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白銀の旅路  作者: 人形遣い
第一章「二頭の金獅子と亡国の姫」

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第9話 まだ、共に


 二つの魂が、ほんのわずかにグレイの魔力へ触れ返した。


 錯覚ではなかった。


 ライアンの手を握る右手と、ライカの手を包む左手。そのどちらからも、肉体に残った魔力とは異なる微かな感触が伝わってくる。


 弱い。


 今にも途切れてしまいそうなほどに。


 けれど、確かにそこにいる。


「……ライアン」


 呼びかける。


「ライカ」


 返事はない。


 冷たくなり始めた身体は動かない。


 それでも、グレイの魔力に触れた二つの何かだけが、かすかに揺れた。


 グレイは俯いたまま目を閉じる。


 感覚を研ぎ澄ませた。


 血の匂い。


 風の音。


 遠くで燃えている木材が爆ぜる音。


 すべてが邪魔だった。


 意識を切り離すように、一つずつ遠ざけていく。


 残すのは、自分と二人だけ。


 ユニークスキルを使う時に感じる、馴染み深い魔力の糸。


 これまで何度も触れてきた。


 父を。


 母を。


 家臣たちを。


 騎士を。


 侍女を。


 料理人を。


 失った者たちを、この世界から完全に消したくなくて手を伸ばした。


 記憶を拾った。


 残った魔力を繋いだ。


 身体に刻まれていた癖まで探し、人形という新しい器へ移した。


 だから知っている。


 今、指先へ触れているものは、それらのどれとも違う。


 もっと深い。


 記憶よりも。


 魔力よりも。


 身体よりも。


 その人が、その人であるための中心。


「……これが」


 グレイの唇が小さく動く。


「魂……」


 今まで知らなかった。


 あるのかどうかさえ考えたことがなかった。


 けれど今は分かる。


 ライアンとライカが死んだことで、肉体との結び付きが解けようとしている。


 このまま何もしなければ、やがて完全に離れていく。


 どこへ行くのか。


 その先に何があるのか。


 グレイには分からない。


 分からないからこそ、怖かった。


「待ってくれ……」


 魔力の糸を伸ばす。


 触れる。


 だが、掴もうとした瞬間、魂がわずかに遠ざかった。


「っ……」


 グレイは慌てて力を緩めた。


 違う。


 強引に縛るものではない。


 人形を操る時のように、魔力で掴んではいけない。


 そう感じた。


 グレイは呼吸を整える。


 胸の奥には、まだ怒りが残っている。


 広場を埋め尽くしていた人々。


 二人へ石を投げた者。


 罵った者。


 実兄を褒め称えた者。


 武器を向けてきた騎士。


 全部。


 消した。


 自分が。


 その事実を考える余裕は、まだなかった。


 今はただ。


 二人を失いたくない。


 それだけだった。


「……俺の声、聞こえてるか」


 問いかける。


 魂が微かに揺れる。


 グレイの喉が震えた。


「聞こえてるなら……」


 そこで言葉が止まった。


 何を言えばいい。


 戻ってこい。


 命令すればいいのか。


 自分は真祖だ。


 人形を作れる。


 死者すら形として残せる。


 なら。


 力で繋ぎ止めれば。


「…………」


 できるかもしれない。


 けれど。


 それは違う。


 ライアンとライカは、自分の所有物ではない。


 友達だ。


 自分が一緒にいたいからという理由だけで、死んだ二人を勝手に縛っていいのか。


 答えは出なかった。


 グレイは二人の手を握ったまま、俯く。


「……ずるいよな」


 声が掠れる。


「死んだ奴に聞いても、返事できないのに」


 ライアンなら、こういう時に何と言うだろう。


『姫さん、急に重い話するっスねぇ』


 きっと軽口を叩く。


 ライカなら。


『にーちゃん。少しくらい真面目に答えやがってください』


 そんなふうに呆れる。


 簡単に想像できた。


 それが余計に苦しい。


「俺は……」


 グレイはライアンの手を少し強く握った。


「お前らと、まだ一緒にいたい」


 ライカの手も。


「でも」


 一度、息を呑む。


「俺がそう思ってるだけなら……駄目だ」


 自分が失いたくないから。


 それだけで家族を人形へした。


 あの時は考える余裕などなかった。


 国が滅び。


 父も母も。


 知っている人間が次々に死んだ。


 幼い自分は、ただ嫌だと叫んだ。


 消えないでほしいと願った。


 だから人形へ変えた。


 今も後悔しているわけではない。


