第8話 ようこそ森へ
「シドくん、頼まれた照明とブランケット、それから地図だよ」
「あ、ありがとうございます……」
シドがこれから脱走しようとしていることも知らずに、アスターは温かさを感じる瞳を向けながら頼んだものを差し出してくる。
脱走までのタイムリミットが迫っているというのに、アスターの良心がここでシドの躊躇いの障害になりそうだ。ぎこちない手で支給品を受け取り、見つめて黙り込む。
いっその事、全てアスターに話して楽になりたい。
案外、アスターなら話を聞いてすぐに解放してくれるかもしれない。
——いいや、背後にカルディラがいる限り解放される見込みは薄い。
シドはこんなでも、人質という役割がある。彼女らにも人質を使わねばできないことがあるのだろう。なにせ、アスターはカルディラと仲間だ。同情はしてくれるだろうけど、そう上手くいくとは限らない。
やはり、アスターに黙って外へ出るべきだ。
「じゃあ早速、晩御飯の準備から、ちょっと待っててね」
「————」
アスターがキッチンに立ち、料理道具を棚から出しながら当たり前のようにそう言う。まるで、本当に彼の息子が孫になった気分だ。思わずその背中に甘えたくなる。
——たった6日間共にしただけだ。何よりも大事なのは、自分の身の回りの安全。
でも——
「アスターさんの飯も今日で最後か……」
スカイア帝国では果物を中心に使った料理が多く、大体が甘く爽やかな味わいばかりのものだ。もちろん、肉も多少は出るが果実の甘みに本質を隠されることも多々ある。だからこそ、アスターの作る料理は新鮮なものばかりだった。
——それだけではない。
シドは彼に対して信用し切ってはいけないと、陰ながら疑いの目を向けていたというのに。アスターは最初からずっと「ごめんね」を繰り返しながらシドに暖かい食事を与えてくれたこと、それがどうも味と共に記憶にこびり付くのだ。
彼はシドの置かれている状況を快く思っていないことなど理解している。それ故に、与えてくれる不安を消してくれるような彼の態度と味が忘れ難い。
この人がシドにしてくれたことは本物だったのだから。
——シドは、アスターの作った味を忘れることはないだろう。
「アスターさん、俺手伝いますよ」
「本当?ありがとう」
シドはアスターの横に立ち、袖を上げると歯を見せ和やかな笑顔を見せる。
そう。たった6日間。
それでも、暖かさをくれたことに感謝するべきだ。
いいや、感謝したかったのだ。
自分の家族と机を囲んで食事を取る時はこんなに感謝の気持ちを抱いたことはなかった。当たり前だったから。
だからこそ、今アスターに少しでも恩を返そう。
誘拐とか、人質とか、今はそういうのを考えずに。
今は犯罪者の仲間という認識ではなく、ただ1人の爺さんとして接して。
帰ったら、家族にも感謝を伝えようと思う。
——————————————————
「ごちそうさまでした!」
「今日も綺麗に食べてくれて嬉しいよ」
本日中にここを出なければならないにも関わらず、シドは呑気にアスターとともに作った料理を腹いっぱいに入れて、満足気に口元をタオルで拭く。
されども、すっかり空は黒く染まっており、街灯も無い付近は闇に包まれていた。タイムリミットは迫っている。
シドは膨れた腹をポンポンと鳴らした後、ハッと目を覚まして気持ちを切り替えて——
「アスターさんは、この後の時間何するんですか?」
さっそく、脱走前の確認作業だ。
まずアスターとカルディラ、2人の行動を予測しなければならない。
「わたしは……食器洗う前に、ディラの分のご飯を2階に届けようと思ってるよ」
カルディラは今日、夕飯を一緒にすることはなかった。なにやら、とても大事な作業をしているとかで、ほとんど部屋から出ていなかったそうだ。
次の作戦とやらの準備をしているのか、或いはまた別の悪事を企んでいるのか。アスターに対しても今日は部屋に来るな、と伝えていたらしい。いずれにせよ、ここから早々に出なければならないのは変わらない。
——であれば、今日は夜遅くまでその大事な作業をしている可能性が高いだろう。
いちばんの脅威であるカルディラの目から離れられるのなら、絶好の脱走チャンスだ。あとは、アスターを誘導するのみ。
「じゃあ、食器洗っとくんで、アスターさん先にお風呂入っちゃってくださいよ!」
「ええ?大丈夫だよ、さっきだって料理手伝ってくれただろう?シドくんはお客さんなんだから、ゆっくりしてたらいいよ」
「いやいや!遠慮せずに!俺がそうしたいんです!そうさせてください!アスターさんこそ休んで!」
「なんだか、申し訳ないねぇ……」
若干押し切るように、シドはアスターのピンクのエプロンを引っ張って風呂場へと誘導する。狼狽えながらも、アスターはされるがまま風呂場へと放り込まれ扉を閉められる。
シドがクルリと体の向きを変えてその場から離れようとすると、風呂場の扉の向こうから嬉しげな独り言が聞こえた。
「フフ……ディラもあんな風に素直だったらいいのに……」
————。
——素直ではなく、脱走する為の口実に過ぎないのだが。
シドは視線を戻し、締め付けられるような心の痛みを抱えながら、階段を走って登る。
——どうしてあの人は毎度毎度……!
