フランク飯(ピナール)
1936年 4月22日 13時、正午。
「――とまぁ、これくらいのことはできます」
「これが銀魔女の弟子か。正直恐ろしさすら感じますね……おっと」
「?」
「そろそろ昼食の時間です。そちらもいかがですか?」
「よろしいのですか? 員数外ですが」
「お気になさらず。多少は余裕がありますので」
(あ、そうだよな……セントールの側にも戦死者は出るよな)
「兄さん、せっかくのお誘いですし、ご相伴に預かりましょう」
「うん。ギゼラ中尉、差し出がましいお願いとは思いますが、今回の戦いに奉仕された方々に献杯させていただかせても?」
「ありがたい。彼らも喜ぶでしょう」
ギゼラは上体を振り返ると、小手の鎖手袋をチャッチャと鳴らしながら指を振る。すると、供回りのものが頷き、指揮机までグラスとワインボトルを運んできた。
「さすがフランク……どこにでもワインがあるんですね」
「連盟のなかでもフランクは特に多いですよ。昼と夕で一本支給されますから」
「ひぇっ、ワンボトルもワインを支給されるんですか……?」
「はは。この程度の量、セントールにとって唇を濡らす程度ですよ」
(そっか。セントールは体が大きいから人間よりも酔っ払いにくいのか……。酒というよりか高カロリーな飲み物――ブドウジュースみたいな扱いなんだろうな)
アデーレはワインのラベルを見て小首をかしげる。
そこには飾り気のない文字でVIN ROUGEとだけ印字されていた。
ベリエ王国は低地諸語とフランク語、そして帝国共通語のトリリンガルなので、兄妹はフランク語の書き文字がすぐに理解できた。
(あのボトル、赤ワインってだけ書いてあるな。他には何も書いてないや)
「ギセラさん、これはなんて言う銘柄の赤ワインなんですか?」
アデーレが銘柄を聞くと、ギゼラはきまり悪そうな表情を浮かべた。
「これはピナ―ルといって、南フランクと北アフリカの量産品を混ぜ込んだ粗悪なワインです。本来はお客様にお出しできるものではないのですが……」
「そう言われると気になりますね……どんな味なんです?」
「ガソリン風味の酢ですね。私たちセントールが運ぶと容器が揺れて撹拌され、さらに渋みが強くなるので……木の根を煮込んだ汁みたいになります」
「うわぁ……」
「ところがですね」
ボトルを持ったギゼラは「秘訣がありまして」といって、手を叩いた。
すると、さっきワインを運んできたセントールが奥に引っ込み、戻ってきたかと思うと、四角い小さな缶をギゼラの手元に差し出した。
「お嬢、お持ちしました」
「ご苦労。」
ギゼラが受け取った缶の蓋を開く。すると中には小さな四角い物体が入っていた。
「……角砂糖?」
缶の中に入っていたのは、白い角砂糖だ。
近代から現代の軍隊は、砂糖をやたらと支給する。カロリーを補うため、また兵士の慰撫のために砂糖を、しかも粉や粒状の直で支給するのは珍しくなかった。
ギゼラは缶のフタを逆さにすると、角砂糖をひとつ、ふたつ、と摘み、合計で5つの角砂糖を並べた。
(なるほど。砂糖で味をまろやかにする……みたいな?)
「さらに取り出したるは、このボトルです」
そういってギゼラは馬体の分厚い皮のカバンから平べったいブリキのボトルを取り出した。西部劇のカウボーイが使うような金属製水筒――スキットルだ。
「ワインに砂糖を溶かすと角が取れ、飲みやすくなるのですが、ピナールは元がひどすぎるがゆえ、単に甘い汚物になってしまう。ですので……こうします」
中尉はスキットルを傾け、中の液体を角砂糖に垂らした。
すると、甘く華やかでフルーティーな香りがその場を満たした。
「わ、いい香り。ギゼラさん、それってブランデーですか?」
アデーレが尋ねると、ギゼラ中尉はふふんと自慢気に微笑んだ。
「そうです。このまま入れてもよいのですが、私はこうするのが好みです」
そういって彼女はマッチをすると、フタの下を軽く炙ってから火を近づける。すると揮発したアルコールに火がつき、青色の小さな炎が立ち上がった。
「こうして少し飛ばすと、割に使う水を減らせるので香りが残ります。そのままだとちょっと度数が強くなりすぎますからね」
従卒が持ってきた水差しを机に置き、グラスにワインを注いだ。
食前のワインを水で割るのは、客が自分でやるのがマナーとなる。
カリウスたちは回されたワインに水を注ぎ、待つ。
(アデーレ、このお酒キツそうだから、もうちょっと薄めたほうが良いかも)
(あっ、はい)
アデーレは自身のグラスに、とくとくと水を足す。
この当時は、未成年でも酒を飲んでいた。例えばフランクの小中学校の給食では、牛乳の代わりにワインやりんご酒が出るほどだった。
「では、失礼して……」
ギゼラは炎で溶けて滴り落ちた蜜をワインに混ぜる。
すると、ワインの香気が明らかに変わった。
「こうすると格段に化けるんですよ」
「おぉ~!」
