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白銀の旅路  作者: 人形遣い
第一章「二頭の金獅子と亡国の姫」

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第3話 姫さんとお姫ちゃん


 朝。


 窓の外が白み始めた頃、グレイは目を覚ました。


 知らない天井が視界に入る。


 木の梁。その間を埋める白い漆喰。窓際には薄い布のカーテンがあり、朝の風を受けて僅かに揺れていた。


 しばらく眺めてから、昨日宿を取ったことを思い出す。


「……朝か」


 身体を起こす。


 人間だった頃に比べれば、眠気はほとんどない。


 眠らなくても数日程度なら問題なく動ける気がする。それでも昨夜は普通に眠った。


 習慣というものは、身体が変わった程度では簡単になくならないらしい。


 ベッドから下り、窓を開ける。


 冷たい朝の空気が部屋へ流れ込んだ。


 昼間は砂漠からの熱気に包まれていた街も、この時間だけは涼しい。


 通りには既に何人かの獣人がいる。


 店先を掃除する者。


 荷車へ荷物を積む者。


 朝食の準備を始めている者。


 遠くからパンを焼く匂いが漂ってきた。


 その中に混じって、生き物の匂いも感じる。


 血。


 昨日ほど強く意識することはなかった。


 グレイは自分の喉へ触れる。


「……慣れたわけじゃないな」


 昨日より意識して抑えているだけだ。


 油断すれば、身体の奥にある渇きはすぐに顔を出す。


 真祖になったことで得たものは多い。


 膨大な魔力。


 異常な再生力。


 強靭な身体。


 以前とは比べものにならない感覚。


 だが、欲しかったものは一つもない。


 グレイは窓から離れた。


 机の上に置いていた水で顔を洗う。


 冷たい。


 濡れた銀髪を軽く払ったところで、扉の向こうから足音が聞こえた。


 一人。


 いや、二人。


 片方は軽い。


 もう片方は一定の速さで近づいてくる。


「……来たな」


 誰なのか、もう分かる。


 直後。


 扉が三度叩かれた。


「姫さーん、起きてるっスか?」


 グレイは無言で扉を見た。


「姫さーん?」


 もう一度。


「朝っスよー」


「うるさい」


「起きてるじゃないっスか」


「起こされたんじゃない。元から起きてた」


「ならちょうどいいっスね」


 何がちょうどいいのか。


 グレイが扉を開けると、予想通りライアンとライカが立っていた。


 ライアンは既に旅装を整えている。


 腰には二本の短剣。


 背中には荷物。


 金色の獅子耳が朝から妙に元気そうに立っていた。


 対してライカは髪まで綺麗に整え、荷物も纏め終えている。


「おはようございます、お姫ちゃん」


「……その呼び方、続けるのか?」


「にーちゃんだけでは不公平ですので」


「だから何の公平性なんだよ」


「俺としては結構似合ってると思うっスけどね、姫さん」


「朝から面倒くさいな、お前ら」


 グレイが額を押さえる。


 昨日出会ったばかりだというのに、もう随分前からこうだったような気がしてくる。


「それで、何の用だ?」


「朝飯っス」


「それだけ?」


「大事っスよ?」


 ライアンが真面目な顔をする。


「旅人にとって食事は基本っス。食える時に食っておく。これ大事っスよ」


「お前に言われなくても知ってる」


「じゃあ行くっス」


「なんで一緒に食う前提なんだ?」


「一人で食うより美味いじゃないっスか」


 グレイが言葉に詰まる。


 ライアンは既に階段の方へ向かっていた。


「にーちゃん、勝手に話を終わらせやがらないでください」


「姫さん来るっスよ」


「俺はまだ何も――」


「グレイ」


 ライカに呼ばれた。


「何だ?」


「食べないのですか?」


 そう聞かれると困る。


 別に食事を必要としているわけではない。


 吸血鬼になってから、普通の食事で身体が満たされる感覚はほとんどなくなった。


 味は分かる。


 美味いものは美味い。


 だから食べる意味がないわけではない。


「……食う」


「では行きましょう」


「お前ら、俺が断る可能性を考えてなかっただろ」


「考えてましたよ」


「本当か?」


「その場合は、にーちゃんが部屋の前で騒ぎ続けやがると思っていました」


「ねーちゃん、俺を何だと思ってるんスか?」


「迷惑な弟」


「即答!?」


 ライカが先に階段を下りる。


 ライアンが文句を言いながら続いた。


 グレイは二人の背中を見てから、部屋の鍵を持つ。


「……変な双子だな」


 小さく呟き、後を追った。


     ◇


 宿の一階は朝から賑わっていた。


 旅人向けの宿らしく、早朝に出発する者が多いらしい。


 大きな荷物を背負った冒険者。


 商人。


 護衛らしい獣人たち。


