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眠り姫

 1936年4月22日 20:35


 騎兵砲チームが戦場から離脱を開始し、鉄橋まで移動している最中。

 ギゼラはモデル陣地の片隅で、帝国軍の野砲が掘り返した地面を検分していた。


 彼女はすり鉢状になった砲弾の落下地点に入り、膝を折って何かを探している。


 懐中電灯を持った工兵が周囲に立って彼女の手元を照らすが、チラつく光は左右に揺れてなかなか定まらない。


「明かりをもっとくれ。……信管孔はこれだな。分度器を」


「はっ」


 ギゼラは弾痕の奥にあった細い穴に金属の棒を差し込み、そこに水平器付きの分度器を当てた。水平器の気泡のラインを斜めに横切る金属棒は、砲弾がどれくらいの角度を持って地面に落ちたかを示している。

 

「落着角度は32度か。最大射程12kmの105mm砲ならば……10kmくらいか」


 その検分の結果を聞いて、肩の前に縁取りのついた豪華な小盾――少佐の記章を掲げた壮年のセントールが喉の奥で唸る。


 彼は派遣された2個大隊のうち、B大隊を率いるオーギュスタン・ルナール少佐。


 深く刻まれた眉間のシワと、手入れの行き届いた毛並み。

 目を引くのは、彼が着込んだ甲冑だ。


 ルナールが上半身に着込んだ黒と銀の半甲冑は、錆止め加工の黒をあえて模様として塗り残した、近代に流行ったスタイルのものだ。


 現代戦の基準からすると装飾しすぎだが、それでも貴族というよりは、幾多の修羅場を潜ってきた現場指揮官のいかめしさを強く感じさせた。


 彼はギゼラ中尉とは莫逆(ばくぎゃく)の友であり、互いに意を気兼ねなく交わす間柄であった。


「※長鞭馬腹(ちょうべんばふく)に及ばず。これでは敵砲兵に打撃を加えるのは非現実的だ」


※長鞭馬腹に及ばず:いくら強大でも、遠い場所には手が届かないという例え。


「あぁ。10kmともなれば、襲歩でも30分はかかる距離だ。すでに移動していてもおかしくないし、往復で1時間となれば……敵砲兵は捨て置くしかないな」


「とはいえ朗報でもある。帝国の砲撃支援は射程に余裕がない」


「そうだな。鉄橋から3kmの範囲は砲撃が届かないとみていい。日和ったな」


「周辺に兵を伏せ、伏撃するか。フロレンヌの南に展開した砲兵を再配置しよう」


「少佐、北側の砲兵は敵戦車と接触したのち後退中とのことだが、被害は?」


「ん、伝わってなかったか? 被害なしだ。戦果は5両で、敵は10両以上残っている。この被害を受けて、敵戦車部隊は現在停止中とのことだ」


「半減か……後続と合流して前進を再開されると厄介だな」


「中尉、北側の砲はこのまま対岸に据え付けようと思うが、どうか?」


「それで良いと思う。彼らに南側のチームの後退を支援させよう。東岸での戦闘の焦点は、ティーゲル号が渡り切るまで道路を保持する。この一点に絞る」


「それは中尉ではなく、アデーレ嬢の要望だな?」


「彼女に兄を守ると約束したのでな」


「私としても《《あれ》》をした魔術師を失うのは惜しい。できる限りのことをすべきだと思う。正味、2個大隊全員の命を賭けたとしても、天秤はつり合うだろう」


「意外だな。」


「ほう?」


「南は貴官が直々に育てたろう。我が子に相応の出血を強いることになるぞ」


 ルナールはフッと息を吐き出し、前足で土を軽く蹴った。


「対岸のチームは、防衛線の底が抜けないようにする保険だ。この保険がなければ、そんな命令は出せなかった。それに――」


「?」


「これでも当初中尉が予定した被害よりはずっと少ない。ちがうか?」


「そのとおりだ。気味が悪いほど順調だ。こういう時は必ずなにか起きる」


「同感だ。どこか絹を被っているような感覚がある。そこでだ」


「なんだ?」


「気晴らしにひとっ走りしてはみないか?」


 ギゼラは一瞬呆れたような表情を浮かべたが、すぐに唇を引き締めた。


 戦闘はすでに始まっている。

 この期に及んで将校偵察など、連絡を途絶し、現場を混乱させるだけ。

 指揮官の振る舞いとしては、下の下もいいところだ。


 だが、正規の指揮官ではない本部付きの特務中尉の彼女ならどうだろう?


