第2話 俺は考えるより先に体が動くタイプ
月明かりの下で、夜風に揺れる腰下まで届く灰白色の長い髪が、真っ直ぐ向けられる紫苑色の瞳が、シドの意識を全て引き込ませる。
この夜に溶け込むような黒い服装は、目の前の少女の美しい顔立ちに存在感を与え、向けられた指先は、触れてしまえば溶けてしまうのではと思うほど白くしなやかに見えた。
神が作り出した芸術?天から舞い降りた天使?それとも天にいる女神?
わからない。どれも当てはまる気がする。
「すっげぇ美人……」
無意識に飛び出た言葉はそれだった。
今まで女の子相手に「かわいいね」だとか「綺麗だね」だなんて言ったことがなかったのに、この時だけは恥ずかしさも意識もせずに、ただ率直な感想を声に出してしまう。
そんなシドの発言に何一つ反応することなく、少女はシドの顔を見つめ続け、シドが行動するのを待つ。
それでもシドがポカンと口を開けて少女に打ちのめされ続けていると、彼女は急かすようにシドの顔にその白い手を近づけた。
「それ、大事なものなんだ。返してくれ。急いでる。早く」
「……えっ?あ、はい……」
もう一度紡がれた少女の声に、シドはようやく硬直を解き、さっき拾った手元の縦長八面体の宝石に目をやる。
宝石と少女の顔を交互に見て、「女の子の方が綺麗だな〜」と要らない事を脳内で呟きながら、言われた通りに宝石を彼女の手に乗せようとした。
宝石を差し出しながら、シドは少女の顔にチラリと目を向け、頬を赤らめる。
告白した訳でもないのに、感情が昂ってしまうのだ。
ただ、上からの月明かりのせいで、逆光になってしまっているのが少し残念なところ。
…………月明かり?
……逆光?
バカな。自分は今、部屋の明かりも点けていない、カーテンも全部閉まっている実験室にいた。室内だった。
月など見えるはずがない。月明かりなど届くはずがない。
じゃあ、なんで……
少女の神々しい美しさに脳内が埋め尽くされていたが、一瞬の違和感がシドの手の動きを止める。
少女の顔から目線を外し、後ろの月へと目線を移した。
すると、耀く月とは裏腹に……
雑に大きく穴の空いた天井が目に入った。
「なんじゃありゃあ!?」
また無意識に飛び出た言葉。
しかし今回は感想ではなく驚愕のあまり飛び出た大声。
天井は破壊された影響か、パラパラと瓦礫を零し屋根の骨組みを剥き出しにしている。不思議なことに、瓦礫が落ち地面に叩きつけられても一切衝撃音は聞こえなかった。
それが、少女が突然背後に現れても気づけなかった理由なのか。
「……早く」
彼女の視線が、シドの顔ではなく握り締められた宝石へ落ちる。
なかなか宝石を寄越さないシドにイライラしているのか、シドは眉間に皺を寄せて鋭い目付きを向け、急かすように言葉を放ってきた。
ずっと無表情だった彼女の顔が崩れた瞬間を見て、シドはハッと思考を巡らせ始める。
そも、目の前の少女はシドと同じくらいの年齢に見えるが、このスカイア学園の制服は着ていない。教師であるなら教師の証である学園のバッチが服のどこかに着いているはずだ。
では、この少女は誰なのか。
宝石、少女。
今ニュースで話題の女殺人鬼も宝石を求めていたことを思い出す。
嫌な予感がする。
ビーーーーー
シドが困惑を続けていたその瞬間、構内全体に大きな警報音が鳴り響いた。耳の奥に直接届くほど大きく、不快な警報音と共に、月明かりに埋もれていた夜の空は赤い結界へと張り替えられる。
防災訓練や避難訓練で経験した光景が今目の前に広がっているようで。この警報音は緊急事態発生の合図。例えば、学校が外から大きく攻撃され、破壊された時などに鳴る警報音だ。
赤い結界は、その警報音により自動発動されるもので、それ以上の外側からの攻撃から、学校と生徒達を守るための強力な結界である。
実験室の天井が破壊されたことで警報音と生徒保護用の結界が発動したのだろう。
鳴り続ける警報音と彩度の高い赤を宿した結界は、シドの不安を呼び起こす。
「少し荒くしすぎたようだな」
通常ではない状況で心臓をバクバクと揺らすシドとは逆に、目の前の少女は結界により赤く染まった空を静かに見上げている。
なんだ、なんなんだこの子……!?