 母は母だ。


 家臣たちも変わらない。


 グレイにとって大切な家族であることに疑いはない。


 けれど。


 今、自分が触れているものが本当に魂なのだとしたら。


 話は違う。


 これは記憶ではない。


 再現でもない。


 ライアンとライカ自身だ。


「だから……」


 グレイは目を閉じた。


「嫌なら、行っていい」


 言葉にした瞬間、胸の奥が締め付けられた。


 本当は行ってほしくない。


 絶対に。


 それでも言う。


「どこに行くのか知らないけど……俺が邪魔することじゃないなら、行っていい」


 涙が落ちる。


「ただ」


 握った手を離せなかった。


「もし」


 声が震える。


「お前らも……」


 ライアン。


 ライカ。


 三人で買った鍋。


 焚き火を囲んだ夜。


 釣り糸を垂らした川。


 ライアンが一匹も釣れず、ライカが呆れていた顔。


 知らない料理を食べた時。


 自分が吸血鬼だと告げた夜。


 二人は逃げなかった。


 化け物とも言わなかった。


 母に会いたいと言ってくれた。


 故郷へ行きたいと言った。


「俺と」


 喉の奥から、ようやく言葉を押し出す。


「まだ旅したいって思ってくれてるなら」


 魔力の糸を開く。


 縛らない。


 引かない。


 ただ。


 二人へ差し出す。


「……戻ってきてくれ」


 風が吹いた。


 銀髪が揺れる。


 返事はない。


 グレイは待った。


 一秒。


 二秒。


 それがどれほど長く感じられたか分からない。


 やがて。


 右手。


 ライアンの魂が動いた。


「……っ」


 グレイの魔力へ。


 自ら触れる。


 続いて左。


 ライカも。


 二つの魂から伸びた感覚が、グレイの糸へ絡む。


 強引に引いたわけではない。


 二人が。


 選んだ。


「……馬鹿」


 グレイの顔が歪む。


「本当に……馬鹿だな、お前ら」


 涙を拭う余裕もなかった。


 魔力を広げる。


 魂を包む。


 だが、そこで次の問題に気付いた。


 器がない。


 今の身体は死んでいる。


 首は落とされ、血も大量に失われている。


 このまま魂だけを留めても、長くは保てない。


 なら。


 作るしかない。


 新しい身体を。


 グレイは処刑台へ両手をついた。


「《愛おしく狂おしい人形劇》」


 魔力が広がった。


 血に濡れた木材。


 砕けた石。


 周囲に散らばった武器。


 それらには触れない。


 グレイが求める素材は、ここにはない。


 指を動かす。


 空間が開いた。


 《ドールハウス》へ繋がる小さな門。


 グレイ自身は入れない。


 生者も入れない。


 だが、物を出し入れすることはできる。


「母上」


 呼びかける。


 返事はすぐに来た。


『グレイ?』


 声だけ。


 向こう側から届く。


 グレイは一瞬、言葉に詰まった。


『どうしたの?』


 母の声が少しだけ強くなる。


『何かあったのね』


「……材料が欲しい」


『何を作るの?』


 グレイは二人を見る。


「二人分の身体」


 向こう側が静かになった。


 母は何も聞かなかった。


 誰の。


 なぜ。


 どうして。


 今は必要ないと分かってくれたのだろう。


『分かったわ』


 少しして。


 白い素材が門の向こうから送られてくる。


 魔導白磁。


 旅立つ前から、人形たちの修復や改良に使ってきたもの。


 魔力との親和性が高く、加工しやすい。


 グレイはそれを受け取る。


「ありがとう」


『グレイ』


「ん?」


 母の声が柔らかくなる。


『急がなくていいから。あなたが大切だと思う形にしてあげなさい』


 グレイは唇を結んだ。


「ああ」


 門を閉じる。


 目の前に置かれた白磁へ魔力を通す。


 形を作る。


 骨格。


 関節。


 魔力回路。


 外皮。


 今までなら、残された身体を基準にすればいい。


 だが今回は。


 魂がある。


 ライアンという存在が。


 ライカという存在が。


 そこにいる。


 グレイは魂へ触れながら、一つずつ形を整えていく。


「ライアンは……」


 背丈。


 肩幅。


 腕。


 短剣を扱うための可動域。


 軽さ。


 踏み込み。


 生前の身体より、ほんの少しだけ丈夫に。


 けれど、動きを邪魔しない。


「お前、重い身体嫌いそうだもんな」


 返事はない。


 それでも魂が、ほんの少し揺れた気がした。


「文句は後で聞く」


 次に。


「ライカ」


 細身。


 鉄扇を扱う腕。


 氷魔法を流す魔力回路。


 指先。


 姿勢。


 髪。


