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白銀の旅路  作者: 人形遣い
第一章「二頭の金獅子と亡国の姫」

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第6話 帰還の手紙


 朝の空気には、少しだけ秋の気配が混じり始めていた。


 山沿いを抜けてから数日。


 三人が歩く街道の両側には背の低い草原が広がり、その向こうには緩やかな丘がいくつも連なっている。夏の名残を残した陽射しはまだ暖かいが、吹き抜ける風だけは以前より冷たい。


 乾いた草が擦れ合う音。


 遠くから聞こえる鳥の声。


 そして。


「姫さん、まだ根に持ってるんスか?」


「持ってない」


「絶対持ってるっスよね?」


「持ってないって言ってるだろ」


「じゃあ、その魚なんなんスか」


 グレイは歩きながら、手に持っていた干し魚を一口齧った。


「朝飯」


「俺にはくれなかったじゃないっスか」


「自分で買えばいいだろ」


「ねーちゃんにはあげてたっスよね?」


「ライカは釣りの時に手伝ってくれたからな」


「俺も教えたっス!」


「一匹も釣れなかった奴が?」


「それまだ言う!?」


 ライアンの金色の耳がぴんと立つ。


 グレイは横目でそれを見て、もう一口魚を齧った。


「初心者の俺に負けた」


「あの日はたまたまっス」


「魚の機嫌が悪かったんだっけ?」


「そうっス」


「俺には機嫌よかったぞ」


「姫さん!」


「にーちゃん」


 少し先を歩いていたライカが振り返る。


「朝から大声を出しやがらないでください。鳥が逃げます」


「鳥は関係ないっスよね?」


「うるさいです」


「ねーちゃん最近俺に冷たくない?」


「昔からです」


「もっと酷かった!」


 ライアンが胸を押さえる。


 グレイは思わず笑った。


 いつもの朝だった。


 三人で歩く。


 ライアンが余計なことを言い、ライカがそれを咎める。


 そこへグレイが口を挟む。


 それだけの時間。


 けれど、今ではその繰り返しがすっかり日常になっていた。


 吸血鬼であることを話してからも、それは変わっていない。


 最初の数日は、グレイの方がむしろ気にしていた。


 ライアンが首筋を見せれば、無意識に視線を逸らした。


 ライカが料理の途中で指先を切った時には、血の匂いが届く前に距離を取った。


 二人が怖がっていないからこそ、自分が気をつけなければならない。


 そう思っていた。


 だが。


『離れるなら、先に言いやがってください』


 ライカにそう言われた。


 だから今は、隠さない。


 苦しくなれば言う。


 少し離れる。


 二人もそれ以上は何も言わない。


 特別扱いもしない。


 それがありがたかった。


「お姫ちゃん」


「ん?」


「食べながら歩くと喉に詰まりますよ」


「大丈夫だ」


「昨日もそう言って咽せていたでしょう」


「あれは魚の骨が悪い」


「にーちゃんと同じことを言いやがらないでください」


「何で俺まで!?」


 後ろからライアンの声が飛んでくる。


「魚のせいにしてたでしょう」


「釣れなかったのは本当に魚が悪いっス!」


「ほら」


「一緒にするな」


「姫さんまで!?」


 また声が重なる。


 そのまま三人で街道を進んだ。


     ◇


 昼を過ぎた頃、小さな宿場町へ着いた。


 大きな街ではない。


 街道沿いに宿や食堂、商店が並び、旅人や商人が休息のために立ち寄るような場所だった。


 入口には低い石壁と簡素な門がある。


 門番の獣人が二人。


 その片方がライアンとライカを見る。


 僅かに目を見開いた。


「……あ」


 声が漏れた。


 ライアンが口元へ指を立てる。


 門番はすぐに口を閉じた。


「どうした?」


 グレイが尋ねる。


「何でもないっス」


「今、あいつお前ら見て何か言おうとしただろ」


「気のせいっスよ」


「絶対違う」


「お姫ちゃん」


 ライカが横から言う。


「私たちは一応、この国の王族ですよ」


「一応って自分で言うんだな」


「顔を知っている者もいます」


「そういうことか」


 グレイは納得する。


 以前なら何か裏があるのかと思ったかもしれない。


 だが、二人の身分はもう知っている。


 金獅子の王子と姫。


 いずれどちらかが国を継ぐために、二人で修行の旅をしている。


「面倒じゃないのか?」


「何がっスか?」


「顔知られてるの」


「まあ、ちょっとは」


 ライアンが苦笑する。


「でも仕方ないっスよ。俺たちが誰かって知った上で話してくれる人もいるし、知らないから話してくれる人もいる。どっちも大事なんで」


「へえ」


「何スか?」


「たまに王子っぽいこと言うなと思って」


「姫さんの中の俺ってどうなってるんスか!?」


「うるさい奴」


「酷い!」


「間違ってはいませんね」


「ねーちゃん!?」


 門番が必死に笑いを堪えていた。


 ライアンがそれに気付く。


「ほら! 笑われたっスよ!」


「自業自得です」


「俺何もしてないっス!」


 グレイは先に町へ入った。


 少し歩いて振り返る。


「置いてくぞ、王子様」


「だからそれやめてほしいっス!」


     ◇


 宿を取った後、三人は食事へ出た。