カルディラから親孝行されていないのだろうか。ちょっと親切心を出しただけでアレだ。軋む心の痛みを感じ、やらなきゃ良かったと、やって良かった、が交差する。
「もうダメだ!このままじゃ俺の良心が暴れ出す!!さっさと出るぞ!俺!」
寝泊まりしていた倉庫へ戻り、仕込んでおいたカバンを背負い、手持ち照明を握りしめた。一応、扉を静かに開けつつ駆け足で廊下を進む。
タイムリミットのせいで急な出発になってしまったが、何だかんだで出る準備も最低限は揃えられたし、動きやすい状況を上手いこと作ることができたので、後は本当にここを出るだけ。
シドはカバンの中から地図を取り出し手元で小さく広げた。広げてまず視界に入ってきたのは「ここが家」と赤く書かれたわかりやすい文字と丸いマーク。
「スカイア文字だ……」
用意した時に、アスターが現在地を分かりやすくなるようスカイア文字とマークを入れたのだろう。おかげで、まず現在地を把握しなければならないという手間は省けたわけで。
同時に、またアスターへの温情が……となりかける前に。シドは指で、赤い丸で示された現在地から、そのすぐ側に描かれた「街」の記号までを撫でるように辿った。
現在地から街までは、そう遠くないように見える。
しかし、その間には木々のマークが広がっていた。どうやら現在地と街の間には、森があるらしい。
「この森ちょっとめんどくさいな」
この森さえなければ、街まで真っ直ぐ進めるというのに。
しかも、地図を見る限り、現在地から街まで続く整えられた道はない。街へ向かうには、森を迂回するにしても、結局は道のない場所を進まなければならないようだった。
なぜ、今いるこの建物は街から見えなくするように森の奥にあるのだろうか。アスターもわざわざ森を迂回してまで街へ向かっているし、それならば最初から街の中にこの建物を立てれば良かった話なのに。
詳細を聞いていないので分からないが、事情がどうであれ、今のシドにとっては邪魔で——
「——いや、待てよ?森の中を突っ切って行けば、身も隠せるし一石二鳥なんじゃね?」
もし、カルディラかアスターに脱走がバレた時に森の中に入れば少しでも木の影に隠れることができる。森以外は平原が広がっている故、森は寧ろ味方になる可能性がある。さらに言えば、既に夜の暗闇に包まれた森の中となっては尚のこと見つけづらいだろう。
「そんなデカイ森でもなさそうだし、手持ち照明もあるし、草木を分けて進むくらいならヨユーだぜ……!」
決まりだ。邪魔であっても利用してしまえばいい。街へ向かう時間短縮にもなるし、隠れ場所にもなるなら森は最高のカードだ。
「よし」
一呼吸置いて、シドは地図をカバンにしまうと、顔を上げてリビングの先にある玄関扉へと目を向ける。
アスターが帰ってきてから、玄関扉が内側からなら鍵要らずで開けられることは把握済み。意を決して、足を踏み出した。
アスターがシャワーを浴びる音を確認し、シドは誰もいなくなったリビングを通過して玄関扉へと手をかける。
「————」
——その前に、洗われていない食器の山が視界の端に映る。
「————あぁ、もう!」
自分が食器を洗っておくと宣言したのに、何もやらないで出てしまえば不審がられてしまう。だから、仕方なくやるしかない。
アスターがぬくぬくと風呂に入っている間しか脱走チャンスは無いが、何事にも辻褄合わせが大切だ。後は玄関扉から出るだけなのだし、とっとと食器を洗ってしまえば然程時間はかからない。
シドはカバンを背負ったまま自分とアスターが使った食器を高速で洗い流し、石鹸を大量に出して泡で擦る。
「俺、急いでるんだけどな!クソ!やるって言ったの俺だからやるけどね!!」
言い聞かせるように独り言を零しながら、シドは食器を洗い終える。その時、アスターがカルディラに持っていくと言っていた、彼女の分の食事が横に置いてあるが……シドは「ケッ」と舌打ちするように軽蔑を込めた声を漏らす。