「髪型変えたら怒るか?」


 微かな揺れ。


「……やめとくか」


 グレイは鼻を啜った。


 少しだけ。


 笑えた。


 作業を続ける。


 急げば雑になる。


 遅すぎれば魂が弱る。


 その境目を探しながら。


 グレイは集中した。


 魔導白磁が形を変えていく。


 白い人形。


 そこへ色が宿る。


 金色の髪。


 獣人特有の耳。


 顔。


 目。


 ライアン。


 ライカ。


 瓜二つではない。


 双子であっても違う。


 表情も。


 立ち方も。


 魔力の流れも。


 グレイは知っている。


 一緒に旅をしたから。


 何度も見たから。


「……できた」


 二体の人形が横たわっている。


 眠っているように。


 まだ動かない。


 グレイは息を整えた。


 ここからだ。


 これまでは、記憶と人格を人形へ定着させていた。


 今回は。


 魂そのものを。


「……どうすればいい」


 問いかけても答えはない。


 けれど。


 ユニークスキルは、自分自身の一部だ。


 グレイは感覚を探る。


 魂を糸で包む。


 人形へ伸ばす。


 胸の中心。


 魔力核。


 そこへ。


「ここか」


 人形には心臓がない。


 生物ではない。


 けれど魔力を循環させる中心はある。


 その中心へ、魂を置く。


 違う。


 置くのではない。


 結ぶ。


 魂と器を。


 互いが離れないように。


 魔力の糸を編み込む。


 一重。


 二重。


 三重。


 魂そのものを縛るのではなく。


 魂が人形の身体を自分のものとして扱えるように。


 神経の代わりに魔力を。


 血管の代わりに回路を。


 心臓の代わりに核を。


 肉体と魂を繋いでいたものを、グレイの魔法で作り直す。


「……分かる」


 初めてなのに。


 少しずつ。


 理解できる。


「こうすれば……」


 ライアンの魂が、新しい身体へ触れる。


 指先が。


 ほんのわずかに動いた。


 グレイの呼吸が止まる。


「ライアン?」


 まだ目は開かない。


 続いて。


 ライカ。


 魂を結ぶ。


 魔力が流れる。


 胸の核が淡く光る。


「……頼む」


 グレイは二人の間に座った。


 右手でライアン。


 左手でライカ。


 新しい手を握る。


 白磁でできているはずなのに。


 魔力が流れ始めたことで、少しずつ温度が変わっていく。


 人間と同じではない。


 それでも。


 完全な冷たさではなくなった。


「戻ってこい」


 魔力を送る。


「まだ終わってないだろ」


 核が脈打つ。


 一度。


 魔力の光。


 二度。


 指が動く。


 三度。


 ライアンの胸が、呼吸を真似るようにゆっくり上下した。


 必要のない動き。


 人形なのだから、息をする必要はない。


 それでも。


 魂が身体を動かそうとしている。


「……姫……さん」


 掠れた声。


 グレイの瞳が大きく開く。


 ライアンの瞼がゆっくり持ち上がった。


 金色の瞳。


 焦点が合わない。


 何度か瞬きをする。


「…………」


「ライアン」


 グレイが身を乗り出す。


「俺だ。分かるか」


 ライアンはしばらく天井――ではなく、青空を見ていた。


 次に。


 グレイを見る。


「……姫さん?」


「ああ」


「なんで……泣いてるんスか」


 グレイの顔が崩れた。


「お前のせいだよ……!」


 ライアンが目を瞬く。


「えぇ……」


「えぇ、じゃねぇ!」


 怒鳴った。


 けれど。


 声は途中で震えた。


「馬鹿……!」


 ライアンの手を両手で握る。


「馬鹿野郎……!」


 ライアンは自分の手を見る。


 指を動かす。


 白い。


 皮膚のように見えるが、感覚が違う。


「これ……」


 隣から。


「……にーちゃん、うるさいです」


 二人の動きが止まった。


 グレイが振り返る。


 ライカの目が開いていた。


「ライカ……」


「頭に響きやがってください……」


 言いながら、ゆっくり上体を起こす。


 その途中で。


 自分の首へ触れた。


「…………」


 ライカの表情が止まる。


 首。


 繋がっている。


 次に手を見る。


 腕。


 身体。


 自分の胸へ触れる。


「……心臓が」


「ない」


 グレイが答えた。


 ライアンも胸へ手を当てる。


「……動いてないっスね」


「ああ」


 しばらく。


 三人とも黙った。


 ライアンの記憶が戻っていく。


 処刑台。


 群衆。


 兄。


 刃。


 最後に見た。


 銀髪。


「俺ら」


