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白銀の旅路  作者: 人形遣い
第七章『受け継がれた約束』

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第5話 城門の攻防


最初に聞こえてきたのは、遠くで鳴り続ける鐘の音だった。


グレイが宿の窓から通りを見下ろすと、まだ朝も早いというのに、大通りには多くの人が集まっていた。荷物を抱えて走る男、泣いている子供の手を引く母親、店先の商品を慌てて片づける商人たち。その間を武装した兵士が駆け抜け、住民へ避難を呼びかけている。


「……ずいぶん慌ただしいな。何かあったのか」


窓を開けると、下から怒鳴り声が飛び込んできた。


「西門を閉じろ! 住民は南側の避難所へ向かえ!」


「荷車を止めるな! 道を空けてくれ!」


再び鐘が鳴り、その音に重なるように低い地響きが伝わってきた。


グレイは窓枠に手を置き、街の外へ意識を向ける。


城壁の向こうから、多数の人間の気配が近づいていた。馬の蹄や荷車の車輪、鎧を身につけた兵士たちの足音が幾重にも重なり、その規模は街道で見かける部隊とは比べものにならない。


どうやら敵軍が、この街まで迫っているらしい。


グレイは窓を閉め、部屋の隅に置いていた荷物を手に取った。


数日前、街道で出会った軍人の顔が浮かぶ。


彼は軍へ戻ると言っていた。今頃は城壁の向こうにいるのかもしれない。


少し考えてから部屋を出ると、廊下では宿の主人が慌ただしく客室を回り、宿泊客へ避難を呼びかけていた。


「お客さん、まだいたのか! 西門の外に敵が来たらしいんだ。宿も閉めるから、早く避難してくれ!」


「分かった。俺も出るつもりだが、避難先は南側でいいのか?」


「ああ。南門の近くにある広場へ行けば、兵士が案内してくれるはずだ。荷物はできるだけ少なくしてくれよ」


主人はそれだけ告げると、階段を駆け下りていった。


グレイも後に続いて宿を出る。


大通りを埋めているのは、普段のような商人や旅人ではなく、避難を急ぐ住民たちだった。軍用の荷車が次々と西へ向かう一方、家財を積んだ馬車は南へ進んでいる。狭い道では双方がすれ違えず、兵士たちが声を張り上げながら交通を整理していた。


グレイはその流れを眺め、南へ向かって歩き始めた。


戦場へ出るつもりはない。


以前、国境付近の村々を助けた結果、自分たちの行動が軍の作戦へ組み込まれていたことがあった。


助けを求めていた人々も、危険に晒されていた村も本物だった。それでも、グレイたちが動くことで生まれた余裕を、軍は別の場所で利用していた。


あのとき見た、焼けた村の光景は今も覚えている。


もちろん、目の前で人が死にそうになっているのを見捨てるつもりはない。ただ、国同士の戦いに自ら加わることと、逃げ遅れた人間を助けることは別だった。


人々の流れに合わせて歩いていると、街の西側から鈍い衝撃音が響き、少し遅れて空気が震えた。


城壁への攻撃が始まったのだろう。


通りの人々が足を止め、不安そうに顔を見合わせる。


「大丈夫だ! まだ城門は破られていない! 立ち止まらず進んでくれ!」


兵士の声に促され、避難の列が再び動き始めた。


グレイもしばらく進んだところで、道端から小さな声が聞こえた。


「……お母さん」


建物の陰に、幼い少女が座り込んでいた。


片方の靴を失い、膝を擦りむいている。周囲に保護者らしい姿はなく、立ち上がろうとしても、痛みと恐怖で身体が動かないようだった。


グレイは人の流れから外れ、少女の前にしゃがんだ。


「どうした、こんなところで。家族とはぐれたのか?」


少女は涙を拭いながら頷いた。


「お母さんと……一緒だったの。でも、人がいっぱいで……」


「そうか。なら、まずはここから移動しよう。歩けないなら俺が運ぶが、抱き上げてもいいか?」


小さく頷くのを待ってから、グレイは少女を抱き上げた。


首へ回された細い腕が、ぎゅっと服を掴んでくる。グレイはその身体を抱え直し、近くで避難誘導をしていた兵士へ声をかけた。


「この子が母親とはぐれたらしい。家族を探している者が集まる場所はあるか?」


「南の広場に保護所を設けています。迷子や負傷者は、そちらへ連れていってください」


「分かった。助かる」


広場へ向かう途中、少女は何度も母親の名前を呼んだ。グレイもそのたびに周囲を見渡したが、応える声は聞こえなかった。


やがて南の広場へ着くと、避難民のための天幕がいくつも張られていた。負傷者を診る者、食料を配る者、家族の名前を記録する者が慌ただしく行き交い、兵士と住民が協力して避難所を整えている。


