猫は知っている
ひとしきりフロレンヌの様子を見回ったカリウスは、ティーゲル号のもとに戻った。フリンはすでに点検と補給を終えた様子で、アデーレが主砲の横でネットを広げ、偽装のための展張作業を始めたところだった。
「兄さん、どうでした?」
「順調に進んだみたいだ。全てではないけど、火網を敷ける程度には完成してる」
「第一段階クリアですね。あ、これみんなに配った地図です。どうぞ」
「みんなに? そんなに地図あったっけ……いやこれ、フロレンヌの観光地図じゃないか。どこでこんなのを?」
「フロレンヌの観光案内所にあったパンフレットを、フランクのセントールたちが配ってくれたんです。役に立つかもって」
アデーレから手渡されたのは、一色刷りのざらっとした紙質の三つ折りパンフレットだった。パンフレットの表面には街の歴史やレストランやカフェと言った施設の案内があり、裏面にはフロレンヌ全体の地図が載っていた。
地図は決して精細なものとは言えないが、カリウスの目を引くには十分だった。
「ふむふむ……これはいいものだ。ランドマークに主要な道。必要な情報が簡潔に書かれてる。レストランのオーナーの奥さんの情報は別にいいけど」
「等高線と記号だけの軍事地図より見やすいですよね」
「うん。なによりも、中隊全ての兵が地図を持てたってのが最高だね」
(1930年代どころか、1980年代のフォークランド紛争でさえ、全員が地図を持って共有するってことはできてない。こんな粗末な地図でも大助かりだ)
「よし。まずは対戦車班から配置につかせよう」
ティーゲルにもぐりこんだカリウスは無線を手に取り、ウィラーたち対戦車班に指示を飛ばした。
「対戦車班へ。こちら中隊本部。1号車から指示する箇所に移動してくれ」
『はい!』
カリウスは手元の観光案内をじっとにらみつける。
5両の対戦車自走砲をどこに置くか。
敵を倒すだけではない。彼らの生死をも決める、重要な決定だ。
(セオリー通り、南北の細い横道に配置しよう。ここなら道路を進む敵部隊を左右から狙えるし、敵に見つかってもすぐ建物の影に隠れられる。)
カリウスは1号車から5号車まで、細かく戦闘配置を指示していく。
戦車や大砲といった強力な兵器の配置は、隊長のカリウスでないと決められない。
軍隊における兵器とは、兵はそれを扱うことを許されているだけであり、自分勝手に動かしていいおもちゃではないのだ。
「――以上だ。ただし、危険があると判断したら、各自の判断で移動してくれ」
『了解!』
「次、第2小隊と第4小隊のオークは、市内の火点に割り振る。各小隊長は第3小隊のドワーフと相談してそれぞれの陣地で配置についてくれ。付近の分隊は相互に退避時の方向と援護の手段について打ち合わせを行うこと。また、拠点に開けたラットホールについても、設営したドワーフから説明を受けてくれ。以上だ」
『了解!』『了解だす!』
「よし、指示出しは終わった。僕たちも移動するか」
「いよいよ戦闘ね! 腕がなるわ!」
「兄さん、燃料と冷却水の補充は終わっています。教会のあたりまで進めましょう」
「あ、それなんだけど――」
「なんでしょう?」
「……教会は中隊の仮拠点として使えなくなった。避難民が立てこもっているんだ」
「避難民が? 彼らの避難は――」
「先にドワーフたちが避難を勧めたそうだが、断られたそうだ。白翼教の司祭が中心となって避難民を集めているらしくて、取り付く島もなかったと」
「そんな……」
「なんとかしてあげたいけど……ん?」
戦車の上によじ登ったカリウスは、遠目にセントールの姿を認めた。
甲冑の肩の前にある黄色い小盾に、揺れる金髪。ギセラだ。
彼女は左右に同じく黄色の小盾を甲冑に飾った供回りを連れている。供回りは馬体に白十字の上に赤い雫が描かれたワッペンを着けたバッグをぶら下げている。
(あれは――この世界の赤十字に相当する国際保護標識……つまり、衛生部隊か)
ティーゲル号に駆け寄ってきたギゼラは、大きく手を左右に振る。何事かとカリウスもそれに答えたが、ギゼラの顔色は緊急事態という雰囲気ではなかった。
「ギゼラ中尉、どうしました?」
「お前たちの中隊に衛生部隊が無いのが気にかかってな。取り急ぎモルヒネやサルファ剤といった医療物資と衛生兵を連れてきた。お前の指揮下で使ってくれ」
「えっ、いいんですか?」
「遠慮するな。包帯じゃ血止めがせいぜい。一時的な応急処置しかできんだろう?」
「ありがとうございます……助かります!」
「紹介しよう。モミアゲのある方がジャン。ヒゲのほうがベルトランだ」
(わかりやすいけど、説明の仕方っ!)
