第10話 魔法という美しさ
どうして、よりによって彼女なのか。
最初に頭に浮かんだ言葉はそれだった。
音もなく現れた殺人鬼カルディラ。彼女は徐々に迫り来る巨大な狼に見向きもせず、シドと目を合わせ続けている。焦りは一切感じられない。
一番避けたかった状況、一番会いたくなかった相手。シドを攫った張本人。恐怖を与えた元凶。彼女はあの狼なんかより恐ろしいことは知っている。
後退る。後退る。
様々な考えが過ぎった。
脱走した俺を連れ戻しに来たんだ。俺を殺しに来たのかもしれない。俺が殺される様を見に来たのでは。今すぐ逃げるべきなのでは。
どうして、よりによって彼女で、どうして今になって魔法を使えなくなったのか。最悪の状況が重なり、芽生えつつあった自分への自信が消えそうになる。
もう一度魔法と向き合うと決めたばかりなのに。どうしてその向き合うチャンスをくれないのか。ここから変わろうと思っていたのに。どうしてこうも上手くいかない?自信が消えかかる。でも、諦めたくはない。諦めたくないんだ。
シドは惨めなまま死にたくはないと覚悟を決めた後なのだ。
なら、どうすればいい?俺はどうすればいい。
魔法が使えないとなれば、もう狼にもカルディラにも勝てないだろう。果物ナイフも無い。体はボロボロ。術は無い。
胸の鼓動を激しく鳴らし、汗を滝のように流し、手足は震えようとも、何もできなくとも、シドは歯向かうようにカルディラを睨みつける。
考えろ、考えろ。何もせずに殺されて終わるよりはマシだ。まだ何か方法があるかもしれない。この女がどう動くか、それ次第で俺の行動も変わる。動きながらでもいい、考えるんだ、他の打開策を。
その時、カルディラは芯のある声を響かせた。
「帰りたいんだろ?立て」
シドは思わず口をポカンと開けて唖然とする。まず初めにカルディラから出た言葉は、脱走したシドへの怒りでも、殺意でもなかった。それは自分が決めた目的を思い出させるような言葉。
予想外の発言に、シドは戸惑う。向けられた言葉が明確な殺意であれば、すぐさま体を動かし、打開策を探していたと言うのに。これでは判断が付かない。
いいや、目の前にいるのは殺人鬼なのだから、身を守るため即座に反抗しようとするのが正しい。
だが、カルディラの「立て」という発言が、どうしてもシドに迷いと疑問を与える。
「なんで……」
なぜ、すぐに連れ戻そうと、殺そうとしない?
シドが戸惑っている間に、カルディラは口をもう一度開きながら、狼へと目線を移していた。
「空気中の魔素濃度が高い場所では、体が魔素を取り込みすぎることがある。体内の魔力量が限界を超えれば、吐き気や不安の増大、魔力出力の不安定化が起こる。お前の症状はそれで説明がつく」
「え……え!?」
突然始まった現状の説明。それはシドが今陥っている状況の説明に聞こえる。
どういうつもりなんだ?突然なんでそんな話を?何を考えている?何をしたいのかわからない。わからない。この女の考えていることがわからない。
考えを巡らせるが、彼女の横顔からは何も読み取れない。
「だが、魔力が過剰な状態は必ずしも不利ではない。今のお前は、普段より多くの魔力を使える。制御できていないために魔法が暴発したようだが。……暴発を防ぎたいんなら、魔力の出力を安定させるんだな。もう一度、魔法陣を展開してみろ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、何をしたいんだか、わからないんですけど……俺を連れ戻しに来たんですか?それとも、殺しに来たんですか?」
シドは答えを求めに質問を投げた。
当然、現れた殺人鬼にいきなり説明を語られ、命令を下されたからと言って、緊迫した状況下にあったシドがすぐさま「はい、わかりました」と動けるわけがない。
なにより、なぜカルディラがシドを連れ戻すことも、殺すこともしないのか理解できなかった。彼女はシドを攫った殺人鬼だと言うのに。何を考えているのか知りたい。答えを知りたい。
しかし、
「実に非合理的な質問だな。今それを考える必要があるか?お前、このままじゃ死ぬぞ」
返ってきたのは答えではなかった。代わりに返ってきたのは警告で、シドが求めていたものじゃない。
「いや……だって、アンタは殺人鬼で、俺はアンタの人質だ。だから、逃げた俺を連れ戻しに来たか、殺しに来たんじゃ……」
同じ質問を繰り返して、未だに答えを求める。
しかし、カルディラは短くため息をつくと、
「なぜ選択肢に"殺す"があるんだ?せっかく攫った人質を殺すバカがどこにいる?実に非効率的だ」
呆れた顔をしながらそう言い放った。
思わずシドも、その呆れ顔に賛同する。
「え……確かに……」
言われてみればそうだ。脱走したから殺人鬼に殺される、という安直な考えをしていたが、そもそもシドは今後カルディラ達の計画に必要となる人質で、殺す方が計画に乱れが生じるだろう。
だとしても、残った"連れ戻さない"の答えにはならない。必要な人質というなら、すぐに連れ戻して面倒事を解決すべきだ。
「でも、なら……!何ですぐに連れ戻さない……?アンタなら簡単にできるはずだ、なのに……なんでそれをしようとしない?これじゃまるで……」
まるで、シドに助言を与えるために来たかのようだ。
——だが、なぜ?
