第3話 二つの街
夜の王と初めて顔を合わせてから、三日が過ぎた。
その間、グレイたちの生活が大きく変わることはなかった。
朝になれば宿で食事を取り、それぞれ気になった場所へ足を運ぶ。昼になれば適当な店を探し、夕方には宿へ戻る。旅の途中で知らない街へ立ち寄った時と、やっていること自体はそう変わらない。
違うのは、街の中央にそびえる壁を以前より意識するようになったことくらいだった。
外門区。
そう呼ばれるこちら側は、何日歩いても普通の街に見える。
朝にはパンを焼く匂いが漂い、市場には野菜や果物が並ぶ。職人は店先で仕事を始め、荷車が大通りを行き交い、昼を過ぎれば食堂から料理の匂いが流れてくる。
夜になれば酒場が賑わう。
宿もある。
商人もいる。
旅人もいる。
この街だけを見ているなら、吸血鬼である夜の王が何百年も治めているということ以外、特別なところを探す方が難しかった。
だからこそ、グレイは時折あの壁へ目を向けてしまう。
内門の向こう側については、まだほとんど何も知らない。
夜の王と会ったのも内門ではなかった。
彼がグレイたちを招いたのは、外門区の北側に建つ別邸だった。
街の支配者が外から来た客人を迎えるために使う場所らしく、普段から商人や他国の使者との会談にも利用されているという。
そのため、グレイたちは今も一度として内門を通っていない。
夜の王が暮らす城は、そのさらに向こうにある。
最初の招待でいきなり城まで通すつもりだったと後から聞かされた時には、ライアンたちの方が驚いていた。
真祖であるグレイを、夜の王がそれだけ特別な客として見ていたかららしい。
もっとも、同行者まで含めていきなり内門へ通すのは周囲が止めたらしく、結局は外門の別邸が選ばれた。
グレイ自身は、どちらでもよかった。
夜の王とは話せた。
それで十分だった。
少なくとも、その時は。
「お姫ちゃん。そちらではありませんよ」
横から聞こえた声に、グレイは足を止めた。
気づけば曲がるはずだった道を通り過ぎている。
少し先には、また内門を囲む壁が見えていた。
グレイは数歩戻った。
「悪い。あっちから荷車が来てたから、何を積んでるのか見てたんだよ」
「それで道まで間違えていたら世話ありません。今日は市場へ行くと言ったの、お姫ちゃんでしょう」
「分かってるって。ちょっと気になっただけだから、今度はちゃんとついていくよ」
隣を歩くライカが小さく息を吐く。
その腕には、買ったばかりの布袋が下がっていた。
今日、グレイとライカが向かっているのは外門区でも大きな市場の一つだった。
特別な目的があるわけではない。
旅に必要な消耗品を補充し、ついでに食べ物でも見て回る。それだけの予定だった。
ライアンとセバスは別行動。
ロイも朝から別の場所へ行っている。
五人で動く必要がない日は、こうして自然に分かれることも増えていた。
「それにしても、最近あの壁ばかり見ていますね」
歩きながらライカが言った。
「気になるんだから仕方ないだろ。でも、勝手に入ろうとはしてないぞ」
「そこは分かっています。以前より聞き分けがよくなりましたから」
「俺が成長したみたいに言うなよ。昔から必要なら待てるって何回も言ってるだろ」
「ええ。お姫ちゃんが必要だと思えば、ですね」
「それで十分じゃないか?」
「その判断を誰がするかが問題なんですよ」
ライカの返事に、グレイは少し考えてから口を閉じた。
反論しようと思えばできる。
ただ、過去を振り返れば全面的に自信を持てるほどでもない。
「……今日は市場に行こう。俺も腹減ってきたしな」
「話を逸らしましたね」
「別の話に進んだだけだよ。昼前なんだから、腹が減るのは普通だろ」
ライカの口元が僅かに緩んだ。
それ以上追及されなかったので、グレイも素直に隣を歩く。
市場へ近づくにつれて人通りが増えていった。