 宿場町というだけあって、食堂は旅人向けの店が多い。


 昼を少し過ぎているにもかかわらず、店内にはそれなりに人がいた。


 肉を焼く匂い。


 香草。


 焼きたてのパン。


 酒。


 様々な匂いが混ざっている。


 グレイは一瞬だけ意識を集中させた。


 血の匂いはない。


 大丈夫。


「姫さん」


「ん?」


「何食うっスか?」


「肉」


「即答っスね」


「何だよ」


「最近よく食うようになったなって」


「そうか?」


「最初に会った頃、全然食べてなかったじゃないっスか」


 言われてみればそうかもしれない。


 身体に必要だから食べているわけではない。


 だから以前は、食事そのものへの興味も薄かった。


 だが二人と旅をするようになってから、少し変わった。


 土地によって味が違う。


 同じ肉でも香辛料が違う。


 パンも違う。


 知らない料理も多い。


 食べれば二人が感想を聞いてくる。


 自分も二人が何を食べているのか気になる。


「美味いものがあるって分かったからな」


「それはいいことっスね」


「姫さんの旅の目的、一個増えたんじゃないっスか?」


「何が?」


「食べ歩き」


「違う」


「でも昨日も菓子買ってたっスよね」


「母上に持っていこうと思っただけだ」


「自分でも食ってたっス」


「味見だ」


「三つ?」


「味見だ」


「三つも?」


「うるさい」


 ライアンの脛を軽く蹴る。


「痛っ」


「お姫ちゃん」


 ライカがメニューから顔を上げる。


「食事前に暴れやがらないでください」


「こいつがうるさい」


「にーちゃんがうるさいのはいつものことです」


「ねーちゃん!?」


 そんなやり取りをしているうちに注文が決まる。


 グレイは焼いた肉とパン。


 ライアンは肉を多めに。


 ライカは煮込み料理を選んだ。


 食事が運ばれてくる。


 三人で食べ始める。


「これ美味い」


「姫さん、それ昨日も食ってなかったっスか?」


「味が違う」


「分かるんスか?」


「分かるぞ」


「吸血鬼って味覚あるんスね」


「ああ」


「もっとこう、血しか味分かんないのかと思ってたっス」


「そんなわけないだろ」


「にーちゃん」


 ライカが匙を置く。


「食事中に血の話をしやがらないでください」


「あ、すんません」


「俺は別に気にしないけど」


「周りが気にします」


 ライカが小声で言う。


 グレイは周囲を見る。


 確かに。


「……そうだな」


 自分が吸血鬼だと知っているのは二人だけだ。


 少なくとも、この国では。


 わざわざ広める必要はない。


 グレイは肉をもう一口食べた。


「そういえば」


 ライアンが声を落とす。


「姫さんの母ちゃんって、今も《ドールハウス》にいるんスよね?」


「ああ」


「暇じゃないんスか?」


「どうだろうな」


「どうだろうって」


「俺は中に入れないから」


 ライアンとライカが同時に止まった。


「……入れない?」


「あれ、言ってなかったか?」


「生きている者は入れないとは聞きました」


「俺も入れないぞ」


「姫さんが作ったのに?」


「ああ」


「なんで?」


「人形専用だから」


「姫さん吸血鬼っスよね?」


「吸血鬼は人形じゃない」


「それはそうっスけど」


 ライアンが妙な顔になる。


「自分で作った家に自分だけ入れないって、なんか変じゃないっスか?」


「仕方ないだろ。そういう魔法なんだから」


「中がどうなってるか見たことないんですか?」


 ライカが尋ねる。


「ない」


「一度も?」


「ない」


「じゃあ、城下町になっているというのは?」


「母上たちから聞いた」


 グレイはパンをちぎる。


「作る時に、昔の城下町を思い浮かべたんだ」


 国が滅びる前。


 人が歩いていた街。


 市場。


 家。


 広場。


 城へ続く大通り。


「でも俺自身は見てない」


「見たいっスか?」


 ライアンが聞いた。


 グレイの手が止まる。


「……まあ」


 見たい。


 当然だ。


 自分が作った場所なのだから。


 そこに母たちが暮らしている。


 どんな場所なのか。


 どんな家に住んでいるのか。


 何をしているのか。


 聞くことはできても、自分の目で見ることはできない。


「いつか入れるように改良できないんスか?」


「分からない」


「姫さんならできそうっスけど」


「簡単に言うな」


「砂漠歩きながら異空間作った人が言っても説得力ないっスよ」


「……それもそうか」


 グレイは少し考える。


 今すぐではない。


 だが、いつか。


 《ドールハウス》をもっと理解できれば。


「やってみるかな」


「お」


「いつか」


「いいじゃないっスか」


 ライアンが笑う。


「できたら俺も入りたいっス」


「無理だ」


「即答!?」


「人形専用って言っただろ」


「改良するんでしょ?」


「俺が入れるようにするだけだ」


「俺も!」


「嫌だ」


「なんで!?」


「お前入れたらうるさそう」


「酷い!」


「お姫ちゃん」


 ライカが静かに手を上げる。


「私なら?」


「考える」


「ねーちゃん!?」


 グレイとライカが顔を見合わせる。