 様々な者が食卓を囲んでいる。


 グレイたちは壁際の四人掛けの席へ座った。


「三人なのに四人席なんだな」


「空いてるんだからいいじゃないっスか」


「そういうものか」


「姫さん、変なところ気にするっスね」


「お前が気にしなさすぎるんじゃないか?」


「それはあります」


「ねーちゃん?」


 朝食が運ばれてくる。


 硬めのパン。


 豆と肉を煮込んだスープ。


 焼いた卵。


 干した果物。


 故郷で食べていたものとはかなり違う。


 グレイはスープを一口飲んだ。


 昨日の串焼きほどではないが、やはり香辛料が強い。


「この辺はこういう味付けが多いのか?」


「砂漠に近い街は特にそうですね」


 ライカがパンをちぎりながら答える。


「保存の利く食材も多いです。ここから東へ行けば、また少しずつ変わりやがりますよ」


「へえ」


「興味あるっスか?」


「ああ」


 グレイは素直に頷いた。


「知らないものを見るために旅してるからな」


 ライアンの手が止まった。


 ライカもグレイを見る。


「それが旅の目的っスか?」


「一つは」


「他には?」


 グレイはスプーンを置いた。


 答える必要はない。


 そう思った。


 けれど、なぜか完全に誤魔化す気にもならなかった。


「……自分のことを知るためだ」


「自分?」


「ああ」


 ライアンが首を傾げる。


「自分のことなら自分が一番知ってるんじゃないっスか?」


「そうとも限らないだろ」


 グレイは自分の手を見る。


「知らないことなんて、いくらでもある」


 自分が何になったのか。


 この身体でどう生きるのか。


 血を飲まずにいられるのか。


 真祖とは何なのか。


 答えはまだ一つも見つかっていない。


「だから見る。色んな場所へ行って、色んなものを」


「なるほど」


 ライカはそれ以上踏み込まなかった。


 ライアンも珍しく追及しない。


 代わりにパンを口へ放り込む。


「じゃあ、目的地は決まってないんスね」


「今のところは」


「なら、やっぱ一緒に来ればいいじゃないっスか」


「なんでそうなる」


「俺たちも旅してるんで」


「知ってる」


「目的地もあるっス」


「お前は昨日忘れてただろ」


「ねーちゃんが覚えてるから問題ないっス」


「あります」


 ライカの鉄扇が机の下で動いた。


「痛っ」


「食事中に適当なことを言いやがらないでください」


「叩く必要あるっスか?」


「頭を叩くより目立たないでしょう?」


「どっちもやめてほしいっス」


 グレイはスープを飲みながら二人を見る。


 昨日から何度も同じようなやり取りを見ている。


 不思議だった。


 仲が悪いようには見えない。


 むしろ逆だ。


 互いの距離を測る必要がないから、好き勝手に言っている。


 グレイは少しだけ目を伏せた。


 父と母も、ときどき似たような会話をしていた。


 もちろん、この二人ほど騒がしくはなかったが。


「姫さん?」


 ライアンの声で意識が戻る。


「何だ?」


「ぼーっとしてたっスよ」


「考え事だ」


「旅の?」


「色々」


「そっスか」


 ライアンはそれだけ言って、自分の皿へ戻った。


 聞かないのか。


 昨日のライアンなら、もっとしつこく聞いてくると思っていた。


 グレイは少し意外に思う。


 だが、すぐに別の疑問が浮かんだ。


「そういえば、お前たちは何のために旅してるんだ?」


「俺たちっスか?」


「ああ」


 昨日は聞かなかった。


 言いたければ自分から言うだろうと思ったから。


 ただ、一緒に来いと言うなら話は別だ。


 どこへ何をしに行くのかくらいは知っておきたい。


 ライアンとライカが一度だけ視線を交わした。


「修行っスね」


「修行?」


「はい」


 今度はライカが答える。


「国の中を旅しながら、色々な土地を見ています。街や村を回って、人と話して、時には魔物を討伐して」


「それが修行なのか?」


「そうです」


「剣とか魔法だけじゃなくて?」


「それだけでは足りやがりませんから」


 グレイは首を傾けた。


 ライカはスープの器を置く。


「私たちは、いずれ人の上に立つ立場になります」


「…………」


 少しだけ言葉の重さが変わった。


 ライアンも笑ってはいるが、否定しない。


「人の上に立つ者が、城の中から国を眺めているだけでは駄目だと教えられました。だから自分たちの足で国を歩いています」


「……そういう修行か」


「はい」


 グレイには、その考え方が理解できた。


 父も似たようなことを言っていた。


 王宮から見える国と、そこに暮らす人々が見ている国は違う。


 幼い頃、父が城下町へ連れ出してくれたことが何度もあった。


 王女だからこそ、自分の足で歩け。


 自分の目で見ろ。


 グレイはパンをちぎる。


「お前ら、偉いんだな」