大通りの両側には露店が並び、果物を積んだ籠や野菜の箱が軒先まで張り出している。焼いた肉の香ばしい匂いの向こうから、香辛料と乾燥した薬草の匂いが流れてきた。
数日前に食べた串焼きの店も営業している。
グレイの視線が自然とそちらへ向いた。
「買い物が終わってからですよ」
「まだ何も言ってないだろ。店があったから見ただけだよ」
「では、そのまま前を向いていてください」
「一つくらいなら歩きながら食えるぞ」
「買い物が終わってからです」
「……分かったよ。別に逃げる店でもないし、後で食えばいいからな」
グレイは名残惜しく視線を戻した。
最初に入ったのは雑貨を扱う店だった。
石鹸や油、蝋燭、簡単な裁縫道具まで揃っている。
ライカが必要な物を選んでいる間、グレイは店の隅に積まれた木箱を眺めていた。
同じ印の箱が十数個。
中身は石鹸らしい。
そこへ店主が帳面を持ってやってくる。
「すまないね。そこ、今から運び出すんだ。少しだけ空けてもらえるかい?」
「邪魔してたなら悪い。この箱、全部売れたのか?」
「半分くらいはな。残りは納品だよ」
グレイが脇へ退くと、店員が二人がかりで木箱を運び始めた。
「こんなに一度に使うところがあるんだな」
「定期の分だから、珍しくもないよ。うちは石鹸だけだが、あっちは油もまとめて持っていく」
店主が顎で示した先では、別の男たちが大きな陶器の壺を荷車へ積んでいる。
グレイは何となく眺めてから尋ねた。
「どこか大きい宿にでも納めるのか?」
「内門だよ」
返ってきた答えはあまりに普通だった。
グレイが店主を見る。
「内門で、こんなに使うのか?」
「そりゃ使うだろ。向こうにだって生活があるんだから」
店主はそれ以上気にした様子もなく、帳面へ印をつけた。
ライカが商品を持って戻ってくる。
「お姫ちゃん、こちらで必要なものは揃いましたよ」
「ああ。今、あの箱が内門に行くって聞いてたんだ。石鹸だけでも結構な量があるみたいだぞ」
ライカの視線が運び出される箱へ向く。
「これが全部ですか?」
「全部じゃないらしい。あの油も一緒に運ぶみたいだよ」
店主が会話を聞いて振り返った。
「あんたら、旅人かい?」
「そうだけど。何か変なこと聞いたか?」
「いや、外から来たなら珍しいのかと思ってな。ここじゃいつものことだよ。決まった日にまとめて運ぶんだ」
「食べ物なんかも?」
「もちろん。そっちの方がずっと多いさ」
店主は何でもないことのように答えた。
グレイは礼を言い、ライカが代金を払うのを待って店を出た。
大通りへ戻る。
しばらく歩いたところで、ライカが口を開いた。
「お姫ちゃん。先ほどの量、どう思いますか?」
「石鹸だけなら何とも言えないな。毎日運ぶわけじゃないみたいだし、内門が広いなら普通なのかもしれないだろ」
「そうですね。ですから、もう少し見てみます」
「何か気になった?」
「少しだけです。まだ分からないので、今は気にしないでください」
「分かった。分かったら教えてくれればいいよ」
グレイはそれ以上聞かなかった。
ライカが気になると言うなら、自分なりに確かめるつもりなのだろう。
次に向かった食料品の並ぶ一角では、朝から荷車が絶えず動いていた。
穀物。
豆。
芋。
干し肉。
塩漬けの魚。
保存の利くものだけではない。
野菜や果物、乳製品まで大量に扱われている。
この街は交易路の途中にある。
周辺の農村からも食料が集まるため、品数そのものは不自然ではなかった。
グレイも最初はそう思っていた。
「お姫ちゃん。あちらを見てください」
ライカが声を落とした。
示された先で、荷車へ小麦袋が積み込まれている。
一台ではない。
三台。
どれも同じ印がついていた。
三日月と雫。
「また内門行きか」
「おそらく。先ほどの雑貨屋と同じ印ですね」
「食料も運ぶって言ってたから、それ自体は変じゃないだろ」