 同時に少し笑った。


     ◇


 食事を終えた三人は、町を歩いた。


 宿場町なので、見るものはそれほど多くない。


 旅人向けの道具。


 食料。


 馬や荷車の修理をする店。


 それでもグレイにとっては初めて見るものが多い。


 商店の前で携帯用の小さな鍋を見つけ、足を止める。


「これいいな」


「欲しいんスか?」


「ああ」


「姫さん料理できる?」


「…………」


「できないんスね」


「覚えればいいだろ」


「お姫ちゃん」


 ライカが隣へ来る。


「買うなら、もう少し小さい方がいいですよ」


「なんで?」


「三人分ならこれで十分です」


 そう言って、一回り小さな鍋を指す。


「三人分?」


「旅の間に使うのでしょう?」


「ああ」


「なら、にーちゃんに持たせればいいです」


「なんで俺!?」


「一番荷物が少ないでしょう」


「ねーちゃんも少ないっス!」


「私は調理道具を持っています」


「姫さんは?」


「俺は《ドールハウス》がある」


「ずるくないっスか?」


「魔法だ」


「俺も収納魔法ほしいっス」


「覚えれば?」


「姫さんみたいに簡単に言わないでほしいっス」


 結局、鍋を一つ買った。


 グレイが代金を払い、ライアンが持つ。


「なんか納得いかないっス」


「文句言うな」


「姫さんの鍋なのに」


「三人で使う」


 グレイは何気なく答えた。


 ライアンが止まる。


「……何だ?」


「いや」


「言え」


「三人で使うんスね」


「そう言っただろ」


「そうっスね」


 妙に嬉しそうな顔をする。


「何だよ」


「別に」


「気持ち悪いな」


「酷い!」


 ライカが小さく笑う。


 その時だった。


「殿下!」


 背後から声が飛んできた。


 三人が振り返る。


 一頭の馬が街道側から駆けてくる。


 乗っているのは、鎧を身につけた獅子の獣人だった。


 金獅子ではない。


 褐色の鬣。


 身体つきは大きく、腰には剣を下げている。


 馬は三人の少し手前で止まった。


 騎士が素早く降りる。


「ライカ殿下。ライアン殿下」


 片膝をついた。


 周囲にいた者たちが振り返る。


「おい」


 グレイが小声で言う。


「目立ってるぞ」


「見れば分かるっス」


 ライアンの声から、先ほどまでの軽さが少し消えていた。


「立ってくれ」


「はっ」


 騎士が立ち上がる。


 息が少し乱れている。


 馬にも汗が浮かんでいた。


 かなり急いできたらしい。


「何かありましたか?」


 ライカが尋ねる。


「王城より、両殿下へ書状をお預かりしております」


 騎士が懐から封筒を取り出した。


 厚手の紙。


 封蝋。


 グレイには紋章の意味までは分からない。


 だが、ライアンとライカの表情が僅かに変わった。


「父上から?」


 ライアンが尋ねる。


「王家よりの書状と伺っております」


「そう」


 ライカが受け取る。


「ご苦労でした」


「はっ」


「いつ王都を?」


「三日前です」


「三日……」


 ライアンが馬を見る。


 この宿場町まで三日。


 かなり急いだはずだ。


「何か緊急のことでも?」


「私は書状をお届けするよう命を受けたのみで、内容までは」


「分かりました」


 ライカが頷く。


「まず休んでください。馬も」


「お気遣い、感謝いたします」


 騎士が一礼する。


 その視線が一瞬だけグレイへ向いた。


 誰だ。


 そう思ったのだろう。


 だが、何も聞かなかった。


 そのまま馬を連れて宿の方へ向かっていく。


 グレイはライカの手にある封筒を見る。


「手紙?」


「ええ」


「急ぎみたいだな」


「そうですね」


 ライアンも封筒を見る。


 先ほどまで笑っていた顔が、少しだけ真面目になっている。


「ここで読む?」


「宿へ戻りましょう」


「そうっスね」


 ライカが封筒をしまう。


 三人は宿へ戻ることにした。


 買ったばかりの鍋を持ったライアンが、いつもより少しだけ静かだった。


     ◇


 部屋へ戻る。


 三人はライアンとライカが使っている部屋へ集まった。


 窓を閉める。


 ライカが机へ封筒を置いた。


 ライアンは椅子へ座らず、窓際に立っている。


 グレイはベッドの端へ腰掛けた。


「俺、外出てようか?」


 家族からの手紙だ。


 そう思って尋ねた。


 だが。


「別にいいっスよ」


 ライアンが答える。


「お姫ちゃんもいてください」


 ライカも言った。


「いいのか?」


「はい」


「じゃあいる」


 グレイはそのまま座る。


 ライカが封蝋を確認する。


「王家のものですね」


「誰からっスか?」


「開ければ分かります」


「そりゃそうっスけど」


 封を切る。


 紙を取り出す。


 ライカが開く。


 視線を落とす。


「…………」


 グレイは黙って待った。


 ライアンも。


 紙を追っていたライカの目が、途中で一度止まった。


「ねーちゃん?」


「……帰還命令です」


「帰還?」


「はい」


 ライカが紙を机へ置く。


 ライアンが取る。


「見せて」


 読み始める。


 グレイは二人の顔を見る。


「帰ってこいって?」


「そうっスね」


