第3話 見えない敵
街へ入ってから、セバスは三度目になる窓の確認をしていた。
木枠にも留め具にも異常はなく、外から開けられたような痕跡も見当たらない。二階の窓から見えるのは、夕暮れを迎えつつある街並みだけだった。
向かいには二階建ての商店があり、その奥には赤茶色の屋根が幾重にも連なっている。大通りから一本外れた宿だからか人通りはそれほど多くない。それでも荷車の車輪が石畳を転がる音や、仕事を終えた職人たちの声が時折ここまで届いていた。
少なくとも、目に見える範囲に異常はない。
それでもセバスは、すぐには窓から離れなかった。
「セバス。そこ、さっきも見てなかった? 何もないなら、もう座ったらいいだろ」
背後から声をかけられ、セバスはようやく振り返った。
寝台の端に腰掛けていたグレイが、少し呆れたような顔でこちらを見ている。
「念のためでございます。先ほどとは通りを歩く人間も変わっておりますので、もう一度確認しておこうかと」
「宿の前なんだから、人くらい変わるだろ。それを気にしてたら、何回見たって終わらないぞ」
「……仰る通りでございます」
素直に認めながらも、セバスの表情から警戒が消えることはなかった。
誰が敵なのか分からない。どこから狙われているのかも分からず、それどころか昨日グレイを撃った者の顔さえ知らない。
窓の向こうを何度確認したところで、それだけで警戒を終えられるはずもなかった。
グレイはそんなセバスをしばらく眺めていたが、何を言っても今すぐ納得はしないだろうと判断したのか、やがて手元へ視線を落とした。
机の上には、小さく潰れた金属片が置かれている。
昨日、グレイの頭部を貫いたものだった。
衝撃で変形し、元の形はほとんど残っていない。それでも材質が鉄であることだけは確認できている。
グレイはそれを指先で転がしながら、何度目かになる疑問を口にした。
「やっぱり、普通の矢とかじゃないよな。セバス、もう一回見てくれる?」
「構いませんが、昨夜から何度も確認しております。恐らく、新しく分かることはないかと」
「それは分かってる。でも俺が見落としてることを、セバスなら気づくかもしれないだろ。何もなかったら、それはそれでいいからさ」
「そういうことでしたら」
セバスはようやく窓辺を離れ、机を挟んだ反対側へ腰を下ろした。
差し出された金属片を摘まみ上げ、指先で重さを確かめる。ここまで潰れていては元の大きさを正確に推測することは難しいが、それほど大きな物ではなかったことだけは確かだった。
「……やはり妙ですな。これだけの大きさの鉄で、あれほどの威力を出したとなれば」
「かなり速く飛ばさないと無理だろ? 大きな物を飛ばしたならまだ分かるけど、こんな小さい鉄で俺の頭を抜いてるんだから」
「速度だけではございません。あの距離から、歩いているグレイ様の頭部へ正確に命中させております。そちらの方が、私には異常に思えます」
「俺もそこが気になってるんだよ」
グレイは椅子から少し身を乗り出し、昨日の街道を思い出すように机の上へ指を滑らせた。
「俺たちはずっと歩いてた。止まってる相手を狙ったわけじゃない。それなのに一発で当ててるし、撃たれる直前まで魔力の動きも感じなかった。だったら、術者そのものが俺たちの感知できる範囲より外にいた可能性が高いだろ?」
「私も同意見でございます。問題は、どの程度離れていたのかですが」
「そこなんだよな。近くに隠れられそうな場所はほとんどなかった。街道の周りは草原で、少し離れたところから丘が続いてたから、撃たれた向きを考えれば、たぶんあの辺りだと思う」
グレイは机の端まで指を動かしたところで止めた。
「でも、一番近い丘じゃない気がするんだ」
「なぜでしょう」
「そこにいたなら、撃たれた後に何か分かったと思う。気配でもいいし、逃げる時の魔力でもいい。でも、本当に何もなかった」
