フロレンヌ防衛計画
1936年 4月22日 午前12時
アデーレとカリウス、二人の兄弟は連盟の仮指揮所を訪れていた。
アデーレの亡命、それと遅滞戦闘の打ち合わせのためだ。
指揮所はベリエの陣地を拝借したもので、横穴式の掩体をそのまま流用している。入口は狭く、木の根を切った時の青臭い匂いがまだ残っていた。
「失礼します。カリウス中尉、入ります」
「あ、カリウス中尉! えっと、そちらのお嬢様が……」
「はい。僕の妹のアデーレです」
「アデーレ・スタインドルフです。ギゼラ中尉、お初にお目にかかれて光栄です」
アデーレが敬礼すると、指揮所に立っていたギゼラ中尉が答礼する。
周囲の供回りもそれに続いて、敬礼と不動の姿勢をとった。
「こちらこそ。お二人でお越しになられたということは――」
「はい。アデーレは連盟へ亡命します。ただし2点の条件が」
「条件? 何でしょう」
するとアデーレが進み出て、兄の前に立った。
ここからは兄のカリウスに変わって、私アデーレの仕事だ。
まるでそういうように、彼女は背をぴんと伸ばして胸を張った。
「1点目は、私の兄、そして中隊の全員が、私と同行すること。2点目は、移動中に負傷者が発生した場合、連盟で治療の受け入れをしてください」
「……たしかに承知しました。その条件ならば、特使たる私の権限で許可できる範囲です。連盟は貴方を歓迎いたします。アデーレ・スタインドルフ嬢。」
「以後、よろしくお願いいたします」
アデーレが手を差し出すと、ギセラは彼女と握手を交わした。
セントールのギゼラと。まだ16歳のアデーレの身長にはかなりの差がある。
アデーレの背丈は150センチくらい。
一方のギゼラの身長は、2メートルを超える高さだ。
傍目には握手というより、大人と子どもが指切りげんまんするように見えた。
「では中尉、今後の部隊の連携を相談したいのですが」
「特使としては、一刻も早くアデーレ殿を後方にお送りしたいのですが、まだ戦うおつもりで?」
「えぇ。私たちはまだやる気でいますよ、ギゼラ中尉」
「お待ちを。先の条件の中に戦闘の継続と支援は含まれていませんよね?」
「それもそうですね。今からでも追加、間に合いますか?」
「馴染みの店に出前を頼むんじゃないんですよ? まぁ……私が止めろと言ったとしても、貴方たちはベリエのために遅滞戦闘を続けるのでしょう?」
「まさにその話です。兄さ――カリウス中尉、地図を」
「はい。我々ファフニール隊が設定した阻止線の位置がこちらになります」
カリウスは持っていた地図ケースから細かくたたみ折られた地図を取り出した。
描かれているのは、イヤーロップの難民と、先の戦闘で生じた負傷者を収容したフロレンヌ周辺――その前面に設けられた陣地だ。
「ベリエは阻止線をフロレンヌに設定したのですか?」
ギゼラ中尉の反応は「なぜここに?」という声色が乗っていた。
彼女が疑問に思うのも無理はない。
フロレンヌの周辺地形は、まるで防衛に向いていなかった。
まず地形。開けすぎている。
フロレンヌはちょうど森林を出た場所にある。周囲の地形は平原に丘陵が点在する開けた場所で、森よりもずっと射界が広く取れる。
また、道も良い。
アルデナの森から伸びる生活道路がそのまま町を貫き、町からメース側の鉄橋まで舗装された幹線道路になっていた。
「これでは容易に側面に回り込まれる。放棄を前提とした陣地ですね?」
「はい。フロレンヌ前面の陣地の目的は、敵の砲撃を誘引し、敵砲兵隊の位置を明らかにすることです。しかるのち、敵後背に打撃を加え、都市内部で迎え撃ちます」
「お待ちを。それでは街に残った兵士が包囲され玉砕する」
「いえ、ジャッカスたちによれば、脱出の手段があります」
「ジャッカス……?」
何のことかわからず困惑するギゼラにカリウスが補足した。
「ジャッカスとは、アルデナの森に住む兎人のうち、色黒で筋肉質の戦闘向きの異種のことです。チップスというリーダー格がいるのですが、彼が教えてくれました」
「なるほど。ウサギらしく穴を掘って逃げるとでも?」
「まさにそのとおりです。フロレンヌの地下には兎人の〝巣穴道〟が存在します。もともとは生活物資の密輸に使っていたものですが」
「地下道か……となると、我々セントールの馬体は通れない。何をさせる?」
「連盟――フランクにはその機動力をもって、敵砲兵隊の打撃をしていただきたい」
「率直にいって、私たちに死ねといっているようなものだが……策は?」
