異変は足元で
1936年 4月22日 22:10
北の市街に取り残されていたベリエの防衛部隊は、薬局に集まっていた。といっても、胃薬や頭痛薬を枕に討ち死にしようというわけではない。
薬局の床下に設けられた巣穴道から、フロレンヌの外に脱出するためだ。
ハザールとアビー、二人のライカンがバックヤードのじゅうたんをひったくり、色の違う床板を剥がす。
すると、ぽっかりと空いた穴と、木の梯子が出てきた。
ハザールが地下にライトを向け、その光を頼りにアビーがハシゴを降りる。
木の軋む音が遠ざかり、なくなってしばらくすると、穴の中で歓声があがった。
「こりゃすごい。薬局の地下にもう一個薬局がありますぜ」
梯子の下は薬品庫のようになっていた。丁寧に掘り進められた穴はワラと漆喰で塗り固められ、防湿のために生石灰がまかれていた。
アビーが棚の薬瓶を手にとってラベルを確かめる。
消毒薬か鎮痛剤といった、今使えるものがないかを探すためだったが……。
「おーっと、これはこれは……なかなか良い商売をしてるねぇ」
彼が棚に戻したのは、軍用興奮剤だった。薬局の店主は、軍需品の類をイヤーロップたち兎人に売りさばいていたようだ。
かわりに兎人から受け取っていたのは、アルデナの森で取れる薬草を使った薬の基材や薬そのもののようだ。
(っと、銀葉草の膏薬か……ガチの麻薬じゃねぇか)
銀葉草を使った一部の伝統薬は、麻薬としてベリエでは規制されている。
兎人にとってただの伝統的な鎮静剤だが、適切な科学設備に回せば、より協力な合成麻薬の原料に化けるシロモノだった。
(司祭の件もそうだが、このフロレンヌとかいう街……どうもキナ臭ぇな)
アビーは肩にあてるストックを切り落とした短銃仕様のライフルで周囲を探る。
しかし、現れたものといえば、棚の奥からネズミが這い出たくらいだった。
「敵影なし。安全そうだ。降りてきて良いぞ」
アビーが合図すると、第一小隊のライカンたち、そして、薬局の周囲で監視と狙撃をしていた造命種の一団が降りてきた。
最後まで踏みとどまって狙撃を続けていた造命種も「巣」を明渡し、続々と地下を目指し集まってきていたのだ。
「そういや、フランクのセントールはどうしたんだ? 衛生兵の」
ガルムが問うと、ハザールがあぁ、と声を上げた。
「ヒゲとモミアゲなら、一騎なら夜闇に紛れられるって行っちまいました。」
「そうか。連中の幸運を祈るか。アビー、スカー、全員穴に下ろして人数確認だ」
「うっす」「あいよ」
ガルムたちは、薬局に集まった兵を梯子を使って下ろし、細長い巣穴道の中に数珠つなぎで並べる。
二人が手分けして点呼すると、第一小隊に所属するライカン20名は全員揃っていた。激しい銃撃があったにもかかわらず、奇跡的に一人の行方不明者も死傷者も出していなかった。
ライカンの他には、伝令となった人間の歩兵が一人と、負傷者が6名。建物の屋根で狙撃をしていた造命種が4名。さらに対戦車戦闘をしていたオークが2名だった。
「あれ、群れの一人たらなくねぇか」
「そらガルム、アンタの分が抜けてるからだよ」
「あ、そっか」
「ったく……で、これからどうするんだい?」
「何も難しいことはねぇ。コンパスを頼りに西へ抜けるだけだ」
ガルムがライトの下のコンパスを確認すると、針はわずかに左右に震えつつも穴の先――西の方角を指し示している。
「よし、前進だ」
「旦那、入口にトラップを仕掛けないんで?」
「隠すだけでいい。遅れて仲間が来るかもわからんからな」
「了解っす」
「……ん?」
「どうしました、旦那?」
「いや、気のせいだろう。なんでもない。」
コンパスを手にガルムは先頭に立って巣穴道を進んだ。
ガルムは前方に広がる長大な地下通路に首を傾げた。あの小柄な兎人のどこにこんな力があるのだろうかと、疑問に思ったのかもしれない。
手掘りの地下通路はアルデナの森の地下にあったものとほとんど変わらない。
通路の横合いに、たびたび保管庫が設けられているのも森の地下と同じだ。
保管庫には兎人の工芸品のほか、ピクルスやジャムがある。
ビンの栓やラベルはベリエで売られている商品のものなので、薬局の主人がちゃっかり冬支度に使っていたのかも知れない。
「薬やら実験家具に加えてこれか。魔女の婆さんでもでてきそうだな。」
「旦那、他人の物置を見るってのはなんか楽しいですなぁ」
「いくつか拝借してくか?」
「やめときな。いつのもんだかわからないようなもの……腹を下すよ」
酒の肴にピクルスを取ろうとしたガルムの手をスカーが打つ。
その時だった。
「……フラッシュ!」
巣穴道の闇の奥から合言葉が投げかけられた。
すかさずスカーが「サンダー」と返すと、闇の中からウララとフユが現れた。
「なんだ、お前らも来てたか」
「はい。ただ、少々問題が発生していまして、足止めを食らっています」
フユの淡々とした説明に、ウララが頷く。
「問題? まさか、入口がバレて帝国軍がはいりこんだか?」
「いえ、入口はまだ見つかってないです……敵ならまだよかったかも」
「んん?」
ウララの要領を得ない言葉にガルムは首をひねった。
すると、彼女の隣のフユが、ポケットから空薬莢をとりだした。
「見てもらったほうが早いですね。こっちに来てください」
「お、おう……?」
フユは無造作に、空薬莢を前方の闇へと放り投げた。
ガルムは、放物線を描いて落ちるはずの薬莢の軌道を追う。
……だが、薬莢は床に落ちなかった。
闇の奥へ吸い込まれるように直進した薬莢は、投げた時と同じ軌道でフユの手元へと戻ってきたのだ。
まるで行きと帰りがループして、つながっているかのように。
「こりゃまさか……」
「はい。どうやら自分たちはバロウズに閉じ込められたみたいです」
おっ、異変は地下から来たか…