「言い方!」


 ライアンが笑った。


「もっと何かあるでしょ、姫さん」


「何かって?」


「こう……高貴な雰囲気があったとか」


「なかった」


「即答っスか」


「ライカはまだ分かる」


「俺は!?」


「軽い」


「酷いっスね!」


「事実を言っただけだ」


「お姫ちゃん」


 ライカが口を挟む。


「はい?」


「私たちの立場については、今のところその程度にしておいてください」


 グレイはライカを見る。


 詳しく話したくないらしい。


「分かった」


「……それだけですか?」


「言いたくないんだろ?」


「まあ、そうですが」


「なら聞かない」


 ライカが僅かに目を瞬いた。


 ライアンも黙ってグレイを見る。


「なんだよ」


「いや」


 ライアンが笑った。


「やっぱ姫さん、変わってるっスね」


「またそれか」


「普通もっと聞くっスよ。どこの家だとか、なんで隠すんだとか」


「興味がないわけじゃない。でも、話したくないなら仕方ないだろ」


 グレイは残ったパンを口へ入れた。


「俺にも話したくないことはある」


 それだけで十分だった。


 ライカは少しだけ表情を和らげた。


「そうですね」


 その朝。


 三人で食べた食事は、それほど長いものではなかった。


 特別な話をしたわけでもない。


 それでも宿を出る頃には、グレイは二人と一緒に歩くことを昨日ほど面倒には感じなくなっていた。


     ◇


 午前中は街を見ることにした。


 ライアンとライカは昼前に出発する予定だったらしいが、グレイが初めての街だと知ると、自然に案内役を引き受けた。


「ここが商業区っス」


「昨日も来た」


「昨日見てない店もあるっスよ」


「全部見るつもりか?」


「姫さんが見たいって言ったんじゃないっスか」


「街を見たいとは言ったけど、店を一軒ずつ回りたいとは言ってない」


「細かいことは気にしないっス」


「お前が言うと不安になるな」


 ライアンが先を歩く。


 その後ろをグレイ。


 最後にライカ。


 いつの間にか、自然とそういう並びになっていた。


 市場を抜ける。


 昨日とは違う通りへ入る。


 そこには武器屋や防具屋が多かった。


 店先に並ぶ武器も故郷で見たものとは少し違う。


 剣だけではない。


 曲刀。


 短槍。


 爪のような武器。


 大きな斧。


 獣人の身体能力を前提としているのか、人間用より重そうなものも多い。


 グレイは一軒の店先で足を止めた。


 鉄扇が並んでいる。


「珍しいか?」


 ライカが隣に立つ。


「武器なんだよな?」


「ええ」


 ライカが腰の鉄扇を抜いた。


 閉じたまま掌へ載せる。


 見た目以上に重そうだ。


「開いてみてもいいか?」


「どうぞ」


 受け取る。


「……重いな」


「普通の扇ではありませんから」


 グレイは開く。


 金属の骨が擦れる、硬質な音。


 扇面にも薄い金属板が使われている。


 縁は僅かに研がれていた。


「斬れるのか?」


「使い方次第では」


「魔法も?」


 ライカが少しだけ目を細める。


「分かりやがりますか?」


「魔力が馴染んでる」


 武器全体に薄くライカの魔力が残っている。


 長く使っている証拠だ。


「氷魔法を使います」


「氷か」


「見たいですか?」


「見たい」


 即答すると、ライカが少し笑った。


「街中なので、今は駄目です」


「……聞いた意味あるか?」


「反応を見たかっただけです」


「性格悪いな」


「よく言われやがります」


「誰に?」


「にーちゃんに」


「ねーちゃんはたまに性格悪いっスよ!」


 少し離れた場所からライアンが声を上げた。


「聞こえてたのか」


「獅子の耳舐めないでほしいっスね」


 金色の耳がぴくりと動く。


 グレイはじっと見る。


「……本当に動くんだな」


「昨日もそれ見てなかったっスか?」


「見た。でも近くで見ると違う」


「触るっスか?」


「いいのか?」


「俺は別に」


 ライアンが少し屈む。


 グレイは手を伸ばした。


 金色の耳へ指先が触れる。


 柔らかい。


 温かい。


 耳がぴくっと動いた。


「おお」


「姫さん、ちょっと楽しそうっスね」


「気のせいだ」


「いや絶対――痛っ!」


 ライカが鉄扇でライアンの頭を叩いた。


「何するんスか!」


「にーちゃん。軽々しく耳を触らせやがらないでください」


「なんで?」


「普通は親しい相手以外には触らせないものです」


 グレイの手が止まる。


「……そうなのか?」


「種族や個人にもよりますが」


 ライカが説明する。


「少なくとも、金獅子ではあまり他人へ触らせません」


 グレイはライアンを見る。


「お前、なんで言わなかった?」


「別に俺は気にしないっスから」


「そういう問題か?」