「今すぐ?」


「できる限り早く」


 ライアンの声が少し低い。


「何かあったのか?」


「書いてないっス」


「理由は?」


「王位継承に関する協議のため、とだけ」


 グレイは首を傾げる。


「王位継承?」


「俺たちのどっちが後を継ぐかって話っス」


「ああ」


 以前聞いた。


 二人の修行も、そのためだ。


「もう決めるのか?」


「……予定より早いですね」


 ライカが言う。


「本来なら、まだ旅を続けるはずでした」


「どれくらい?」


「少なくとも、すぐ帰る予定ではありませんでした」


 ライアンが手紙を机へ戻す。


「父上、何考えてんだろ」


「王位継承の協議だけなら、ここまで急がせる理由がありません」


「何か起きた?」


「可能性はあります」


 二人の間だけで通じるような会話。


 グレイは邪魔をしない。


 王族。


 王子と姫。


 普段は忘れそうになるが、二人には二人の立場がある。


「戻るのか?」


 しばらくしてグレイが尋ねた。


 二人がこちらを見る。


「……戻るっス」


 ライアンが答えた。


「王家から正式に帰還を命じられた以上、無視はできません」


 ライカも続ける。


「そうか」


 グレイは頷いた。


 当然だ。


 二人はこの国の王子と姫。


 旅も、いつか国を背負うためのもの。


 帰れと言われれば帰る。


 分かっていた。


 最初から。


『帰る時期だけは決まってるっスけどね』


 木陰で昼食を食べた日の会話を思い出す。


 帰る場所がある。


 ライアンはそう言っていた。


「いつ出る?」


「明日の朝がいいでしょう」


「早いな」


「急ぎですから」


「そっか」


 グレイは窓の外を見る。


 明日。


 思ったより早かった。


「姫さん」


「ん?」


「どうするっスか?」


「何が?」


「俺たちが戻った後」


 グレイは少し考える。


「旅する」


「一人で?」


「一人じゃない」


「あ」


「家族がいる」


「そうだったっスね」


 ライアンが笑う。


「忘れるなよ」


「いや、普段見えないから」


「母上に言ったら怒るぞ」


「姫さんの母ちゃん、怒ると怖いっスか?」


「どうだろ」


「そこ分かんないんスか」


「怒らせたことはあるけど……」


 グレイは少し考える。


「怖いっていうより、逃げられない」


「何それ」


「何言っても最後には丸め込まれる」


「それはお姫ちゃんが分かりやすいだけでは?」


「ライカ」


「はい」


「お前、母上と会ったら仲良くなりそうだな」


「そうですか?」


「なんとなく」


「なら、会ってみたいですね」


 ライカは自然に言った。


 その言葉に。


 グレイは少しだけ黙る。


「……帰る前に会う?」


 二人が止まった。


「え?」


「母上」


 グレイは二人を見る。


「前に言ってただろ。会ってみたいって」


「いいんですか?」


「母上に聞いてからだけど」


「俺も?」


「お前も」


「やった」


「なんでそんな嬉しそうなんだよ」


「姫さんの母ちゃん、気になるじゃないっスか」


「変なこと言うなよ」


「何を?」


「余計なこと」


「姫さんが昔どんな子だったか聞くっス」


「やっぱり会わせるのやめようかな」


「待って!」


 ライアンが本気で止める。


 グレイは少し笑った。


 その時。


 机の上に置かれた手紙が、風もないのに僅かに揺れた。


 三人の視線がそちらへ向く。


 窓は閉まっている。


 ただ、紙が元の形へ戻ろうとしただけだ。


「……帰還、か」


 ライアンが呟く。


 先ほどまでの笑みが少し薄れる。


「にーちゃん」


「分かってるっスよ」


 ライカが手紙を畳む。


「明日、出ましょう」


「ああ」


 グレイは頷いた。


 自分が頷く必要はない。


 二人が帰るのだから。


 それでも。


 何となく。


 三人の予定が決まったような気がした。


     ◇


 その日の夕方。


 宿の裏手。


 人のいない場所まで来て、グレイは周囲を確認した。


「ここならいいか」


「何が始まるんスか?」


「母上を呼ぶ」


 ライアンが姿勢を正した。


「なんで急に緊張してるんだ?」


「いや、だって姫さんの母ちゃんっスよ?」


「だから?」


「一応、王妃だったんでしょ?」


「ああ」


「王族じゃないっスか」


「お前もだろ」


「あ」


「忘れてたのか?」


「普段、あんまり意識しないんで」


「俺も」


「そこは似てるっスね」


「一緒にするな」


「お姫ちゃん」


 ライカが小さく息を吐く。


「早く呼びやがってください」


「ああ」


 グレイは右手を上げる。


 空間へ意識を向ける。


 《ドールハウス》。


 自分では入ることのできない、家族のための場所。


 そこへ繋がる道を開く。


「母上」


 空間が静かに歪む。


 光が揺れる。


 そこから、一人の女性が現れた。


 魔導白磁の身体。


 それでも、生前と変わらない姿を残している。


 母は外へ出ると、まずグレイを見た。


「どうしたの?」


「会わせたい奴がいる」


「あら」


 母の視線が横へ動く。


 ライアン。


 ライカ。


 二人を見る。


