして周囲を見渡すと、案の定、周囲は呆然としたり、顔を赤らめたりしている。
「だからなんだ。私は今、お前の不始末を綺麗にしてやっただけだ。」
「…………。一輝さん、ただ私に……したかっただけですよね?」
はるが核心を突くと、一輝は一瞬だけ視線を逸らし、それからフンと鼻を鳴らした。
「……変なことを言うな。お前が汚した口元を綺麗にしてやっただけだ。……だが、確かに普通に食べるよりは、お前から奪った方が美味しかった。……ほら、残りは私が持ってやる」
そう言って、一輝ははるの手からソフトクリームを奪い取った。
彼は一口だけ、はるが食べたのと同じ場所を、まるで唇の感触を反芻するように躊躇なく口に含むと、「……甘すぎて不愉快だ」と毒づきながらも、その瞳は満足げに細められていた。
「一輝さん、やっぱり気に入ってるじゃないですか」
「そんな事はない……はる、次はあそこの売店だ。九月限定の葡萄ジュースの味をチェックしに行くぞ」
一輝は、はるの手を引き、次の目的地へと歩き出した。