「ジャンだ。よろしくな!」
「ベルトランです。鎮痛、止血、解剖、何なりと申し付けください。」
(なんか3つ目がおかしかったような……まぁいっか。)
・・・
「いつ砲撃が来るかもわからないのに出歩くのは危ないですよ」
「それはお互い様だろう。それに猫が外にいるうちは大丈夫だ」
そういってギゼラは、窓辺で横になり日向ぼっこしている茶トラを指さした。
すると猫は頭だけ持ち上げ、勝手に指さすなという風にあくびをした。
「猫が?」
「そうだ。フランクの言い伝えでな」
「……?」
「猫は木の洞の中や廃屋の下に猫の王国を築いている。聞いたことはないか?」
「あ、知ってます! ケットシーですね?」
「たしかこんな感じだったか――」
「ある夜、男が古い墓地を通りかかると、葬列を組んで厳かに歩く黒猫たちの集団を目撃した。男が訝しげに見ると、棺の上には小さな王冠があった。すると先頭に立っていた猫が立ち止まり、男に向かって『トム・ポッペンに、ビル・マロンが死んだと伝えてくれ』と言い残し、闇に消えた」
ギゼラはすらすらと語った。
よどみなく続けるさまは、まるで手元に本があるようだった。
話を止めたギゼラがウインクすると、アデーレがおほんと咳払いをして喉を整え、話の続きを披露した。
「わけが分からないまま男が帰宅し、妻に猫の葬式のことを教えました。男は困った様子で『トム・ポッペンにビル・マロンが死んだと伝えろと言われたんだが……』と、猫に言われたことを話しました。すると、暖炉のそばでぐうぐう眠っていた飼い猫のトムが突然むくりと起き上がり、人間の言葉で叫んだのです!」
妹はちらっと兄の方を見る。
ふぅ、と溜め息をついたカリウスは、二人に苦笑いを浮かべた。
「そこから先は僕も知ってる。『なんてこった、ビルが死んだのか!? そんなら、次の王様は僕だ!』トムはそう言い残すと、煙突から風のように飛び去り、男の家には二度と戻ってきませんでした――とさ」
「はは、よく知ってるじゃないか。てっきり野戦教範で文字を覚えたのかと」
「兄さん、ちゃんと子供の頃にした私の朗読、覚えてたんですね」
「アデーレと童話の全集を何周したことか。忘れるわけ無いだろ」
「ほう……会話は雑だが、意外と世話焼きなんだな。こういう世話を焼くタイプは、意外と同年代より年上に可愛がられる」
「そうなんですよ。うちで家事をしてくれたミアさんなんか――」
「うんうん。君の兄さん、同世代と騒いで馴染むタイプじゃないだろ? 見ればわかる。距離感が近いというより、過保護気味なんじゃないか?」
「そう! それです! さすがギゼラさん!」
「ギゼラ中尉……アデーレも……とにかく、猫の王国は、古いおとぎ話でしょう?」
「と、思うだろう?」
「?」
「私は砲撃で猫が死んだところを見たことがない。ただの一度もだ。」
「本当に?」
「本当だとも。私が調べたところによると、これに似たような話は東の国にもある。遠く東のヤシマでは、猫は死者の国に自由に出入りできて、人間の戦が始まるとそこに逃げ込むらしい。猫の国の話に似てるだろ?」
「うーん……」
(よくよく考えてみれば、この世界はグリフォンとかいるんだった。でもなぁ~?)
『おーい! こちらガルム、聞こえるかぁ~?』
「ん、無線の呼び出しだ。ギゼラ中尉、いいですか?」
「あぁ。わざわざ呼ぶくらいの急用だ。こっちは後にして答えてやれ」
カリウスは軽く会釈すると、ハッチに体を滑り込ませ、操縦席に引っ掛けてあったインターコムを手に取った。
「こちらカリウス。ガルム隊、何があった?」
『お、街の周りを嗅ぎ回ったんだが、周囲1キロの範囲に痕跡なし。代わりといっちゃ何だが、ウララとフユを回収したぞ』
「ランデブーポイントからこちらまで単独行してきたのか……苦労をかけたな」
『あー、それでだな? 二人が言うには、地面の下に何か妙なもんがあったらしい』
「妙なものってまさか……猫の王国が見つかったんじゃないだろうな」
『なんじゃそら? とにかく報告のためにそっちに行きたいらしいが、今どこだ?』
カリウスはパンフレットをひっくり返して地図を見る。
本部にする予定だった教会よりは、オーナーの奥さんが趣味で銀細工をしているというレストランの方が近い。
「えーっと……近くにレストランがあるみたいなんで、そこで合流しましょう」
『よし、そっちに行く』
カリウスが無線を戻してハッチから頭を出すと、さっきまで窓辺で横になっていた猫は、何処かに姿を消していた。
ここまで詳細があって、猫の王国が存在しないはずがない(わくてか




