第13話 集う者達
声量で家中の家具をカタカタと揺らし、シド達の耳を劈くほどの大声。咄嗟に両耳を塞いでも防ぎきれない声の主は、あの森の狼と同じ声をしていた。
「うるせー!!ってか、その声は……!」
シドは目を丸くしながら黒髪の男を凝視する。
姿形こそ人間だが、頭にある獣の耳、シッポ。節々に残る獣の痕跡。そして声からして、あの森の狼ではと直感した。
「お前……森にいたデケェ狼か!?」
しかし、だとしたら何故まだ生きている?
フォス・ドルューで喉を貫き、カルディラの薔薇の魔法で息の根を止めた。森の狼は確かにシドとカルディラが魔法で打ち倒したはずなのだ。しかも、狼と思われる目の前の黒髪の男は身体中に開いた穴から血を流しているにも関わらず立っていられているのはおかしい。
いいや、それ以前に何故こいつは人間の姿をしているのだ?
何者なんだ、コイツは。
「テメェ……!」
黒髪の男はシドの顔を見るやいなや、血だらけの顔のままシドを睨みつけ、片腕を振り上げながらドンドン足音を鳴らして迫ってきた。男の指先から爪が鋭く伸び、鋭い視線は間違いなくシドを狙っている。
数秒前までスープを飲んで体を休めていたシドは、即座に戦闘態勢に入れず、両手を前に出して後退る。
「ちょっ!ちょっと待って!俺は今この通りパンツ一丁で防御力ゼロ!!再戦はまだ無理だって!」
制服を洗濯に出してしまってる今、シドの肌を少しでも守ってくれるような布は無い。とはいえ、男が出している鋭い爪に引き裂かれたら、布など関係無しにシドの肌はあっさり血まみれになると思うが。
男の爪が、リビングの照明に照らされキラリと光る。直後、爪が振り下ろされた瞬間を視界の端で捉えたシドは咄嗟に目を瞑り、できる限りの防御をした。
「————ッ、」
「コイツは私と血の契約を交わした正式な保護対象者だ。傷つけることは私が許さない——ヴォル」
そう言いながら、カルディラが縮こまるシドを隠すようにして黒髪の男の前に立ち塞がる。カルディラと目を合わせた黒髪男は、ピタリと動きを止めた。
「カ、カルディラァ……!でも、コイツはオレ様に飯を寄越さなかったんだぞ!なんでくれないんだよ!なんでくれねェんだよ!」
カルディラの顔を見た途端、黒髪男は口を三角形に歪め、眉尻を下げて涙目を見せる。そして駄々をこねる子供のように足をダンダン鳴らしてグズり始めた。
家に戻る前のシドも、それなりに子供のように泣きじゃくったが、彼のそれはシド以上に子供に見える。見た目や身長はシドより上に見えるのだが。恐怖対象がグズる子供に置き換わり、強ばっていたシドの顔は一瞬で真顔になった。
「それに!アイツはオレ様を虐めやがった!飯くれなかった!カルディラもオレ様を虐めた!虐めたンだよ!オイ!」
「私が虐めたのは事実だが、最初に手を出したのはお前だろ?お互い様だ。それに、お前はあの程度じゃ死なない」
「アー!もう!飯寄越せよ!じゃなきゃ、また家出してやる!」
「全く。うるさいな……勝手に森の虫でも食ってろ」
「な、なンだと!?ンググ……」
自分の思い通りに会話が進まず、不機嫌になりワナワナと肩を震わせ、顔を赤くする黒髪の男。会話内容的に、どうやらカルディラと黒髪男は以前からの知り合いのようだ。
2人が話している間に、シドはさり気なくアスターの後ろに移動して身を隠し、頬の横に片手を添えて、囁きながらアスターに問う。
「あの……あの人誰ですか?森にいたデカイ狼と同じ声してるんですけど……知り合い?」
「えっとね……あれはヴォル。昔からここに住んでる、狼人間……獣人族だよ」
「獣人族!?」
驚きの声を出しながら、シドは「どうりで」と納得する。森にいた時の狼の姿。そして現在の狼の特徴が残る人間の姿。
シドは今まで獣人族に出会ったことはなかったが、世界のどこかに存在していることは知っていた。