撃たれた直後、グレイだけでなく三人も周囲を探っている。
それでも誰一人として、攻撃した者の存在を掴めなかった。
グレイは指先をさらに遠くへ動かした。
「だから、もっと遠い。最初から人がいると思って探さないと、いるかどうかも分からないくらい離れてたんじゃないかな。もしそこから俺の頭に当てたなら……やっぱり面白いだろ」
「面白くはございません」
間を置かない返答だった。
グレイが顔を上げる。
「でも気になるだろ。セバスだって、あんな攻撃は見たことないんじゃない?」
「見たことがないことと、面白いことは別でございます。少なくとも私は、自分の主人の頭部を撃ち抜いた技術を、素直に面白いとは思えません」
声は穏やかで、普段とほとんど変わらない。
けれど、グレイはそこで口を閉じた。
セバスの手の中から、僅かに金属の軋む音が聞こえたからだ。
「セバス。それ以上握ったら潰れるぞ。まだ調べたいから、壊さないでくれ」
「……失礼いたしました」
セバスは指の力を抜き、金属片を机へ戻した。
グレイはそれを受け取りながら、目の前の老執事を見つめる。
「まだ怒ってる?」
「多少は」
「俺に?」
「まさか。撃った者に対してでございます。それと……何もできなかった自分にも、少々」
最後だけ、声が僅かに低くなった。
セバスはそれ以上続けようとはしなかったが、グレイには十分だった。
長い付き合いだ。すべてを言葉にされなければ分からないほど、浅い関係ではない。
「昨日のことなら、セバスが気にすることじゃないだろ。俺だって気づかなかったんだから」
「それで納得できれば、随分と楽なのでしょうが」
「納得しろとは言ってないよ。ただ、あれは仕方なかったと思う。俺もセバスも、ライアンもライカも、誰も分からなかったんだから」
グレイは金属片を机へ置き、椅子の背へ身体を預けた。
「分からなかったことをずっと悩んでも、次に分かるようにはならないだろ。それなら、どうやって撃ったのか、どこからだったのか、次に同じことをされたらどうすれば気づけるのかを考えた方がいい。俺はそっちをやりたい」
「……次がある前提なのですな」
「相手が諦めたって分かってないんだから、考えておいた方がいいだろ。それに俺は死んでないし、怪我ももう治った。だったら今やることは、誰かが謝ったり後悔したりすることじゃないと思う」
セバスは何も言わず、しばらくグレイを見つめていた。
やがて、その口元がほんの僅かに緩む。
「グレイ様らしいお考えですな。少々、安心いたしました」
「何で安心するんだよ。昨日からずっと俺は俺だぞ」
「もちろん存じております」
「……何か誤魔化してない?」
グレイが眉を寄せたところで、部屋の扉が開いた。
「姫さーん、生きてるっスか?」
入ってきたのはライアンだった。
グレイは露骨に嫌そうな顔を向ける。
「その確認、今日だけで何回目だよ。俺が部屋から出入りするたびに聞くつもり?」
「さすがにそこまではしないっスよ。今のは挨拶みたいなもんっス」
「嫌な挨拶だな」
ライアンの後ろから顔を出したライカが、兄の背中を軽く小突いた。
「にーちゃん、そういう冗談はもう少し時間を置きやがってください。お姫ちゃんが平気でも、こっちはまだ笑えませんよ」
「だから軽く言ったんスよ。俺だって真面目な顔で『生きてるっスか』なんて確認したくないっスから」
そう答えながら部屋へ入ったライアンは、机の上に置かれた金属片を見つけた。
「またそれ見てたんスか?」
「うん。まだ分からないことが多いから、もう少し考えたいんだ。あれだけ離れたところから正確に撃てるなら、どうやってるのか知りたいだろ」
「俺は技術より、撃った奴の顔が知りたいっスけどね」
その声から、普段の軽さが僅かに消えた。
グレイはライアンを見上げる。