「ええ。問題は量です」
ライカは荷車を見たまま答えた。
「少し話を聞いてきます。お姫ちゃんはここで待っていてください」
「俺も一緒に行くよ。別に邪魔しないから、普通に話を聞けばいいだろ」
「では、余計なものを買わないでくださいね」
「それは話と関係ないだろ」
それでも二人で商人のところへ向かった。
ライカは荷物について、グレイは内門への納品について尋ねる。
商人は特に隠そうとしなかった。
小麦や豆は定期的にまとめて運ぶこと。
肉や野菜は傷みやすいため、もっと短い間隔で届けること。
冬場になると薪や油の量も増えること。
薬屋からは薬草や消毒用の酒なども入る。
衣類や布も季節ごとにまとまった注文があるという。
「随分いろいろ運ぶんだな」
「向こうじゃ商売をほとんどやらないからな。必要なものはこっちで揃えて持っていくんだよ」
「内門の中じゃ作ってないのか?」
「何も作ってないってことはないだろうが、全部賄えるほどじゃないさ。こっちが外との窓口みたいなもんだ」
商人が小麦袋を叩く。
「俺たちからすりゃ大口の客だ。代金だって遅れたことがない。細かいことは役人がまとめてるから、俺は頼まれた分を用意するだけだよ」
「なるほど。教えてくれてありがとう」
「構わんよ。旅人には珍しいんだろうが、こっちじゃ毎日の景色だからな」
二人が離れる頃には、荷車への積み込みも終わりかけていた。
グレイは振り返る。
「外門が外との窓口、か」
「おそらく、そこがこの区画の大きな役割なのでしょうね」
「外から物を集めて、内側へ渡す。そのために商人や旅人を受け入れてるってことか?」
「それだけではないでしょうけれど、少なくとも重要な役割ではあると思います」
ライカは手にしていた小さな帳面を開いた。
買い物の内容を書き留めるために持ってきたものだ。
その余白に、何か数字を書いている。
「何してるんだ?」
「今見た荷車の量を大まかに記録しています。正確な数ではありませんが、少し気になるので」
「そういうの得意だよな。俺は途中で面倒になりそうだ」
「お姫ちゃんは気になったものを見つけるのは早いですけど、数字を並べて確認するのは途中で飽きますからね」
「必要ならちゃんとやるぞ。ただ、得意な奴がいるなら任せた方が早いだろ」
「そういうことにしておきます」
ライカは帳面を閉じた。
その日の買い物は、それで終わった。
約束通り、帰りには串焼きを買った。
一本だけのつもりだったが、グレイが二本目を頼もうとしたところでライカに止められた。
◇
翌日の昼。
宿の食堂には、五人が揃っていた。
テーブルの上には昼食の皿と、ライカが持ってきた数枚の紙が置かれている。
「それで、ねーちゃん。昨日から何調べてたんスか?」
ライアンがパンをちぎりながら尋ねた。
「内門へ運び込まれている物資についてです。正確な帳簿を見たわけではありませんから推測になりますが、少なくとも少人数向けの量ではありません」
「やっぱりそうなのか?」
グレイが身を乗り出す。
「はい。昨日見ただけでも、小麦、豆、野菜、肉、薬、石鹸、油、布などがまとまって運ばれていました。商人にも確認しましたが、一度きりではなく定期的な納品です」
ライカは紙の一枚を指先で押さえた。
「もちろん外門の人口全体から考えれば、扱われている物資そのものは不自然ではありません。ただ、そのうち一定量が継続して内門へ回されています」
「つまり、中にも結構な人数が住んでるってことっスか?」
「そう考えるのが自然でしょうね。数人や数十人のために動かす量ではありません」
セバスが紙へ目を落とす。
「食料だけなら兵や使用人という可能性もございますが、薬や衣類、日用品まで一定量が流れているのであれば、それだけでは説明しにくいでしょうな」
「俺も同じこと考えてた」
声を出したのはロイだった。