シドはそれを無視してカバンを背負い直すと、足早に玄関扉へ手をかけた。
キィ……
玄関扉を開くと、目の前に夜の視界が広がっている。
扉から漏れ出る光を踏みながら、シドはようやく外の草原へ立った。
「外に、出ちゃったぜ……!」
案外、何事もなく出られたものだ。これでシド専用の脱走感知センサートラップでもあったなら、手も足も出なかったのだが。手持ち照明で辺りを照らしてみても、そのようなトラップも魔力も感じられない。
こんなにも出ることが簡単だったなら、もっと早く出ておくんだった。
なんて少しの後悔を過ぎらせつつ、シドは玄関扉を閉じて森が見える北へと歩く。地図の通り、北へ進んでいけば森を抜け、街へと辿り着けるはずだ。
久しぶりの夜風を感じながら、ふと後ろを振り向く。アスター達が住まう建物の外観を初めて見た。それは、人質を閉じ込めていたと言うにはあまりにも普遍的で、耐久性の低そうな建物だった。全体的に木造で、三角の屋根は簡素的なもの。
教科書で見た、辺境国家にあるようなごく普通の家だ。
自分はこんな家にいたのだな、と考えつつ。シドは6日間を過ごしてきた時の記憶を掘り起こし、あの家に向かってポツリと声を出す。
「ありがとうアスターさん……。じゃあな!二度と会うか!殺人鬼め!バーカ!」
アスターへは感謝を伝え、カルディラとか言う殺人鬼には罵倒を呟くと、シドは浮き足立てながら森へと足を進め出した————
——————————————
「なぁディラ、そろそろご飯食べたらどうだい?」
シドの言葉に甘え、風呂場で体を温め終わったアスターは、未だ残されている食事をカルディラの部屋まで持ち運ぶ。
コンコン、と扉をノックすると、やはり不機嫌な顔をしたカルディラが扉を開けてきた。開かれた扉の隙間から見えるカルディラの部屋は相変わらずカラスのオブジェだらけで、初めて室内を見た人が驚かないか心配になる。
「なんだ。今日は1日フレンの羽の手入れをすると言っただろう」
カルディラの肩の上で、ツヤツヤになった羽を見せびらかしてくるカラスのフレン。「良かったね」と一言添えてから、アスターはカルディラと目を合わせると眉を斜めに下げながら口を開いた。
「だから、ご飯。今日は何も食べてないじゃないか。フレンの手入れは一旦やめにして、夕飯くらい食べなさい」
「フレンならもう食べた」
「君だよ、君の夕飯。カルディラ」
「——そうか、そういえば忘れていたな」
たまにある事だ。カルディラは、相棒であるフレンに対して強大な愛を寄せており、フレンの事となると最早誰にも止められない。好きな物に熱中するのは良いことだが、あまりにも周りが見えなくなるとアスターがストッパーになるしかない。
名指しされた事で、カルディラは今思い出したように視線をアスターの手元にある食事へ向ける。彼女の仕草に多少呆れつつ、アスターは食事を差し出した。
その時、カルディラは食事の中身を見て違和感を感じ取る。
普段、相手のことを考えながら料理をする彼は、具材を切る際に必ず1口サイズにする。だが、カルディラがアスターから受け取ったこれはゴロゴロとした具材ばかりだ。
彼の料理スタイルがいきなり変わるとは思えない。
「アスターにしては雑な具材カットだな」
「雑って言わないで。シドくんが手伝ってくれたんだよ。とっても良い子でねぇ……手伝ってくれた上に、先にお風呂どうぞ と言える子で感心しちゃうよ。今朝なんて、この付近について知りたいから地図を見せて欲しいって言われたからあげちゃった。探究心もあるなんて凄いよねぇ」
「地図……?」
「そう。あと、倉庫は設備が整ってなかったから照明とブランケットもあげたよ。少しでも快適になったらいいなって」
「それは、お前から言って差し出したのか?」
