天より降りし力
・
・
・
フロレンヌの西でカリウスが奮戦していた頃、街の東、郊外の果樹園では、どこか間延びした空気が流れていた。
ぼんやりと白光を降り注ぐ銀雲のもと、トラックが列をなす。
荷物を満載した貨物自動車に前後を挟まれ、高級参謀車は身動きが取れないでいた。
後部座席にどかっと腰を下ろした銀髪の少女――ノイン少将は、顎を天に向け、忌々しげに息を吐いていた。
「……ったく、まだ進まんのか」
「進まんのか~」
「やかましいぞアルファ。真似をするな」
ノインは自身の横に座る女性を「アルファ」と呼び、二の腕を指でつついた。
アルファはくすぐったそうにクスクスと笑って喜んだが、少将はまるでレモンでも口に含んだかのような顔をしている。
炎に踊るような、癖のある赤色の長髪を持つ女性。
彼女のその前髪をかき分けるように、二対の角が覗いている。
ナイトメアだ。
被差別民であり、およそ帝国では人間扱いされない種族。
それなのに彼女は軍、それも参謀用の高級車に座り、将校の制服を着込んでいた。
彼女の袖には、横の少女と同じく「愛国連隊」の記章が縫い付けられている。
しかし、彼女のワッペンは、少女の《《それ》》とは少し異なる。
だいぶ古く、糸は色が抜けかけ、端の刺繍も擦り切れ始めていた。
「いーだ」
アルファは細い指を口端にひっかけ、反骨精神を示す。ノインは軍帽で彼女の顔を隠し、体内の空気を全て外に出すようなため息をついた。
「……はぁ~」
「ノインお姉ちゃん、機嫌悪いの? ナデナデしてあげる!」
「…………遠慮しておく」
「さすがの猛将もたじたじですか」
フロントガラスに下がるバックミラー越しに、ほころんだ顔を運転手が覗かせる。
運転手は、初老と言うより、すでに本格的な老いを迎えた様子だ。
頭髪は総白髪で、肩には中尉の階級章。
およそ、運転手としては不釣り合いに高位で、年を重ねすぎていた。
「席を変えようか。うっかりお前の首を落とすかもしれんが」
「おぉ怖い」
軍帽を被り直したノインは、腕を組んで唸った。
「しかし……北はともかく、中央は全く動かんな。予定では既に鉄橋に到達しているはずだというのに」
「ちょっとちがいますな」
「はぁ?」
「参謀本部の立てた計画では先先日――3日までにはフランク国境に到達しとる予定です。――つまり、二重に遅れとるわけです」
「どこのバカがそんな予定を立てたんだ。たしかにアルデナの森は史上何度も大軍の通過を許してきた。だが、3日というのはベリエを甘く見すぎだ」
「例の成り上がりものですよ」
「あぁ……最近芽を出し始めたとかいうアレか」
「兵器といい、戦術といい、アレの考えつくものが革新的なのは確かですからねぇ。皇子の威光を傘に着る、我ら愛国連隊の対抗馬かつ商売敵ですな。故に――」
「軍の議会派が政治力を注ぎ込んだか」
「左様で」
「つまるところ、紙に描いたごちそうを呑み込んで息をつまらせたというわけだ」
「さもうまく描いたのでしょうな。『アルデナの森を3日で抜け切るのが勝利の絶対条件だ』と熱弁していたそうですから」
「ハッ、どこの世界に『3日で森林地帯を踏破した装甲師団』がいるものか」
「たった一個中隊の嫌がらせでこの有様ですからなぁ」
「無能きわまる。どうしてこんな作戦が通ったのか理解に苦しむぞ」
「やりたい事と、できる事の区別がつかなかったんですかね」
「貴婦人に贈り物でもするつもりだったのか? あぁ、きっとそうなのだろう。そのゴマすりでどれだけ有能な兵がすり潰されるか考えもしなかったか。クソが」
「流行りのプレゼントをしたものの、女にそっぽを向かれた男が、一発逆転を狙ってサイコロ賭博に手を出した。そんな感じですなぁ」