グレイがそちらを見る。
「ロイも何か見つけたのか?」
「ああ。昨日、街の外れにある苗木屋と農産物の集積所を見てきた」
「何でそんなところ行ってたんだ?」
「植物の種類が気になっただけだ。街ごとに育ててるものが違うからな。見てると結構面白いぞ」
ロイにとって、植物を眺めることは仕事だけではなく習慣に近いらしい。
庭師として培った知識があるからこそ、土地を歩けば植えられている木や作物へ自然に目が向く。
「それで、何が分かったんスか?」
ライアンが尋ねる。
「内門向けの苗と種がある」
「食料だけじゃなくて?」
「ああ。果樹の苗、野菜の種、薬草。それに土を整えるための資材も入ってる。量から見て、庭に何本か植える程度じゃない」
ロイはテーブルに肘をつかず、背もたれへ身体を預けた。
「内側にも栽培する場所があるはずだ。外門から食料を運び込んでるのに、自分たちでもある程度作ってる。だったら、思ってるより広い場所を生活に使ってるんじゃないか」
グレイは壁の向こうを思い浮かべる。
高い石壁。
閉ざされた門。
外から見えるのは、その向こうに何か大きな建物があるということくらい。
「中にも畑みたいなものがあるってことか?」
「畑か果樹園かは見てないから断言できない。ただ、苗の種類を見る限り、観賞用だけじゃないのは確かだ」
「なるほど。ロイが植物見てたの、ちゃんと役に立ったな」
「主。俺は別に役に立つために見てたわけじゃないぞ」
「結果的に分かったなら同じだろ。それに、俺には苗を見ても何を育てるかなんて分からないから助かったよ」
ロイが少しだけ目を細める。
「そういう言い方されると、否定しにくいな」
「じゃあ否定しなくていいだろ」
グレイは満足して料理へ戻った。
しかし、食べながら考える。
中に人がいること自体は、すでに不思議ではない。
外門の住民も商人も、内門へ物を運ぶことを隠していなかった。
むしろグレイたちだけが知らない。
この街に暮らす者たちにとっては、説明する必要もないほど当たり前なのだろう。
「でも、変っスね」
ライアンが呟いた。
「何が?」
「これだけ普通に物が入ってるなら、中に人が住んでること自体は秘密じゃないんスよね。それなのに、外から来た俺たちは自由に入れない」
「そうですね」
ライカが頷く。
「物資を入れるための仕組みは整っている。それでも人の出入りは制限している。単純に閉ざしているのではなく、外門と内門を意図的に分けているのでしょう」
「中に何があるか隠したいだけなら、商人にここまで普通に荷物を運ばせない気もするな」
グレイはパンを置いた。
「それに、夜の王も俺たちに内門の存在を隠そうとはしなかった。聞けば答えそうな気がするんだよな」
「でしたら、お尋ねになってはいかがでしょう」
セバスが言う。
グレイは顔を上げた。
「俺もそうしようと思ってた。勝手に調べ続けるより、本人に聞いた方が早いだろ」
「姫さんらしいっスね」
「何日も見て分からないなら、知ってる奴に聞くのが普通じゃないか?」
「いや、俺も今回はそれが一番だと思うっスよ」
「今回はって何だよ」
ライアンは笑って誤魔化した。
グレイも追及はしなかった。
夜の王は、また話したくなれば別邸へ来ればいいと言っていた。
ならば遠慮する必要はない。
「午後にでも行ってみよう。夜の王がいなかったら、いつ会えるかだけ聞いて帰ればいいしな」
「では、私どもも同行いたします」
セバスが当然のように言う。
「別に全員で行かなくてもいいぞ。話を聞くだけだから、危ないことはしないよ」
「危険の有無だけで同行しているわけではございません」
「分かった。じゃあ一緒に行こう。みんなも気になってるなら、その方が話は早いからな」
誰からも反対は出なかった。
◇
午後の外門は、朝よりも人が多かった。
グレイたちは大通りを北へ進む。
内門の壁へ向かうのではない。