「——?違うけど……」
アスターはまるで息子や孫を自慢するように語っているが、そんな事より、カルディラにとっては違和感として引っかかる。
地図、追加照明、ブランケット。夕暮れ前、食料庫を漁っていたことも気になる。ただ腹が減って思わず食料庫へ手を出していたのだと思い込んでいたが、アスターの言い分から推測を重ねると、また違った見解が現れそうだ。
カルディラが顎を触りながら考える様を見て、アスターは疑問を浮かべながら言葉を追加する。
「あ、そうそう。果物ナイフ知らないかい?デザート作ろうと思ったら無かったんだよ」
「ふむ。果物ナイフか」
「ちょっとぉ、聞いてる?」
「——アイツ、逃げようとしている、或いは逃げたな」
「……えぇ?」
首を傾げているアスターから背を向け、カルディラは室内の椅子にかかっていた黒いジャケットを羽織り出す。カルディラの突然の行動に、アスターは呆然と立ち尽くしていた。
「地図は近辺の把握、照明は手持ちであると仮定するならば夜間の光、ブランケットは就寝時用、果物ナイフは護身用と言ったところか。実に非効率的な選別だな。アスターを先に風呂に入るよう誘導できたら、ある程度ここを出る際の時間稼ぎを得ることができる。故に、シドは既に行動に移してる可能性が高い」
「え、えぇ……」
困惑の声しか出てこない。
淡々と述べられた推測から、アスターもようやくカルディラの言い分を理解し始める。なんとなく、カルディラが何をしようとしているのか見えてきて、アスターはシドのことを思い浮かべながら伝う汗を感じた。
自分の中ではこの6日間でよく仲を深められたと思っていたが、それは自身の思い上がりだったようで、シドはずっと不安の渦中にいたのだと察する。
そして、アスターはシドにこんな選択をさせてしまった自分を責めた。
いくら食事を共にしたところで、「人質」と言われ、「殺人鬼と言われている人物と同じ家で過ごす」など心が休まらないに決まっている。今後の計画に必要になると言えど、こちら側の都合で強制的に付き合わせてしまったことには変わりない。
どうしてもっと彼に寄り添ってあげられなかったのか、どうして自分はこうも考え無しだったのか。後悔が雨のように降ってくる。
「して、逃げる先となればどこを選択すると思う?」
「街……だね。真っ先に助けを求めるかな」
「となれば、道中で森がある。もし森を通過して街へ向かうならば——」
「まずい……家出中のあの子が……!早く追わないと!」
後悔に浸っている場合では無いようだ。既に起こってしまったことはこれからなんとかするしかあるまい。カルディラは目を閉じ感覚を強化すると、シドの魔力を辿った。
やはり、この家の中に彼の魔力と気配は感じ取れない。代わりに、玄関先へ続く魔力の残り香を見つける。残り香が真っ直ぐ続く先は森。推測の通りだ。
「わかってる。——来いフレン。手入れはお預けだ」
カルディラはフレンを肩に乗せると、そのまま部屋を出て、シドの魔力の残り香を辿り始めた。
————————————————
草原を越え、シドは高い草木に視界を妨げられながらも森の中を進む。ビルではなく木々に遮られた月明かりが、シドの心細さをいっそう増幅させる。
けれども、ここを抜けてしまえばいい。そうすれば街だ。
ズボンの隙間から足を擦ってくる草に口角を下げながら、通り道を邪魔してくるツタを退かす。
「思ったより森って通りにくいんだな……木が点々とあるだけかと思ってたぜ……」
むかし、家族と共に果実狩りに森へ行ったことがあるが、その時は誰もが通りやすいよう雑草はほとんど抜かれていた。その為、都会育ちのシドはそれが森の姿だと思い込んでいたわけだが。実際、本物の森は自然が優位である。しばらく森の中を歩いているが、景色は一向に変わる気配がない。