カルディラは合理性と効率を重視する。必要のないことに時間を使うような人間ではないだろう。
シドは、彼女にとってただの人質だったはずだ。
神聖結晶を手に入れるために利用するだけの存在。魔法も大して使えず、それ以外では役に立たない。そんなシドに、わざわざ助言する理由などない。
それなのにカルディラは、シドの魔力について説明した。魔法陣を展開しろと言った。シドがこの森で生き残るための方法まで与えようと。
まるで、シドが直面している「魔法が使えない」という問題を、解決しようとしているように。
なぜだ?
どうして、そこまでする?
——なぜ
「このまま死にたくないんだろ?魔法と向き合うんじゃなかったのか?」
「————」
シドの心の内を全て読んでいたように、カルディラはシドが考えていたことを当ててみせた。それは心の中で考えていただけであって、決して口に出していたわけじゃない。心を読む魔法を使ったのか、それともシドの行動から推測したのか、どうやらシドの思考はカルディラに全て筒抜けのようで。
図星を突かれ、シドは黙り込んだ。
「その考えは嫌いじゃない。それにお前は魔法を使えなくなったんじゃない。まだ魔法で抗える」
狼が迫り、足音が大きく響く中、
カルディラは言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「——教えてやる」
その時、シドは目を見開き、自分の胸元の制服を握りしめた。
カルディラは殺人鬼だ。自分を攫った張本人で、信じるに値しない人物。
けれど、彼女が紡いだ言葉がシドの心の奥に突き刺さる。
今までも学校で魔法について学んできた。だがそれは周りから認められる為に魔法を学んできただけであって、心の底から知りたいとは思ってなかった。
故に、友人と言ってくれた者達の後ろに隠れ、自分の実力、弱さを見せないように生活し、授業中は目立たないように行動し続けて。
だからこそ、こうして魔法と向き合うと決め、惨めな自分では終われないと覚悟を決めた今、それは深く深く突き刺さる。
——俺は、魔法を好きになりたい。
——俺は、もっとちゃんと、魔法を知りたい。
もう、今のシドは一昔前のように魔法から目を背け、逃げようとしていたシドではないのだから。
——このままで終わるのは嫌だ。
それは、自分に何度も言い聞かせた格好つけの悪足掻き。
ようやくシドは立ち上がり、狼へと顔を向き直す。
無駄な行為だとわかっていてもなお、シドを連れ戻す前に助言を与え、まだ魔法で抗えると、魔法と向き合えるチャンスをくれたカルディラと肩を並べる。
別に仲間じゃない。むしろ、カルディラは変わらず敵という認識だ。
しかし今だけは狼という同じ敵を前に、一時的に同じ方向を向いているだけ。
今こうしてカルディラという殺人鬼と共に並び、狼と相対している状況。この判断が間違っていてもいい。世間からは許されないことだと、お前はバカだと叫ばれてもいい。シドは自分の心と素直に向き合うと決めた。
カルディラを信じるのではなく、自分自身の意思を信じるのだ。
「なら、ご教授いただきますよ、カルディラさん」
「さっさと魔法陣を展開するんだな。話はそれからだ」
学校で望むような評価を得られず、下を向き続けてきたシドが、学校では出会えなかった教えを、よりによって自分を誘拐した殺人鬼から受ける、なんてかなり皮肉なものだが。
「オォイ!見つけたぞ……見つけたぞカスが!ぶち殺す!ぶち殺してやる!オォイ!」
怒号を撒き散らしながら、狼はシドの匂いを嗅ぎつけ、視界に入れた瞬間、突進してきた。その勢いは、狼の体が途中木の幹に傷つけられようとも収まることなく、さらに加速してくるほどだ。
あんなのに追いつかれて激突した時には体は衝撃でバラバラになってしまうだろう。
だが、シドは臆することなく狼の正面に立ち、肩と腹を使って息を整え、両手を眼前に動かすと、カルディラに背を向け、直径30cm程度の魔法陣を展開する。そして、
「我、この世における栄光なる輝きを元に——」