 グレイが紹介するより先に。


「あなたたちが、グレイと一緒に旅をしてくれている二人?」


 母が尋ねた。


「……なんで知ってるんだ?」


「あなたが話してくれたでしょう」


「そこまで話したっけ?」


「姫さん」


 ライアンが小声で言う。


「結構話してるじゃないっスか」


「うるさい」


 母が笑う。


 ライアンとライカが前へ出た。


「初めまして。ライアンっス」


「ライカです」


 二人とも少しだけ普段より丁寧だ。


「グレイの母です」


「知ってるっス」


「にーちゃん」


「何?」


「そこは『お会いできて光栄です』くらい言いやがってください」


「急にそんな堅くなる!?」


「王子でしょう」


「姫さんと一緒にいると忘れるっス」


「俺のせいにするな」


「ふふ」


 母が笑った。


 三人が見る。


「ごめんなさい。グレイが楽しそうに旅をしている理由が、少し分かった気がして」


「母上」


「何?」


「余計なこと言うなよ」


「まだ何も言ってないわ」


「今から言いそうだった」


「言わないわよ」


「本当?」


「たぶん」


「その『たぶん』やめろ」


 ライアンが吹き出した。


「姫さん、本当に母ちゃん相手だと普通の子供っスね」


「ライアン」


「はい」


「黙れ」


「怖っ」


「お姫ちゃん」


 ライカも口元を僅かに緩めている。


「笑うな」


「笑っていません」


「笑ってる」


「気のせいです」


「絶対笑ってる」


 母はそんな三人を眺めていた。


 穏やかな目だった。


「ライアンさん。ライカさん」


「はい」


「なんスか?」


「ありがとう」


 二人が少し驚いた顔をする。


「グレイと一緒にいてくれて」


「母上」


「いいでしょう、これくらい」


「……別に」


 グレイは視線を逸らす。


 ライアンが頭を掻く。


「俺たちも楽しいんで」


「そうです」


 ライカが続ける。


「お姫ちゃんには、こちらも色々と驚かされていますが」


「俺、そんなことしてる?」


「しています」


「例えば?」


「初対面で魔物を空間魔法で飛ばしたり」


「あれは必要だった」


「野営の仕方を知らなかったり」


「それは……知らなかっただけだ」


「知らない木の実を食べようとしたり」


「食べてない!」


「姫さん、食おうとしてたんスか?」


「お前いたじゃないか!」


「確認っス」


「腹立つな!」


 母がまた笑う。


「グレイ」


「何?」


「よかったわね」


 その一言だけ。


 グレイは少し黙った。


「……まあ」


 それ以上は言わない。


 母も求めなかった。


 しばらく四人で話した。


 旅のこと。


 鉱山の町。


 釣り。


 グレイが魚を一匹釣ったこと。


 ライアンが一匹も釣れなかったこと。


「それ言う必要ある!?」


「大事だろ」


「どこが!?」


「俺が勝った」


「まだ勝負終わってないっス!」


「もう何日経ってると思ってるんだ」


「次やれば俺が勝つっス!」


「じゃあまたやるか?」


 グレイが言う。


 ライアンが一瞬止まる。


「……そうっスね」


 ほんの僅かに。


 間があった。


「またやるっス」


「ああ」


 グレイは気にしなかった。


 帰国した後。


 また会えばいい。


 それだけの話だから。


「今度は俺が勝つっスよ」


「無理だろ」


「一回釣っただけで自信つきすぎじゃないっスか?」


「才能あるかもしれない」


「釣りの才能って何っスか」


「知らない」


「適当!」


 いつものように笑う。


 その会話を。


 母だけが静かに見ていた。


     ◇


 夜。


 母が《ドールハウス》へ戻った後。


 三人は宿の食堂で夕食を取った。


 明日の朝には町を出る。


 ライアンとライカは王都へ。


 グレイは。


 まだ決めていない。


「姫さん」


「ん?」


「明日どうするっスか?」


「途中まで一緒に行く」


「いいんスか?」


「どうせ行き先ないからな」


「王都まで?」


「それは……」


 グレイは少し考える。


 王都。


 獣人の国の中心。


 興味はある。


 当然見てみたい。


 だが、二人は帰還命令を受けている。


 遊びに帰るわけではない。


「邪魔じゃない?」


「別に邪魔じゃないっスよ」


「ですが」


 ライカが地図を開く。


「王都へ直接向かうなら、ここから数日です」


「近いんだな」


「ええ。ただ、お姫ちゃん」


「何?」


「私たちは一度、王都の手前で別の街へ寄るつもりです」


「なんで?」


「帰還前に旅の記録を整理したいんです」


「記録?」


「修行中に見た町や村、問題、産業、魔物の被害。そういったものをまとめています」


「そんなの作ってたのか」


「夜に書いてたっスよ」


「知らなかった」


「姫さん、夜中に寝てるか母ちゃんと話してるじゃないっスか」


「そうだった」


 ライカが地図上の一箇所を指す。


「ここです」


「小さい街?」


「はい。王都からそれほど離れていません」


「じゃあ、そこまで一緒に行く」


 グレイはすぐに答えた。


「いいんですか?」


「言っただろ。行き先決めてないって」


「そうですね」