この子が学校壊したのか……!?
宝石、女……違うよな、あの殺人鬼じゃないよな!?
先程ヴァールと話した殺人鬼の話と、今手にある宝石に繋がりがあるような気がして、シドの体全体に悪寒が走る。
尋常ではない事態であることと、尋常ではない相手だということを、シドはようやく頭で理解した。
「アンタ誰だ!?この学校の人じゃないよな……!まさか……!!」
シドは差し出そうとした宝石を引っ込め、強く握りしめる。
正義感が溢れた訳では無いが、頭で考えるよりも先に「この宝石は渡してはいけないのでは」という直感が体を動かしたのだ。
もし、彼女が例の宝石目当ての殺人鬼ならば、シドが拾い上げた宝石にも興味があってここに現れたのかもしれない。そうなれば、これは大事件だ。
シドの疑う声に、少女は反応する。
そして、ゆっくりとシドと顔を合わせる。
だが、向けられたその瞳は酷く冷たく、刃先のように鋭く変わっていた。
あ、まずい。要らないことを言ってしまった、かも。
オバケなんかよりも、ずっと、かなり怖い。
それまで美しかった少女の顔が、赤い結界の光に照らされてより恐ろしく見え始める。
途端、シドの足から力が抜け尻もちをつく。
「あのぅ……も、もしかして、カルディラさん……ですかぁ……?」
ニュースで流れてた殺人鬼の名前を声に出す。
湧き上がる恐怖に負け、シドはへっぴり腰になりながら、声を震わせて質問した。
彼女が話題の殺人鬼ではない と答えてくれるのを期待して。
しかし、少女は答えず。そのかわりに長い脚を片方動かすと、宝石があるシドの手に向かって勢いよく振り上げた。
「痛ってぇ!!」
明確な回答ではないが、今の行動が答えという事でいいだろう。というか、そうとしか思えない。
ニュースで流れていた殺人鬼の情報に一致している部分が多すぎる。
彼女は殺人鬼"カルディラ"だ。
やっぱビンゴじゃねぇか!!
長く細い脚であっても、その力強い脚力は侮れない。カルディラの脚とシドの手がぶつかり、バチン!という鈍い音を鳴らしながら衝撃を与えられ、思わず宝石を握る力が抜け、自然と手を離してしまった。
痛い。怖い、ヤバい、逃げたい。
目の前の女の子が殺人鬼だと?