詠唱を開始。
シドが放とうとしている魔法は、生み出した光に槍のような鋭さを与え、前方に発射する魔法。先程これを放とうとして、失敗に終わった魔法だ。
カルディラの言う通り、普段よりも大きな魔力を体の内側に感じる。これが魔力過多というやつらしい。少し魔法陣に魔力を与えようとするだけで、余計な魔力まで溢れ出てくる。体内の魔力量が限界を迎えている合図だ。
シドが展開した魔法陣がカタカタと震える。
「魔力出力が雑すぎる。魔力を押し出すんじゃなくて魔力を陣の中心に流せ。そんなんじゃまた割れるぞ」
「如何せん、魔素の過剰摂取なんて初めて経験したんでね!ごめんなさいねっ!」
「……だろうな」
早速開催された、カルディラによる無愛想な魔力出力の授業に、シドは言い訳を述べながら参加する。
スカイア学園での授業では、逆に与える魔力量が少なすぎると指摘される方が多かった。そのため、魔力出力が雑になってでも魔力を絞り出そうとする癖のようなものが、今回は返って仇になっていると。
カルディラがシドの言い訳に短く返事をした横で、シドは言われた通りに魔力を水を流すように陣に与えていく。体の奥底から湧き出た魔力を、腕から指先へと伝らせ、丁寧に流していく。すると魔法陣は震えを止め、乱れのない輝きを放ち始めた。
詠唱を続ける。
「——闇を砕き全てを照らす」
「魔法陣はただの"魔力を魔法に変える"ための通過ゲートに過ぎない。魔法陣ができたんなら、次は出力をそのまま安定させつつ、魔法の精度を高めろ」
カルディラの言葉にシドはコクリと頷くと、陣の前に魔力から生み出された黄金に輝く光を作り上げていく。それは次第に前方へと鋭く伸び、一本の槍のような形に変わっていく。
しかし思っていた以上に、溢れ出ようとする魔力を制御するのは難しいものだ。一瞬でも集中力を切れば形は朧気になってしまう。
地面が激しく揺れる。狼の悍ましい形相が間近に迫り、シドはゴクリと息を飲んだ。
「あんな風に、感情に体を任せた動きは実に単純だ。バカは先を読みやすいだろ?まだ精度を上げられる」
緊張感を高めていたシドの横で、カルディラは親指を狼に向け、感情の籠っていない声を出しながらそう語る。カルディラは狼など敵じゃないのかもしれないが、シドにとっては人生を左右するレベルの敵なので、もう少し雰囲気を大切にして欲しいと頭の片隅で思ったりする。
「……ッスね」
だが確かに狼の動きは、ただシドに勢い良く突進してきているだけ。狙いやすい、いい的だ。時間こそ無いが、相手の行動を予想できてしまえば、案外心は多少なりとも落ち着くもので。
狼は近い。けどまだ打つには早い。
まだ引き付けられる。
まだ先を鋭くできる。
まだ光の力を高められる。
まだ早い。
もう少し、
もう少し……
「死ねぇえええ!!」
キィィィ……
黄金の輝きはシドの心臓の音と呼応するように、静かに瞬きはじめる。
それは、一本の槍として、正式に魔法となったのだ。
同時に、狼はシドを丸呑みしようと大きく口を開ける。岩のように固く、丸太のように太い牙が幾つも並び、今度こそシドを仕留めようと襲いかかる。
ご丁寧なことに、狼はシドが作り上げた光の槍を口の中に入れた。魔法の槍が見えていないのか、それも含めてシドを丸呑みにできると思っているのか。
「……実に非合理的だ」
カルディラが狼に対してそうポツリと零した時、シドは最後の詠唱を言い放った。
「黄金の導きを顕現す——」
「フォス・ドルュー!」
シドの目と鼻の先に、狼の牙が差し掛かったが、詠唱を完了したその刹那、狼は後方へ引っ張られるように吹っ飛んだ。
「オガアアッ!」
シドの魔法"フォス・ドルュー"は狼の口の奥へと突き刺さり、赤い血液を散らしながら狼の内部へと侵入する。それだけでは終わらず、フォス・ドルューは狼の臓器を抉り、穴を開け、分厚い皮膚を貫通してみせた。
狼は果物ナイフの刺さった片目だけではなく、口からも、皮膚からも血液を吹き出しながら地面に転がり込み、悶える。
怒号ではなく、悲鳴が森の中に響き渡った。