獣人族とは、獣と人間の姿を同時に持ち、狩りをする時は獣で、生活する時は人間の姿で生きていたと、学校の授業で習ったことがある。獣人族自体、数が少ない為、スカイア帝国にいる限りは目にすることは一生無いと思っていたが……。まさかこんな状況下で出会うことになるとは。
「ごめんね……ヴォルがシドくんを酷い目に合わせたみたいで……彼はちょっと……その、ちょっとだけ頭が足りなくて……」
「あーなるほど。頭悪いんですね?」
「う、ん……」
アスターがオブラートに包んだ言葉が意味を失くす。しかしヴォルを見ていればわかる。同じ言葉を繰り返し、手足をばたつかせて泣き叫ぶ。幼稚な行動。ヴォルは知性の乏しい性格なのだろう。
森でシドを襲ったのも感情任せだったのか。
「ん?でも、飯寄越せって……なんで俺に飯を要求してたんだよ。いくら頭悪くても初対面の俺に飯を要求するかぁ?」
森でヴォルに襲われる寸前、最初から彼はシドに何かを要求していたことを思い出す。ヴォルの言葉足らずのせいで、最初は何を要求していたのかわからぬまま襲われ、撃退してしまったのだが、どうやらずっと食事を求めていたらしい。
だがおかしいものだ。
シドはヴォルに食事を渡すために森へ行ったわけじゃない。なのにヴォルはシドを見るなり食事を求めた。頭が鈍いにも限度がある。
「これが原因だな」
シドの声を聞いていたカルディラが、テーブルの上に置いてあった読めない外国語文字の菓子袋を掴み取り、ヴォルに向かって投げた。
その瞬間、怒りと悲しみで満ちていたヴォルの顔は一気に満面の笑みへと変わり、シッポを振りながら犬のように菓子袋をキャッチする。
その菓子袋は、シドが脱走時に家から盗んだ1つ。シドはそれを菓子袋と呼んだが——、
「それって、まさか……!」
「そう。ヴォル専用のペットフードだ」
「ペットフードだったのかよ!!……ってことは、じゃあそのパッケージの文字は獣人語!?」
シドの言葉に、カルディラは頷いて肯定する。だから獣人語を知らないシドはパッケージの文字が読めなかったのだ。
振り返ってみれば、ヴォルは自身の嗅覚の良さを使い、シドの匂いを辿って攻撃を仕掛けてきた。つまり、シドがずっと持っていたカバンの中にある菓子袋……ペットフードに気づいていたという事だ。故に、
「俺がカバンの中にペットフード入れてたから、お前は俺が飯を持ってきたと思ったんだな……」
「アァ!?違ェのか!?違ェのか?……オイ!」
ヴォルは床に座り込み、ペットフードの封を開け、中身の茶色い物体を片手いっぱいに掴み上げてバリボリと音を鳴らして食べながら言う。
食べながら大きな口を開けて喋るので、ヴォルの口の中で噛み砕かれるペットフードが見える。あまりにも品性の欠片も無い食べ方で、思わずシドは顔を引き攣った。
ドン引きするシドの横で、アスターが苦笑しながら補足を加えようと静かに口を開く。
「あれは獣人族用に売られている食べ物でね……。食べられなくはないけれど、わたし達にとっては味が薄すぎるんだよね」
「そ、そうなんすね……最初からお菓子ではなかったと……」
ヴォルのペットフードは普通の人間にとって日常的に食べられるものではないのだろう。
これで、シドがペットフードを"お菓子"と呼んでカルディラとアスターが固まっていた事の真相も分かった。
読めない文字であったのに、パッケージに写っていたものだけを信じてカバンに詰め込んだ過去の自分を責める。
今後、何においても、わからないものを手に取るのはやめよう。
「ハア?そこのお前、これ食わねーのか?こんなにウメェのに?バカなのか?」
「お前に言われたくなかったね!それに、お前の食い方見て食欲無くしたわ!」
「ンだとォ!?」
