第12話 響く声
魔力が、血液が宙に浮かび、集結し、光を放つ。
体の中にある魔力と血液も熱く疼いているような気がした。森中が怯えるように騒いでいる。そして、何か強大な存在と繋がっているような感覚を覚える。
これが、血の契約——。
「——私は、シドを一切傷付けず、家に返すと、
流血と魔力をもって、ここに誓おう」
カルディラが誓いを立てた瞬間、浮かんでいた2人の血液はバチンと音を立てながら消える。
妙な気分だ。カルディラとシドの2つの存在が強く繋がりを持ったような、筆舌に尽くし難い気分。確かに、この契約によってカルディラはシドを傷つけられない、家に返さなければならないという支配を受けたように思う。契約についてあまり知らないシドでもなんとなく分かる。
「————」
血の契約の儀式が終わり、森がまた静まり返った時、カルディラは捲っていた袖を戻して立ち上がり、顔を少し動かして、「戻るぞ」という合図をシドに送った。
結局「シドくん大脱走計画」は失敗に終わった。
結果としては自分の命が危うくなりかけ、血の契約という法律違反まで犯してしまうという、この始末。魔法と自身の成長に繋がったとは言え、こんな結果に終わってしまうなら最初からやらなければ良かった、と頭の片隅で思ってしまう。
——これで俺も、初めて法律違反という罪を犯してしまったのか……。
「は、めでたく俺も犯罪者の一員ってか……?」
なんて。乾いた笑いとため息を出しながら、疲労しきった重い体を動かそうと地面に手をついて立ち上がろうと、
「ん?」
重く、ない。
体が重くない。なんなら、さっきよりも体が軽い。突然生じた体の違和感に、シドは立ち上がりながら自分の左腕を確認した。
そこにあったはずの、狼から傷つけられた大きな傷跡は跡形もなく消えており、体を打ち付けた時の頭の痛みや、全身を刺すような痛みは感じない。あるのは、狼との戦闘で付いた土の汚れだけ。
「傷が癒えてる……いつの間に……?」
シドは先に前を歩いているカルディラの背中を見た。治癒魔法をかけられる瞬間など見られなかったが、多分彼女の魔法だろう。
「あ、ありがとう、ございます……」
「出血で死なれたら、契約内容に背いてしまうからな。それに治療魔法の1つくらい覚えておけ」
振り向かず、そのまま背中を向けたまま語るカルディラ。
……いちいち余計な一言が多い人だ。せっかく美しい顔立ちをしているのだから、性格も美しくあって欲しかった。
とはいえ、その言葉はシド自身にも突き刺さるものである。怪我をしても周りの誰かに治療してもらえればそれでいい、なんて考えが魔法の習得を遅らせ、一番簡単な治療魔法「ヒール」さえもまともに出せない状況だ。
今後、また危ない場面に出くわしてしまう可能性があるのならば、「ヒール」くらい覚えておけば良かったと後悔している。
「わかってますよ〜……」
口を尖らせながら、カルディラに聞こえるギリギリの声量で返事をする。
カルディラは治療魔法まで無詠唱で行える才があるらしい。基本、魔法とは魔法陣の展開そして詠唱を合わせるものなのだが……上級者は魔法陣や詠唱を省いて魔法を出せるという。特に治療魔法でそれを行えるのは一握りと聞いている。彼女はその領域の人間なのだ。
治療魔法を覚えようとしていなかったのは自分の怠けであると実感しているが、同時にカルディラの才能も羨ましいと感じてしまう。
あんなふうになれたら、もっと魔法が好きになれるのだろうか。
——俺もあれくらい強力な魔法出せたらな……
——————。
————。
「あれ、そういえば、なんでこの森は魔素濃度がこんなに高いんだ?」
シドがこの森に入った時、魔素濃度が理由で過剰摂取状態となり気持ち悪さを感じたが、逆に体内の魔力量が増え通常より大きな力を出せていたことを思い出す。
ただの強い光を出す魔法で、予想以上の効果を発揮できた時や、フォス・ドルューを連発できたのはこの森のお陰ということだった。
そうであれば、なぜこんな辺鄙な森に魔素が沢山集まっている?