「アア、アアア!!イテェ、イテェよぉお!」
狼が悲鳴をあげるまでの数秒間、シドは自分で何をしたのか、何をできたのか、わからなくなっていた。本当に自分が、こんなに精度の良い魔法を放てる日が来るなど考えもしていなかったからだ。
「——今の、本当に俺がやった、のか?」
受け入れ難い現実に、シドは困惑する。
だって、今までの自分は魔法の習得も遅く、力も弱く、教師に教わっても上手くいかず、期待もされないちっぽけな魔法しか出せなかったのに、こうして狼を吹っ飛ばせるほどの魔法を生み出せたのは初めてだったのだから。
けれど、狼を貫いた光の槍、フォス・ドルューの魔法が消えていくことを感じて、本当に自分がやった事なのだと、段々実感できる。
狼の叫び声が脳裏に響き、シドは両腕を振り上げて歓喜の声を上げた。
「——しゃあっ!!やった!できた!俺もこんなに上手く魔法を作って、あのクソ狼に魔法で攻撃することができたっ!よっしゃああ!!」
「まだ終わってないぞ」
「え?」
カルディラがシドの喜びを遮り、顔を静かに動かして「前を見てみろ」と合図する。
シドは「まさか」と苦笑いを浮かべながら、ゆっくりと吹っ飛んだはずの狼へ視線を向けた。
そこには、既に立ち上がろうとしている狼の姿が。
「痛ェ、痛ェ、殺す、痛ェ、殺す、ぶっ殺す……!」
「なんでまだ動けんだよ……」
体中から血液を流しているにも関わらず、狼は未だ四肢を動かし、シドの匂いを嗅ぎつける。元々悍ましい姿だったが、更に痛々しさも増していて、シドの背筋を凍らせる。
「構えろ」
「ッ——!」
カルディラの冷静な声に反射するように、シドは再度魔法陣を展開した。
直後、狼の足元にもまた魔法陣が展開され、陣の中心から天に向かって尖っている土を生み出し、シドに向かって光速で連なり、急襲する。
第2フェーズの始まりだ。
「アイツ、魔法まで使えたのか!?」
地面から生えてくる鋭利な大地を咄嗟に避け、シドは喜びなど忘れて焦りを冷や汗に変えて流す。
そもそも、狼が人の言葉を喋っていること自体がおかしい。その時点で普通の狼と呼べないし、かと言って"魔獣"と呼ばれる存在かと思いきや、闇の魔法を使っているわけでもなければ、特徴であるツノが生えている訳でもない。
じゃあ、コイツはなんなんだ?
狼について思考を巡らせるも、構わず狼は次の魔法を放つ。シドの匂いを辿って、地面は迫り上がり急所を一刺ししようとする。考えている場合じゃない。
横に飛び込んで回避を繰り返し、息を切らしながら狼の魔法から逃れる。けれど、体の傷や体力的に、逃げ続けてはいつか限界が来るだろう。
シドは、またカルディラに背を向けながら魔法陣を展開し、詠唱、先程の成功体験を再生するように魔力を光に変え、魔法フォス・ドルューを生み出し、狼に向かって光の刃の先を合わせ、飛ばす。
しかし、狼は己の危機を察知し、飛んでくるシドの光の槍を簡単に避けた。狼もこの戦いの中で学んでいるのか、シドの顔を睨みつけながら威嚇の声を出している。
「クソッ!」
せっかく魔法と意気投合できそうなところだったのに、魔法が当たらないんじゃ意味が無くなってしまう。
さっきは狼の動きが単純で、読みやすく、魔法の槍との距離も近かったからこそ、狼の皮膚を貫けるほどの威力を出せたのだ。しかし、狼が魔法を使い始め、こちらを警戒し、間に距離ができてしまった。
これでは成功体験の完全再生ができない。
また、狼の足元に同じような魔法陣が展開されている。いいや、次は2つだ、2つの魔法陣が展開されている。戦場においての順応スピードは狼の方が早かった。走行しているうちに、シドの左右から尖った地面が奇襲する。
「うあっ——!」
途端、怖気付いた体は動きを止め、足がすくみ尻もちを着いて倒れる。
けれども、シドは歯を食いしばりながら顔を上げ、もう一度、そのまま魔法陣を展開。詠唱。
まだ負けるものか。成功体験を完全再生できなくてもいい、まだ抗うんだ。
「フォス・ドルュー!フォス・ドルュー!!」