水でピナ―ルを割った瞬間に感じた、草木を煮詰めたような青臭さ。それが一滴の蜜が混ざり合った途端に霧散する。鼻を突く異臭にかわって立ち上ってきたのは、主張を抑えた気品あるフルーティーな香りだった。
「すごい……本当に化けた」
カリウスは息を呑み、グラスの中の赤く澄んだ――とはお世辞にも言えない、どこか重たく濁ったドブより来たる深淵……もとい、ワインらしき液体を見つめた。
(さすがに見た目は濁ったまんまだな~)
「カリウス中尉。お願いします」
ギゼラの言葉にカリウスが頷く。
慣例上、献杯は連盟の援軍を受けたベリエ側がするのが筋だ。
「では、僭越ながら献杯を取らせていただきます」
そういってカリウスは指揮机においたグラスに触れる。
机を囲んだギゼラとアデーレがそれに続いた。
(……さて、とはいったものの。どういった内容でスピーチするか。
ぱっと思いつくのは――)
1.「連盟とベリエの友誼について」
2.「セントールの勇猛さとその犠牲について」
3.「ワインについて」
(3は論外だな。1もちょっと微妙だ。ギゼラ中尉本人が、連盟はフランクを代表するものじゃないって言ってたしな。となると……2か)
カリウスはグラスを机から少し持ち上がる程度に浮かせる。
息を払い、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「来援されたセントール諸氏族の見事なる戦ぶり。ベリエの武人として深く謝意を表します。我らもまた戦刃をもって流された血に報いましょう――献杯」
「献杯」
3人は静かにワインに口をつける。
そのとき、カリウスの瞳が、かっと見開かれた。
(……水で割っても残る、喉を焼くようなワインの熱。そのどろっとした熱を伴って、ブランデーの香りが頭の奥までガツンと来る!)
カリウスがギゼラを見ると、してやったりという顔をしている。
(やはり、ワインの取扱いについてフランクの民に敵うものは居なさそうだ)
献杯した後は、そのまま昼食をとる運びとなった。
フランクはベリエと同じく、戦場では保存食が主になる。
とはいえ、伝統的に美食にこだわる気風が強く、できるかぎり温食でとった。
メニューには必ずパンが姿を表し、豆や肉の缶詰、パテとチーズが添えられる。
チーズは通常より乾燥させたもので、そのままだとプラスチックのようだ。
それら全てを鍋にぶち込み、ポタージュ(スープ)に仕立て上げる。
ピナ―ルをベースにしたワインの煮込みに硬くなったチーズを入れてとろみを付ける。これが基本だが、小麦粉やバター、馬肉があれば肉をメインにしたフリカッセをつくる。戦場で馬匹を処分した後は、大体そうした料理が出た。
「……うまい。ビスケット以外の食事はひさしぶりです」
「はは、それはまた苦労なされましたね。お誘いしてよかった」
「兄さん、夕方からは行軍食になりますから、いまのうちにしっかり食べましょう」
「だね」
「アデーレ嬢、貴方のお兄様はお若いのに立派な方だ。大事になさい」
「……はい。自慢の兄です」
「カリウス中尉は何年目ですか?」
「今年で大学2年目ですね」
「……? いえ、お待ちを、私が聞いたのは軍歴のことで……ということは?」
「ええっと……開戦と同時に予備役招集されたので――初年兵、なんですかね?」
香箱座りをしたいたギゼラが、地面を蹴るようにして前脚で立ち上がった。その巨体の圧に兄妹はビクリとして椅子替わりの木箱の上でのけ反った。
「それをもっと早くおっしゃいなさい! 子どもが戦う必要はありません!」
「いえ、僕は……」
「ギゼラさん。私たちは強制されてではなく、自分たちの意志でここに居ます。たしかに貴方から見れば子どもかも知れませんが――!」
「そうではない。そういう覚悟の話ではないんだ……」
「「?」」
「………失礼した。みっともなく取り乱して申し訳ない。
これは貴方個人ではなく、ベリエのやり方に頭を抱えているだけです。
そうか、これが戦時……法は沈黙する、か」
ギゼラがここまで激しく、拒絶とも言える反応をするのは、セントールの戦士文化的価値観のせいだった。
未婚でまだ子どもを作っていないような者が戦死すれば家が断絶する。
そのため、未婚・未子の若者を前線に送るベリエの行為が、血統の途絶を許す愚行に見えていたのだ。
〝戦争の間において法は沈黙する〟
彼女にとっての法は、血筋だ。
彼女がこぼした引用は、近代国家がそれほどまでに命を軽視しているのかという、底深い不気味さに向かって放たれたものだった。
(よもや問うまい。だが、私はこの兄妹を絶対に死なせんぞ。絶対にだ)
・・・
「ギゼラ中尉。連盟の本格的な派兵はいつ頃始まると見積もっています?」
カリウスが問うと、ギゼラの雰囲気が一気に張り詰める。
甲冑を鳴らして背筋を正すと、彼に向き直った。
「それにはまず、フランクが展開している兵力数を確認する必要がある」
「はい。お願いします」
(ギゼラ中尉って指揮官モードに切り替わると、圧がすごい強くなるなぁ……どっちが素なんだろう?)