「そこで二人が帰った後に考える」


「姫さんなら、また急にどっか行きそうっスね」


「行くかも」


「砂漠に戻ったり?」


「それはしばらくいい」


「相当きつかったんスね」


「砂が嫌になった」


「吸血鬼でも?」


「吸血鬼でも砂は鬱陶しい」


 服に入る。


 靴にも入る。


 風が吹けば顔に当たる。


「二度と行かないとは言わないけどな」


「じゃあ次は俺たちも連れてってほしいっス」


「砂漠に?」


「姫さん一人で越えたんでしょ?」


「ああ」


「見てみたいっス」


「暑いぞ」


「知ってるっス」


「水も少ない」


「それも知ってるっス」


「砂ばっかりだぞ」


「それが砂漠っスよ」


「……それでも?」


「姫さんが越えてきた場所なんで」


 グレイは少しだけ目を瞬いた。


「変な奴」


「また言った」


「でも」


 グレイは水を一口飲む。


「いつか行くなら案内する」


「約束っスよ」


「ああ」


 ライカが二人を見る。


「私も行くことになっているんですか?」


「ねーちゃんも行くっスよ」


「勝手に決めやがらないでください」


「嫌?」


「行かないとは言っていません」


「じゃあ行くっス」


「だから勝手に」


「ライカ」


 グレイが呼ぶ。


「何です?」


「砂漠越えたら、俺の故郷がある」


 ライカが黙る。


「……廃墟だけどな」


 少しだけ。


 声が静かになる。


「城は残ってる」


「お姫ちゃんのお城ですか?」


「ああ」


「行っても?」


 グレイはすぐには答えなかった。


 あの場所へ。


 二人を連れていく。


 想像してみる。


 崩れた城門。


 静かな城下町。


 誰もいない道。


 そして、城。


「……いいよ」


 思っていたより自然に言えた。


「いつか」


「はい」


「母上たちもいるし」


「それは楽しみですね」


「ねーちゃん、姫さんの母ちゃんと仲良くなってたっスよね」


「普通にお話ししただけです」


「二人で俺のこと話してたろ」


「少しだけ」


「何を?」


「秘密です」


「なんで!?」


「女同士の話です」


「俺も女だぞ!」


「姫さん、そこに食いつくんスね」


「俺の話なんだから気になるだろ!」


 三人で笑った。


 明日も一緒に歩く。


 明後日も。


 少なくとも王都近くの街までは。


 だから。


 別れはまだ少し先だった。


     ◇


 翌朝。


 空はよく晴れていた。


 三人は宿を出る。


 ライアンの背には荷物。


 その横に、昨日グレイが買った鍋が括り付けられている。


「なあ」


「なんスか?」


「それ、俺が持とうか?」


「いいっスよ」


「でも俺が買ったやつだぞ」


「どうせ三人で使うんでしょ?」


「ああ」


「じゃあ俺が持つっス」


「重くない?」


「鍋一個で王子を舐めないでほしいっス」


「王子関係ある?」


「ないっス」


「ないのかよ」


 ライカが地図を確認する。


「行きますよ」


「はいはい」


「お姫ちゃんも」


「分かってる」


 三人で町を出る。


 門を抜ける。


 街道へ。


 昨日と同じように。


 右にライアン。


 左にライカ。


 その間にグレイ。


「姫さん」


「ん?」


「次の街までどっちが先に着くか勝負するっスか?」


「走るの?」


「そうっス」


「やめやがってください」


 ライカが即座に止めた。


「なんで!?」


「何時間走るつもりです?」


「姫さんならいけるっスよね?」


「俺は行ける」


「ほら!」


「にーちゃんは?」


「…………」


「自分ができない勝負を提案しやがらないでください」


「いや、俺も結構いけるっスよ?」


「何時間?」


「二時間くらい?」


「次の街まで一日以上です」


「じゃあ無理っスね」


「馬鹿だろ」


「姫さんに言われたくない!」


 朝の街道へ声が響く。


 グレイは笑いながら歩いた。


 帰還の手紙。


 それが届いたことで、旅の終わりが少しだけ見えた。


 けれど。


 まだ終わってはいない。


 少なくとも今は。


 三人で同じ道を歩いている。


     ◇


 その日の夕方。


 街道脇の林で野営することになった。


 買ったばかりの鍋を初めて使う。


「よし」


 グレイが鍋を火へ置いた。


「何作るっスか?」


「スープ」


「作れる?」


「ライカに教えてもらう」


「お姫ちゃん」


 ライカが隣から覗く。


「まず水を入れやがってください」


「分かってる」


「今、具材から入れようとしていたでしょう」


「気のせいだ」


「姫さん、野菜持ってたっスよね?」


「黙れ」


 水。


 干し肉。


 豆。


 野菜。


 香草。


 ライカに教わりながら、一つずつ入れていく。


「どれくらい?」


「それは多いです」


「これ?」


「もう少し」


「面倒だな」


「料理とはそういうものです」


「魔法みたいに量が見えればいいのに」


「料理に空間魔法を使おうとしやがらないでください」


「使わないよ」


「姫さんならやりそうっス」


「お前は薪足せ」


「はいはい」


 三人で火を囲む。


 やがて。


 鍋から湯気が上がり始めた。


