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全力後退!

 1936年4月22日 19:00


 フロレンヌの西、夕闇が迫る荒野にフランクのセントール騎兵たちが隊列をなしていた。蹄がアスファルトを削る音と、鎧と呼吸の音が絶え間なく響いている。


 その隊の中央で、アデーレはセントールの背にしがみつくように跨がっていた。


 すれ違う騎兵たちの視線が痛い。

 セントールにとって、その背は誇りそのものだ。


 彼らの背中に乗るべきものは、戦いの戦利品である捕虜や黄金。

 あるいは自らの意思で動けなくなった負傷者や病人である。


 いずれにせよ、自分の足で立てる健常な人間を乗せるための場所ではない。


 誇り高き戦士たちが、生きた人間をその背に受け入れている——

 この場に漂う張り詰めた空気が、事態の切迫を何よりも雄弁に物語っていた。


「それではアデーレ嬢、よろしいか?」


「はい。皆さん、よろしくお願いします」


「エレーヌ、彼女を任せた。お前の命に代えても彼女を対岸に届けろ」


「ハッ!」


「アデーレ嬢」


「なんでしょう、ギゼラさん」


「貴方たち兄妹は、生半可な覚悟では選べぬ道を選んだ。そういう事ができる人間は稀だ。なればこそフランクは共に立つ」


 言葉を交わす二人の横を、馬具を鳴らして通り過ぎる騎兵たちが口々に呟く。


「あれ? あの嬢ちゃんって兄貴いたよな? そっちはどうすんだ?」


「残って足止めするってよ」


「マジかよ。それじゃ俺たちがしくじるわけにはいかねぇな」


「だな。嬢ちゃんを本国に送った後は、鉄橋で死守だ」


「うへー、マジかよー」


「…………すみません。私のために」


「気にするな。フランク人は文句を言うことを楽しむ気風がある。相手が同じようなひどい目にあっている友ならなおさらな」


 ギゼラはそう言って微かに口元を緩めた。


 言われて兵士たちを見やれば、ブツブツと軽口を叩き合いながらも、誰一人として逃げ腰になっている者はいない。


 みな手際よく武具を確かめ、決意とともに鋼鉄を身に纏っていた。


「よし、出立だ。護衛はこのまま対岸へ。私と残る者たちは義務を果たせ!」


「「おう!」」


 その時、兵を激励していたギゼラに近づく影があった。


 紋章のついた鎧の肩口にぶら下がる勲章と、少佐の盾章。

 本来、この場で指揮を取るはずの大隊長らだった。


 特務中尉の下についた二人の少佐に不満げな様子はない。

 むしろ、心の底から痛快でたまらないというような深い笑みを浮かべていた。


「特務、それも本部付の中尉殿が残る必要はありませんぞ? 律儀ですなぁ」


「何を言う。こんな《《面白いこと》》を見逃せというのか?」


「そうでしたな。かような戦、いくら探そうとしても見つかるものではありません。まさに千載一遇のめぐりあわせ。父祖なら必ず参陣したでしょう」


「然り。姫を逃すために騎士は踏みとどまり、魔術師と共に悪の軍勢を討つ――」


「さながらローランの歌の如き。騎士道物語ですなぁ~」


「文学談義をする時間はないぞ。騎兵砲はフロレンヌの西側に鶴翼で配置につけ。これからやることが山ほどある」


「承知した。連中に目にもの見せてやりましょう」




・・・




 一方、フロレンヌの街。


 防衛にあたって、カリウスは小隊長を集めて新たな指示を出す。

 ところが彼の指揮に対して、たちまち反発の声が上がった。


「はぁ?! 建物の中で火を焚けだって?」


「夜襲に備えるって……かえって狙い撃ちにされないだすか?」


 レオンとマルクがカリウスの指示に疑念を見せる。

 中隊長の指示は、異例のものだった。


 夜戦における第一の鉄則は『灯火管制』だ。

 光どころかタバコの火一つで命を落とすのが夜の戦場だった。


「夜の明かりは数キロ先からでも見えるんだぜ? 窓から漏れる光で、敵に『ここにいますよ』って教えてるようなもんだ」


「いいか、最後まで聞け。火を炊くのは仲間が配置についていない空っぽの家だけだ。そうして人が建物の中にいるように見せかける」


「しかしのう……人の目は暗闇に慣れるのに20分はかかる。一軒隣でも、明るい火のそばにおったら、外がまったく見えのうなるぞい?」


