逆に怖いのは
ティーゲル号は炎がくすぶる戦場を後にし、再び闇の中に戻った。
カリウスはキューポラから周囲を見ようとペリスコープに顔を近づけるが、正面右の防護ガラスが割れて、完全に真っ白になっていた。
(夜にほんの数センチの幅を撃ち抜くなんて、帝国軍の銃手はいい腕してるな。)
カリウスは割れたペリスコープのロックを解除して潜望鏡自体を取り外す。
ペリスコープ自体は、文庫本くらいの大きさだが、鋼鉄製なのでずしりと重い。カリウスは手に取ったそれをひっくり返し、損傷したパーツの交換に取り掛かった。
ペリスコープは、2枚の鏡を使った潜望鏡だ。
本体部分は、上下に配置された斜めの鏡と、上の鏡を守る防護ガラスからなる「プリズムブロック」というパーツになる。
まずは損傷したプリズムブロックを取り外す。この部品は薄い鉄板からなるハウジングに差し込まれているだけなので、ひっくり返せば勝手に落ちる。
あとは砲塔内のホルダーから、予備のブロックを差し込んで、元の位置に固定するだけだ。暗闇の中では骨の折れる作業だが、ほんの数十秒で交換は終わった。
(パチっとな。これでよしっと)
カリウスは交換したペリスコープから前方を見る。
しかし、帝国の戦車隊の姿は見えない。
「敵の姿は見えないな……というより――音も消えたな」
「兄ちゃん、エンジン音がしないよ」
「まさか、進軍を止めたのか?」
「それって……帝国軍の攻撃が止まったってことですか、中隊長?」
「じゃ、じゃあ、私たち……守りきったってこと?」
「やったじゃん!」
「まだ油断はできない。態勢を整えているだけかもしれない」
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フロレンヌで始まった戦いは、唐突に終りを迎え、戦場が静寂に包まれる。
その一方で、帝国軍の後方、野戦司令部では大騒ぎが起きていた。
銀髪の滑らかな髪を肩まで伸ばした少女――ノイン少将は、疲れ切ってどこか目に怪しい光をたたえた参謀たちに囲まれ、激論を交わしている。
「中止だ、即刻中止しろ! これ以上無謀な攻撃で兵をすり潰すな!」
「しかし少将殿、閣下のご指示は――」
参謀の一人が言いかけた、その時だった。
< ――ドンッ!!! >
凄まじい音とともに、司令部の時間が止まった。
参謀たちが囲んでいた頑丈な軍用机が、少女のひと蹴りによって宙へ舞ったのだ。
上に広げられていた作戦地図、ガラスのインク瓶、コーヒーカップが、悲鳴のような破砕音を立てて床にぶち撒けられる。
ひっくり返った机が床に叩きつけられると同時に、飛び散ったインクを顔面に浴びた参謀が呆然と立ち尽くす。他の者たちも言葉を失って少女を見つめた。
ゴミが散乱する中、銀髪の少女だけが、冷ややかな怒りを瞳に宿して立っていた。
「現状を見ろ!! まだ攻撃を続ける気なのかお前らは!!」
「お待ちくださいノイン少将。閣下から作戦計画の変更は指示されておりません」
「そうです。不屈の攻撃精神をもってすれば――」
「お前はバカか? いや、バカだな。バカに違いない。いいか、あの《《子どもたち》》は初陣なんだぞ!! とっくに攻撃精神なんぞ失っている!」
「しかし、我ら帝国軍には人の世を守るという大義があります」
「左様。異種から人の世を守るために人の心の強さを見せるときです」
「ご高説は最もだが、今の私はその異種なんだがな?」
「……」
「そのくだらんお題目を命を払っている者たちに押し付けてみろ。将と兵を結びつける信頼はほどけ、まもなく前線を支えきれなくなるぞ」
「何も損耗した部隊をそのまま進めるわけではありません。きちんと交代を――」
「兵器は使い潰しても替えがきくが、人はそうではない。不信は伝播する。たとえ取り替えたとしても、人づてに伝わっていくものだ」
「では、少将はどうしろとおっしゃるのか!?」