「フランクの手持ちは要塞線の駐屯兵団が40。本土防衛のために急造している本土歩兵師団が30から40に増強中。派兵するとして、今から間に合うのはトラックを装備している自動車化師団12個。だが、その半分は首都にある」
「あの……ひとつお伺いするんですが、フランクは機甲兵力のみで編成された師団がないんですか?」
アデーレが尋ねると、ギゼラはぴしゃりとそれを打った。
「ない。戦車独立大隊が軍団の隷下にあり、歩兵の支援のために送られる形だ。大隊は全てで40から50あったと思うが、そのほとんどが要塞線に張り付いている」
(……あったと思う、か。独立大隊が解散と合流を繰り返すせいで実数が把握できてないってことだな。うへぇ。史実フランスと全く同じじゃないか)
「独立大隊の骨子は、必要に応じて臨機応変に対応することにある。聞こえは良いが、ようするに〝行き当たりばったり〟ということだな」
「最寄りの戦車独立大隊はどこに居ます?」
カリウスが問うと、ギゼラは別の机にあった報告書をひきよせた。
「メース川の裏にベアトリス大佐が調達した2個大隊がいる。戦車独立大隊の定数は戦車45両。稼働率を考えると合計して60両程度だろうな」
「……騎兵戦車ですか? 高速徹甲弾が使える47mm砲を装備した?」
「半数がそうだ。彼らなら帝国の戦車を一方的に破壊できる」
「頼もしいですね。といっても、実質30両で100両かそれ以上の戦車を相手取ることになる。まだまだ安心できませんね」
「勝てないと思ってくれたほうが都合が良い。連盟は相手を侮るクセがある」
「とくに――ブリタニアの大陸派遣軍ですね?」
「あぁ、そのとおりだ。ブリタニアの大陸派遣軍はカレーに集結したまま日和見を決め込んだ。ボートに片足を入れたまま、足を地面にのせている」
「問題があれば、すぐに海峡を渡って本国に戻れるように、ですか」
「そういうことだ。さすが銀魔女の弟子。よく見ている」
(カレーはベリエから50Km程度の距離。インフラも充実して車や列車なら一時間もかからない距離だ。……なるほど。勝てる見込みがある時だけ手伝う気だな)
「ギセラさん。フランクの二次増援はどこから送られると予想します?」
「ランスからだろうな。そこには5個戦車独立大隊が控えている。大佐はすでに使いを出したと思うが、すぐには動けないはずだ」
「ランスか……アデーレ、メース川の鉄橋からそこまでの距離は?」
「直線距離で80kmですが、実際には100km以上あります。通常なら1日と半日で到達できるでしょうが……」
「だめだ。前線が近すぎて鉄道を使った移動ができない。となると自走するしかないけど、それには燃料を集結する必要がある。」
「それに加えて、国境に帝国軍が迫っていると知れたら道路は避難民でごった返す。時間もかかるし、故障で脱落する戦車も出るだろう」
「戦車は何もして無くても壊れますからね」
アデーレの言葉にカリウスは頷いた。
彼女の言葉は真実だ。
この時代の戦車は現代と比べ物にならないほど壊れやすい。
敵に撃破される数より、故障で放棄される数のほうが圧倒的に多かった。
戦車の稼働率は平時で6割前後。
整備能力の高い戦車部隊でも、全力を出せないのが普通だった。
もちろん、そんな有様では戦争にならない。
なので作戦の時は複数の戦車部隊が動く戦車を融通しあって、なんとか動ける戦車をかき集めて部隊の定数に達するようにする。
頭を抱えたくなるが、それがこの時代の常識だ。
平時で6割。自走、それも強行軍となると、半分以上の戦車が故障するだろう。
史実フランスでは、損害の7割が燃料切れ、故障による放棄だった。
(……戦いに間に合ったとしても、はたして何両の戦車が現地にたどり着けるかな)
「移動に3倍の時間がかかるとして、4日から5日。燃料の集結に2日かかったら、ランスからの増援が来るまで、1週間はかかる見込みになる」
「僕たちは最低でも、メース川鉄橋を一週間以上保持しないといけないのか……」
「できるでしょうか……?」
「できなければ終わりだ。全く、ろくでもない話だな」
ブリタニアのブリカス仕草がすごい(
安酒のスラングであるピナールの由来は不明です。少なくとも19世紀末には存在したようですが、ピナ―ルは人名にもぶどうの品種にもあり、松の実の意味もあるんですが、どうしてそれが安酒の代名詞になったのか……
ちなみにワインの不味さは史実準拠です。ヤンナルネ!
あと、設定に寄るとギゼラのブランデーはチェリーブランデーらしいです。
1930年代の価格は、当時の広告を参考にすると、今の価値で3万円くらい?
結構良いお値段しますね……