信じたくない。
空中へ跳ね上がった宝石は導かれるようにカルディラの手元に落ちると、彼女は宝石を握りしめたままシドに背を向け、また赤い結界の方角へ視線を向け直す。もう用済みになったシドにはもう目もくれない。
それよりも結界が気になるようで、顎を指先で触れながら何か考え込んでいるようだ。
シドは蹴られた手の甲の痛みを押さえ、声を出さないようにカルディラの背中を見る。警報が鳴る中でも慌てるような仕草は一切行わない彼女の立ち振る舞いから、かなりの強者なのだと察知する。
厳重な設備を整えているであろう美術館でさえも突破し、一夜で従業員を殺したというのだから、このような状況には慣れているということか。
「……従業員を殺した……宝石を奪うために……」
その時、テスト勉強中は回転しなかった脳が高速で活動する。
こいつは美術館の従業員を全員殺し、宝石を奪った。
なら、この学校でも同じように大量殺人する可能性がある。
だったら——
「まさか、この学校の人達も殺しに行くんじゃ……!」
そう考えついた瞬間、シドの顔は真っ青になるのと同時に、拳に力を入れて足を大きく動かす。
まだ学校には教師達が残っている。テスト前日となればヴァールのようにテスト問題の確認をしている者もいるだろうし、加えてシドのように教室に残って勉強している生徒だっているかもしれない。
確かに、この学校での生活は不満ばかりだった。それでも学校自体を嫌っていた訳ではないし、教師には敬意を、クラスメイトには仲間意識を、友達とは友情が培われていた。
シドは有名な魔法学校にいるからと言って、強力な魔法攻撃を放てたり、相手の行動を止められる力があるわけでもない。相手が今遭遇しちゃ一番ヤバイ殺人鬼となれば尚更危険な行為であることに変わりはない。
怖いという感情は残ったままだ。
逃げたいという思いも強く残ってる。
けれど。
——俺は考えるより先に体が動くタイプなんだ。
「学校の人達が殺されんのは嫌だ!!」
拳に魔力を込め、金色に輝く光を纏わせ、カルディラに向かって勢いよく振るう。
その瞬間、シドが込めた光の魔法が発動し、周囲一帯は眩しい光に包まれた。特に攻撃力がある訳では無いが、目くらましになれば、それでいい。そこでできた隙がチャンスだ。
輝く光の中、彼女はまだ後ろを向いてる。まだ気づかれてない。気づいていても、もう振り返るほどの余裕は無いはず。完璧に宝石を取れなくても、何処かに吹き飛ばすだけでも構わない。あの宝石が目当てで来たのなら、それを阻止して少しでも時間を稼ぐ。
こんな警報が鳴っているんだ。残っている生徒がいるならば避難訓練にならって安全な場所に避難しようと動き、教師達は緊急事態時の体制を取っているはず。
——俺が少しでも、その時間を作る。
今、ここでこんなことできるのは、俺しかいない。
だから、やるしかない。
そうして、シドは腕をのばし、カルディラの手の中にある宝石を奪い返そうと——
した瞬間、シドの体は大きなハンマーで殴られた衝撃が全身に走った。そして体は実験室内の横の壁に吹き飛ばされる。
鈍く大きな音が響き渡り、直後 実験室に置かれていた様々なガラス道具が振動により落ちる音が鳴り響いた。
「ガハッ……」
何が起こった?
カルディラにやられたのか。
クソ、なんて力だ……
宝石に指1本触れることさえできずに、シドはその1度の攻撃のみで、全ての骨が折れたのではと思うくらい激痛を伴う。
これが、大量殺人鬼の力……!
と強い痛みに悶える中考える。
正直、痛すぎてこれ以上は動きたくなかったが、今はそんなこと言ってられない。学校の安全が、自分の手にあるのかもしれないのだ。
自意識過剰になっているつもりではないけれど、少しでもこの殺人鬼を止められるのなら、シドは動くことをやめない。
頭は悪い。要領も悪い。けれど、人が危険な時には真っ先に動く……そんな性格だった。
一気に重たくなった頭を動かし、シドは顔を前に向ける。
「まだだ……まだ……!」
「すまんシド!ちょっと加減を間違えた!」
………………
…………
……
「え?」
前を見ると、実験室の扉の前に魔法陣を展開しながら大声をあげる……ヴァールが立っていた。よく見ると、その魔法陣はシドに向けられており、魔法を発動した直後に現れる魔力の残痕を感じられる。
ヴァールは酷く汗を流しながら、またシドにむかって両手を合わせて「申し訳ない!」と言うようなポーズを決める。
カルディラのほうは特に何も動いていなかったようで、突然乱入してきたヴァールを目を細めながら見つめている。
つまり。
「今の攻撃はヴァール先生だったのかよ!!」