「そういう問題っス」


 ライアンは何でもないように笑う。


 グレイは少し考えてから手を引いた。


「悪かった」


「謝る必要ないっスよ。俺がいいって言ったんで」


「でも知らなかった」


「じゃあ一個覚えたってことで」


「……そうだな」


 旅に出た理由。


 知らないものを知る。


 早速一つ増えた。


「ライカのは?」


「触らせやがりません」


「まだ何も言ってない」


「顔に書いてあります」


「そうか?」


「はい」


「ねーちゃん、昔から耳触られるの苦手なんスよ」


「にーちゃん」


「はい」


「余計なことを言いやがらないでください」


「痛っ!」


 また鉄扇が落ちた。


 グレイは今度こそ小さく笑った。


     ◇


 昼前。


 三人は街を出た。


 結局、グレイもライアンとライカについていくことにした。


 正確には、目的地が同じ方向だったから一緒に歩くことを許しただけだ。


 グレイとしてはそういう認識だった。


「で、どこまで一緒に来るんスか?」


「決めてない」


「それもう同行する気満々じゃないっスか?」


「違う」


「じゃあ次の街まで?」


「分からない」


「その次も?」


「分からない」


「姫さん」


「なんだ?」


「素直じゃないって言われないっスか?」


「昨日会った奴に言われる筋合いはない」


 街道は緩やかに東へ伸びていた。


 砂漠を越えるまでの乾いた景色とは違い、道の両側には草が広がっている。


 低木。


 背の低い花。


 遠くには森も見える。


 空は高く、雲がゆっくり流れていた。


 三人は急がず歩く。


 ライアンとライカにとって、修行の旅は速度を競うものではないらしい。


 途中にある村や街へ立ち寄り、人と話す。


 土地を見る。


 困り事があれば手伝う。


 それも修行に含まれているという。


 グレイには都合がよかった。


 自分も、この国を見たい。


「ところで」


 しばらく歩いたところで、ライアンが口を開いた。


「姫さん、荷物少なすぎないっスか?」


 来た。


 グレイは内心で思った。


 いつか聞かれるとは分かっていた。


 肩に掛けている鞄は小さい。


 数日分の旅をする荷物には到底見えない。


「必要なものはある」


「どこに?」


「秘密」


「魔法っスか?」


「…………」


「当たり?」


「言わない」


「やっぱ魔法っスね」


「にーちゃん」


 ライカが止める。


「詮索しすぎです」


「でも気になるじゃないっスか」


「気になっても聞かないことも覚えやがってください」


「ねーちゃんも気になるでしょ?」


「もちろん」


「ほら!」


「ですが聞きません」


 ライアンが不満そうに耳を伏せた。


 耳で分かる。


 グレイは少し面白くなった。


「お前、分かりやすいな」


「何がっスか?」


「耳」


「え?」


「落ち込むと下がる」


 ライアンが自分の耳へ触れる。


「……マジっスか」


「知らなかったのか?」


「意識したことないっスね」


「にーちゃんは昔から分かりやすいです」


「ねーちゃんに言われたくないっス」


「私は分かりにくいでしょう?」


「尻尾」


 ライアンが即答した。


 ライカの動きが止まる。


 グレイの視線が下がる。


 旅装の後ろ。


 金色の尾。


 確かに先端が少し強く左右へ動いている。


「……本当だ」


「見ないでください、お姫ちゃん」


「いや、見ろと言われたから」


「にーちゃん」


「俺のせいっスか!?」


「他に誰がいるんです?」


 三人の声が街道へ響く。


 風が草を揺らしていた。


 グレイは歩きながら、ふと気付く。


 さっきから随分喋っている。


 故郷を離れてから、母や家族以外とこれほど話したことはなかった。


 必要な会話だけならあった。


 門番。


 商人。


 旅人。


 けれど、こんな中身のない話はしていない。


 ライアンの耳がどう動くとか。


 ライカの尻尾が分かりやすいとか。


 どうでもいいこと。


 だからこそ。


 懐かしかった。


 国が滅びる前には、こんな会話もしていた気がする。


「姫さん?」


「……何でもない」


 グレイは少しだけ歩調を速めた。


     ◇


 夕方になる前に、小さな村へ着いた。


 街道沿いに作られた村で、旅人向けの宿も一軒だけある。


 ライアンたちは慣れた様子で村人へ声をかけた。


「今日泊まれるっスか?」


「ああ、空いてるよ」


 宿の主人は羊系の獣人だった。


 柔らかな毛に覆われた耳が横へ伸びている。


 グレイは見ないようにした。


 昨日から獣人の耳ばかり気になっている。


「三人かい?」


「そうっス」


「違う」


 グレイが訂正する。


 ライアンが振り返った。


「何が違うんスか?」