 ライアンがグレイを見る。


「死んだっスよね」


「ああ」


 グレイは誤魔化さなかった。


「首を落とされた」


「やっぱり」


 ライカも自分の身体を見下ろしている。


「では、この身体は」


「人形だ」


 二人がグレイを見る。


「俺が作った」


 グレイは拳を握った。


「……勝手に」


 ライアンとライカは何も言わない。


 グレイは続ける。


「死んだお前らの魂を見つけた」


「魂?」


「ああ。俺も初めて分かった。今まで作ってきた人形とは違う。お前ら自身が……そこにいた」


 胸元を指す。


「だから、新しい身体を作って、魂を定着させた」


 ライアンが自分の頬をつまむ。


「……痛い」


「感覚もある程度は再現してる」


「腹減るんスか?」


「知らん」


「姫さんが作ったのに?」


「初めてなんだよ!」


「そりゃそうっスよね」


 ライアンが笑う。


 その笑い方。


 いつもの。


 グレイの胸がまた痛んだ。


 ライカは静かに自分の指を曲げ伸ばししていた。


 やがて。


 周囲を見る。


 処刑台。


 そして。


 広場。


 笑みが消えた。


「……お姫ちゃん」


 グレイの肩が僅かに動く。


 ライアンも気付いた。


 起き上がる。


 処刑台の向こうを見る。


「これ……」


 声が止まった。


 人が倒れている。


 一人や二人ではない。


 広場を埋めるほど。


 壊れた石畳。


 切断された武器。


 焼けた建物。


 血。


 戦いの跡。


 いや。


 戦いと呼べるものだったのかも分からない。


 ライアンの顔から表情が消える。


「姫さん」


「……俺がやった」


 グレイは二人を見なかった。


「全部」


 ライカがゆっくり立ち上がる。


 まだ身体に慣れていないのか、少しふらついた。


 グレイが反射的に支えようとする。


 だがライカは自分で踏みとどまった。


「どうしてです」


 責める声ではなかった。


 だからこそ。


 グレイは答えに詰まった。


「……お前らに」


 拳を握る。


「石を投げた」


「はい」


「罵った」


「はい」


「反逆者って」


「聞こえていました」


「笑ってた」


 グレイの声が低くなる。


「お前らが死んで。兄貴を褒めて。石投げて……」


 呼吸が乱れる。


「俺は」


 あの時の怒りが戻ってくる。


「許せなかった」


 ライカは黙って聞いている。


「気付いたら」


 グレイは広場を見る。


「こうなってた」


 ライアンが目を伏せる。


「……何人っスか」


「分からない」


「分からないくらい?」


「ああ」


 沈黙。


 風が吹く。


 血の匂いを運んでいく。


 ライアンは頭を掻こうとして、手を止めた。


 自分の髪の感触を確かめるように触る。


「姫さん」


「なんだ」


「それは駄目っスよ」


 グレイは顔を上げた。


 ライアンの表情に笑みはない。


「俺らが殺されたからって、ここにいた全員殺すのは違うっス」


「…………」


「石投げた奴もいた。罵った奴もいた。でも、何もしてない奴だっていたはずっスよ」


「……分かってる」


「本当に?」


 グレイは答えられなかった。


 ライアンが続ける。


「姫さんが怒ってくれたのは……嬉しいっスよ」


 少しだけ。


 苦い笑い。


「そこまで俺らのこと大事に思ってくれてたんだって分かるから」


 グレイの指が震える。


「でも」


 ライアンは広場を見る。


「これは、ありがとうって言えないっス」


「……ああ」


「俺らのためって言われても」


「分かってる」


「姫さん」


「分かってるって言ってんだろ……!」


 声を荒らげた。


 ライアンは黙った。


 グレイの目から涙が落ちる。


「分かってるよ……」


 唇を噛む。


「こんなの……お前らが喜ばないことくらい」


 分かっていた。


 だから。


 余計に苦しい。


「でも……止まれなかった」


 小さくなる。


「また、目の前で……」


 父。


 母。


 燃える国。


 あの日と重なった。


「また大事な奴が死んで……」


 肩が震える。


「しかも笑ってる奴らがいて……」


 ライカがグレイを見る。


「お姫ちゃん」


「……なんだよ」


「こちらを向きやがってください」


「嫌だ」


「向いてください」


「嫌だって」


「お姫ちゃん」


 グレイは渋々顔を上げた。


 次の瞬間。


 額を指で弾かれた。


「痛っ」


 反射的に額を押さえる。


「何すんだよ!」


「馬鹿なことをしたからです」


「……人形のくせに痛いぞ」


「お姫ちゃんが感覚を作りやがってくださいましたので」