目的地は、そこから少し離れた一角にある夜の王の別邸だった。
街中にありながら周囲には低い塀が巡らされ、正面には小さな庭がある。王の所有する建物ではあるが、内門の城ほど閉ざされた場所ではない。
門前の衛兵も、グレイの顔を見るとすぐに気づいた。
「グレイ様ですね。本日はどのようなご用件でしょうか」
「夜の王に聞きたいことがあって来たんだ。今ここにいるなら会いたいけど、いないなら都合のいい時間だけ教えてほしい」
「少々お待ちください」
衛兵の一人が中へ入っていく。
しばらくして戻ってきた時には、後ろに見覚えのある使者がいた。
「グレイ様。ようこそお越しくださいました」
「急に来て悪い。夜の王、今日はいるのか?」
「はい。ちょうど別邸に滞在しております。グレイ様がお越しになったと伝えましたところ、すぐにお通しするようにとのことでした」
「それならよかった。少し聞きたいことがあるだけだから、そんなに長くはならないと思うよ」
「どうぞこちらへ」
案内され、五人は別邸へ入った。
前に訪れた時と同じ廊下を通る。
城ほど大きくはないが、客人を迎える場所として十分な広さがある。装飾は控えめで、窓から入る午後の光が床を明るく照らしていた。
通されたのも以前と同じ応接室だった。
夜の王は窓際の椅子に座り、何枚かの書類を読んでいた。
グレイたちが入ってくると、それを卓上へ置く。
「こんにちは、グレイ。思ったより早くまた会えたね」
「俺もこんなに早く来るつもりじゃなかったんだけど、気になることができたから聞きに来たんだ」
「それは構わないよ。私も君とはまた話したいと思っていたところだ」
夜の王が四人にも視線を向ける。
「皆もこんにちは。今日は全員一緒なんだね」
「俺だけが気になってる話じゃないからな。みんなで聞いた方が後から説明する手間もないだろ」
「合理的だね。立ったままも何だから、座ってくれ」
五人が席へ着く。
使用人が飲み物を用意しようとしたが、グレイは少し迷ってから夜の王を見る。
「今日は本当に聞きたいことがあって来ただけだから、あまり気を遣わなくていいぞ」
「せっかく来たんだ。お茶くらい飲んでいけばいい。君が前に気に入っていた菓子も残っているよ」
「それなら、ありがたくもらう。あれは普通にもう一回食べたかったからな」
「お姫ちゃん。目的を忘れないでくださいね」
「忘れてないよ。菓子食ったら質問できなくなるわけじゃないだろ」
夜の王が笑う。
「変わらないね、君たちは」
「数日でそんなに変わったら、俺の方が困るよ」
茶が用意される。
以前と同じ薄い菓子も小皿に並べられた。
グレイは一つ取ったが、今度はすぐに本題へ入った。
「夜の王。内門のことを聞いていいか?」
「もちろん。何が知りたいんだい?」
「ここ数日、外門を見て回ってたんだ。別に内門を調べるためだけじゃなくて普通に街を歩いてたんだけど、いろんな物があの中へ運ばれてるだろ」
夜の王は驚かなかった。
「ああ。毎日かなりの量が入っているね」
「食料だけじゃなかった。薬や衣服、石鹸みたいな生活用品もあるし、ロイが見たところだと果樹の苗や野菜の種まで運んでるらしい。だから、俺たちが思ってたより中に人がいるんじゃないかって話になったんだ」
「なるほど。そこまで見ていたのか」
「ライカが物資の量に気づいたんだよ。俺だけだったら、荷車が多いなって思うくらいで終わってたかもしれない」
「お姫ちゃんも最初に石鹸が運ばれていることに気づいたでしょう。全部こちらへ投げないでください」
「最初だけな。その後に量がおかしいって考えたのはライカだろ」
夜の王は二人のやり取りを聞きながら、穏やかに笑っていた。
グレイは小さく咳払いして戻す。
「それで聞きたいんだけど、内門にはどのくらい人がいるんだ? 正確な人数まで言いたくないなら、それでもいい」