「イヤー!やめて!暴力反対!俺はカルディラさんと血の契約してるの!俺に攻撃したらカルディラさんが怒るぞ!!多分!」
シドの言葉が気に食わなかったヴォルは、また立ち上がり、爪を出して威嚇する。対してシドは血の契約を交わしたカルディラを盾に対抗した。
すると、ヴォルはカルディラの名前を聞いて、後ろで腕組みする彼女を視界の端で確認する。カルディラの存在が恐ろしいのか、ヴォルは「ウググ……」と静かに唸って爪を引っ込めた。
この様子からして、過去にヴォルはカルディラに怒られたことが何度かあるように思える。反応が、母親に怒られて萎縮する子供のソレなのだ。
「そうだよヴォル。シドくんは、わたし達が守らなきゃいけない人なんだよ。カルディラと血の契約を交わした……」
頭にある耳を寝かせて俯くヴォルに、アスターが両手の人差し指でバツを作って言い聞かせる。その途中で、アスターは自分の発言に引っかかり、「ん?」と口の動きを止めた。
「交わした……血の契約…………血の契約!?」
さっきから何度か出ていた"血の契約"という単語に、ようやくアスターは反応して顔を真っ青にする。アスターはすかさずカルディラの肩を掴んで強く揺さぶり、今までで1番大きな声を出して怒鳴る。
「なんて馬鹿な真似をしているんだ!?血の契約がどういうものなのか知っているだろう!?君の身も、シドくんの命も、どっちも危険に晒す気かい!?」
「お、落ち着け……契約内容的にシドが罰を受けることは無い……それに、彼を納得させる為にも必、要な、こと、だっ、た……」
揺さぶられながら、そう言い訳を述べるカルディラ。
アスターの反応は当然だ。"血の契約"とはそれほどまでに危険で、国の法律で禁止され、方法を知り実行できる者は極僅かなのだから。身内が"血の契約"を行ったと聞けば、誰もがまず耳を疑い、ショックを受けるだろう。
シドを納得させる為とはいえ、「それでもやりすぎだ」とアスターは血眼になって怒りを露わにする。
「本当に大馬鹿者だ!君が良くても、君を心配するこっちの身にもなってくれ!」
「し、しかしアスター……」
普段から温厚な性格のアスターが、ここまで怒鳴るのは予想外だった。会話を聞いていたシドは怒りに震えるアスターに気後れしてしまって体を固まらせる。
それはカルディラも同じようで、珍しく無表情を崩し、アスターの説教に気圧され狼狽えていた。
この家における序列の一番上は、立ち振る舞いからしてカルディラかと思っていたが、場合によっては案外アスターになり得るのかもしれない……。
「アスターにも怒られた!ふざけんな!テメェのせいだぞ!オイ!!」
「え!俺!?なんでだよ!」
突然、ヴォルがシドの顔を指さして足をジタバタさせる。理不尽な理由で一方的な怒りを向けられて、シドも段々苛立ちを感じてきた。
確かに、事の発端であるペットフードを勝手に森に持って行って、ヴォルに勘違いさせてしまった部分はあるが、それを渡さなかったというだけで殺そうと襲いかかるのは違う。
シドは最初からずっと、巻き込まれの被害者なのだ。勝手に誘拐されて、逃げられたと思ったらヴォルに襲われて。今は右からも左からも色んな罵声が聞こえる。
怒りたいのはむしろこっちの方なのに。
「君はいつもそうやって……!」
「だが……」
「テメェのせいだ!テメェのせい!」
「あ〜……もう、もう〜…………」
カオスだ。重苦しい雰囲気。
シドは周囲から聞こえる耳を貫く声に頭を抱え、視野を狭くさせる。
うるさい。騒がしい。やかましい。自分もイライラする。様々な感情が巡る中、
なんとかしようと精一杯絞り出した一声は、
「皆、落ち着けーーーーッ!!」
消えかけていたシドの頭の中で引き出せたのはこれだけだった。
叫んで、シドはふらりと体勢を崩すと、その場に倒れ込む。