「帝国はベリエと連盟が不仲だと知っている。それを利用します」
「ほう?」
「帝国軍の砲撃の開始と同時に、陣地、そしてフロレンヌのセントールを北の方向に退避させる。しかし、それは連盟が逃げたと見せかける偽装撤退。本命はここ、南部の突出部に待機させて、出撃させる」
「ふむ……逃げたと思わせて裏拳を食らわせるか。北に逃げるのは南北から敵の砲撃陣地を捜索するためか。危険なのは変わらないが、成功率は高い。悪くない」
ギゼラはそういって地図を眺める。
すると彼女は、地図上のある一点に気がついた。
「待ってくれ、この陣地の説明を忘れていないか?」
ギゼラは郊外にぽつんとあった記号を指さした。
塹壕線とトーチカの存在を示す記号だ。
すると「あっ」と、思い出したようにアデーレが声を上げた。
「それはモデル陣地です」
「モデル陣地?」
「はい。ベリエが広報や宣伝戦のために用意した見せかけの陣地です」
「ようするにハリボテか」
「コンクリート製の掩体と広域通信用のアンテナがあって、見た目は立派なんですけど……とても実戦に使えるものではないそうです」
「ふむ……見た目は立派なら、このモデル陣地を我々の本営にしよう。軍旗を並べ、あたかもそこで指揮を取っているように見せかける」
「ギゼラさん、それで何を?」
「帝国の連中に何が起きているのか、もっとわかりやすくしてやろうと思ってな」
「?」
「例えばこうだ。『ふざけたことを! 我々を砲撃の前面にさらして、ベリエ軍は撤退を決めた! これ以上付き合っていられるか! 撤退だ、我々も撤退せよ!』そんな内容を広域無線で流す。当然、そんなことをすれば本営が逆探知されるな」
「本営に対し、帝国が砲撃の密度を上げる可能性は高い。発砲頻度が増えれば砲兵の陣地を簡単に捕捉できます。ですけど――」
「中尉、いくらなんでも砲撃が来る場所で交信するのは危険では?」
「問題ない。発信器と交信者が同じ場所にいる必要はないからな」
「あっ、そうか。町中で交信して中継すれば良いのか」
「そういうことだ。無線技術は連盟に一日の長がある。任せておけ」
「あの、ギゼラさんは、敵の兵力をどの程度と予想しますか?」
「私が敵の指揮官なら、先鋒として1個機甲連隊、およそ100両程度を展開する。さらに軽戦車だけでなく、中戦車も投入する。フロレンヌ周辺の地形はこれまでと違って戦車が機動するのに適した地形だからな」
「100両……」
「無論、総数であって一度に送り込むわけではない。指揮統制の限界を考えれば、2個中隊30両を数波に分けて前進させるのが妥当だろう。私たちセントールでも、このような狭い町中に100騎を一気に送り込むようなことはしない」
「フロレンヌを見た場合、戦術空間はそこまで広くありませんからね」
「うむ。そしてこれまでの遅れを取り戻すためには、なんとしてもフロレンヌを打通する必要がある。今回は機械化歩兵を戦車に随伴させる。潜伏した騎兵砲の砲撃が予想されるうえに、人間の足では戦車に追いつけないからな」
「なるほど。この攻勢規模だと歩兵は1000名は必要になりますね。後続の制圧部隊も同じくらいの規模でしょう。そうなると――」
「戦車100両、うち20が中戦車。歩兵は予備含め2000といったところだろう。交代を考慮するなら、実際はもっと多くなるぞ」
「42門の騎兵砲をどう使うかで決まりますね。これは厳しそうだ」
「兄さん、敵がフロレンヌを完全に無視して、通り過ぎた場合ですが――」
「アデーレ殿、流石に帝国軍であっても、その選択肢は取らないだろう。あまりにも損害が大きくなりすぎる」
「いえ、それも可能性として考えています。遅れに遅れた侵攻計画を立て直すために、損害を無視した前進を選ぶ可能性は十分にある」
「カリウス中尉、それはあまりにも……全ての可能性を考えすぎでは?」
「いえ、最初の可能性として考えるべきです」
「最初の可能性として? なぜそこまで?」
「全ての始まりを思い返してください。そもそも、敵の指揮官はアルデナの森を突破するという決断を下しているんです。彼ならやりかねない」
「――ッ!!」
「彼は誰もしないことを実行した。普通の指揮官なら躊躇する『側面を曝しての強行突破』すら、平然と選択してくるでしょう」
「……もしそうなったら、どうするのだ?」
「彼の計算に存在しないものがあります。――銀魔女の弟子です」
わくわくてかてか(