喋る狼がこの森にいたことも気になる。街に近いというのに、なぜ森自体がこんなにも異常なのだろうか。
「自然に生成された森というのは、普通これくらいなんだよ」
「えっ」
不意に出ていたシドの声を拾い、カルディラが答える。
「言ってしまえば、お前が住んでいたスカイア帝国全体の魔素濃度が極端に低すぎる。そこで生まれ育ったとなれば、"外側の普通"に体が対応できないのも無理はない」
カルディラの口から、知らないスカイア帝国の不備のような話を出され、シドは口をあんぐり開けたまま数秒足を止めた。
そんなこと聞いたことがない。知らない。だって、それがシドや帝国の人間にとって"普通"だったから。帝国の魔素濃度が低いとか気にしたこともない。帝国の魔素濃度が平均で、全世界共通ではなかったのか?
先を歩くカルディラに詳しい答えを求め、シドは足早に彼女を追いかける。
「外側の普通ってことは……俺がいたスカイア帝国が異常ってことですか!?」
「そういうことだ。故に、スカイアの人間は空気中から体内へ取り入れた魔素を、魔力へ変換、そして循環させる効率が悪い」
「えぇ……なんで、そんな……」
「シド。お前は他国と比べて、なぜスカイア帝国だけ大幅に発展したのか、知ってるか?」
「それは……今から大体100年くらい昔に、スカイア帝国に天使様が空から降臨なさって……知恵を皇帝陛下に授けてくださったから……ですよね?」
一瞬、カルディラは顔を少しだけ後ろに傾け、シドの表情を伺うように振り返る。深夜の森の中というだけあって正確に判断できないが、カルディラは苦い顔をしているように見えた。
なにか、違うことを言ってしまったのだろうか。
しかし、シドは勉学で歴史の教科は得意な部類なのだ。魔法を実際に使う実技から逃げ、歴史や法律、地理など、魔法から一線を置いた授業ばかり受けていたから。それに、この100年前の出来事はスカイア帝国にとって重要な部分であるし、間違えるなんてことはない……はず。
カルディラは「あぁ、そうだな」と言って視線を戻し、歩き出す。何が腑に落ちなかったのか分からないが、とりあえずシドは、また続くカルディラの声に耳を傾けた。
「天使から知恵を貰い、国を豊かにする術を知った皇帝は、すぐさまその術を実行し、天界を参考に、都市を永続的に宙に浮かべる技術を作り上げたそうだな。そしてスカイア帝国はこの100年間で文化が一変する程の発展を遂げた」
「それくらい、授業で習ってますよ」
成り行きでカルディラによる歴史の復習授業が始まったような気がして、シドは段々と顔を渋くさせていた。今時、小学生でも知っている歴史を再度説明され、「はいはい」と受け流すように返事をする。
すると、その生返事にカルディラは声のトーンを1段落とし、
「——だが、そんな大きな技術進歩と国の発展には、代償が必要なんだよ」
「だ、代償?…………あ」
ようやく、カルディラの言いたいことが伝わったようで、シドは自分の口元に手を当てて理解した。
スカイア帝国の特徴である……宙に浮く都市。そして他国と比べて極端に低すぎる帝国内の魔素濃度。都市を浮かせられるほどの力をどこから得ているのか。点と点が繋がっていく。
「そう、都市を宙に浮かせている膨大な力……その供給源は帝国内にある空気中の魔素ほぼ全てだ。加えて、帝国の民からも少なからず魔力を吸い上げてるそうだしな」
「あ……なるほど……言われてみればそうですね……」
色々と納得できる部分があり、シドは顎に指を触れながらカルディラの授業を理解する。
つまり、スカイア帝国内の魔素と、民の魔力が勝手に吸い上げられ帝国の発展に繋げられているという訳だ。
「俺は人生で一度もスカイア帝国から出たこと無い……だからスカイア帝国の魔素濃度の低さを実感できなかったのか……」
確かに、スカイア帝国でしか生活してこなかったシドにとっては気づけなかったことかもしれない。しかし、シドは「でも」と続けて、
「それだったら……俺は……スカイア帝国が豊かになってるなら別にいいやと思っちゃいますね。俺たちの体から全部の魔力が持っていかれるわけじゃないですし」
スカイア帝国が他国よりも異常な部分があることを認めた上で、そう思う。
考えてみれば、こうして一度でも帝国の外へ出れば、スカイア帝国の魔素や魔力が国の発展に使われていることには気づけるはずだ。
もし帝国がそれを隠したいのであれば、そもそも民を国外へ出さないようにするだろう。だが、スカイア帝国はそんなことをしていない。
カルディラは「代償」という、少々物騒な言い方をした。だが、シドには帝国がそれを隠そうとしているようには思えないのだ。