「簡単だ。直ちに攻撃を停止し、負傷者と戦死者の回収、休養と補給をする」
「それでは……作戦を中断するということではありませんか!」
「だからそういってんだよ! 脳みそあんのか?! お前らのオツムより、アルファの作ったヨーグルトのほうがまだしっかりしてんぞ!」
「侮辱はおやめください。我々は帝国最高の頭脳ですぞ!」
「歴史書に帝国最高のアホと残りたくなかったら、今すぐ作戦を止めろ!!!」
「ノイン少将。貴官はあくまでも本作戦のアドバイザーであり、指揮官ではない! これ以上の提言は、作戦に対する妨害行為とみなしますぞ!」
「これだけいっても今死線にある兵を顧みんか。もういい。愛国連隊が動く」
「愛国連隊が?」
「そうだ。要するにメース川鉄橋を確保すれば、貴様らの面目が立つのだろう?」
「ノイン少将、そちらは一個実験大隊しか保持していないはずでは……?」
「いくらなんでも無謀です!」
「左様。さすがに荷が勝ちすぎますぞ」
「お前らは本当に参謀か? いますぐその飾緒を返上したほうが良いぞ」
「なっ……」
「その放言、さすがに無礼ではないですか!」
「いいか、このアルデナ打通作戦は、敵が防衛線を配置していないスキを突くからこそ成立していた。ベリエとフランク、そしてブリトンに警戒された今、最初の作戦が成功する可能性はとっくの昔になくなってんだよ、ボケカス!」
「で、ですが奇襲を行えば……!」
「この戦いはすでに奇襲から互いに防衛線を構築する段階に変わってる。マジでそれすらわかっていなかったのか? いや、わかってないんだろうな。クソが。」
「この件は中将に報告しますぞ!」
「ならば私みずから伝えよう。中将はどこにいる? 例の冒険者と一緒か?」
「は、はい。剣の魔女と現地を確認しています」
するとノインは、足元でひっくり返っていた机を蹴飛ばした。
天板の側面が踏みつけていた地図を拾い上げるためだ。
表面に引かれた蝋が少し剥げて、折り目もついているが、地図は無事だった。
「この地図のどこだ?」
「前線の監視拠点なので……ここです」
「ここか。なら22番が近いな。よし、行ってくる!」
言い終えた瞬間、ノインの動きがピタリと止まった。
激しい怒りに肩を揺らしていたはずの少女から、あらゆる気配と感情が、打ち水でもされたかのようにすうっと消え失せる。
さっきまで殺気を孕んで参謀たちを射抜いていた瞳は、光を失い、まるでガラス玉のように落ちていた虚空の一点を見つめていた。
「………………」
静寂。
あまりに唐突な静けさの訪れに、参謀たちも動きを止めた。
「ノイン少将?」
おそるおそる声をかけた参謀の声に、少女は首を傾げた。
「…………?」
「あ、あの……どうされました?」
「あら……これはまた、ひどく散らかってますね」
少女の唇が弧を描き、穏やかな微笑みを浮かべる。
彼女は自身が蹴飛ばした机を起こし、地図と空になったカップを並べる。
底にいるのは、司令部を引っ掻き回し、罵詈雑言と皮肉を吐き捨てていた軍人ではない。ごく普通の、心優しい少女そのものだった。
理解し難い変貌を前に、参謀の背筋を冷たい汗が落ちていく。
(一体何がおきたんだ……?)
(さ、さぁ……?)
「どうやらお疲れのご様子、お茶を入れましょうか?」
少女が鈴を転がすような可憐な声で、参謀たちを優しくいたわった。
机の上を綺麗に整えると、少女はごく自然な手つきで茶器を準備しはじめた。
機知と理知に満ちるべき司令部の中に、未知と不可知が満ちていく。
差し出された温かいお茶を受け取った参謀たちは、誰一人として声をかけることもできず、ただ唖然とするばかりだった。
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愛国連隊は、造命種と指揮核の特殊な関係性をそう使ったかぁ…
たしかに兵だけが使う理由はないわな。