「三人旅みたいに言うな」


「一緒に歩いてきたじゃないっスか」


「たまたまだ」


「街からここまでずっと?」


「道が同じだった」


「じゃあ明日も道が同じなら?」


「……その時考える」


「ほら」


「何が、ほら、なんだ」


 宿の主人が笑っていた。


「仲がいいんだな」


「違う」


「そうっス」


 また同時だった。


 グレイがライアンを睨む。


「合わせろ」


「なんで俺が姫さんに合わせるんスか?」


「俺が違うって言ってるだろ」


「私は仲良く見えますが」


 ライカまで言う。


「お前まで?」


「お姫ちゃんは嫌ですか?」


 そう聞かれると答えに困る。


 嫌。


 ではない。


 だが、仲がいいと言われるほど一緒にいたわけでもない。


 昨日会ったばかりだ。


「……知らない」


「じゃあ、それでいいっスね」


「何がだよ」


「三人で一部屋にするかい?」


 宿の主人が尋ねる。


「それは駄目」


 今度はライカが即答した。


「お姫ちゃんは一人部屋でお願いします」


「なんで?」


「女の子ですから」


「ライカも女だろ」


「にーちゃんがいます」


「俺が何したんスか?」


「何もしていませんが、念のためです」


「信用ないっスね!?」


「違います。常識の問題です」


 結局、グレイが一人部屋。


 ライアンとライカが同室になった。


 双子だからそこは問題ないらしい。


     ◇


 夕食を終えた後。


 グレイは宿の裏へ出た。


 小さな庭。


 その向こうには畑が広がっている。


 日はほとんど沈んでいた。


 空の端だけが赤い。


 人目がないことを確認する。


「母上」


 小さく呼び、《ドールハウス》を開く。


 母が出てくる。


「どうしたの?」


「少し話そうと思って」


「珍しいわね」


「そうか?」


「グレイから呼んで、話そうと言うのは」


 グレイは庭の端に置かれた木箱へ座った。


 母も隣へ腰掛ける。


「今日、街を出た」


「ええ」


「二人と一緒に」


「昨日の双子?」


「ああ」


 母は微笑んだ。


「そう」


「なんだよ」


「何も言ってないでしょう?」


「顔が言ってる」


「どんな顔?」


「楽しそうな顔」


「グレイも少し楽しそうよ」


「……そうか?」


「ええ」


 グレイは自分の頬へ触れる。


 別に笑っているつもりはない。


「ライアンはうるさい」


「昨日も聞いたわ」


「ライカも変だ」


「それも聞いた」


「今日、獣人の耳を触った」


「……随分楽しんでいるじゃない」


「違う。知らなかったから確認しただけだ」


「そういうことにしておくわね」


「母上までそれ言うのやめろ」


 母が小さく笑った。


 グレイは少し黙る。


 夜風が髪を揺らした。


「……俺が何者かは、まだ言ってない」


「そう」


「言わなくていいよな」


 母はすぐには答えなかった。


「グレイは、言いたいの?」


「分からない」


「なら、今決めなくてもいいんじゃない?」


「でも、一緒に旅するなら」


 言ってから止まった。


 母がグレイを見る。


「一緒に旅するの?」


「……まだ決めてない」


「そう」


「道が同じだから一緒にいるだけだ」


「ええ」


「本当に」


「分かってるわ」


 明らかに分かっていない顔だった。


 グレイはため息をつく。


「俺が吸血鬼だと知ったら、どうなると思う?」


 母の表情から笑みが消えた。


 静かな顔になる。


「分からないわ」


「怖がるかもしれない」


「そうね」


「逃げるかもしれない」


「そうかもしれない」


「剣を向けるかもしれない」


 最後の言葉だけ、少し声が小さくなった。


 母はグレイの手へ自分の手を重ねる。


 温度はない。


 それでも、母の手だった。


「それでも、あの二人はあの二人でしょう?」


「……どういう意味だ?」


「まだ起きていないことを、グレイが決めてしまわなくてもいいと思うの」


 グレイは黙って母を見る。


「怖がるかもしれない。受け入れてくれるかもしれない。それは、あの二人が決めることよ」


「…………」


「グレイが先に答えを決めてしまったら、二人は何も選べないでしょう?」


 グレイは目を伏せた。


 正しい。


 たぶん。


 それでも怖いものは怖い。


 また同じ目で見られることが。


 昨日まで笑っていた者が、次の日には自分を化け物と呼ぶかもしれない。


「……まだ言わない」


「うん」


「でも、いつか言う」


「その時でいいと思うわ」


 母の指がグレイの髪を整える。


「それに」


「何だ?」


「王女だったことくらいなら、話してもいいんじゃない?」


 グレイは母を見る。


「信じると思うか?」


「さあ?」


「見た目十歳だぞ」


「十歳の王女は珍しくないでしょう?」