足元は踏む度に草の音がして、少し腕を上げるだけで傍の細い木の枝とぶつかってパキパキと折れる音が聞こえる。些細な物音ひとつでもかなり不愉快に感じることもあるのだと、初めて思った。いつもならこんなこと思わないのに。
「身は隠せるけど……これは進むの時間かかるな……」
慣れない環境にため息を零しながら、手持ち照明で辺りを照らすも、視界は一寸先しか見えない。
一寸先は闇というやつ。
当然だ。何もかも都合よく進むわけじゃない。だからこそ、このままでは本当に森をぬけて街へたどり着けるかどうか心配になってくる。そう考えた途端シドの足は止まり、いつの間にか心臓の鼓動が早くなっていることに気がついた。
少し考え無しだったようだ。こんなに不安になるなら、森を迂回すればよかった。いいや、でもそうしたらすぐに見つかってしまうかもしれないし……。
不安、心配、後悔、負のイメージが頭に次々と湧いてくる。パキパキと鳴り続ける小枝の音が、更にシドの感情を揺さぶってくる。
心臓が鳴り続ける。
「この森、出られなかったらどうしよう……ここで野垂れ死んだらどうしよう……」
自分の声よりも心臓の鼓動の方が大きい気がする。しかし、今はそんなことどうでもいい。頭の中で回る不安をかき消したい。頭がおかしくなりそうだ。
「やばい……方向、こっちで合ってるっけ……」
真っ直ぐ突き進んできたつもりだが、いつまで経っても抜けられない森に恐怖心が這い出てくる。どうすればよかった?どうしたら正しかった?どっちが正しかった?わからない。
心が、脳が締め付けられている感覚。
「ハァ……気持ち悪い……」
ドクドク
バクバク
感情が制御され、勝手に動いている。息切れしながら勝手に足は前に進んでいる。グニャリと視野は歪み、絞り込まれ、魔力がうねる。
どうしてこうなった?
巡る巡る、月が巡る。
木々は楽しく踊ってシドを歓迎し、草花は彼の足を森の最奥へと導いた。
森は歓迎する。何も知らぬ小者を歓迎する。
大丈夫?その判断で良かった?出られないんじゃないの?こっちは北で合ってる?葉の先で指を切ってしまうよ?もう少し辺りを照らさなくて大丈夫?食料はちゃんと持った?持ってきた?地図はもう一度確認しなくていいの?寒いならブランケット羽織ったら?水は飲まないの?月は道を示さないよ?太陽は出てないよ?食事はとった?ご飯食べた?食料はちゃんと持った?
——持った?
「オエッ——」
気持ち悪さに耐えきれず、シドはその場にしゃがみ込んで酸を吐き出す。喉が痺れる感覚を覚えながら、自分がおかしくなっていたことを自覚した。吐き出せたおかげか、体の中にあった わだかまりが無くなっていく。
「おかしい……!なんかこの森おかしい……!」
口元を袖で拭いながら、正気を取り戻したシドは顔を青ざめながら危機を察知。だが、完全にいつもの万全状態を取り戻せたわけじゃない。
気持ち悪さは消えていない。なにより、森に入った時から自分の魔力が騒ぐような感覚がする。初めての経験に、どう対処したらいいのかわからないが、シドは手持ち照明を持ち直して目の前を照らす。
気を抜くだけでまた不安に支配されてしまいそうだ。
シドは顔を強張らせながら息を整える。
そんなことをしていると、またパキパキと小枝が折れる音が聞こえる。
——否。シドは今歩いていない。腕を振り上げたわけでもない。音は聞こえるはずがない。
ではなぜ——
ゴクリと息を飲む。
小枝が折れる音は次第にドスドスという人間では無い足音に変わっていく。振動が地面を伝って響き、シドの身体を震わせた。
ゆっくりと謎の足音の方向に光を向ける。どうか、全てが気のせいでありますように、と神に祈りながら——
光に照らされた先、見えてきた視界。
そこには、巨大な影——
ではなく、
こちらを凝視する巨大な狼が佇んでいた。
「良いもの持ってきてんじゃん。なァ?」