「人数を隠す理由は特にないけれど、君が本当に知りたいのは数字ではないだろう?」
グレイは少し考える。
「そうだな。何であれだけの物が必要なのかと、どうして内門を外門から分けてるのか。その二つの方が気になる」
「それなら答えは簡単だよ」
夜の王はカップを置いた。
「内側にも人間が暮らしているよ。外より少し特殊な場所だから、自由に出入りさせていないだけだ」
あまりにもあっさりした答えだった。
グレイは瞬きをする。
「やっぱり、人間が暮らしてるんだな」
「ああ。君たちが見た物資の大半は、そこで生活する人々のためのものだよ」
ライアンが僅かに眉を寄せた。
「外より特殊って、どういう意味なんスか?」
「それを言葉だけで説明すると、少し長くなるかな」
夜の王は誤魔化さなかった。
ただ、すぐに続きを話すこともしなかった。
グレイはその表情を見る。
「話したくないわけじゃないんだな?」
「もちろん。隠すつもりなら、君たちが街を自由に見て回ることも止めているよ」
「じゃあ、どうして中の人間は自由に外へ出られないんだ? 外から入る方だけ制限するならまだ分かるけど、物資の流れを見てると中と外をかなりはっきり分けてるだろ」
夜の王は少しだけ考えるように目を伏せた。
「グレイは、あの場所をどんなところだと思っている?」
「今のところは分からないよ。だから聞きに来たんだ。ただ、壁で囲って人間を外へ出さないって聞けば、あまりいい想像はしない」
「率直だね」
「変に遠回しに言っても仕方ないだろ。俺が勝手に悪く考えてるだけなら、その方がいいんだから」
「そうだね」
夜の王は怒らなかった。
むしろ少し楽しそうだった。
「君は、自分で確かめる方が好きそうだ」
「見られるなら、その方がいいな。聞いた話だけで決めるより、自分の目で見た方が間違いにくいだろ」
「私もそう思うよ」
夜の王がグレイを見る。
「なら、見てみるかい?」
一瞬、誰も答えなかった。
グレイが目を瞬く。
「内門を、俺たちに見せてくれるのか?」
「ああ。そこまで興味を持っているなら、外から推測を続けてもらうより実際に見てもらった方が早い。君たちなら問題も起こさないだろう」
そこで夜の王は僅かに笑う。
「少なくとも、意図的にはね」
「最後の一言いらないだろ。俺はこの街じゃちゃんと大人しくしてるぞ」
「お姫ちゃん。そこへ反応するより先に、招待について確認してください」
「分かってるよ。俺だって今の方が大事なのは分かってる」
グレイは夜の王へ向き直る。
「俺は見たい。ただ、俺だけじゃなくて四人も一緒でいいんだよな?」
「もちろん。君だけを案内するつもりなら、最初からそう言っているよ」
グレイは四人を見る。
「みんなはどうする? 俺は行くつもりだけど、無理についてくる必要はないぞ」
「ここまで一緒に見てきて、今さら姫さんだけ行かせるわけないっスよ。俺も行くっス」
「私も同行します。物資の流れだけでは分からなかったことも多いですから、自分の目で確かめたいですね」
「当然、私もお供いたします」
セバスが続く。
最後にロイを見る。
「俺も行く。苗がどこで使われてるのかは少し気になる」
「そこなのか?」
「それだけじゃない。だが、気になるものの一つではある」
「ロイらしいな。それなら五人全員だ」
夜の王は頷いた。
「分かった。では、日を改めよう。内門を見せるなら、私も一緒に歩いた方がいい」
「夜の王が自分で案内するのか?」
「私の街だからね。君たちが何か聞きたくなった時、私がいた方が話は早いだろう?」
「それなら助かるよ。俺も見てたらいろいろ聞くと思うから、最初からあんたがいてくれた方がいい」
「そうだと思っていたよ」
「俺、そんなに質問多かったか?」
グレイが四人を見る。
誰もすぐには答えない。
「何で黙るんだよ。そこは違うなら違うって言ってくれていいだろ」
