陥穽
カリウスが魔法を使った瞬間から、少し時間は巻き戻る。
フロレンヌの攻略を任されたのは、戦車96両、装甲車両40両。野砲24門、歩兵およそ2000からなる帝国軍の臨時戦闘団だった。
森の道を一列で進んでいた帝国の戦車隊は、目的の場所が近づくにつれ、エンジンの出力を絞って音を殺した。
先鋒となる第一波攻撃の発起点は、フロレンヌ近くの果樹林に設定された。
この場所は、フロレンヌから2、3キロしか離れていない。
これが昼間であれば、彼らは容易に発見され、すでに戦闘が始まっていただろう。
第一波を任された戦車2個中隊、48両は林の間で車列を整理し、準備砲撃の到着を待った。
果樹林の前面には地区を区切る生け垣の仕切りが並び、戦車の姿を隠してくれる。生け垣の先は広い牧草地になっており、部隊を整理して移動に移るには最適の場所だった。
バッススたちが身を隠す果樹林は、ちょうど開花の時期に差し掛かっていた。
リンゴやサクランボの木々は、白や淡いピンクの可憐な花を咲かせ、足元に花びらのレースを編んでいる。
しかし、お茶会の客としてきたのはフロレンヌの住民ではなく、泥と油にまみれた鉄の獣たちであった。
本来なら、この時期は農民たちが一年で最も忙しく立ち働く季節のはずだった。
果樹の足元には、つい数日前までの農作業の形跡が残る。
剪定されたばかりのまだ葉も青々とした枝が山となって、立て掛けられたままのハシゴと共に放置されていた。
さらに奥には、季節外れの霜を防ぐための燻煙用ドラム缶が転がっている。
しかし、近くに薪はない。誰かが持っていったのだろうか。
バッススが指揮車のハッチを開けて周囲を見回す。
すると、ちょうど彼の副官が走り寄ってきたところだった。
「バッスス中隊長、うちは全車集合しました。脱落なしです。第二は4両脱落。うち1両は後送により不参加となります」
「おっ、そら重畳じゃん」
「伝令です! 歩兵部隊、集合を完了しました」
「ご苦労。えらかったな。大事ないか?」
「……は?」
「中隊長は『大変だったな、問題ないか』といっている」
「は、はい! 労いのお言葉、ありがとうございます! 2両脱落、1分隊が行方不明、現在ハーフトラックの点検中です!」
「ん、報告ご苦労、休んでくれ」
「2つの中隊はそれぞれ戦車24両と歩兵500ですか。奮発しましたね」
「んだな」
バッススの袖には、赤い三角のワッペンが付いていた。
この記章は、中尉が懲罰を受けている最中であることを示す袖章だ。
帝国軍ではこの袖章がついた将兵の運命は、ふた通りある。
生還率の低い危険な任務につかされるか、矯正施設に送られるかだ。
今回は前者。
先の戦闘で許可なく撤退したバッススは、中隊ごと懲罰を受けることとなった。
とはいえ、まともに準備もしてない状態で千軍万馬のセントール騎兵が突貫してきたとなれば、撤退するのが普通だ。
正直、スケープゴートもいいところである。
元はといえば、本部がセントール騎兵の動向を読みそこねたのが悪い。
なのに、彼の行動だけがあげつらわれ、死番を押し付けられた。
憤慨してしかるべきだが、バッススは特に気にした様子もなく飄々としている。
それが彼の性格なのか、何かの打算なのかは、ようとして知れなかった。
車両の点検がおわったころ、空に1条の光の線がすっくと立った。
エーテル特有の澄み切った青が、1本、2本、と、空に境界を描いていく。
「……おっ、あれが『エーテルビーコン』とかいう新兵器ですかね」
「ほぉー、えらいもんだ。夜分でもはっきり見えるだに」
「これなら、完全に日が落ちても方向がわかりますね」
「だなぁ」
「うちの中隊はフロレンヌの前面を担当。もう片方は北回りにフロレンヌを迂回して西進ですか。できると思ってるんですかね?」
「街にこもれる敵さんの歩兵はベリエの一個中隊と薄ぃだに。案外こっちのが楽できるかもわからんだら」
「ベリエは重戦車1両と自走砲が数台。歩兵は増強されてるみたいですがそろそろ100人を割っているでしょうし、まぁ余裕ですね。重戦車が気がかりですが」
「あいじゃーあかん。」
「いけませんか?」
「ベリエにゃ築城する時間がたーんとあっただに。気ぃ抜いたらいけんよ」
「そうでしたね。街の外周の火点を潰したら歩兵を前に出し、中戦車の75mmとペッカードの20mm機銃で歩兵の支援。やれるとしたらそれくらいですね」