グレイは少女を受付へ連れていき、事情を説明した。


「お母さんが見つかるまで、ここで待っていよう。名前を伝えておけば、向こうから探しに来たときにも分かるからな」


少女は不安そうにグレイを見上げた。


「……お姉ちゃんも、ここにいてくれる?」


「ずっとは難しいが、誰かが迎えに来るまでは一緒にいよう。まずは膝の傷を診てもらおうか」


少女を治療係へ預けようとした、そのときだった。


「エマ!」


広場の入口から女性が駆け込んできた。


「お母さん!」


グレイが腕を緩めると、少女は母親のもとへ走っていった。


女性は膝をついて娘を強く抱きしめ、何度も無事を確かめるように顔を覗き込んでいた。やがてグレイへ向き直り、深く頭を下げる。


「ありがとうございます。本当に……この子を探していて、どうしたらいいか分からなくて……」


「見つかってよかった。膝を擦りむいているから、念のため治療を受けさせてやってくれ」


グレイがそう告げると、女性は再び礼を言い、娘の手を引いて治療用の天幕へ向かった。


少女は何度も振り返って手を振り、グレイも軽く手を上げて応える。


その直後、街の西側から大きな爆発音が響いた。


広場にいた人々が一斉に顔を上げる。


城壁の向こうには、黒い煙が立ち上っていた。


◇


西門の前では、すでに激しい戦闘が始まっていた。


城壁の上から矢と魔法が放たれ、門へ近づこうとする敵兵を押し返している。しかし敵軍も攻城兵器を前進させ、大きな石を次々と撃ち込んでいた。


石が防壁へ衝突するたび、砕けた破片が降り注ぐ。


城門の内側では兵士たちが盾を構え、万一門が破られた場合に備えていた。


その中央に、グレイが街道で出会った軍人の姿があった。


「負傷者を後ろへ下げろ! 動ける者は交代で前へ出ろ。疲れたまま無理に戦えば、余計に隊列が崩れるぞ!」


男の指示に従い、兵士たちが素早く動く。


戦が長引いたことで、防衛軍の消耗は激しかった。鎧には修理の跡が残り、十分な休息を取れていない者も多い。新しく補充された兵士の中には、まだ実戦経験の浅い若者もいた。


