フロレンヌ東部 撤退戦(1)
1936年4月22日 20:45
一般的に曇天の日は夕焼けが出ない。薄雲が空を覆ったフロレンヌは、時刻が20:00を過ぎたあたりから急速に光を失っていった。
そして長針が45分を回った頃。
太陽が完全に沈むと同時に、西の空すらも深い闇へと呑み込まれた。
星の光は、曇天のせいでわずかにも届かない。
フロレンヌの街全体が、完全な闇夜に閉ざされた。
街の北側はカリウスが放った魔法――昼夜天換の影響の受けて明るかったが、東側はその光を受けた建物が影になり、暗いままだった。
そんな中、街の東で守備についていた部隊の伝令から、カリウスに一報がもたらされる。
報せは「敵戦車隊、歩兵を伴い外周部を突破。なおも前進中」というものだった。
「突破……外周の防備は10分持たなかったか」
「いえ。敵は30分ほど前に市街の前方、放棄予定の陣地に現れました」
「えっ、それだと砲撃から間もなく来たことになるけど……敵の戦車隊は、まだ空に魔法が打ち上がってなかった時に市街に取り付いたのか?」
「は、はい! 気づいたときにはすでに陣地が占領されていたようで……」
(なんて大胆な指揮官だ。夜間に昼間と変わらない速度で走ってきたってことか? まさか、帝国にはもう暗視装置があるんじゃないだろうな……)
「敵の戦車隊は、足並みを整えて統制を回復している最中か?」
「はい。様子を見るに、家屋を爆破して戦車を前に進めようとしているようです」
「そうか。数は?」
「戦車は一個中隊規模で20両を超えています。進みは遅いですが……」
「ある程度の広さを確保したら、まとまって数台で来るな。負傷者は?」
「自力で歩けないものが10名以上います。」
「そんなにか」
(これは対戦車戦闘になりそうだ。配置についているのは、ティーゲルの他は対戦車自走砲が3両のみ。先頭を撃破して道を塞いでしまえば……いや、相手には戦闘工兵がいるんだったな。爆破して除去できる。間違いなく泥仕合になるぞ)
「君、砲塔の後ろに乗れ。これから前線の支援に行く」
「はっ!」
車内に戻り、ハッチを閉じたカリウスは、直ちに指示を飛ばした。
「フリン、発進の用意を。総員、対戦車戦闘に備えろ。敵戦車が来そうだ」
「わかったよ兄ちゃん!」
「マルトー、榴弾を装填しておけ」
「えっ、対戦車戦闘では?」
「大丈夫だ。ラスプ程度の装甲なら榴弾でも狩れる。先に徹甲弾を装填しておくと、歩兵が来たときに弾を抜かないといけない。そっちのほうが面倒だ」
「了解しました!」
「カリウス、こんなときこそ魔法じゃないの?」
「うーん……それだとティーゲルが足を止めることになるからね。敵の位置が分かれば魔法を使ってもいいんだけど、現状は目潰しされてるようなものだから」
「そっかぁ」
「ただ、念のために用意しておこう。マルトー、床下から一発エーテル弾を取り出して、ラックに移しておいてくれ。わかりやすいように離せよ」
「了解です、中隊長!」
マルトーは床下から弾頭の無い砲弾を取り出すと、ラックの端にしまい込んだ。
「これより敵戦車隊の捜索を行い、痛撃を加えた後、撤退する!」
「ティーゲル号、発進!」
フリンの掛け声とともに、ティーゲル号はその巨体を前に滑り出す。
郵便局の影から飛び出した巨体は、フロレンヌを東西に貫く主要道路を右に曲がって東に進路を取った。
中央通りでは、残った歩兵が瓦礫にしがみつくようにして抵抗を続けていた。
歩兵はレオンたち第二小隊の人間種族が主だが、ドワーフとオークの小隊から抽出された分隊がそれぞれ支援についているようだ。
オークは迫撃砲を建物の裏に据付け、ドワーフは物陰で爆薬を靴下に入れて手榴弾を作り、弾薬の補給に来た歩兵に配っていた。
「見ろ、戦車だ!」
ティーゲル号の姿を見て、ベリエの歩兵たちは喜びに手を振った。
ペリスコープ越しにその痛々しい姿を見たカリウスは臍を噛んだ。
手を振る者の中で、無事な姿の者などまばらだった。
誰もが身体のあちこちに白い布を痛々しく巻きつけている。
ふと、砲撃によって外壁をごっそり剥がされた建物の中が目に入った。
もはや軍服の茶褐色よりも包帯の白さが目立つ負傷者たちが、大根か何かのように無造作に並べられている。
(フランクの衛生兵がやったのかな? 彼らがいなかったと思うと、ぞっとする。東はもう限界だ。あの様子では負傷者は自力で巣穴道を歩けないだろうな)
状況的に見れば、負傷者は置いていくしかない。
ティーゲルの生存を第一の目的とするなら、それが最善の選択だ。
だが、カリウスはハッチを開け、伝令に振り返った。
「君、重傷者で、まだ意識がはっきりしていて、腕がまだ動かせるものはティーゲル号に乗せろ。腕が使えないと戦車から振り落とされるからな」
「わ、わかりました!」
「完全に動けない者は君たちが巣穴道を使って運べ。一人だって置いていかないぞ」