「ほいだで、街から追い出しゃそれでえぇ。西の退路を塞いだら死ぬまで続くだに。適当に撃ち合ってりゃ弾ぁしぶって帰ぇるか、白旗上げるでな」
「だとすると案外、迂回組のほうが苦労するかもですね」
「どうやろね? この後もあるでな。フランクが正気なら下が――」
バッススの言葉を遮るように、中隊の背後で遠雷のような音がした。
準備砲撃だ。時刻は20:10ちょうど。
「始まりましたね」
「…はじまったのぉ」
副官は自分の車両に向かって走る。
それを見届け、バッススは指揮車のハッチを閉めた。
第二次大戦時の戦車は、視界が悪いと評されている。
それは間違いなく正しい。
ただ、戦場における現実を正しく表現しきれていない。
より正しく評するなら、《《戦闘中は前が見えることもあった》》、だ。
戦闘中、ドライバーは監視孔のバイザーを下げ、完全に封鎖する。
よって、頼りになるのはバックミラーより小さいペリスコープからの景色だけ。
ところが、頼みの綱のペリスコープも、砲撃の衝撃でミラーがすぐ割れるわ、表面のガラスが泥で隠されるわ、散々であった。
1936年という、まだ技術的に洗練されていない時期の戦車が装備している外部の監視方法は、なかなかにワイルドだ。
ミラーを使ったペリスコープはほとんどない。砲塔のどこかに潜望鏡をつけるか、スライド式の鉄板を動かしてスリットから覗くというものだ。
さらにすごくなると、紐のついた鉄棒で栓をした、ただの穴というのもある。
バッススの指揮車は37mmを搭載したラスプ。
幸いにしてラスプの監視方法はスライドのついたスリット方式だ。
ストローを横にした程度の隙間から外を見れるので、象が近づいた時はわかる。
「暗いのとうっさいので、なーんもわからんな」
バッススがぼやくと、すかさず運転手が振り返った。
「中尉、これじゃ歩兵に誘導してもらわないと進めませんぜ」
「たしかにえらいのう……」
バッススは戦車の前に歩兵を出し、彼らが後ろ手に出した灯火を頼りに前進することにした。
エーテルビーコンがあるといっても、夜。
しかも市街となれば、歩兵の案内に頼る他無い。
準備砲撃はフロレンヌの中央を捉えた後、市街の前に戻ってくる。
砲兵隊は、最初の一撃からフロレンヌの前面を狙わず、中央を狙ってそこから狙いを定めるつもりなのだろう。
「なんちゅうアホじゃ。みすみす逃がすようなもんだに」
フロレンヌ前面、おそらく陣地が構築されているであろう区画への砲撃はしばらく続いた。
しかし、突如として砲撃が止んだかと思うと、今度はやたらと遠い場所に向かって砲撃が再開した。
「おかしい。砲撃が遠なっとる。砲兵は何ぃ始めた?」
「中尉、無線です! 聞いてください!」
「無線? こいつは――」
『こちらはギゼラ少佐だ。フランクの諸君に告ぐ。戦闘を停止し、西に落ち延びよ。市内のベリエ軍は抵抗を諦めた。匹夫のために諸君ら勇士の命を散らす必要はない。帝国との戦闘を停止し、直ちに撤退せよ!!』
「ん、嘘だな」
「ウソっすねー」
「あんなえらい連中が尻まくるはずねぇだに」
「でも、本部は引っかかったみたいですよ? 攻撃命令が出ました」
「どうすっかなぁ……よし! 全車突撃!」
「えっ、突撃しちゃうんですか?」
「策っちゅうのは平らな台に置いた卵みたいなもんよ。コロコロ行って定まりゃせん。いっそ突っ走って滅茶苦茶してやったらええだに」
「大丈夫ですかねぇ?」
「本部はこっちが勝ってると思っとるんじゃろ? 勢いが肝心じゃん」
「それじゃ中尉の勘に任せますぜ」
「おう。どーんといこうや」
(それに、わしらは懲罰中だに。最初からそれ以外手は無ぇ)
バッススはハッチを開け、頭を出すと周囲の歩兵に向かって叫んだ。
「敵さんは逃げに入った。突撃だ! 乗れるやつは戦車の上に乗れ!」
「えー! マジですかぁ!?」
「落っこちたら味方に轢かれちまいますよ!」
「1列横隊で行くから大丈夫だ。落っこちたら走ってついてこい!」
「んなムチャクチャな……」
「全車、運転席のハッチを開けろ! ドライバーは歩兵と協力して進むように!」
バッススは素直に(?)本部の攻撃命令に従い、前進を始めた。
戦車のリアパネルの隙間からエーテル機関の放つ蒼い輝きが漏れ、周囲を照らす。
排気炎は夜闇の中で歩兵が追いかける良い目印になった。
が、しかし。
動き始めたは良いが、その速度が異常だった。
なんと彼は薄暮の中とはいえ、毎時20kmの速度で走り始めたのだ。