「そういう意味じゃない」


 国がない。


 証明するものもない。


 今のグレイを見て、亡国の王女だと信じる理由などない。


 母は少し楽しそうに笑った。


「なら、話してみれば?」


「……適当だな」


「母親だって、たまには適当でいいのよ」


「それ前にも聞いた気がする」


「そう?」


 グレイは夜空を見上げた。


 星が見える。


 砂漠で見たものと同じ。


 故郷で見ていたものとも同じ。


 それなのに、今夜は少し違って見えた。


     ◇


 翌朝。


 結局、三人はまた同じ道を歩いていた。


「で、姫さん」


「何だ?」


「昨日から気になってたんスけど」


「お前、いつも何か気にしてるな」


「姫さんって呼ばれて、あんまり嫌そうじゃないっスよね」


 グレイの足が僅かに止まる。


「嫌だぞ」


「嘘っスね」


「なんで分かる」


「本当に嫌なら昨日の時点でやめさせてるっス」


 妙なところだけ鋭い。


 ライカも横からグレイを見る。


「確かに、お姫ちゃんと呼んでも怒りやがりませんね」


「毎回訂正するのが面倒なだけだ」


「では、変えてほしいですか?」


 グレイは二人を見る。


 ライアン。


 ライカ。


 金色の獅子耳。


 よく似た顔。


 それなのに表情も纏う雰囲気も違う。


「……いや」


 グレイは前を向いた。


「好きにしろ」


「了解っス、姫さん」


「分かりました、お姫ちゃん」


 二人の返事が重なる。


 少し歩く。


 グレイは口を開いた。


「一応言っておくけど」


「なんスか?」


「その呼び方」


 少し迷った。


 それから、何でもないことのように続ける。


「完全に間違ってるわけじゃないぞ」


 ライアンが首を傾ける。


 ライカも視線を向けた。


「どういう意味っスか?」


「俺は姫だった」


 沈黙。


 風が草原を抜ける。


 金色の耳が二組、同時に動いた。


「……はい?」


 ライアンが間の抜けた声を出した。


「だから、一国の姫だった」


「姫さんが?」


「ああ」


「本物の?」


「偽物の姫ってなんだよ」


「いや、だって」


 ライアンがグレイを上から下まで見る。


 銀髪。


 小さな身体。


 旅装。


 小さな鞄。


「……姫?」


「そうだ」


「ねーちゃん」


「何です?」


「信じるっスか?」


「半分くらい」


「俺もっス」


「お前ら」


 グレイが眉を寄せる。


「人が話したのに失礼だな」


「いや、だって証拠あるっスか?」


「ない」


「どこの国っスか?」


 グレイは少し黙った。


「もうない」


 ライアンの表情が止まった。


 ライカも何も言わない。


「滅びた」


 それだけ伝えた。


 詳しく話すつもりはなかった。


 二人も、それ以上は聞かなかった。


 少しの沈黙。


 やがてライアンが頭の後ろで手を組んだ。


「じゃあ、やっぱ姫さんで合ってるじゃないっスか」


 グレイが顔を上げる。


「……信じてないだろ」


「半分は信じてるっス」


「半分は?」


「十歳の一人旅の姫って意味分かんないっスから」


「お前な」


「でも、姫さんって呼びやすいんでこのままで」


「結局そこか」


 ライカも小さく笑った。


「私もお姫ちゃんのままにしておきます」


「お前も半分しか信じてないんだろ」


「そうですね」


「正直だな」


「嘘をついても仕方ありませんので」


「まあ、いいけど」


 グレイは前を向く。


 思っていた反応とは違った。


 疑われた。


 半分しか信じてもらえなかった。


 それなのに。


 嫌ではなかった。


 むしろ、少し楽だった。


 亡国の王女だと知っても、二人の態度は何も変わらない。


 畏まることもない。


 憐れむこともない。


 昨日と同じ。


「姫さん」


「なんだ?」


「腹減らないっスか?」


「さっき朝飯食っただろ」


「歩くと減るんスよ」


「早すぎる」


「にーちゃんは昔から燃費が悪いんです」


「ねーちゃんだって食うじゃないっスか」


「にーちゃんほどではありません」


「姫さんはどっちが食うと思うっスか?」


「知らない」


「じゃあ今度勝負するっス」


「俺を巻き込むな」


 また、どうでもいい話が始まる。


 グレイは二人の間を歩いた。


 右からライアン。


 左からライカ。


 騒がしい。


 本当に騒がしい。


 少し前まで、砂漠を一人で歩いていた。


 静かすぎて、十五分で侍女を《ドールハウス》から呼び戻した。


 今は逆だ。


「お前ら、少し静かにできないのか?」


「できるっスよ」


「できます」


 二人が黙る。


 三秒。


「……ねーちゃん」


「何です?」


「静かにすると暇っスね」


「そうですね」


「三秒しか経ってないぞ」