「そうだけど!」


 ライカは息を吐く。


 そして。


 グレイの前へ膝をついた。


 視線を合わせる。


「怒ってくれたことは、私も嬉しいです」


「…………」


「私たちが死んで、お姫ちゃんが何も感じなかったのであれば、それは少し寂しいですから」


 ライアンが横から頷く。


「かなり寂しいっスね」


「ですが」


 ライカは続ける。


「怒ったから何をしてもいいわけではありません」


「……ああ」


「お姫ちゃんは強いです」


「…………」


「とても」


 その言葉。


 昔。


 父にも似たことを言われた。


 大きな力ほど。


 扱い方を間違えてはいけない。


 グレイは目を伏せる。


「……父上にも言われた」


「なら、忘れやがらないでください」


「うん」


 短い返事。


 王女でも。


 真祖でもない。


 叱られた少女の返事だった。


 ライアンが肩を竦める。


「ま、俺らも人のこと言えないっスけどね」


 ライカが振り返る。


「何がです?」


「兄上のこと。もっと早く気付けたかもしれないし、城で逃げる判断もできた」


「それとこれとは別です」


「ねーちゃん厳しいっスね」


「にーちゃんが甘すぎるだけです」


「死んだ直後くらい優しくしてくれてもよくないっスか?」


「もう死んでいます」


「それ言われると反論できないっス」


 いつもの会話。


 グレイは二人を見る。


 ライアン。


 ライカ。


 本当に。


 いる。


「……なあ」


 二人が振り返る。


「なんで」


 グレイは胸元を見る。


「戻ってきたんだ」


 ライアンが首を傾げる。


「戻ってきた?」


「俺、最後に選ばせた」


 魂へ手を伸ばした時。


 無理に引かなかった。


「嫌なら行っていいって」


 二人の表情が少し変わる。


「それでも、お前らがこっちを選んだ」


 グレイは二人を見る。


「なんでだ」


 ライアンとライカが顔を見合わせた。


 数秒。


 ライアンが吹き出した。


「何笑ってんだよ」


「いや」


 笑いを堪えながら。


「姫さん、本気で聞いてるんスか?」


「本気だよ」


「ねーちゃん」


「にーちゃんから言いなさい」


「えぇ」


「こういうのはにーちゃんの役目です」


「どういう役っスか、それ」


 ライアンは頭を掻く。


 それから。


 グレイを見る。


「まだ旅したかったからっスよ」


 あまりにも。


 簡単に言った。


 グレイが目を瞬く。


「……それだけ?」


「それだけって」


 ライアンは笑う。


「十分じゃないっスか?」


 ライカも隣へ並ぶ。


「王都を案内していません」


「釣りの再戦もしてないっス」


「砂漠にも行っていません」


「姫さんの故郷も」


「お母様にも、またお会いすると言いました」


「鍋も使わないと」


「にーちゃんは料理を覚えやがってください」


「俺も?」


「当然です」


 ライアンが嫌そうな顔をする。


 ライカは無視した。


「それに」


 グレイを見る。


「お姫ちゃん」


「ん?」


「私たちは、お姫ちゃんと旅をするのが楽しかったんです」


 静かな声。


 グレイは動けなかった。


「最初は心配だっただけです。一人で砂漠を越えてきた十歳くらいの子が、一人旅を続けると言うものですから」


「しかも全然言うこと聞かないっスし」


「お前らが勝手についてきたんだろ」


「そうっスね」


「ですが」


 ライカが微笑む。


「途中からは違いました」


 グレイも分かっていた。


 いつからか。


 二人はグレイを心配して同行しているのではなくなった。


 三人で次の街を決めた。


 三人で宿を探した。


 三人で食事をした。


 誰も。


 いつまで一緒にいるのか聞かなくなった。


「私たちも」


 ライカが続ける。


「まだ、共にいたかったんです」


 グレイの瞳が揺れる。


「だから」


 ライアンが笑う。


「姫さんが手ぇ伸ばしてくれたなら、そりゃ掴むっスよ」


「…………」


「まさか人形になるとは思ってなかったっスけど」


「嫌か?」


 思わず聞いた。


 ライアンは自分の腕を見る。


 曲げる。


 伸ばす。


 耳を動かす。


 尻尾も動かしてみる。


「うーん」


「何だよ」


「まだよく分かんないっスね」


 正直な答えだった。


「死んだ実感も微妙だし、この身体がどんなもんかも分かんないし」


 ライカも頷く。


「私も同じです」


 グレイの顔が少し曇る。


 それを見て、ライアンが笑った。


「でも」


 グレイを見る。


「姫さんとまた話せてるのは、嬉しいっスよ」