「顔が分かったらどうする?」
「とりあえず一発殴るっス」
「俺と同じじゃん」
「全然違うっスよ。姫さんの場合、会ったら最初に『どうやって撃った?』って聞くでしょ」
グレイは少し考えた。
「……たぶん聞くな。でも、その後に何で俺を狙ったのかも聞くぞ。そっちはまだ何も分かってないんだから」
「だから順番が逆なんスよ」
ライアンが深く息を吐く。
その横を通り過ぎたライカは、何も言わずに窓辺へ向かった。
半分ほど身を寄せ、向かいの建物から屋根、路地、その向こうに見える塔へと順番に視線を動かしていく。先ほどセバスがしていたことと、ほとんど変わらない。
それに気づいたグレイが声をかけた。
「ライカも見るの?」
「見ますよ。何か問題あります?」
「ないけど、セバスもさっき三回見てた」
「……セバス、三回も見たんです?」
「数えておりませんでした」
「俺が数えた」
「お姫ちゃんは、そういうところだけよく見てますね」
「近くにいるんだから分かるだろ」
ライカはもう一度外を確認すると、カーテンを半分だけ閉じた。
「これくらいにしておきます。全部閉めたら外が見えませんからね。向こうから見えにくくして、こっちからは確認できる程度でいいでしょう」
「なるほど。俺、そういうの考えてなかった」
「でしょうね」
「何で即答なんだよ」
「昨日頭を撃ち抜かれたのに、朝から自分の傷より飛んできた鉄の方を気にしてる人だからですよ」
「傷はもう治っただろ。それに、弾っていうより金属片だし」
「そこじゃありません」
ライカが額へ手を当てると、ライアンが小さく吹き出した。
今度の笑いには、昨日よりも普段の調子が戻っている。
グレイはそんな三人を順番に眺めた。
誰もはっきりとは口にしない。
けれど、昨日までとは明らかに違っていた。
宿へ入る時、ライアンは何度も周囲を確認していた。ライカは部屋の位置を調べ、街道側ではない部屋を選んだ。セバスに至っては窓だけでなく、廊下や階段、裏口まで確認している。
自分が少し動けば、誰かの視線が自然についてくる。
鬱陶しいとは思わない。
ただ、このままでは三人の方が疲れてしまいそうだった。
「三人とも、そんなに気にしなくても大丈夫だぞ。俺ならもう何ともないんだから」
一瞬だけ、部屋の空気が止まった。
最初に口を開いたのはライアンだった。
「姫さん、それはちょっと無理っスよ。別にこれからずっと守って歩くとか、そういうつもりじゃないっス。でも昨日の今日で、いきなり今まで通りにしろって言われても無理っス」
「俺が治るのは知ってるだろ?」
「知ってるっス。でも、知ってるのと実際に目の前で見るのは別なんスよ」
ライアンは笑わなかった。
「気づいた時には姫さんが倒れてて、頭から血が出てた。俺もねーちゃんもセバスも、何が起きたのか分からないまま、撃った奴がどこにいるかすら見つけられなかった。姫さんが治るって分かってても……あれは、さすがにちょっと残るっスよ」
重くしすぎないようにしながら、それでも冗談で誤魔化さないよう、言葉を選んでいる。
グレイはしばらくライアンを見つめた。
「……そういうことなら、しばらくは好きにしていいよ。ただ、俺が一人で外へ出るだけで三人ともついてくるとかはやめてくれ。さすがに歩きにくいから」
「そこまでしないっスよ」
「にーちゃんならやりかねませんけどね」
「ねーちゃんだって昨日、姫さんが水取りに行っただけで立ち上がったじゃないっスか」
「にーちゃん」
「はい」
「余計なこと言いやがらないでください」
ライアンが素直に口を閉じる。
グレイは今度はライカへ顔を向けた。
「ついて来ようとしたの?」
「……途中でやめましたよ。お姫ちゃんに嫌がられると思いましたから」
「別に嫌がりはしないけど、水を取りに行くだけなら一人でいいだろ」