 そもそもの話、ギゼラはベアトリス大佐の命令を伝えて、そのまま部隊に居着いた「オマケ」にすぎない。


 大隊の実務は二人の少佐――本来の指揮官であるルナールが取っているため、実務面で言えば、ギゼラは部隊にいなくても良い。


 ――そう。正規の指揮官であるルナール少佐が動くと大隊の指揮に穴が開くが、「オマケのギゼラ」が動く分には、何の問題もないのだ。


「いいね。道連れに一個分隊をくれ」


「あぁ。私の名前で連れて行くといい」


 ルナールが言い終わる前にギゼラは駆け出していた。

 彼女は振り返らずに手を降ると、夜の闇の中へそのシルエットを溶かしていった。


 ギゼラの蹄が向かう先――そこからさらに数キロメートル離れた帝国軍陣地では、異質な金属音が低く響いていた。




・・・



 白亜の壁に掲げられた双頭の鷲の旗と、理路整然と並ぶ近代的な医療器具。

 ここは一見すると、帝国の軍病院のようだ。

 しかし、寝台の上に患者の姿はなく、置かれたベッドの数も妙に少ない。


 一人も患者はいないのに、白衣を着た医師風の男たちはやたらと多い。

 全ての要素が、ここが病院ではなく、なにか別の場所であることを物語っていた。


 その中央で、十五歳ほどの銀髪の少女が白衣の男たちに突きかかっていた。


 彼女は軍服を着ている――というより、着られていると言っていい。


 明らかにオーバーサイズの軍服に身を包んだ少女。

 少女の視線が動くと、周囲の白衣の男たちはそれを避けるように身を引いた。


「この役立たずの麻酔が切れるまであと何分かかる?」


「はっ、あと2時間は……」


「そんなに待ってられるか。薬でも電気でもいいから叩き起こせ」


「し、しかし危険です! そんなことをすれば何が起きるか」

「離脱症状で錯乱するか、最悪心停止を――!」


「あぁん?!」


 男たちが言い終わる前に、少女の足が動いていた。


< ガンッ!!! >


 重い軍靴の先が足元の丸椅子を捉え、勢いよく壁際まで吹き飛ばす。


 与薬カートの上に置いてあったトレーが巻き添えを食らい、ガシャンと派手な音を立てて無数の手術道具が床に散らばった。


 近くにいた科学者があわてて床の道具を拾い集める。しかし、惨事を引き起こした少女は気にかける様子もなく、鋭い眼光で手近な科学者を睨みつけた。


「ひっ!」


「もっともらしいことをいいやがって! 元をたどれば、お前らがビビって鎮静させたからだろうが! 指示した規定量を守れクズどもが!!」


「お、落ち着いてください、ノイン少将。御心を沈めて……!」


「あぁ落ち着いてるとも! 冷静そのものだ! 作戦時間は伝えた。予備日も与えた。なのにこのザマだ。クソクソクソ!!」


 少女は肩まである髪を振り乱し、拳を近くの机に叩きつけた。


 その肩には少将の記章、そして袖には愛国連隊に所属することを示すバイピンクの入った部隊章がついていた。


 机に寄りかかるようにして斜めに立った少女は、額の汗をぬぐう。

 息切れというより、喘鳴(ぜいめい)に近いそれを彼女は整える。


 銀髪。白磁のように白い肌。薄い銀色の瞳。

 彼女の身体的特徴は、全てが造命種――シャッフェンと一致する。


 しかし、その性格はファフニール隊に所属するフユやウララとは全く異なる。

 ステラは多少苛烈な部分があるが、むやみに声を荒げたりはしない。


 少女の振る舞いは、あまりにも「人間らしく」見えた。


「お怒りはごもっともですが、心拍数が上がりすぎです。頻脈を起こします」


「もう起こしてる。クソ……これは……こうなるものなのか?」


「シャッフェンの肉体にそのような作用は……おそらくは――」


「指揮核の影響か。まるで自制がきかんぞ」


「閣下、せめてワルファリンを。もとは心房細動に使う薬ですが…」


「駄目だ。それは抗凝固薬だろう。負傷したときに出血が止まらなくなる。もとより大した猶予はないのだ。予備を出せばいい」


「はっ!」


「まったく……幸せそうに眠りこけてくれる」


 ノイン少将は吐き捨てるように呟くと、部屋の中央に鎮座する棺のような医療カプセルへ歩み寄った。


 透明なアクリルの蓋が開いた棺。

 ノインはそのふちに肘をつき、つま先立ちで中を覗き込む。


 そこに横たわっているのは、腰まで届く鮮烈な赤い髪を持った女性だった。


 うねるような強いクセ毛は、冷たいカプセルの中でゆらめく炎のようにも見える。青ざめたように白い肌、そして額から覗く二対の小さな黒い角。


 そして彼女が着せられた軍服の襟元には、少尉の階級章が縫い付けられていた。

 少将は眠る少女の鼻先を爪先でピンと弾くが、くしゃみひとつしない。


「気の太いやつだ……」


 体をひねり、棺の縁に腰かける少女。

 すると、振り返った銀の瞳にあるものが映った。


 古めかしい、骨のような材質で作られた剣と盾。


 剣の形は中世の騎士剣によく似ている。

 しかし、置かれている剣は鍛造の工程で刻まれるはずの血溝がない。

 まるで粘土をこねたかのように滑らかだ。


 一方の盾は、鳥の翼に似た、とても複雑な形状をしている。

 内側に巻かれたような形は、まるで怪鳥がその翼を畳んでいるかのようだ。

 複雑な形状をしているにも関わらず、どこにも釘を打った形跡がなかった。


 最新の医療機器がひしめく部屋の中で、その剣と盾はあまりにも異質だった。


 しかし周囲の科学者たちは、誰ひとりとして、その異物に気を留めない。

 片付けようとも、触ろうともしなかった。


 この剣盾は、「ここにあって当然のもの」。

 あまりにも無関心な態度は、暗にそう言っているようでもあった。 


 少女の視線は床についた剣の切っ先から始まり、剣の柄に止まる。

 そして、何かを思いついたように彼女は突然(ひざ)を打った。


「待てよ……? 覚醒と同時に――よし、エーテル缶を持ってこい」


「エーテル缶ですか?」


「つべこべ言わずに持ってこい!!」


「は、はい!」


「いい方法を思いついた。眠り姫に与える王子の代わりとはいかんがな」






幻想二次大戦の「幻想」部分がアップを始めたようです。

愛国連隊、ずっと出てなかったけど、そういえば君らもこの戦区にいたね…

ロクなことにならなそう


ちなみにルナール少佐のフルネームはオーギュスタン=ルイ・ド・ルナール。

設定上は男爵らしいです。


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