 ライカも。


「私もです」


 そして。


「ありがとうございます、お姫ちゃん」


 グレイの口が僅かに開いた。


「……俺」


 何を言えばいいか分からない。


「勝手にやったんだぞ」


「知っています」


「お前らの身体まで勝手に作った」


「それも聞きました」


「しかも……」


 周囲を見る。


「こんなことまでした」


「それは怒っています」


 即答だった。


「うっ」


「反省しやがってください」


「……はい」


「二度と同じことをしないでください」


「……努力する」


「約束しやがってください」


 グレイは少し黙った。


 それから。


「ああ」


 頷く。


「約束する」


 ライカはようやく表情を緩めた。


 ライアンが手を叩く。


「じゃ、帰るっスか」


 グレイが振り返る。


「帰る?」


「宿」


「……あ」


「鍋置きっぱなしっスよね?」


「ああ」


「菓子も」


「買った」


「姫さんが?」


「悪いかよ」


「いやぁ」


 ライアンがにやつく。


「俺らの分?」


「……ついでだ」


「絶対嘘っスね」


「うるさい」


 ライカが二人の間へ入る。


「その前に」


 広場を見る。


「ここから離れなければなりません」


 空気が変わった。


 グレイも理解している。


 これだけのことをした。


 国の中心。


 王都の中央広場。


 王族の公開処刑。


 そこへ乱入し。


 大量の人間を殺した。


 この国に残れるはずがない。


「追手も来るでしょう」


 ライカが言う。


「兄上がどう動くかも分かりません」


 ライアンの表情が曇る。


「兄上……」


 グレイは二人を見る。


「殺すか?」


「やめてください」


 ライカが即座に止めた。


「即答だな」


「当たり前です」


「でも、あいつが」


「それでもです」


 ライカの声は静かだった。


「兄上がしたことを許したわけではありません」


 ライアンも頷く。


「俺ら殺されてるっスからね」


「ですが」


 ライカは王城を見る。


「お姫ちゃんに殺してほしいわけではありません」


 グレイは黙る。


「私たちの家族です」


 その一言で。


 グレイは何も言えなくなった。


 家族。


 その意味を。


 自分は誰より知っている。


「……分かった」


「ありがとうございます」


「でも」


 グレイは王城を睨む。


「またお前らに何かしようとしたら、その時は知らないぞ」


「その時は自分たちで殴るっスよ」


 ライアンが笑う。


「ねーちゃんが鉄扇で」


「にーちゃんを先に殴ります」


「なんで!?」


「話をややこしくするからです」


「まだ何もしてないっスよ!」


 グレイの口元が。


 少しだけ。


 上がった。


「……帰ろう」


 今度は。


 その言葉を言えた。


 三人で。


 処刑台を降りる。


 ライアンとライカはまだ新しい身体に慣れていない。


 歩幅が微妙に合わない。


 ライアンは一度つまずきかけ。


 ライカは尻尾の感覚に戸惑っている。


「お前ら、歩くの下手になったな」


「生まれたてっスからね」


「二十五歳です」


「身体は生まれたてじゃないっスか」


「言われてみればそうですね」


「納得すんのかよ」


 グレイは呆れながら。


 二人の間を歩いた。


 広場を出る前。


 ライアンが一度だけ振り返った。


 自分たちが死んだ場所。


 自分たちの国。


 生まれ育った王都。


 ライカも隣で足を止める。


「……ねーちゃん」


「はい」


「戻ってこられるっスかね」


 ライカはすぐには答えなかった。


 長い時間。


 王城を見る。


「分かりません」


 正直に答える。


「ですが」


 隣を見る。


「生きていれば、いつか選べます」


 ライアンは自分の胸へ触れた。


 心臓は動いていない。


「生きてるって言っていいんスかね、俺ら」


 ライカも少し考える。


「少なくとも」


 グレイを見る。


「旅はできます」


「それで十分っスね」


 二人は王都へ背を向けた。


     ◇


 宿へ戻った頃には、陽が傾き始めていた。


 街にも既に王都で起きた異変の噂が届き始めている。


 グレイは外套のフードを深く被り、ライアンとライカにも目立たない格好をさせた。


 宿の主人に怪しまれないよう、二人は少し離れて待つ。


 部屋へ戻る。


 朝と同じ。


 卓上。


 焼き菓子。


 鍋。


 グレイはそれを見て、しばらく動かなかった。


 朝。


 ここで。


 今日くらい帰ってくるだろうと思っていた。


 本当に。


 帰ってきた。


 形は。