「分かってます。だから途中で座ったでしょうが」
少し不満そうに返すライカを見て、グレイはそれ以上何も言わなかった。
三人が自分を大切にしていることは、ずっと前から知っている。
立場が逆なら、自分だって同じことをする。
ライアンやライカ、セバスが目の前で突然頭を貫かれれば、たとえ治ると分かっていたとしても平然としてはいられない。
そこまで考えれば、三人だけに普段通りでいろと言うのも違う気がした。
「……だったら、次は当たらないようにしないとな。俺が避けられるようになれば、三人も少しは安心できるだろ?」
「そこは同意しますよ。ですから、方法を考えること自体は止めてません」
「でもさっきから止めてるじゃん」
「面白そうな顔をするなと言ってるんです」
「そんなに顔に出てる?」
三人が揃って黙った。
グレイの眉が寄る。
「だから、何でそこで全員黙るんだよ。誰か一人くらい否定してくれてもいいだろ」
「姫さん、それ俺に嘘つけって言ってるっスか?」
「そこまで言ってない」
ライアンが笑い、今度はセバスまで僅かに口元を緩めた。
張り詰めていた部屋の空気が、ようやく少しだけ解けていった。
◇
その街には二日滞在した。
特別な理由があったわけではない。次に向かう街までそれなりの距離があるため、必要な物を揃えてから出発することにしただけだった。
ただし、四人の動きには以前と僅かな変化が生まれていた。
通りを歩けば、ライアンは時折屋根へ視線を向ける。露店を覗いている時でも、曲がり角へ差しかかれば無意識のように目線が上がった。
ライカは店へ入る前に窓の位置を確認し、広場で足を止める時には背後に壁や建物のある場所を選ぶ。
セバスは元から周囲への警戒を怠る人物ではないため、一見するとほとんど変わっていない。
それでもグレイには分かった。
以前より、少しだけ自分との距離が近い。
数歩後ろを歩いていたはずのセバスが、今では半歩ほど間を詰めている。
グレイは気づいていたが、何も言わなかった。
三人もまた、そのことについて説明しようとはしなかった。
二日目の午後。
四人は次の目的地を決めるため、旅商人の多く集まる街外れの広場を訪れていた。
「この先なら、結構大きな街があるみたいっスよ。いくつかの街道が集まってるらしくて、商人も冒険者もかなり多いらしいっス」
聞き込みを終えたライアンが戻ってくると、グレイはすぐに興味を示した。
「ここより大きい?」
「かなり大きいらしいっス」
「じゃあ次はそこにしよう。人が多いなら、知らないものも多そうだしな」
「お姫ちゃん、街の大きさだけで決めてません?」
「今のところ他に行きたい場所もないんだから、いいだろ。それに大きい街の方が、いろいろ見られて面白そうじゃん」
「まあ、私は構いませんけどね」
ライカも反対せず、セバスが広げた地図へ視線を落とした。
「この距離でしたら、明日の朝に出発すれば二日ほどで到着するでしょう。街道もある程度整備されているようです」
「二日か……」
グレイも地図へ顔を寄せ、進む予定の道を指で追った。
「この辺って、また遠くから狙われそうな場所は多い?」
三人の視線が一斉に集まった。
「何だよ。相手がまだ追ってきてるかもしれないんだから、今は大事なことだろ」
「間違ってはいないっスけど、姫さんはもうちょっと聞き方なかったんスか?」
「普通に聞いただけじゃん」
「お姫ちゃんの場合、本当に興味ありそうに聞くから困るんですよ……」
ライカがため息をつく横で、セバスは地図を確認していた。
「街道の半分ほどは林の近くを通ります。昨日のような開けた草原より相手の姿は見つけにくくなりますが、遠距離から直線的に狙うのであれば木々が邪魔になるでしょう」
「じゃあ、昨日と同じ撃ち方はしにくいのか。もしまた撃ってくるなら、別の場所を選ぶかもしれないな」