 いい匂いがする。


「できた?」


「もう少しです」


「まだ?」


「待ってください」


「腹減った」


「姫さん最近ほんと食うようになったっスね」


「悪い?」


「いいことっスよ」


 グレイは鍋を見る。


 ぐつぐつと煮えている。


 初めて買った鍋。


 三人で作った食事。


「……なあ」


「なんスか?」


「王都ってどんなところ?」


 ライアンとライカが少し考える。


「大きいっスよ」


「それくらい分かる」


「じゃあ……人が多い」


「それも分かる」


「城がある」


「王都なんだからあるだろ」


「姫さん注文多くない?」


「もっと具体的に言え」


「にーちゃんでは無理です」


 ライカが代わる。


「王都は、この国で最も古い都市の一つです。中心には王城があり、その周囲を旧市街、その外側を新市街が囲んでいます」


「へえ」


「市場も大きく、国内各地のものが集まります。東方から来る商人も多いですね」


「食べ物も?」


「もちろん」


「行きたい」


「そこなんスね」


「重要だろ」


「最近の姫さん、食への執着すごいっス」


「知らないもの食うの面白いんだよ」


「お姫ちゃんらしいですね」


 ライカが笑う。


「いつか案内しますよ」


「今回じゃないのか?」


「今回は帰還命令がありますから」


「ああ、そっか」


「王城へ直行することになるかもしれません」


「じゃあ仕方ないな」


「次はゆっくり」


「約束な」


「はい」


「俺も案内するっスよ」


「ライアンはいい」


「なんで!?」


「変な店連れていきそう」


「俺、王都詳しいっスよ!」


「余計に怪しい」


「ねーちゃん!」


「日頃の行いです」


「またそれ!」


 笑い声。


 焚き火。


 鍋から立つ湯気。


 グレイはその全部を眺める。


 いつか。


 次。


 また。


 三人の会話には、そんな言葉が増えていた。


 最初はなかった。


 次の街まで。


 それだけだったはずなのに。


 いつの間にか。


 次の旅の話をしている。


 砂漠。


 グレイの故郷。


 王都。


 釣り。


 まだ見ていない場所。


 まだ食べていないもの。


「姫さん」


「ん?」


「できたっスよ」


「本当?」


「たぶん」


「お前が言うな」


「ライカ」


「できていますよ」


 器へよそう。


 グレイが最初に口へ運ぶ。


「熱っ」


「気をつけろって言おうとしたっス」


「先に言え!」


「普通分かるでしょう」


「二人とも冷たい!」


 それでも。


 少し冷ましてからもう一口。


「……美味い」


「本当っスか?」


「ああ」


 ライアンも食べる。


「お、美味い」


「私が教えたのですから当然です」


「作ったの俺だぞ」


「切り方はかなり危なかったですが」


「食えればいい」


「そういうところです」


 三人で食べる。


 鍋は、思っていたより少し大きかった。


 三人分には多い。


「余ったな」


「明日の朝も食えばいいっスよ」


「そうだな」


 明日の朝。


 その言葉が自然に出る。


 グレイは器を持ったまま、火を見た。


「どうしたんスか?」


「何でもない」


 少しだけ。


 笑った。


     ◇


 食事を終えた後。


 ライアンが最初の見張りについた。


 ライカは先に横になる。


 グレイも毛布へ入った。


 だが。


 眠らなかった。


 目を閉じているだけ。


 焚き火の音を聞く。


 少しして。


「姫さん」


 小さな声。


「起きてるっスよね?」


「……なんで分かった」


「なんとなく」


 グレイは身体を起こす。


 焚き火の向こうにライアン。


「どうした?」


「別に」


「じゃあ寝る」


「待って!」


「何だよ」


 ライアンが少し困ったように笑う。


「姫さん」


「うん」


「俺たちが帰ったら、本当に旅続けるんスよね?」


「ああ」


「どこ行く?」


「まだ決めてない」


「そっスか」


「何だ?」


「いや」


 ライアンは火を見る。


 いつもの軽い顔。


 でも。


 少しだけ違う。


「帰りたくないのか?」


 グレイが尋ねた。


 ライアンの耳が動いた。


「……そういうわけじゃないっス」


「じゃあ何?」


「旅、楽しかったなって」


 過去形。


 グレイは少し眉を寄せる。


「まだ終わってないだろ」


「そうっスね」


「明日も一緒だ」


「うん」


「その次も」


「そうっスね」


「なら今考えなくていいだろ」


 ライアンがグレイを見る。


「姫さんって、そういうところ単純っスよね」


「お前に言われたくない」


「はは」


 小さく笑う。


「でも、そうっスね」


「ああ」


「まだ一緒っスね」


「そう言ってる」


 グレイは毛布を肩へ掛ける。


「それに」


「ん?」


「また会えるだろ」


 ライアンが止まった。


「王都案内するって言った」


「ああ」


「釣りも」


「ああ」


「砂漠も」


「……そうっスね」


「俺の故郷も」


 ライアンの目が少し細くなる。


「全部まだだ」


「結構あるっスね」


「だから」


 グレイは何でもないことのように言った。