 想像していたものとは大きく違ったけれど。


 扉が開く。


「姫さん」


 ライアンが入ってくる。


 続いてライカ。


「勝手に入るなよ」


「俺らの部屋でもあったじゃないっスか」


「今朝まではな」


「冷たいっスねぇ」


 ライカが卓上を見る。


「鍋」


「ああ」


「本当に置いてありましたね」


「言っただろ」


 ライアンが焼き菓子を見つける。


「あ」


「触るな」


「俺らの分じゃないんスか?」


「母上の分もあるんだよ」


「じゃあ俺のどれ?」


「知らん。適当に食え」


「いただきます」


「早い!」


 ライアンが包みを開く。


 一つ取る。


 口へ入れる。


 三人が止まった。


「…………」


 ライアンが噛む。


 もう一度。


 首を傾げる。


「味する?」


 グレイが聞く。


「するっス」


「本当か?」


「甘い」


 ライアンの顔が明るくなる。


「普通に食えるっスよ!」


「うるさいです」


 ライカも一つ取る。


 小さく齧る。


「……本当ですね」


「腹は?」


「分かんないっス」


「満腹になるんでしょうか」


「今後確認だな」


 グレイも一つ取った。


 三人で。


 食べる。


 昨日。


 そうするつもりで買った菓子。


 誰も。


 しばらく話さなかった。


 ただ甘い。


 それだけでよかった。


 やがて。


 ライアンが鍋を見る。


「姫さん」


「なんだ」


「これ、持ってくっスよね」


 グレイは鍋を見る。


「……ああ」


「次どこ行くんスか?」


 何気ない問い。


 グレイは少し驚いた。


「もう行く気なのか」


「だって、この国いられないっスよ」


「それはそうだが」


「なら次決めないと」


 ライカも頷く。


「できるだけ早く国境を越えた方がいいでしょう」


 グレイは二人を見る。


「……お前ら」


「はい?」


「俺についてくるのか?」


 ライアンとライカが顔を見合わせる。


「何言ってんスか?」


「いや」


「姫さんが戻したんじゃないっスか」


「そうだけど」


「まだ共にいてくれ、って」


 グレイの顔が赤くなる。


「……聞こえてたのかよ」


「なんとなく?」


「全部ではありません」


 ライカが補足する。


「ただ、お姫ちゃんが呼んでいることは分かりました」


「忘れろ」


「無理っスね」


「忘れやがりません」


「お前ら……」


 グレイは額を押さえた。


 少しして。


 ライアンが椅子から立つ。


 片膝をついた。


「何してんだ?」


「いや」


 いつもの軽い笑み。


 けれど。


 少しだけ真面目だった。


「せっかく新しい身体もらったんで」


 グレイを見る。


「これからもよろしく頼むっスよ、姫さん」


 ライカも。


 隣へ立つ。


 片膝をつくようなことはしなかった。


 代わりに。


 いつものように腰へ手を当てる。


「にーちゃんだけ格好つけやがってください」


「いいじゃないっスか」


「私たちは友人でしょう」


 ライアンが瞬く。


「あれ、従者とかそういう流れじゃないんスか?」


「誰が決めたんです」


「雰囲気?」


「馬鹿ですか」


「酷い」


 グレイは二人を見る。


「……従者」


 その言葉を口の中で転がす。


 家族。


 友達。


 人形。


 どれか一つだけでは足りない。


 ライアンとライカは。


 自分で出会った。


 自分で大切になった。


 失って。


 それでも。


 互いに、まだ共にいることを選んだ。


「どっちでもいい」


 グレイは言った。


 二人が見る。


「俺にとっては」


 少しだけ迷って。


 でも。


 今度は言えた。


「家族みたいなもんだから」


 ライアンの目が丸くなる。


 ライカも。


「……姫さん」


「なんだよ」


「それ、結構恥ずかしいっスよ」


「殺すぞ」


「もう死んでるっス」


「もう一回人形に作り直すぞ!」


「怖っ!」


 ライカが口元を押さえる。


 小さく笑っていた。


「お姫ちゃん」


「なんだ」


「ありがとうございます」


「……何回言うんだよ」


「何度でも」


 ライカは静かに答えた。


「この身体を、ではありません」


 自分の胸へ手を置く。


「まだ一緒にいたいと、そう思ってくれたことにです」


 グレイは目を逸らした。


「……俺も」


 窓の外を見る。


 夕暮れ。


 街が橙色に染まっている。


「戻ってきてくれて、ありがとな」


 それ以上は言わなかった。


 ライアンも。


 ライカも。


 何も返さなかった。


 その必要がなかった。