「お姫ちゃん。ご自分でも分かっていることを、私たちに確認しないでください」
「気になるものがあったら聞くのは普通だろ。知らないまま勝手に決めるよりずっといいと思うけどな」
「その点については否定しておりません」
「じゃあいいじゃないか」
夜の王が楽しそうに笑う。
「私は構わないよ。むしろ、遠慮して何も聞かれないより話しやすい」
「ほら。本人もこう言ってるんだから、内門でも普通に聞くぞ」
「聞くことを止めているわけではありません。先に一人でどこかへ行かないようにと言っているんです」
「それもしないよ。夜の王が案内してくれるのに、勝手に歩く理由なんてないだろ」
ライカはグレイの顔をしばらく見ていたが、やがて小さく頷いた。
「でしたら、私は何も申しません」
「最初からそれでいいんだよ」
グレイは菓子をもう一枚取った。
今度はライカも止めなかった。
夜の王はそんな二人を見てから、窓の外へ視線を向ける。
そこからも内門の壁が見えていた。
「グレイ」
「どうした?」
「一つだけ、先に言っておこう」
夜の王の声は変わらず穏やかだった。
「君が中を見て、どう思うかは私には決められない。気に入るかもしれないし、嫌うかもしれない。それについて私から先に答えを与えるつもりもないよ」
グレイは手にした菓子を皿へ戻した。
夜の王の顔を見る。
脅しではない。
自分のやり方を理解してほしいと頼んでいるようにも聞こえなかった。
ただ、本当に見た上で決めればいいと言っている。
「それでいいよ。俺も、あんたにどう思えばいいか教えてもらうつもりはないからな。見て、聞いて、それから自分で考える」
「なら問題ないね」
夜の王は微笑んだ。
グレイもそれ以上は聞かなかった。
ここで説明を求めれば、また言葉だけが増える。
もう見る機会は与えられた。
ならば、その時に確かめればいい。
しばらくして話は別のものへ移った。
外門の食事。
街道の状況。
グレイたちがこれまで立ち寄った土地。
夜の王がこの街を治め始めた頃の、今とは違う交易の話。
内門については、それ以上ほとんど触れなかった。
聞こうと思えば聞ける。
夜の王も答えるだろう。
それでもグレイは聞かなかった。
答えを急ぐ必要がなくなったからだ。
◇
別邸を出た時には、太陽が西へ傾き始めていた。
五人は宿へ向かって大通りを歩く。
人の流れは相変わらず多い。
商人の呼び声も、荷車の音も、子供たちの笑い声も、数日前から変わらない。
少し先の交差点で、荷車が一台曲がっていった。
三日月と雫の印。
内門へ向かう荷物だ。
今度は誰も足を止めなかった。
「結局、夜の王は隠さなかったっスね」
ライアンが言う。
「隠す気がないんだろ。聞いたら普通に答えたし、最後には自分から見せるって言ったからな」
「そこが少し意外でしたね」
ライカが隣を歩きながら答える。
「もっと曖昧にされるかと思っていました。内門への出入りを制限している以上、何かしら知られたくない事情がある可能性も考えていましたから」
「知られたくないんじゃなくて、出入りさせたくない理由があるのかもしれないな」
ロイが言う。
グレイはそちらを見る。
「それ、結構違うな」
「ああ。隠したいなら主たちを入れなければ済む。夜の王自身が案内するって言うなら、少なくとも見られること自体を嫌がってるわけじゃない」
「なら、やっぱり見れば分かるか」
「全部分かるとは限らないが、今よりはな」
「それで十分だよ。分からなかったら、その時また聞けばいい」
グレイは前へ向き直った。
内門を囲む壁は、大通りの建物の隙間から何度も見える。
これまでと同じ壁。
だが、見え方が少し変わった。
向こうに人間がいる。
それも、外門から運び込まれる大量の物資を必要とするだけの人数が暮らしている。
食べる。
服を着る。
薬を使う。
石鹸や油を使う。