「なるほど。話がどんどん良くなるな」
「ノイン少将、如何します?」
「そうだな……オートバイでもかっぱらって現場に行くか」
「ご自身で斬り込むので?」
「凄まじくやりたくないが、致し方ない。これではアルファを麻酔から叩き起こした意味がまるでないからな」
「補給はどうします? 苦力を雇うには夜更けが過ぎますが」
「《《私の予備》》に燃料缶を持たせてみるか。10人もいれば……む」
「どうしました、閣下?」
「待て。今確かめる」
ノインは参謀車のシートが汚れるのも厭わず、座席の上に立って双眼鏡をフロレンヌの南、畑が広がる方へ向けた。
そこでは、見渡す限りに菜の花畑が広がり、黄色い花を咲かせている。
果樹園近くの畑に作付けされていたのは、菜の花ことセイヨウアブラナだった。
アブラナは菜種油の原材料となる商品作物だ。油だけでなく、それをとった後の粕を乳牛に与えると、牛乳の出が良くなる。
酪農が盛んなフロレンヌにおいて、アブラナは重要な作物だ。
北側の牧草地に負けず劣らず、南側の菜の花畑もかなりの広さを持っていた。
ノインは双眼鏡の中央のリングを回し、レンズの焦点を畑の深部へと合わせた。
「黄色い絨毯というやつだな。一見きれいなものだが……」
見渡す限りのアブラナは、大人の腰から胸に達するほどの背丈がある。
兵士が身を低くして進むには十分だ。
「……おや」
よく見ると、ミツバチたちがアブラナ畑の上を飛び回っている。カリウスの創った魔法の白光に惑わされ、巣箱から誘い出されたのだろう。
(――ふむ。ハチの様子がどこかおかしい。)
双眼鏡の先に見えるハチの群れは、なぜか花から1メートル以上離れた高い位置を不自然に旋回している。
本来なら、ハチたちは蜜を求めて低い位置、花の上に群がるはずだ。
「花に降りられない理由がある……か? 下に何かが潜んでいるな。アルファ!」
「なーに?」
「あの花をいくらか集めてくれないか?」
「うん、いいよ!」
アルファは自動車の座席から立ち上がると、佩いていた剣を抜き放つ。
抜き放たれた剣身の素材は、鋼でもなければプラスチックでもない。
滑らかで、光を返さない骨のような質感をしている。
彼女がその剣を高く掲げると、刃に蒼色の炎が灯った。
「――えいっ!」
アルファが気合を入れ、剣の切っ先を花畑の方向に突き入れる。
すると剣を覆っていた蒼炎は逆巻き、渦を巻いて花畑に踊りかかった。
蒼炎はアブラナの黄色い花びらを焼き尽くすことなく、柔らかな光の帯となって包み込んだ。
次の瞬間、何千、何万という花弁が一斉に《《がく》》から剥ぎ取られ、蒼い炎の旋風へ吸い込まれていく。
夜の暗がりの中で、菜の花鮮烈な黄色と蒼炎の光が混ざり合い、しなやかで大きなうねりを形成した。
それは意志を持ったかのように空へと舞い上がり、畑の深部へ向かって勢いよく解き放たれる。
まるで花びらそのものが龍になったようだった。
「な、なんだあれは!」
「わぁ……っ!」
龍の登場に驚いたのは、彼女の周囲の帝国兵だけではない。
畑に潜んでいた数十騎のセントール騎兵は、身を隠していた花びらのヴェールを剥ぎ取られ、唖然といった表情で龍を見上げていた。
「ノインお姉ちゃん、できたよ!」
「おぉ、上手にできたな」
「えへへ」
「さてはて……花見客はセントールだったか。どうも騎兵が姿を消していると思ったら、夜闇に乗じて切り込みを図ったか。抜け目ない奴らだ」
「お姉ちゃん、あれって敵? 悪い奴ら?」
「そうだ。懲らしめてやりなさい」
「うん!」
アルファは畑に向けていた剣を払い返し、切っ先をセントールたちに向けた。
「ドラゴンさん、やっちゃって!」