地面を転がりながら狼の魔法を避けつつ、自分も魔法を放ち続ける。何度も何度も、狼の生み出した大地の魔法攻撃が頬をかすって、命の危険を感じながらも、まだ、続ける。魔法陣の展開を、詠唱を。
けど、当たらない。当たらない。
「ガハハハハ!わかってきた、わかってきたぞ!オイ!」
狼は学習し、余裕げな表情を浮かべ始める。
だが、こっちだってまだ負けてない。まだ尻もちをついただけ。まだ、魔法で抗う。また当てる。次は当てる。今度こそ。抗う。俺は、まだ、まだ。
「フォス・ドルュ……」
「感情に体を任せた動きは単純で、読みやすいと言ったはずだ。同じパターンの攻撃ばかりでは、お前よりバカなあの狼でも先を読めてしまう。」
「——!」
汗水垂らし、頬から、片腕から、血を流し、必死になっている中で、聞こえるカルディラの声。
励ましも心配もない。それは殺人鬼としては相応しい立ち振る舞いなのだが、彼女は変わらぬ無表情と、無愛想な態度で授業を再開する。
「それに、」
しかし、続けて発せられた声は、
「……魔法はな。嘘をつかないんだよ」
その声だけは、どこか力強さを感じた。
「……嘘?俺、嘘なんてつきましたっけ……」
カルディラはシドの魔法を見た。彼は戦闘経験が少なく、攻撃魔法のパターンが少ないのも理解している。けれど、それを抜きにして、彼にはまだ欠けている要素があると思う。
それは、未熟な自信だ。
スカイア学園での彼の生活がどのようなものだったかは知らないが、隠れるように日々魔法を出してきたのだろう。カルディラがシドの前に現れてからというもの、展開される魔法陣は小さくなり、背中で魔法の発動を隠すように体を動かして。見られるのを嫌がっているみたいに見える。それでは自ら行動範囲を狭めているようなもの。
負けられない、と意気込むのはいいが……その魔法陣を隠すように展開するやり方は、初心者が挑むにしてはハードルが高い。
シドが動きを予測されないように、考えてそうしているようには見えない。となれば、癖だ。
非常にダメな癖だ。
「お前、自分の魔法に自信が無さすぎる。いいや、自信は芽生えてきたのだろうが、まだ自分を信じきれてない。魔法は、魔力の出力、精度だけじゃないんだよ」
「自信……」
「もっと自分を信じてみたらどうだ?お前が向き合おうとしている魔法は、その程度で終わらないはずだ」
「————」
ボコボコと、地面が抉れる音が耳に届き、シドは視線を狼へと戻した。そして、今度は魔法陣を大胆に、直径1mほどの大きさで展開してみせる。
そうだ、そうだよ。見られて、実力がバレて、「大したことない」って言われるのを恐れて、隠れるように魔法を出してるままじゃ、魔法と向き合えても成長はできない。
ここにいるのは、どうせ敵わない殺人鬼だけなのだから、実力がバレるもクソもない。
シドは、自分で付けた枷を外し、口角を上げた。
「——フォス・ドルュー」
「もうその攻撃はわかってんだよ!カスが!!」
狼は得意げに、シドの放ったフォス・ドルューを躱そうと体を動かす。
けれど——
もうその魔法、フォス・ドルューに迷いはなかった。
実力を認めた上で、己を信じ、恐れることを止めたその魔法は、狼の大地の魔法を貫き、動く狼の巨体を追尾してた。
単なるパワーアップ、ということでは無いが、今まで隠していたものを、隠さなくなった効果は魔法に現れる。
「な——」
簡単に避けられる、そう考えていた狼は、その微かな声を最後に、光の槍で串刺しになった。血液が雨のように降り注ぐ。
脳天から、胴体の後ろまで、体内を貫かれた狼は、白目をむくと、そのまま叫び声も上げずに横に倒れ込んだ。
ドスン
「——はっ」
魔法を出し切ったシドは、数秒間、微動だにしない狼の姿を見て、乾いた声を喉から出す。
終わった、という実感が、シドの疲労しきった足から力を抜き、なんとも言えない虚無感を与える。それもそうだ、シドはこの数時間、ずっと走って、考えて、抗って、魔法を出して。やり遂げたから。
静まり返った森の中。
なぎ倒された数々の木々。
抉れた大地。粉々になっている岩。飛び散っている血痕。