「空気中の魔素や、民の魔力が利用されている」と明言されているわけではない。けれど、少し考えれば気づけることなのだろう。おそらく、シド以外にも薄々察している者はいるはずだ。
それに、その方法によってスカイア帝国は実際に大きく発展してきた。戦争をしているわけでもない。民の生活に大きな支障が出ているわけでもない。
それなら、今後もこの方法で国が豊かになるというのなら——多少の魔力くらい、くれてやってもいい。
むしろ、自分の力が国の役に立つのなら、それでいいじゃないか。
「俺の魔力なんて今んとこ滅多に使われてないし!国の役に立てるなら、むしろ少しでも使ってくれた方がいいって言うか!」
「……使われるのが"その力"だけで済めばいいんだがな」
その時、遮るように夜風が梢を鳴らしカルディラの声を消す。
「……え?なんて?」
シドは後ろで疑問符を浮かべていたが、無視して足を進ませた。
国の役に立てるなら、少しでも使ってくれた方がいい……か。実に愛国心溢れる言葉だ。
スカイア帝国の為だという建前は分かる。
だが、天界を模倣し、人間である我々が暮らす都市そのものを宙に浮かべることに、一体どれほどの意味があるのだろうな。
しかも、そのために国全体の魔素や民の魔力を利用しているというのに、具体的にどうやってそれらを吸い上げているのかさえ、民には分からない。
それでも帝国は、これを「国の発展」のためだと言う。
それにしても……"門"ではなく"空から降臨"とは、ふざけた教育をしてくれる。
——実に非合理的だ。
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それから2人は特に会話も無く、ようやく森から出ることができた。広い草原が見え始めてシドは安堵する。月明かりに照らされて、青白く見える草原は、どこか神秘さを感じさせている。
そんな幻想的な景色を前に、シドは腰を伸ばして腕を上にあげる。両手が真上の月に翳され、まだカルディラ達の家を脱走してからそう時間が経っていないことに気がついた。狼と長時間戦った気分だったが、実際過ぎた時間は短いらしい。
「くぃーー!やっと息の詰まる真っ暗な森から抜けられましたね……!ってか、この前俺を誘拐した時、転移魔法使ってましたよね?それで戻っても良くなかったですか?」
ふと、シドは誘拐された時にカルディラが転移魔法を使っていたことを思い出す。それをまた使ってくれれば、こんなに時間をかけて、苦労して森から出ようとする必要もなかったのに。
自分から脱走したくせに、何故早く戻さないんだ、と言うのは自己中な話なのだが。
「おい。あの転移魔法がどれだけ魔力を消費すると思ってる?私とて、そんな頻繁にポンポン出せる魔法じゃない」
「あ、そうなんスね〜……」
カルディラの返事に、シドは苦笑いを混ぜて返す。
どうやら、転移魔法はカルディラであっても展開レベルの高度な魔法の類らしい。いくら彼女でも、場合によって難しい魔法が存在するのだとわかった。
なんでもできる最強犯罪者というわけではないようで、少し安心。
「……なんだか嬉しそうだな」
「別に〜……」
「お〜い!2人とも〜!」
カルディラの疑うような目から背けるように口笛を吹いていると、掛け声と共に草原の先から人影が1つ、見えた。
それは、ヨロヨロと松葉杖をつきながら、こちらにシワクチャの手を振っている老人、
————アスターだ。
急いで来たのか、アスターは汗を滝のように流し、息を切らしながら足を動かしている。
アスターはシドの顔を見た瞬間、胸を撫で下ろしたような表情で笑顔を見せた。反対に、シドは今にも腰の骨を折ってしまいそうなアスターの姿に顔を青ざめる。
「シドくん!ディラ!……よかった、よかった無事で」
「アスターさん!?走ってきたんですか?腰弱そうなのに!」
「だって……シドくんが家にいなかったから、もしかしたら森に行ったんじゃないかって、心配で……」
「アスターさん……」
肩で息をしながら、シドの両手を取るアスター。まるでシドが本当に生きているか確認するように、アスターはシドの温もりを確かめていた。
不意に、シドの目尻に水が溜まり始める。
カルディラの仲間とはいえ、ずっと親切に接してもらった相手だ。老いた体に無理をさせてまで、自分の心配をしてくれたと考えると心が揺さぶられる。
いやいや。何を言っている。たった6日間共に過ごしただけじゃないか。長い間、一緒に旅したような仲でもないと言うのに、こんな事で感情が動いてしまうのはおかしいだろう。
しかも、俺を攫った犯罪者の仲間なんだぞ?