「ガストンのおっさんの言うとおりだよ。これから始まるのは夜戦なんだろ? なら、なおさら夜に目を慣らしておいたほうがいいんじゃないか?」


「いや、夜は消える。」


「ん? 夜が消えるじゃと?」


「そんな魔法みたいなこと……あっ」


「そう、起きるんだ。そんな魔法みたいなことが」


 すると、カリウスの説明を聞いていた彼らは、ようやく状況を飲み込んだ。


 カリウスの指示が意味不明なのは、これから意味不明なことが起きるからだ――部隊全軍が橋の架かってないメース川の前に立った、いつぞやのように。


「ってことは……隊長、またアレみたいなこと、やっちゃうんですか?」


「わかりました。こっちは任せてください!」


「おいカリウス。そういうことはちゃんと言えよ~!」


「だーかーらー! 最後まで聞けって言ったでしょうが!」


「てへっ♪」


「てへ、じゃなーい! レオンがやっても可愛くないよ!」


 くねくねと尻を振るレオンをみて、ケタケタと笑う銀色のライカン――スカー(傷あり)は、ひとしきり笑うとカリウスにいつもの仏頂面を向けた。


「カリウス坊っちゃんがやろうとすることは解ったよ。で、帝国の連中をどんだけ痛めつけたら撤退していいんだい?」


「それは状況を見てくれ。巣穴道(バロウズ)を使った退却は、各自の判断に委ねる」


「それだとガルムのやつは最後まで残りそうだから聞いてるんだけどね?」


「む、そうか……弾薬をうち尽くしたか、3割の負傷が出たか、それが予測される状況で後退を許可する」


「そんなとこだろうね。作戦開始と、撤退の合図は何だい?」


「可能なら無線で指示するが、それが無理ならフレアで行う。黄色(イエロー)で作戦開始。(グリーン)(レッド)の連星で撤退だ」


 カリウスが合図を伝えると、小隊長全員がメモをとり始めた。


「黄色で開始、赤と緑が撤退、と……」


「中隊長、わしらはいつまで持ちこたえればいい?」


「仮に21:00に始まったとしたら、23:00だ。根拠は行軍中の予備兵団(バスチオン)の先頭が到着する時間だからだ。防衛線構築の時間も考えれば、もっと欲しい」


「なるほど。時間を稼げば稼ぐほど、こちらが有利になる算段か」


「敵の攻勢の第一波を撃退したら、ティーゲル号と対戦車自走砲チームは後退。街の外で敵戦車を迎え撃つ。ウィラー、いいな?」


「はい。しかし我々の残弾は1両あたり15発です。おそらくほとんどの僚車が第一波で使い切るかと」


「む……ならば放棄を許可する。その際は爆薬で砲尾を破壞してくれ」


「了解しました」


「オークの火力班は、各自の判断で重量物を投棄してもいいだすか?」


「負傷者多数など、やむを得ない場合は許可する。投棄の順番は対戦車銃からで、迫撃砲とその弾薬を優先して残してくれ」


「カリウス中尉、巣穴道の中で使う合言葉(チャレンジ)を確認していいですか?」


「フラッシュとサンダーだ。」


「フラッシュと、サンダーね。了解したよ」


「捕虜の扱いはどうします? フロレンヌに置いていくんですか? それともバロウズを使わせるんですか?」


「連れて行くのは将校と下士官だけだ。兵は武装解除して置いていく」


「ウチらの戦力で捕虜を全員監視するのは難しいからねぇ」


「明日には新しい鉄砲担いで戻ってくるじゃろうが、そうするしかないの」


「他に質問は?」


「「…………」」


「沈黙は同意とみる。これより時刻合わせをする。只今の時刻19:19。」


 カリウスが時刻合わせを宣言すると、その場の全員が時計に手をやった。


「3、2、1、今。……では、会議は終了とする。」


「カリウス中隊長に敬礼!」


 小隊長たちがカリウスに敬礼し、彼も答礼を返す。


(前世だと敬礼する側だったけど……感慨どころか胃の痛みしか感じないな!!)


「これより行動に移ります」


「よろしく頼む。しばらく教会の周りで待機するから、問題と状況の変更があったらすぐに伝令をよこしてくれ」


「はっ!」


(さて、あとは待ちだな……。日没まであと2時間。完全な日没か、その前の薄暮か、帝国軍の戦車部隊は、いつを狙って来る……?)





次は、フロレンヌを先に出たイヤーロップのタルトたちの視点に移ります。

カリウスたちの戦いは、その次に始まります。

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