「姫さんが喋ったからもう終わりっス」


「俺のせいかよ」


 笑い声が街道へ響いた。


 グレイ自身のものも、ほんの少しだけ混ざっていた。


     ◇


 その日の午後。


 三人は街道を外れ、森の近くで休憩を取っていた。


 ライアンは木の幹へ背を預けて座り、ライカは地図を広げている。


 グレイは少し離れた岩へ腰掛けていた。


「次の街までは?」


「順調なら明日の夕方には着きやがります」


「結構あるな」


「急ぐなら今日中に距離を稼げるっスよ」


「急いでない」


「俺たちもです」


 ライカが地図を畳む。


 風が木々の葉を揺らした。


 森から湿った土の匂いが流れてくる。


 砂漠とはまるで違う。


 グレイは目を閉じ、しばらく風を感じていた。


 その時。


 森の奥から、小さな音が聞こえた。


 枝。


 何かが踏んだ。


 一つではない。


 グレイが目を開く。


 ライアンも同時に立ち上がっていた。


 さっきまでの軽い雰囲気が消えている。


 ライカも地図をしまい、鉄扇へ手を伸ばした。


「気付いたか?」


 グレイが聞く。


「姫さんも?」


「ああ」


「……耳、いいっスね」


「まあな」


 森を見る。


 葉の隙間。


 動く影。


 複数。


 ライアンが二本の短剣を抜いた。


「魔物っスね」


「数は?」


 ライカが尋ねる。


「六……いや、七っス」


「八だ」


 グレイが訂正する。


 ライアンが横を見る。


「八?」


「ああ。一番後ろにもう一体いる」


「見えるんスか?」


「分かる」


 正確には、魔力の位置が分かる。


 ライカが鉄扇を開いた。


 金属の擦れる音。


「お姫ちゃんは下がっていてください」


「なんで?」


「戦闘になります」


「だから?」


「だから、危ないので――」


 グレイが岩から下りた。


「俺も戦う」


 双子が揃ってグレイを見る。


「姫さん」


「なんだ?」


「十歳っスよね?」


「そうだな」


「武器は?」


「ない」


「下がっててほしいっス」


「嫌だ」


「即答しないでほしいっス」


 グレイは森を見る。


 近づいてくる。


 もうすぐ姿を現す。


「俺が戦えるか気になってたんだろ?」


 ライアンが黙る。


 昨日、勝負しようと言っていた。


「それはそうっスけど」


「なら見てろ」


「いや、そういう意味じゃ――」


 低い唸り声が響いた。


 茂みが大きく揺れる。


 獣型の魔物が飛び出した。


 四足。


 狼に似ているが、普通の狼より遥かに大きい。


 黒褐色の毛。


 鋭い牙。


 その後ろから次々と姿を現す。


「八」


 グレイが呟く。


 やはり間違っていない。


 ライアンが一歩前へ出た。


「ねーちゃん、右!」


「分かっています」


 二人が動く。


 速い。


 昨日の路地とは違う。


 相手が魔物だから、最初から本気に近い動きをしている。


 ライアンが地面を蹴る。


 二本の短剣が光を反射した。


 一体目の横をすり抜けながら、前脚を切る。


 身体を回し、逆手の刃でもう一撃。


 倒すことより動きを止める。


 その直後。


 冷気が走った。


 ライカの鉄扇が開く。


「凍りやがってください」


 地面を白い霜が走った。


 飛びかかろうとしていた二体の足元が凍る。


 姿勢を崩した。


「なるほど」


 グレイは二人の戦いを見る。


 強い。


 少なくとも修行という言葉が嘘ではない程度には。


 連携もいい。


 互いの動きをほとんど見ていない。


 それでも相手がどこへ動くのか分かっている。


 双子だから。


 それだけではないだろう。


 長い間、一緒に戦ってきた。


 そんな動きだ。


「姫さん!」


 ライアンの声。


 一体が二人を抜けた。


 グレイへ向かってくる。


 牙。


 大きく開いた口。


 グレイは動かない。


「避けて!」


 今度はライカ。


 魔物が跳ぶ。


 距離。


 五メートル。


 三。


 一。


 グレイは右手を上げた。


 指先を僅かに動かす。


 空間が歪む。


 魔物が消えた。


「…………は?」


 ライアンの声。


 次の瞬間。


 魔物は十メートルほど上空に現れた。


 勢いのまま空中へ放り出される。


 重力に引かれる。


 落下。


 鈍い音。


 地面へ叩きつけられた魔物は、そのまま動かなくなった。


「……何したんスか?」


「空間を繋いだ」


「いや、そうじゃなくて」


「今説明しただろ」


 グレイは残る魔物を見る。


「まだ来るぞ」


 双子の意識が戻る。


 ライアンが短剣を構え直す。


 ライカも鉄扇を向ける。


 今度は三人。


 ライアンが前へ。


 ライカが後ろから氷で動きを制限する。