全部、全部、シドが狼と戦った証拠だ。
「————」
体内で溜まり、溢れそうになっていた魔力は既にすっからかんだ。それだけじゃない、体力も、精神も、もう何度もボロボロになった。
「————」
荒れた地面の上に座り込み、シドはボーッと風景を見渡す。心地よい夜風が吹き、シドの金髪を揺らし、本当に戦いは終わったのだと、告げられたような気がして。暫く思考が止まりかけていた、その時、カルディラはシドの真横に立ちながら、
「——やればできるじゃないか」
そう言った。
シドはまた目を見開く。
彼女でも、そんな言葉が出せるのだと思ったんだ。顔は変わらず無表情だが、どこまでも"無"ではなかった。殺人鬼らしい顔、なのに、殺人鬼らしくない言葉を今更。
つくづく、わけのわからない女。
「——はは」
不意に笑みが零れる。
おかしいよ、カルディラも、アスターも。どうしてアンタらは、最後まで犯罪者と、犯罪者の仲間らしく振舞ってくれないのだろう。
わからない。わからない。
結局、わからないことだらけのまま。
けど、それでもいいかもしれない。
「ウガアアアアアア、アアアアア!!!」
うめき声に、シドはビクリと体を震わせて反応する。
次に、頭に浮かんだのは絶望だった。
視線を移した時には既に、狼は起き上がり、体を血に染めたまま、カルディラに向かって爪を立てていた。
狼はシドの匂いを嗅ぎつけてここまで来たのだろうが、横に立っていたカルディラをシドだと勘違いしたのだろつか。最後の力を振り絞って攻撃を仕掛けている。
そう、カルディラは殺人鬼。シドを攫った張本人で、シドに恐怖を与えた犯罪者。
けれど——
そんなことを考える前に、シドは彼女に向かって手を伸ばしていた。
咄嗟だった。考える暇なんて無かった。考える前に、体が動いてしまっていたんだ。
カルディラに、狼の巨大な爪が襲いかかる——
「カルディラさん!!」
「——そう、魔法は嘘をつかないからこそ、美しい」
ガキン
衝撃音が鳴り響き、シドは思わず目を瞑る。
だが、その衝撃音が肉が裂かれる音じゃなかったことに気が付き、シドは恐る恐る目を開いた。そこには——
カルディラの前でシールドを展開しているカラス——フレンの姿があった。
フレンは、その小さな鳥の姿であるにも関わらず、巨大な狼の爪をシールド一枚で防ぎきっている。とてつもない防御力だ。シールドはヒビも入らず、力に負けることもなく、カルディラへの攻撃を一切許さない。
シドがまた、ポカンと口を開けている傍で、カルディラは指先をしなやかに動かし、白い光を纏った、砂のような魔法を生み出した。
砂の一粒一粒が、月のように輝き、周囲を優しく照らす。
「この世は魔法と共に生きる世界なのに、その魔法の本質を理解できているやつは少なすぎる。私は語り続けよう。魔法は、こんなにも美しいものなのだと」
白い砂の魔法は、ひとつに集合すると、次第に根を伸ばし、葉を広げ、巨大な白い蕾へと姿を変えた。
その大きさは、狼の体と同じ程度の大きさ——否、狼を越える大きさだ。
白い蕾は、カルディラの指の動きに合わせながら花弁を広げ、白い薔薇を咲かせる。
そして、咲いた薔薇は、花弁を狼の周囲に落とし、包み込んだ。
なんだ、これは。
なんて、なんて——
シドは何一つ声を出せなかった。シドは白き光に照らされて、カルディラの魔法を凝視する。目を背けられるはずがない。
その、美しい月光のような輝きを放つ薔薇の魔法と、それに照らされる美しい少女に魅了されてしまったのだから。
なんて、美しいんだろう。
——初めて、魔法を美しいと思った。
——初めて、魔法という美しさを知った。
カルディラ。身長168。
灰白色の腰まで届く長い髪と、紫苑色の瞳を持った美しい少女。
大きなジャケットを羽織り、ノースリーブ、ショートパンツとブーツを身につけていて、その全ては黒く染まっており、まるでカラスのような装いだと言われている。
彼女はスカイア帝国内で、殺人鬼として国を脅かす存在。
得意な魔法属性は"無"。