シドは目に溜まる水が流れないよう、瞬きを繰り返し、瞼に力を入れる。
我慢するんだシドくん。自分はもう16歳。在り来りな王道ストーリーの終盤で涙を流す年齢じゃない。こういう時はもっとこう、成長した自分を見せるべく、堂々と胸を張って、この先やって来るかもしれない危機ってやつに、負けず、抗って、やる……意志を、……こう……。
……言葉が出てこないけど、とりあえず泣かないんだよ、俺は!
……そういや俺、せっかくアスターさんに買ってもらったブランケットまだ使えてないし、果物ナイフも勝手に盗んで、落としてきちまったな……。
「うぇええぇえ……アスターさぁぁん……」
途端、罪悪感が限界突破し、シドは小さい子供のようにアスターの胴体にしがみつきながら号泣し始めた。
意外と大きいアスターの体による包容力と、彼の古臭くて懐かしい香りが、昔の両親との思い出を掘り起こしてくる。ここ数日、両親と会っていない為、アスターの存在が親のそれと重なってしまった。
「ごめんなさい……俺、果物ナイフ無くしちゃって……食べ物も勝手に持ってっちゃって……ごめんなさい……」
鼻をすすり上げ、嗚咽を繰り返すシドの背中を、アスターはリズム良く優しく叩いて慰める。
ずっと安心できない場所にいて、真剣に考えて、覚悟を決めて、戦って。頑張ってきたのだ。そんな立派なシドを、誰が冷たく叱れるだろうか。
まだ未熟で、人生の経験も浅く、理屈で感情を制御できず、すぐ揺らいでしまう純粋な子ども。こんな時くらい、誰であっても背伸びする必要は無い。
シドは謝罪をしているが、巻き込んでしまったのはこちらの落ち度であるし、謝罪すべきなのはシドじゃないのに。
「そんなこと、全然構わないよ……。君が無事だった、それで十分……だから、泣かないでくれ……」
「わああああぁぁ……」
「あ、あわわ……」
アスターのその言葉が余計シドの良心に突き刺さり、更に泣き声を大きくさせてしまう。なかなか泣き止まないシドにしどろもどろになってしまうも、松葉杖を置き、頭を撫でて落ち着くのを静かに待った。
「よく頑張ったね。戻ったら、また制服を洗濯しようね」
草原の真ん中で泣き声が響く中、アスターはすぐそばでポケットに手を突っ込んで立ち尽くし、目を背けているカルディラに向かって笑みを見せた。
「ディラも、シドくんを助けてくれてありがとう」
「————」
彼女は唇を固く結んで目を細める。アスターの代わりに、肩に乗るフレンが彼女の頬に羽を当てて寄り添っていた。
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「天に感謝を!いただきまーす!」
元いたアスター達の家に戻ってきたシド。
テーブルに置かれた、湯気の上がっている具が沢山入ったスープを前に食事の挨拶をする。疲れたシドを労わろうと、アスターが夜食を作ってくれたのだ。
「たくさん食べていいからね〜」
さっそくスプーンを片手に、スープを掬い上げて口の中に放り込む。ホカホカで柔らかい味わいが、全身に染み渡って暖かくしてくれるようだ。制服は洗濯に出され、またパンツ一丁になった為、とりあえずこれで肌寒さを凌げる。
「寝間着は、わたしのを貸してあげるよ。ちょっと大きいかもしれないけれど」
「あざーっす!」
慣れたお泊まり会みたいだ。もうここにいる全員がシドの姿について言及しないし、当たり前のように貸し借りをしてくれる。
血の契約を交わしたお陰で命の心配は一旦取り除かれたので、カルディラに対しての恐怖心もちょっと減ってきた。むしろ、シドがどんなに生意気な態度をとってもカルディラは一切攻撃できないのだから、もう少し余裕を持ってもいいのかもしれない。