昨日まで一緒に食事をしていた者が、今朝には担架で運ばれている。


それでも、ここを放棄するわけにはいかなかった。


西門を突破されれば、敵軍はそのまま城下へ流れ込む。避難が完了していない住民も多く、街の中で戦闘が始まれば被害はさらに広がるだろう。


「隊長! 北側の城壁に敵の魔術師が集まっています!」


駆け寄ってきた若い兵士の報告に、男は城壁を見上げた。


敵軍の後方で魔力の光が集まっている。


「盾兵を北側へ回せ。魔術師には防御を優先させろ。攻撃を受けた直後に敵が突っ込んでくる可能性があるから、槍兵は位置を動くな」


「了解!」


兵士が走り去ると、男は剣を抜いて城門の前へ進んだ。


ほどなくして城壁の上で爆発が起こり、石片が雨のように降り注ぐ。防御魔法によって直撃は防がれたものの、衝撃で足場が崩れ、数人の兵士が倒れた。


「救護班を呼べ! まだ動ける者は持ち場を離れるな!」


男は倒れた兵士の一人へ駆け寄り、肩を貸して壁際へ運んだ。


額から血を流した若い兵士が、震える手で剣を握っている。


「隊長……すみません。俺、まだ戦えます」


「今は傷を診てもらえ。お前がここで倒れたら、後で家族に何と言えばいいんだ」


男は兵士の剣を鞘へ戻し、駆けつけた救護係へ引き渡した。


その間にも城門の外では攻撃が続き、巨大な丸太が扉へ打ちつけられるたびに、補強された木材が軋んでいた。


「隊長、東側の部隊から援軍要請です。あちらも敵の攻撃を受けていて、兵を回せないそうです」


「分かった。こちらで持ちこたえるしかないな。西門の予備兵を半分ずつに分け、交代で休ませろ。全員を前に出しても、疲れ切っていては意味がない」


男は城門へ視線を戻した。


攻撃は激しさを増している。このままでは、長く持たないかもしれない。


ふと、家族の顔が浮かんだ。


リインは仕事へ出ているかもしれないし、ミリアは母親の手伝いをしているかもしれない。避難命令が届いていれば、きっと二人でリンを支えているはずだ。


家族が無事に南へ逃げられるように、少しでも時間を稼がなければならなかった。


「門が破られたら、俺たちが前へ出る。後ろの部隊には、住民の避難を最優先するよう伝えてくれ」


「隊長も撤退するんですよね?」


副官らしい兵士が尋ねた。


男は少しだけ笑った。


「当然だ。ここで死ぬつもりはない。ただ、全員が一度に下がれば敵も追ってくる。誰かが最後まで残らなきゃならん」


「それなら、俺たちも残ります」


「気持ちはありがたいが、命令を聞け。お前たちには、まだやることがある」


副官は何か言いかけたが、男の表情を見て口を閉じた。


再び衝撃音が響き、城門の上部から木片が落ちる。


「来るぞ! 全員、配置につけ!」


男の号令に、兵士たちが一斉に盾を構えた。


◇


南の広場では、避難民の数がさらに増えていた。


グレイは天幕の間を歩きながら、負傷者の運搬を手伝っていた。城壁付近から逃げてきた人々の中には、瓦礫で足を傷つけた者や、煙を吸って動けなくなった者もいる。


治療係の手が足りず、兵士たちも避難誘導で忙しい。


グレイは道端で動けなくなっていた老人を背負い、治療用の天幕へ運んだ。


「この人を診てやってくれ。足を痛めているようだが、意識ははっきりしている」


「ありがとうございます! こちらへ寝かせてください」


治療係の女性が指し示した寝台へ老人を下ろし、グレイはそのまま外へ出た。


広場の入口では荷車が横倒しになり、積んでいた荷物が通路を塞いでいた。数人の男たちが車体を起こそうとしていたが、車輪が石畳の溝に挟まり、なかなか動かせないようだった。