「期待しないでくださいよ」
「期待はしてない。ただ、もう一回見られたら分かることは増えるだろ?」
「それを期待してるって言うんスよ、姫さん」
ライアンに呆れた顔を向けられ、グレイは少し考え込んだ。
「……でも、もう一回会ってみたいとは思ってる」
今度こそ三人が揃って黙り込んだ。
「何でそんな顔するんだよ」
「姫さん、相手は暗殺者かもしれないんスよ? というか、あの撃ち方ならほぼそうっス。それを友達にでも会いたいみたいな感じで言うのはおかしいっスよ」
「友達になりたいとは言ってないだろ」
「そこじゃないです、お姫ちゃん」
ライカまで額を押さえる。
納得できないグレイは最後にセバスへ視線を向けた。
「セバスも同じ?」
「概ね」
「でも、顔を見ないと何も聞けないだろ」
「何をお聞きになるおつもりで?」
「まず、どうやって撃ったのか。どれくらい離れてたのか。それから、何で俺を狙ったのか」
「だから順番がおかしいんスよ」
ライアンがすぐに突っ込む。
「俺にとってはどっちも大事なんだよ。理由は会えば聞けるけど、技術の方は逃げられたら分からないかもしれないだろ?」
「逃がす前提なんですか」
「まだ何も分からないんだから、最初から殺したり捕まえたりするって決める必要ないじゃん。俺に恨みがあるのか、誰かに頼まれたのか、それとも全然違う理由なのかも分からないんだぞ」
そこでライアンは口を閉じた。
言われていることが分からないわけではない。
ただ、自分たちの目の前でグレイの頭を撃ち抜いた相手に対して、そこまで冷静には考えられないだけだ。
それを察したグレイは、少しだけ表情を緩めた。
「まあ、実際に会っても俺一人で勝手に決めたりはしないよ。何か分かったら三人にもちゃんと話す。それならいいだろ?」
「……それなら、まあ」
ライアンは渋々といった様子で頷いた。
ライカも完全に納得したわけではなさそうだったが、それ以上は止めない。
セバスだけは、まだグレイを見ていた。
「何?」
「いえ。グレイ様が撃った者へ興味を持たれること自体は、もう諦めようかと思いまして」
「諦めるの早くない?」
「九十年ほどお仕えしておりますので、この程度であれば予想の範囲内でございます」
「それ、九十年関係ある?」
「大いにございます」
グレイには、いまひとつ分からなかった。
◇
翌朝。
四人は街を出た。
朝の空気にはまだ冷たさが残り、街道沿いの草には薄く露がついている。
いつもと変わらない旅のはずだった。
しかし気づけば、ライアンが少し前を歩き、ライカがグレイの隣につき、セバスが後方を歩いている。
誰かが決めたわけではない。
自然と、そういう並びになっていた。
しばらく進んだところで、グレイが周囲を見回す。
「なあ。これ、俺を真ん中にしてる?」
「偶然っスよ」
前を歩くライアンは振り返らない。
「嘘だろ。街を出てからずっとこの並びじゃん」
「歩きやすいだけですよ、お姫ちゃん」
「ライカまで……」
「お気になさらず」
後ろからセバスにまで言われ、グレイは足を止めかけた。
「三人とも、俺が気づかないと思ってた?」
「思ってないっスよ」
「だったら何で誤魔化すんだよ」
「姫さんが気にすると思ったからっス」
「もう気にしてるよ」
そこでようやくライアンが振り返った。
少し困ったように笑っている。
「じゃあ正直に言うっスけど、俺たちがこうしたいだけっス。姫さんに守ってもらわないと何もできないほど弱いつもりはないし、姫さんが俺たちよりずっと強いことも知ってる。でも昨日みたいなのは、もう見たくないんスよ」
グレイは何も言わなかった。
「だから、しばらく付き合ってください。ずっと続けるつもりもないっスし、本当に邪魔だったらその時は言っていいっスから」
隣のライカを見る。