「もちろんです!」
伝令の兵士はホッとした表情でティーゲルの背から降り、仲間のもとに向かった。
すると周囲の兵士が協力して負傷者の肩を抱いてこちらにやってきた。
「あまり砲塔にくっつくな。回せなくなる。ウィラー、聞こえるか?」
『はい、聞こえます! ご指示を!』
「東部は敵戦車中隊がほぼ被害なしで来ている。これより東部の防衛を放棄し、市街中央まで遅滞を行う。そちらも撤収を念頭に動いてくれ」
『了解しました! 北部は1両と連絡が取れません。1両だけで踏みとどまってる状態ですが、こちらはどうしますか?』
「後方を遮断される前に中央にいくか、無理そうなら車両を破棄、ガルムたちと合流して市の外まで撤退するように伝えてくれ」
『はい。中隊長、ご武運を!』
「そちらもな。メース川対岸で会おう」
カリウスは通信を終え、砲塔の上で振り返る。
ティーゲル号の背中に負傷者を引き上げているが、彼らは足が萎えても銃を手放そうとしていなかった。
頭に巻かれた包帯の間からはみ出た彼らの瞳は、いやにぎらぎらとしている。隣あう者の目鼻も定かではない暗さなのに、なぜか目だけが見えた。
いや、本当は見えていなかったのかも知れない。
死線を潜り抜けてなお失われない彼らの異様な気迫。それが、黒と灰だけの視界の隙間を埋め、カリウスの頭の中でひとつの鮮烈な像を結んだのだろう。
「警報!」
誰かが声を上げた。
直後、地鳴りと共に、ティーゲル号の前方でものすごい轟音がした。
地面がそのまま持ち上がったかのような浮遊感。
数秒を置いて、ばらばらと黒い土の粒が落ちてきた。
カリウスはハッチを閉め、車長席に腰を落とした。
「……まずいな」
前方の視界を塞いでいた建物が、土台だけ残し姿を消していた。
帝国の戦闘工兵が発破で吹き飛ばしたのだ。
まだ収まりきらない土煙の向こうで何かが動く。
暗灰色をした、二段の四角いシルエット――ベグライターだ。
「メリナ、戦車が来た。キャタピラを狙え。榴弾なら切るか外すかできる」
「了解!」
< ガウッ!!! >
街路を一瞬昼に変える発砲炎を背に、90mmの榴弾が主砲から送り出される。
筋状の白煙を後に残し飛び立った砲弾は、先頭を切ったベグライターの車体前方のメンテナンスハッチに命中し、そのまま爆散させた。
「えっ」
「うそっ、吹き飛んじゃった」
(……弾薬庫が誘爆したのか? 開戦初期の戦車って、思った以上に脆いんだなぁ)
「次弾、徹甲弾装填。メリナ、同軸機銃で後続の歩兵を牽制しろ」
「了解!」
メリナはペダルを踏み込み、ティーゲルの主砲横の機銃を土煙の向こうに向かって流すように撃ち込んだ。狙って弾を当てる必要はない。戦車の後ろを前進してくる歩兵を立ちすくませるための脅しだ。
「装填完了しました!」
「おかわりが来たぞ」
カリウスの言う通り、炎上するベグライターの横を37mm搭載型のラスプが通り過ぎた。軽戦車はティーゲルの姿を認めると、ガクッとつんのめるようにしてその場に止まった。機械なのに妙に感情がこもっていて、まるで生き物のように見えた。
「メリナ、ティーゲルの主砲ならどこを撃っても貫通する。落ち着いてシルエットの中心を狙え」
「あ、逃げちゃった」
「えっ? あ、ホントだ」
メリナの言う通り、ハッチを開けて戦車の中から乗員が逃げ出していた。帝国兵でも無理なときはちゃんと逃げるのかと、カリウスは妙なところに感心してしまった。
「せっかくだから戦車を撃っちゃえ。放っておくと回収されちゃうし」
「了解!」
放たれた徹甲弾が、小物箱のようなちんまりとしたシルエットのラスプの中心を貫く。その衝撃で車体のハッチや点検口が一斉に開いて、前後に破片を撒き散らした。
「ティーゲルを撃破可能なのは、75mm砲を装備したベグライターだ。もしラスプと同時に現れたら、そっちを優先してくれ」
「うん、わかった」
(さて。戦車で相手できないとなると、当然歩兵で回り込んでくるはず。)
カリウスが予測した通り、土煙の向こうからそれ以上戦車はこなかった。
その代わり、建物の窓の向こうで、ちらちらと何かが動いて見える。
「敵は歩兵を建物内に送り込んで移動してる。回り込んで来るつもりだ」
「戦車が当てにならないと判断したんですかね?」
「おそらくそうだろう。む……」
ポン、ポン、と迫撃砲を打ち上げる音が聞こえてくる。
しかし、音はティーゲル号の後ろからだ。
弾着は敵の戦闘工兵に吹き飛ばされた建物周辺に向いている。
さらなる歩兵の後続を阻止するつもりのようだ。
(味方のオークが放った迫撃砲か。ギリギリになるまで粘るつもりか……)
「戦車こなくなっちゃった。カリウス、どうしよう?」
「――後退する。フロレンヌの西まで後進だ。夜は長いぞ」
おぉぅ…
完全なる負け戦だが、帝国側も勝っているかというと
かなり疑問符がつく