植物まで育てている。
それだけなら、普通の生活だ。
けれど、その普通の生活が高い壁の向こうにあり、自由な出入りを許されていない。
その理由だけが、まだ見えない。
「グレイ様」
セバスの声に、グレイが振り向く。
「どうした?」
「先ほどから内門の方ばかりご覧になっております。何かお考えですかな?」
「考えてるっていうより、余計に気になっただけだよ。人が暮らしてるのは分かったけど、それなら何で壁で分けてるのかはまだ分からないからな」
「夜の王は、外より少し特殊な場所と申しておりましたな」
「ああ。でも、その意味を今ここで想像しても仕方ないだろ。次は中へ入れるんだから、見てから考えればいいよ」
セバスが穏やかに頷いた。
「それがよろしいでしょう」
グレイは少し歩いてから、ライカを見る。
「そういえば、ライカの数字も合ってたな。中に人が多いってところまでは当たってた」
「まだ人数までは聞いていませんから、どの程度かは分かりませんよ」
「でも少人数じゃないのは確かだろ。あれだけ物を入れてるんだから」
「ええ。それに、外門側が内門の生活を支える仕組みになっていることも、ほぼ間違いないでしょうね」
「二つの街みたいだな」
グレイが何気なく言う。
「同じ壁の中にあるのに、外門は外の世界と繋がってて、内門はその外門から物を受け取ってる。片方だけじゃ今の形にならないんだろ」
ライカが少し考える。
「そうですね。外門は単なる壁の外側ではなく、内門と外の世界を繋ぐための街でもあるのでしょう」
「だから商人も旅人も普通に入れるのか」
グレイは周囲を見る。
市場。
宿。
食堂。
倉庫。
荷車。
外から来る者が必要とするものと、外から物を集めるために必要なものが、この区画には揃っている。
内門を閉じたままでは、外の世界と完全に切れてしまう。
その間を外門が繋いでいる。
「最初に来た時は、壁があるから外門って呼ばれてるだけだと思ってたよ。でも、ちゃんと役割が違うんだな」
「そのようですね」
ライカが答える。
そこへ、前を歩いていたライアンが振り返った。
「姫さん、真面目な話してるところ悪いんスけど、さっきからいい匂いしてないっスか?」
言われて、グレイも鼻を動かした。
肉を焼く香り。
香辛料。
覚えのある匂いだった。
「あの串焼き屋、ここから近かったな。今日はまだ食べてないし、宿に戻る前に寄っていこう」
「姫さん、昨日も食ってなかったっスか?」
「昨日食ったから今日食ったら駄目なんて決まりはないだろ。うまいものなら何回食ってもいいんだよ」
「お姫ちゃん。夕食が入らなくなるほど食べなければ、私は止めませんよ」
「じゃあ二本くらいなら問題ないな。ライカも食うなら一緒に買おう」
「私は一本で十分です」
「俺は二本いくっス」
「にーちゃんは夕食も普通に食べるでしょう」
「それとこれは別腹っスよ」
「その言葉の使い方は違うと思います」
双子のやり取りを聞きながら、グレイは串焼き屋へ向かって歩く。
セバスも止めない。
ロイも黙ってついてくる。
いつもの旅の途中と変わらない夕方だった。
ただ一つ。
数日後には、あの壁の向こうへ入る。
グレイは串焼きを受け取りながら、遠くに見える内門の壁へ一度だけ目を向けた。
すぐに視線を戻し、まだ熱い肉へ息を吹きかける。
「熱いけど、やっぱりここのはうまいな。内門を見る前に、この街の飯まで嫌いになる理由はなさそうだ」
「誰もそんな心配してないっスよ、姫さん」
「俺もしてないよ。ただ、今は今で楽しめばいいだろ」
夕暮れの大通りを、荷車が一台通り過ぎていく。
積まれているのは、小麦と野菜だった。
車体の横には三日月と雫。
荷車は五人の横を抜け、そのまま内門の方角へ遠ざかっていった。
今度、その行き先を見ることになる。
グレイは追いかけることなく、手元の串焼きをもう一口齧った。