必死に考えて、慣れない戦いをして、夜遅くまで起きて、色んな感情を抱いて、今日一日のシドはあまりにも多くの経験をした。その体と精神が限界を迎えたのだ。
「シドくん!?シドくん!?」
「シ————ん——」
「——————」
シドの意識は、自分を覗き込むアスターとカルディラの姿を最後に、途絶える。
この6日間、この家で生活してきたが、頭の中に残る不安が邪魔で眠りを妨げられてきた。けれど、今ようやく何も考えず、頭を真っ白にした状態で瞼を閉じることができる。
良いのか悪いのかわからないが、シドは死んだように深く、深く、眠りについた——。
——————————————
「シド、もう朝よ。起きなさい!」
「んぅ……お母さん……あともうちょっと……」
暖かい毛布に包まって、毎朝恒例の言葉を呟く。白く微睡む空間の中、シドは聞き馴染みのある声を聞いていた。
こうやって、いつも毛布から出られず、行動を先延ばしにして学園に遅れそうになるまでがセットだ。頭の中ではちゃんと改善するべきだと考えているものの、体は思うように動いてくれないのである。
馴染みのある声は、呆れてため息を零し「もう」と腰に手を当てると、
「早く起きないと冷凍庫に入れるわよ?」
「う〜ん…………わかってるよ……冷凍庫……」
「——————冷凍庫?」
「——ぶぇっくしょい!!」
急に、鼻をむず痒くした違和感が勢いよく放出され、シドは鼻水を垂らしながら目を覚ます。クシャミと共に飛び起きた体は、何故かブルブルと震えて温もりを求めていた。
「え!?何これ!?めっちゃ寒い!」
シドは起き上がってから大体、数分間は意識がボンヤリしてしまうのだが、今回は部屋の中の異常な寒さに眠気など消えて無くなったようで。
今までこの家の温度が急激に変わることなどなかった。故に、シドの寝室になっているこの倉庫には温度調節ができる魔道具など存在しない。
気づくと、眠る前までパンツ一丁だったはずの体は、ブカブカの黄色の寝間着を着ており、アスターが着せてくれたのだと分かる。
このアスターの寝間着を着ていなかったら凍え死にそうなところだった。
アスターの配慮に感謝しつつ、シドは毛布に包まりながら立ち上がる。その瞬間、簡素な窓の外から地鳴りのようなものが聞こえてきた。
その地鳴りは、ゆっくりと大きくなって、次第に振動を伴う。
「はぇ!?」
震える手で窓の鍵を上げ、顔を覗かせると、
そこには——
陽が差し込む広い草原の中、ポツンと建つこの家の目の前に、氷で作られた大きな列車が走ってくる。
レールなど敷かれていないのに、その氷の列車は綺麗な円を描いてから家の真横に停止した。強い冷気によって、列車の下にある草花はパキパキと音を立てて凍りついていく。
「な、何じゃありゃあ!?」
あまりにも現実離れした光景に、口を大きく開けて驚愕する。
本当はまだ夢の中なのでは?と思ったりした。しかし、確かに感じる指先の冷たさや、呼吸する度出てくる生ぬるい白い息が、夢の中ではないと訴える。
シドが現れた氷の列車を前に言葉を失っていると、列車にある扉の1つが開かれて、中から見知らぬ少女と男性が出てきた。
少女は凍てついた草原に足をつけると、不似合いで場違いな黒いサングラスを自慢げに押し上げて、
「ただいま〜っ!!帰ってきたよ〜っ!」
対して、男性は扉の位置に立ったまま、爽やかに、胸を張り、
「あぁ、カルディラっ!僕が戻りましたよ!」
シドはただ、目の前に現れた二人を見つめることしかできなかった。
——どうやら、この家にはまだ、彼の知らない住人がいるらしい。
ヴォル。16歳。身長170。
獣人族であり、狼の特徴を身に纏う男。
短い黒髪はほとんど手入れされておらず、いつもボサボサ。ガサツで乱暴な性格をしており、ちょっとおバカ。「オイ」が口癖。
得意な魔法の属性は土。