「別にこれで終わりじゃない」


 焚き火が小さく鳴った。


「……姫さん」


「何?」


「それ、ねーちゃんにも言ってやってほしいっス」


「ライカ?」


「あいつも多分、同じこと考えてるんで」


「起きてるんじゃないの?」


「寝てるっス」


「本当に?」


 二人でライカを見る。


 背を向けて横になっている。


「…………」


「…………」


「寝てる?」


「多分」


「聞こえてるぞ」


 ライカの声がした。


「うわっ!」


 ライアンが驚く。


 グレイは笑った。


「起きてるじゃん」


「にーちゃんの声がうるさくて眠れません」


「小声だったっスよ!」


「十分聞こえました」


 ライカが身体を起こす。


「全部?」


「全部です」


「姫さん」


「何?」


「俺、見張り行ってくるっス」


「もうしてるだろ」


「そうだった!」


 ライカがため息をつく。


 グレイは毛布を抱えたまま笑った。


「ライカ」


「何です?」


「聞こえてたなら言わなくていいな」


「何をです?」


「また会えるって話」


「…………」


「王都案内してくれるんだろ?」


「はい」


「じゃあ決まり」


 ライカはしばらくグレイを見ていた。


「……そうですね」


 それだけ言って。


 また横になった。


「おやすみなさい、お姫ちゃん」


「ああ」


「にーちゃんも、ちゃんと見張りしやがってください」


「分かってるっスよ」


「おやすみ」


 グレイも横になる。


 今度は目を閉じた。


 明日も三人。


 その次も。


 あと何日か。


 そして、一度別れる。


 それだけ。


 また会えばいい。


 長い時間を生きることになった自分にとって、少しくらい離れることなど大したことではない。


 そう思った。


     ◇


 数日後。


 三人は王都に近い街へ到着した。


 これまで通ってきた町よりずっと大きい。


 王都へ向かう商人や旅人も多く、街道には絶えず馬車が行き交っていた。


 遠く。


 晴れた空の下。


 地平線の先に、大きな城壁らしき影が見える。


「あれが王都?」


「外壁っスね」


「でかいな」


「ここからだとまだ小さく見えますが」


 グレイは目を細める。


 自分の故郷とは違う。


 生きている国の中心。


 あの壁の向こうに。


 二人の家がある。


「行ってみたいな」


「今度っス」


 ライアンが言う。


「ああ」


 グレイは素直に頷いた。


 三人は街へ入る。


 宿を探す。


 部屋を取る。


 いつもと同じ。


 ただ。


 今回は少しだけ違う。


 ライアンとライカは、ここから王都へ帰る。


 グレイはこの街で待つことになった。


 旅の記録を整理した後、二人だけで王城へ向かう。


「姫さん」


 宿の部屋で、ライアンが荷物を整理しながら言った。


「なんだ?」


「鍋」


「ん?」


 例の鍋。


 ライアンが荷物から外す。


「これ、姫さん持っててください」


「なんで?」


「姫さんが買ったんで」


「三人で使うって言っただろ」


「そうっスけど」


「なら持ってろよ」


「でも王城に鍋持って帰る王子ってどうなんスか?」


「別にいいだろ」


「よくないっス!」


「面白いから持って帰れ」


「姫さん絶対楽しんでる!」


 グレイが笑う。


 結局。


 鍋は宿に置いていくことになった。


「帰ってきたら使えばいい」


 グレイが言った。


「帰ってきたら?」


「ああ」


「姫さん、ここにいるんスか?」


「お前らが帰ってくるまで」


 ライアンが止まる。


 ライカも。


「何だ?」


「……待ってるんスか?」


「だって王城行くんだろ?」


「ああ」


「用事終わったら戻ってくるんだよな?」


 二人が顔を見合わせる。


「そのつもりですが」


「じゃあ待つ」


「姫さん、旅は?」


「数日くらい変わらない」


 グレイにとっては。


 本当に。


 数日など大した時間ではない。


「ここ、結構大きい街だし」


 窓の外を見る。


「見たい店もある」


「それが本音っスか?」


「半分」


「残り半分は?」


「お前ら」


 何気なく言った。


 ライアンが黙る。


 ライカも。


「……何だよ」


「いや」


「何でもありません」


「変な奴ら」


 グレイは窓辺へ座る。


「早く帰ってこいよ」


「はい」


 ライカが答える。


「待っていてください」


「ああ」


「姫さん」


「何?」


 ライアンが笑う。


 いつもの。


 軽い笑い方。


「土産、何がいいっスか?」


「王都の菓子」


「即答!」


「美味いやつ」


「分かったっス」


「母上の分も」


「いっぱい買ってくるっスよ」


「頼む」


 グレイは笑った。


 机の上には。


 三人で使った鍋が置かれている。


 次に三人で野営するとき。


 また使えばいい。


 今度はもっと上手く作れる。


 ライカに全部聞かなくても。


 少しくらいなら。


 きっと。


 その時のグレイは。


 本当に。


 それくらいにしか思っていなかった。

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