この当時、夜間での速度は毎時6km。歩兵の早歩き程度が普通だ。
バッススがやろうとしていることは、目隠しをして状態で自転車に乗り、夜の森を走るようなものだ。
しかし、彼らはやり遂げた。歩兵を戦車の上に乗せ、戦車兵と歩兵、全員の目を使って四方を監視させながら前進した。
歩兵は運転席のハッチにしがみつくようにしてあたりを見回し、水先案内人として前の道路の状況をドライバーに向かって怒鳴った。
「あー前、1時方向、木が近い! 左にきって、左左!」
「おっ、こっちか?」
「左切りすぎ! そっち石垣あるって! そうそう!」
「右の戦車こっちに寄って来てるぞ! 手を振って教えてやれ!」
夜になれば、味方と同じく敵の目も暗さに惑わされる。さらに夜の道を右往左往しながらガタガタ揺れているから、なおさら狙いづらいはず。
そんな計算があったのかなかったのか、とにかく彼らは前進した。
信じ難いことに、前進を続けるバッススの部隊は、一発も撃たれないうちにフロレンヌ前面まで到達してしまった。
フロレンヌ前面には、カリウスたちが放棄するために作ったニセ陣地がある。
帝国軍の砲撃を誘引するために用意したニセ陣地だったが、ギゼラの無線で砲撃が中途半端になってしまい、まだ陣地として機能する程度に形が残っていたのだ。
「敵の陣地だ!」
「よし、総員下車! 左右に広がって制圧しろ!」
戦車から降りた歩兵は、塹壕の中を教範どおりの動きで制圧していく。
彼らの動きは一糸乱れぬ見事なもので、すべて訓練どおりに動いた。
そう。全ては訓練どおり。
――敵がいないことも含め、訓練どおりだった。
「あれ、誰もいないぞ?」
「敵戦車! ……いや、ありゃハリボテだ。よくできてるなー」
陣地には、ハリボテ戦車MKIIの他に守りにつく者はいなかった。
まったくの空っぽ。
これにはさすがのバッススも戦車の上で唸った。
予想外の行動を取った自覚はあるが、予想外の結果までは予想していなかった。
バッススが戦車の上で途方に暮れてると、副官が寄ってきた。
彼もこの異常に気づいたようだ。
「中尉、この陣地誰もいませんよ。マジで撤退してるんじゃ……?」
「そんなことあるかぁ? ひとまず陣地を確保して――」
まさか本当にベリエとフランクは撤退してしまったのか?
二人がそう思いかけた時だった。
バッススは、陣地の向こうにあった建物から、ひょいと顔を出したオークと目があった。声は聞こえなかったが、その口の動きは明らかに「えっ」と言っていた。
「正面、黄色の建物一階に敵歩兵! 撃て!」
誰かが号令し、続いて銃声。なし崩し的に銃撃戦が始まった。
一体なぜ、こんな事になったのだろう?
ベリエがバッススの前進を見逃した背景には、砲撃戦のセオリーと、バッススの異常な速度という、2つの要素があった。
まず、砲撃を受けている歩兵は、外を見ることができない。
近代戦における砲撃の殺傷力は凄まじく、とくに集中的に運用される準備砲撃の殺傷能力と精神的プレッシャーは凄まじいものがある。
砲撃が始まると、歩兵は身を低くして陣地や塹壕の底に這いつくばり、砲撃が止むのを祈るしか無い。
少しでも遮蔽物から頭を出せば砲弾の破片や衝撃波で即死するため、砲撃が続いている間、前線の見張りは実質ゼロとなる。
そして、カリウスのような熟達した指揮官は、次のように予測して指針を出す。
『敵の砲撃が止んだと思ってもすぐ顔を出すな。前回あったダブルタップに備えて、砲撃終了から数分後に行動しろ。今は《《夜間》》だ。敵戦車の進軍速度は歩兵と同じ時速数キロ。数分後に見張りを復帰させても、十分対応は間に合う』
そう。砲撃が止んだ瞬間にすでに敵が来ているとは、夢にも思ってないのだ。
だって、来るはずがない。
バッススがやったことは、まるっと全て軍事的に「間違い」だからだ。
「なんちゅう滅茶苦茶な」
「滅茶苦茶するんじゃなかったんですか?」
何だこのオッサン?!(困惑
どうしてこうなったかのメカニズムは説明できるけど、どうしてこんなことをしたのか、動機の部分がまるで説明できない…。パットンでも正面攻撃はしねぇぞ?!
カリウスの指揮なんも間違ってないのに
将棋で王手をかけたら、カラスがこっちの王将を持っていったくらいの理不尽
ど、どうしろと…
しかし、バッススたちに隠れているけど、一番のやらかしは砲兵隊である。
砲兵隊は本部に直接指揮されるから、つまり、やらかしの本体は本部ですね…