と、頬を膨らませているとカルディラがシドの持っていたカバンを逆さにして、テーブルの上に物をぶちまけた。
じゃがいもやパン、未使用のブランケットと折れ曲がった地図、壊れかけの照明、知らない言語で書かれたお菓子が出てくる。それら一覧を見て、カルディラは呆れたようにため息を零した。
「盗むにしては、実に非合理的なものばかりだな。パンはカビているものがあるし、じゃがいもは少し異臭がする。腐りかけのサインだ。ちゃんと選別したのか?」
「そ、それは……多分、急いでて……」
モゴモゴと頬を動かしながら、お茶を濁すように返す。
当時、カバンにパンとじゃがいもを詰め込んだ際はあまり焦っていなかったと思う。急いでいたと言うよりは、適当に詰め込んだというのが正しい。16歳の勢い任せの脱走に過ぎなかったのだ。
「それに」とカルディラが口を開き始めて、シドは自分の楽観さが明るみに出ると察し、冷や汗を流す。
「なんで金を取らなかった?街を目指していたなら、食料調達や宿代で金が必要だろ」
「だって……ここの通貨が分からなかったんですもん。そこのお菓子の袋は外国語でなんて書いてあるか理解できなかったから、通貨はスカイアと同じじゃないのかなって……」
「お菓子……?」
シドがテーブルの上にある例のお菓子の袋を指さす。カルディラとアスターは、眉を上げながらシドの指の先に視線を移すと、石のように数秒固まり、思考を止めていた。
直後、アスターが「プッ」と吹き出して笑い始める。笑った顔をシドに見せないように咄嗟に背中を向けるが、肩が震えてまだ笑っていることが分かる。カルディラも全てを悟ったような表情を浮かべて、シドだけ置いてけぼりにされた。
なんだか、間違ったことを言ってしまったようで、恥ずかしさが湧いてくる。
「な、なんで笑うんですか!俺変なこと言いました!?」
微かに聞こえるアスターの笑い声が侮辱されているように感じ、シドは顔を赤く染めて困惑する。「ごめん、ごめん」とアスターは言っているが、シドにはまだ笑いを堪える顔が少し見えている。対して、カルディラは感情に顔に出さずに腕を組む。
「あぁ、まぁ、これは仕方がないな。そう思うのも無理はない……」
「どういうことですか!?」
「まず、ここら一帯はまだスカイア帝国の支配領域だ。だから街に行ったら言語はスカイア語だし、文字もスカイア文字で、通貨もスカイアと同じ"セラス"なんだよ」
「え!?じゃあ、なんで……」
なんで、その袋は外国語が書いてあるのか。輸入品なのかと考えたが、だとしたら何故わざわざ輸入品のものを買うのか。シドが持っている情報では、答えに辿り着けない。
ますます頭を混乱させるシド。カルディラが回答を語ろうと、口を開く。
「これは——」
だが、その時。
テーブルの正面にあった玄関ドアが、大きな音を立てて勢いよく開かれた。シドは思わずビクッと肩を上げて驚き、玄関ドアの先へ視線を向ける。
夜の下、リビングの照明の光で照らされた人が仁王立ちしていた。
腕は筋肉で太く、足は長く、短い黒髪の男性。よく見ると、男の頭に三角の動物の耳が2つ付いており、真っ黒のしっぽが腰の後ろで動いている。
そして、何故か血だらけ。
少し顔を上げた彼は、鋭い歯を見せながらこちらを睨んでいる。嫌な予感がして、シドは唾を飲み込んだ。
黒い髪の彼は、空気を吸い込んで、腹に力を入れ——、
「オレ様の飯を寄越せェエエエエエエ!!!オイ!!」
耳の奥を痛ませるほど響いたその大声は、忘れもしないあの声。
カルディラとは別の、シドに死の恐怖を味合わせた者。
——あの森の狼と同じ声をしていたのだ。