花龍は咆哮を上げるように口を大きく開く。だが、耳を打つ轟音はなく、代わりにやってきたのは、むせ返るような甘い香りだった。
花龍は、螺旋を描くようにふっと体を持ち上げる。その優雅な動きは、見るものに一切の重量感を感じさせなかった。
銀雲を背に悠然と立ち上がったかと思うやいなや、花龍は一転して凄まじい速度で急降下し、セントール騎兵隊へと襲いかかった。
「フォルメ!アリニュマン!!!」
セントール騎兵の隊長らしき者が号令をかける。
襲い来る花弁の旋風に対し、セントールは斧槍の先を揃え、槍で櫓をつくるかのように高く構えて迎え撃つ。が――
< ブゥンッ! >
「……なっ!」
花龍の胴に大上段の一撃を入れたセントールは、手応えのなさに目を見開いた。
鋼の刃は龍の体を通り過ぎるばかり。
黄色い花びらを舞い散らすことしかできなかった。
花龍はその巨躯をさらに引き締め、渦となってセントール部隊を呑み込んだ。
斬っても突いても手応えのない「花びらの群れ」だが、ひとたび旋風と化せば凶悪な質量を帯びる。
花龍の尻尾が地面をかき回して天へ向かう。
黄金色をした華やかな竜巻が空を目指すと、重厚な板金鎧を着込んだ半人半馬の巨体は軽々と宙へ持ち上げられてしまった。
セントールたちが絶叫とともに空を舞い、次々と地表へ投げ飛ばされて激しい金属音を響かせる。
幾人かは、裂帛の気合と共に刃を繰り出したが、反撃の刃は空を切る。騎士たちがいくら斧槍を振るおうとも、散っては集う龍の影すら捕らえられない。
「うわぁ!!」
抵抗していたセントール騎兵の最後の一人が、足をすくわれ畑に倒れる。
時間としてはほんの数分。たったそれだけの時間で、花畑に身を潜めていた数十人のセントールは、完全に制圧されていた。
「おやおや。泣く子も黙る武辺者が、手も足も出ないとは……」
「さすがはアルファだな」
ノインが素直な称賛を口にすると、車上のアルファは頬を紅に染め、両の手を腰に当てて勝ち誇った。
「ふっふーん……どうだ悪人め! アルファ様の力を思い知ったか!」
「これくらいでいいだろう。野戦憲兵!! 連中をとっ捕まえろ!!」
「はっ!!」
ノインが声を張り上げると、車列の整理に当たっていた憲兵が駆け込んできた。
一般兵と異なる白いヘルメットを被った彼らは、兵站路の交通整理に当たっていた者たちだ。
憲兵が短機関銃や散弾銃を突きつけると、切り込み隊のセントールもついには観念し、手を挙げて降参した。
「鮮やかなもんですなぁ」
運転手がとぼけたように言うと、少将は彼の背もたれに肘をついて同意した。
「まったくだ。アルファがいなかったらと思うとゾッとするよ」
「魔法ってやつはすごいもんですな。これがあれば何でもできそうだ」
「何でもできそう、か。これより人は翼を得て楽園を目指すとでも思ったか?」
「違うのですか?」
「あぁ。幻想を手にした者は、自らの足で歩くことを強いられる」
「というと?」
「魔法は可能性を拡張する。いや……可能性そのものといっていい。それを手にした今、我々が問われるのは、しなかったことに対する責任だ」
「つまり……少将はこれが『重し』でしかないと?」
「そのとおりだ。人は無力さを隠すより、力を誇ろうとする。楽園など来るものか。むしろ地獄のほうが近づくかもしれん。」
「たとえ地獄へ一直線だとしても、一度手に入ったものを手放すとは思えませんな」
「あぁ。全く厄介なものを遺してくれたものだ。クソったれ魔王め」
唐突に始まるファンタジー
アルファは生命付与の能力を持っているっぽいですね。
教授の説明における、原初の魔法に近いやつでしょうか。
それにカリウスの魔法とちがって、エーテルの統制をしてないみたい。
発動のさせ方も原初に近いんだろうね。