ライカは前を向いたままだったが、離れるつもりはなさそうだった。
後ろを振り返れば、セバスも静かにこちらを見ている。
「……分かった。でも、俺だけ守る形にはするなよ。次も俺を狙うとは限らないんだから、自分たちのこともちゃんと見てくれ」
「もちろんっス」
「だったらいい」
グレイは再び歩き始めた。
四人分の足音が街道の上へ重なる。
少しだけ歩幅を緩めたことには、誰も触れなかった。
三人が作った距離を、グレイも自分から崩そうとはしなかった。
◇
二日間の道中で、二度目の狙撃が飛んでくることはなかった。
途中、一度だけ街道を外れた場所で数体の魔物と遭遇したが、グレイが動くより先にライアンが前へ出た。
「今回は俺がやるっスよ。姫さんは周り見ててください」
「何で?」
「戦ってる間に狙撃の方が来るかもしれないっスから!」
「来ないと思うけど」
「来たら困るから言ってるんス!」
結局、魔物はライアンとライカが数分で片付けた。
セバスは戦闘へ加わらず、グレイと周囲への警戒を続けている。
戦いたかったわけではない。
それでも、グレイには三人から守られているだけのような形が落ち着かなかった。
魔物の死体を片付けた後、ライアンへ念を押す。
「次は俺もやるからな。ずっと三人に任せてたら、旅してる意味まで変わってくるだろ」
「分かってるっスよ。今回はたまたま俺がやりたかっただけっス」
「絶対違う」
「証拠あるんスか?」
「顔見れば分かる」
「姫さん、最近それ多くないっスか?」
「お前が分かりやすいんだよ」
ライアンが笑う。
今度の笑いは、もう昨日までのように無理をして作ったものではなかった。
それが分かったから、グレイもそれ以上は何も言わなかった。
◇
二日目の午後。
林を抜けた先で、目的の街が見えた。
これまで滞在していた町より明らかに大きい。
高い外壁が遠くまで続き、その外にも商人の荷車や旅人たちの列が伸びている。複数の街道が一点へ集まっているらしく、東西南北から絶えず人が行き交っていた。
「大きいな」
グレイの歩く速度が、僅かに上がった。
隣を歩いていたライカがすぐに気づく。
「お姫ちゃん、分かりやすいですね」
「何が?」
「街が見えた途端に歩くのが速くなったって話ですよ」
言われて、グレイは自分の足元を見る。
「……そんなに変わった?」
「変わったっスよ。姫さん、知らない街を見つけるといつもそれっス」
「いいだろ。二日も歩いたんだから早く入りたいし、大きい街なら見るものも多そうじゃん」
「誰も悪いとは言ってませんよ」
ライカの声にも、ようやく普段の調子が戻っていた。
セバスは遠くに見える門を確認しながら口を開く。
「人の出入りが多い街です。宿も多いでしょうが、まずは滞在場所を決めてしまった方がよろしいでしょう」
「分かってる。今度は最初に宿を探すよ」
「成長なさいましたな」
「それくらい前からできるよ」
「先日の街では、宿を探す前に魚を見つけて川へ行こうとなさいましたが」
「あれはまだ宿を探す前だっただろ」
「ですので申し上げました」
グレイが怪訝そうにセバスを見る。
「セバス、最近ちょっとライアンたちに似てきてない?」
「九十年も一緒にいれば、多少は似るんじゃないっスか?」
「お前が言うと嫌な予感するな」
「何でっスか!?」
「分からないけど、何となく」
「酷くないっスか?」
抗議するライアンを見て、ライカが小さく笑った。
そうして四人は街へ向かい、長く続く人の列に加わった。
門へ近づくほど声が増えていく。
大きな荷車を引く商人。武器を携えた冒険者。旅人や傭兵らしい者たちもいれば、人間とは異なる特徴を持つ種族の姿も珍しくない。
門をくぐった瞬間、グレイは僅かに目を見開いた。
広い大通りの両側には大小様々な店が並び、その向こうには大きな広場が見える。建物の隙間から別の通りがいくつも伸び、どこを見ても人の流れが途切れない。