「少し離れていてくれ。俺が動かす」


グレイが声をかけると、男たちは困惑したように振り返った。


「いや、嬢ちゃん。これは一人じゃ無理だろう」


「大丈夫だ。力には少し自信があるからな」


グレイは荷車へ手を添え、重さを確かめてからゆっくりと持ち上げた。


男たちが驚く間に車体は元の位置へ戻り、挟まっていた車輪も外れる。


「……すげえな。あんた、冒険者なのか?」


「似たようなものだ。それより、ここを空けておかないと後ろが詰まるぞ。荷物は端へ寄せておいてくれ」


男たちは慌てて頷き、散らばった荷物を片づけ始めた。


グレイはその様子を見届け、広場の外へ目を向けた。


西側の空には煙が広がり、先ほどから衝撃音が途切れることなく続いている。城門の守備が苦しくなっているのだろう。


そちらへ意識を向けると、多くの魔力が入り乱れる中に、街道で出会った男のものと思われる気配があった。


まだ戦っているらしい。


グレイは眉を寄せた。


彼の娘たちが、この街のどこかにいる。


ミナから聞いていた名前は、リインとミリア。父親から託された願いも忘れていないが、今のところ二人の居場所は分からなかった。


無理に探し回れば、避難の流れを乱すことになるかもしれない。


グレイは近くの兵士へ声をかけた。


「避難者の名簿は、どこで管理している? 知り合いの家族が無事に逃げているか確かめたいんだ」


「広場の奥にある建物です。ただ、まだ全員の名前を確認できていません。避難してきた順に記録しているところなので、少し待っていただくことになると思います」


「分かった。急かすつもりはない。確認できるようになったら教えてくれ」


グレイは礼を言い、指し示された建物へ向かった。


入口には家族の安否を尋ねる人々が列を作り、中では数人の職員が紙束を広げて名前を記録している。


列の最後尾へ並び、しばらく待っていると順番が来た。


「確認したい家族の名前を教えてください」


「リインとミリアという姉妹だ。母親はリンという。父親は軍人で、今も西門の守備に参加しているはずだ」


職員はいくつかの名簿を確認し、申し訳なさそうに首を横に振った。


「今の名簿には、そのお名前がありません。ただ、まだ記録が追いついていない場所もありますので、避難していないとは限りません」


「そうか。分かった。後でまた確認させてもらうよ」


礼を言って建物を出たグレイは、広場の入口へ戻った。


名簿に名前がないからといって、危険な場所に残っているとは限らない。別の避難所へ向かった可能性もあるし、まだ移動の途中なのかもしれなかった。


それでも、確認できないままでは落ち着かない。


父親から聞いた姉妹の年齢と特徴を思い出す。


十九歳の姉と、十四歳の妹。


しかし、顔を見たことがない以上、人混みの中から見つけ出すのは難しかった。


せめて、何か目印になるものを聞いておけばよかった。


そう考えたところで、再び大きな衝撃音が響いた。


今度は、これまでとは違う。


木材が裂け、金属が軋むような音が遠くまで響き、その直後、兵士の叫び声が聞こえてきた。


「西門が破られたぞ!」


広場にいた人々が、一斉に動きを止めた。


◇


西門の扉は、中央から大きく裂けていた。


補強していた鉄の留め具が外れ、重い木片が地面へ落ちている。開いた隙間から敵兵が次々と押し寄せ、城門の内側では防衛軍が必死に侵入を食い止めていた。


「盾を前へ! 槍兵は下がるな!」


男は叫びながら先頭の敵兵へ斬りかかり、相手の剣を受け流して肩口へ一撃を加えた。


倒れた敵兵を越えて別の兵士が迫ってくると、一歩下がって盾兵の隊列へ戻る。


しかし、敵軍の数は多かった。


門の破壊によって一気に押し込まれ、守備兵たちは少しずつ後退を余儀なくされていた。


「隊長! 北側の防衛線が崩れています!」


副官の叫びに振り返ると、城壁沿いの通路からも敵兵が入り込んでいた。


防衛線の一角が突破されたのだ。このままでは、門を守る部隊が背後から挟まれてしまう。


男は周囲を見渡した。


城門の内側には、まだ多くの兵士が残っている。負傷者も少なくない。


そして、その先には住民たちが避難している街があった。


ここで全滅するわけにはいかなかった。


「副官、残っている兵をまとめろ! 南へ続く通りを確保して、住民の避難を助けるんだ!」


「隊長はどうするんですか!」


「俺はここで敵を止める。お前たちは負傷者を連れて下がれ!」


「しかし、それでは隊長が!」


男は迫ってきた敵兵の剣を受け流し、相手を押し返した。


「命令だ! ここで全員が倒れたら、誰が住民を守るんだ!」


副官は唇を噛んだものの、すぐに兵士たちをまとめ始めた。


「負傷者を優先しろ! 動ける者は後方を守れ! 南へ下がるぞ!」


兵士たちが次々と後退していく。


男はその背中を守るように、城門の中央へ立った。


門の外からは、まだ多くの敵兵が押し寄せている。身体には疲労が蓄積し、腕に増えた傷からは血が滲んでいた。


それでも、剣を握る手に迷いはなかった。


ここを抜かれれば、後退する部下たちが追いつかれる。その先には、避難を続ける住民がいる。


男は迫ってきた敵兵を迎え撃った。


剣がぶつかり、鋭い金属音が響く。一人を押し返すとすぐに次の相手が現れたが、男は無理に追撃せず、相手の足を止めることを優先した。


倒すことより、進ませないこと。


今必要なのは、勝利ではなく時間だった。


やがて、敵兵たちの動きが変わった。


左右へ分かれ、中央に道を開ける。


その奥から、一人の武人が歩いてきた。


他の兵士たちとは明らかに違う装備を身につけ、肩には敵軍の紋章が刻まれた外套を掛けている。手にした長剣も、よく手入れが行き届いていた。


男はその姿を見て、相手がただの兵士ではないことを悟った。


この攻撃を指揮している敵将の一人なのだろう。


武人は周囲の兵士たちを制し、男の前へ進み出た。


「ここまでだ。部下を逃がすために残ったのか」


男は答えず、剣を構え直した。


敵将は城門の奥へ目を向ける。後退していく防衛軍の姿が、遠くに見えていた。


「見事な判断だ。だが、お前一人で我々を止められると思っているのか?」


「止められるかどうかは、やってみなければ分からん」


男は静かに答えた。


敵将はわずかに目を細めた。


「名を聞こう。これほどの状況で逃げずに残る者なら、覚えておく価値がある」


「名乗るほどの者じゃない。ただ、家へ帰りたいだけの父親だよ」


その答えに、敵将は一瞬だけ意外そうな表情を見せた。


男は剣を握り直した。


リインの明るい笑顔が浮かぶ。


ミリアが小さな手で剣を握り、何度も構えを確かめていた姿。そして、仕事から帰るたびに迎えてくれたリンの顔。


もう一度、あの家へ帰りたい。


娘たちの成長を見届け、妻と食卓を囲みたいという願いは、今も変わっていなかった。


男はゆっくりと息を吐き、足の位置を整えた。


敵将が剣を持ち上げると、周囲の兵士たちが距離を取り、二人の間にわずかな空間が生まれる。


背後では、部下たちが住民の避難路を確保するために走っていた。


男はその足音が遠ざかるのを聞きながら、迫る敵将へ剣を向け、一歩踏み出した。

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