     ◇


 日が沈む前に。


 三人は街を出た。


 荷物は少ない。


 鍋はライアンが持っている。


「なんでまた俺なんスか」


「元々お前が持ってただろ」


「一回死んだんだからリセットじゃないっスか?」


「何がリセットだ」


「にーちゃん。黙って持ちやがってください」


「ねーちゃんも持ってよ」


「嫌です」


「理不尽!」


 先を歩くグレイの背中へ。


 二人の声が届く。


 思わず。


 口元が緩んだ。


「うるさいぞ」


「姫さんが持ってくれるなら静かになるっスよ」


「断る」


「即答!」


 三人は街道を外れる。


 追手を避けるため、しばらく人通りの少ない道を進むことになる。


 国境まではまだ遠い。


 夜になれば。


 きっと野営する。


 鍋を使うかもしれない。


 ライカに料理を教わる。


 ライアンは何か失敗するだろう。


 それを三人で笑う。


 そんな。


 昨日までなら当たり前だった時間。


 今は。


 もう一度与えられた時間になった。


 グレイは立ち止まる。


 振り返った。


 遠く。


 夕焼けの向こうに、獣人の国の王都がある。


 ライアンとライカの故郷。


 グレイにとって。


 二人と出会った国。


 そして。


 二人を一度失った国。


「姫さん?」


 ライアンが隣へ来る。


「どうしました?」


 ライカも。


 グレイはしばらく王都の方角を見ていた。


 やがて。


 前を向く。


「行こう」


「どこへ?」


 ライアンが聞く。


 グレイは少し考えた。


 まだ決めていない。


 世界は広い。


 砂漠の向こうにも。


 この国のさらに向こうにも。


 知らない場所がある。


「とりあえず」


 歩き出す。


「この国の外」


「雑っスねぇ」


「追われてんだから仕方ないだろ」


「誰のせいですか」


 ライカの一言。


 グレイが黙る。


「……俺です」


「分かればよろしいです」


「ねーちゃん強いっスね」


「お前も何か言えよ」


「俺、姫さんに殺されたくないんで」


「もう死んでるだろ」


「そうだった」


 三人の声が。


 夕暮れの街道へ続いていく。


 グレイは前を歩く。


 少し後ろにライアン。


 その隣にライカ。


 最初に出会った頃と。


 それほど変わらない。


 ただ。


 確かに変わったものもある。


 ライアンとライカの胸には、もう心臓はない。


 流れる血もない。


 それでも。


 二人は自分の足で歩いている。


 自分の意思で笑っている。


 自分の意思で。


 グレイと共にいる。


 グレイはそれを。


 人形だからとは思わなかった。


 従者だからとも。


 ただ。


 家族が増えた。


 それでよかった。


「姫さん」


「なんだ」


「次、川あったら釣りするっスよ」


「いいぞ」


「今度は負けないっスから」


「一匹も釣れなかった奴がよく言うな」


「今回は身体も新しくなったんで」


「関係あるか?」


「あるかもしれないっス」


「ありません」


 ライカが切り捨てる。


「ねーちゃん!」


「釣りの腕まで人形にしてもらえばよかったですね」


「姫さん、今から追加できる?」


「できてもやらん」


「そんなぁ」


 笑い声。


 グレイは空を見る。


 夕焼けはもう薄れ。


 東の空から夜が広がり始めていた。


 旅は終わらない。


 一度。


 途切れた。


 確かに。


 二人の命は、あの処刑台で終わった。


 それをなかったことにはできない。


 グレイがどれほど強くなっても。


 人形をどれほど精巧に作れても。


 死そのものを消すことはできない。


 けれど。


 それでも。


 まだ共に歩きたいと願う者がいるのなら。


 その想いまで。


 手放す必要はない。


 グレイは少しだけ歩調を緩めた。


 後ろを歩いていた二人が追いつく。


 自然と。


 三人が横に並ぶ。


「なあ」


「なんスか?」


「何でしょう」


 グレイは前を見たまま言った。


「次の国でも」


 一度だけ。


 息を吸う。


「一緒に来るか?」


 ライアンは一瞬きょとんとして。


 すぐに笑った。


「何言ってんスか、姫さん」


 ライカも呆れたように息を吐く。


「今さら聞きやがってください」


 二人はそのまま歩いていく。


 グレイは少し遅れて。


 それから。


 二人の間へ戻った。


 三人分の足音が。


 夜へ向かう道に重なる。


 もう一度。


 旅が始まった。

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