焼いた肉の匂いに、金属を打つ音。
客を呼び込む商人の声へ馬の蹄の音が重なり、耳を澄ませば聞き慣れない言葉まで混ざっている。
「ここ、結構好きかもしれない」
「まだ門を入っただけっスよ」
「それでも分かるだろ。いろんな奴がいるし、店も多い。何日か見て回っても飽きなさそうだ」
「お姫ちゃん、さっきまで狙撃のことを考えてた人と同じとは思えませんね」
「それはそれ。街は街だろ」
グレイは楽しそうに通りの先を眺める。
その表情に浮かんでいるのは、昨日まで金属片を眺めていた時とは違う、旅先で新しいものを見つけた時の興味だった。
セバスはそんな横顔を見てから、何も言わずに歩き出した。
警戒を解くつもりはない。
だが、それを理由にグレイから旅の楽しみまで奪う必要もない。
「グレイ様。まず宿でございます」
「分かってるよ。今日は忘れてない」
「それならば結構です」
四人はそのまま、人混みの中へ入っていった。
◇
同じ日の夕方。
別の門から、一人の男が街へ入った。
旅装に身を包み、荷物も必要最低限。腰には目立つ武器すらなく、門兵から見ればどこにでもいる旅人の一人だった。
ロイは大通りへ出ると、一度だけ足を止めた。
「……広いな」
視線だけを動かし、周囲を確かめる。
人も多ければ建物も多い。
昨日までの街道とは違い、長距離から標的を狙える場所は限られている。
屋根や塔、外壁、高い建物。
使えそうな場所はいくつかある。
もっとも、すぐに撃つつもりはなかった。
最初の一撃で、すでに一つ分かったことがある。
頭部を貫いても死なない。
少なくとも、それだけでは足りない。
ならば次は、もう少し相手を調べてからでも遅くない。
「グレイ……だったな」
ロイは人の流れへ入った。
白銀の髪に三人連れ。
探すための情報としては、それで十分だろう。
それに、急ぐ必要もなかった。
召喚され、この身体を得てからまだ日が浅い。
久しぶりに得た肉体で地面を踏み、風が肌を撫でていく感覚を確かめる。街に漂う食べ物の匂いも、人々の話し声も、精神体でいた時とはまるで違っていた。
「……悪くないな」
誰に聞かせるでもなく呟き、ロイは通りの角を曲がった。
◇
その頃。
グレイたちもまた、同じ街の別の通りを歩いていた。
「ライアン、そっちじゃないぞ。宿はこっちだってセバスが言ってただろ」
「分かってるっスよ。ちょっと店を見ただけっス」
「さっき俺に宿を先にしろって言ったみたいな顔してたのに、自分が寄り道してどうするんだよ」
「言ったのはセバスっス! というか、顔で判断するのやめてほしいっス!」
二人の間を歩くライカが、呆れたように息を吐いた。
「二人とも、宿に着くまでくらい真っ直ぐ歩きやがってください。人が多いんですから、はぐれても知りませんよ」
「俺たちがはぐれるわけないだろ」
「姫さん、そういうこと言うと本当にはぐれるっスよ」
「何でだよ」
グレイが不満そうにライアンを見る。
そのまま四人は、何も知らずに通りの角を曲がっていった。
ほんの少し前。
別の通りでは、ロイもまた同じように角を曲がっている。
二人の距離は、それほど離れていなかった。
けれど、グレイは昨日自分の頭を撃ち抜いた男の顔を知らない。
ロイもまた、遥か遠くから標的を狙っただけで、グレイの顔を間近で見たことはなかった。
互いに相手を探している。
ロイは、次にどう殺すべきかを確かめるために。
グレイは、どうやって自分を撃ったのかを知るために。
夕暮れを迎えた大きな街には、数え切れないほどの人間が行き交っていた。
白銀の髪が、その人波の中へ消えていく。
少し離れた別の通りでは、ロイもまた人混みへと紛れていった。
二人はすでに、同じ街にいる。
けれど、そのことを――まだ、どちらも知らなかった。