 グレイは二人の邪魔をしない。


 必要な場所だけ空間を僅かに歪める。


 ライアンの踏み込みの距離を縮める。


「うおっ!?」


 一歩で予想以上に前へ出たライアンが驚く。


 それでも身体は反応した。


 短剣が魔物の首筋へ入る。


「姫さん、今の!」


「俺だ」


「急にやるなら言ってほしいっス!」


「対応できただろ」


「できたけど!」


 ライカの横から一体が迫る。


 グレイが指を動かす。


 魔物とライカの間の距離が伸びた。


 走っているのに届かない。


「……これは」


 ライカが目を細める。


「面白いですね」


 鉄扇を振る。


 氷の刃が飛ぶ。


 魔物を捉えた。


 数分もかからなかった。


 最後の一体が倒れる。


 森に静けさが戻った。


 ライアンが短剣についた血を払い、鞘へ収める。


 そして。


 ゆっくりグレイを見る。


 ライカも同じだった。


「なんだ?」


「姫さん」


「だから何だ」


「強いっスね?」


「言っただろ」


「聞いてないっスよ!」


「一人で問題ないとは何度も言った」


「そういう意味だったんスか!?」


「他に何がある?」


「十歳の女の子が強がってると思ってたっス!」


「失礼だな」


 ライカがグレイの前へ来る。


「今のは空間魔法ですか?」


「ああ」


「転移?」


「似たようなものだ」


「どこで習いやがりました?」


「自分で」


「…………」


 ライカが黙った。


 ライアンも黙る。


「なんだ?」


「お姫ちゃん」


「ん?」


「やっぱり、本当にお姫様だったりします?」


「だから最初からそう言ってるだろ」


「姫だから空間魔法使えるわけじゃないっスよ、ねーちゃん」


「それはそうですが」


「じゃあ関係ないっスね」


「にーちゃんは少し黙っていてください」


「なんで!?」


 グレイは二人を見て、少し笑った。


 自分が何者なのか。


 二人はまだ知らない。


 真祖であることも。


 人形たちのことも。


 何一つ。


 それでも、一つだけ知った。


 グレイが守られるだけの子供ではないということ。


 それだけで十分だった。


「行くぞ」


「どこへ?」


「次の街」


「まだ明日までかかるっスよ」


「なら歩かないと着かないだろ」


「姫さん」


「なんだ?」


 ライアンが笑った。


「ちょっと面白くなってきたっス」


「何が?」


「姫さんとの旅」


 グレイは足を止めた。


「……俺はまだ、お前らと旅するって決めてないぞ」


「え?」


「道が同じだけだ」


「まだ言うんスか、それ」


「事実だ」


 ライカが鉄扇を閉じる。


「では、道が分かれるまでは一緒ということですね」


「まあ……そうなるな」


「なら今はそれでいいでしょう」


 ライカが歩き出す。


 ライアンも続く。


「行くっスよ、姫さん」


「お前が言うな」


「置いてくっスよ?」


「俺の方が速い」


「じゃあ競争するっスか?」


「嫌だ」


「なんで!?」


「面倒だから」


「姫さん、そういうとこ年寄り臭いっスね」


 グレイの足が止まった。


「……ライアン」


「なんスか?」


「今の、もう一回言ってみろ」


 声の低さに、ライアンの耳がぴんと立った。


「ねーちゃん」


「自業自得です」


「助けてほしいっス!」


「知らん」


 ライアンが走り出す。


 グレイが追う。


「待て!」


「嫌っス!」


「止まりやがってください、にーちゃん! 余計に面倒になるでしょう!」


「止まったら姫さんに何されるか分かんないっス!」


「何もしない! たぶん!」


「たぶんって言った!」


 草原の街道に声が響く。


 その少し後ろを、ライカが呆れた顔で歩いている。


 けれど。


 金色の尾は、ゆっくり左右へ揺れていた。


 三人の影が、傾き始めた陽の下で長く伸びる。


 まだ出会って二日。


 互いに知らないことばかりだった。


 グレイは二人が金獅子の王族であることを知らない。


 二人もまた、グレイが新たな真祖となった吸血鬼であることを知らない。


 《ドールハウス》の中に、彼女が失った国の家族たちがいることも。


 それぞれが抱えているものには、まだ触れていない。


 それでよかった。


 今はまだ。


 同じ道を歩いて。


 同じものを見て。


 くだらないことで言い合って。


 時々、一緒に戦う。


 それだけでよかった。


「待てって言ってるだろ!」


「姫さん足速すぎないっスか!?」


「待てと言いながら追いかけるのは意味が分かりやがりませんよ!」


 ライカの声が後ろから飛んでくる。


 グレイは走りながら、ほんの少し笑った。


 砂漠を越えるまで。


 自分の隣には家族しかいなかった。


 それで十分だと思っていた。


 今も、その気持ちは変わらない。


 けれど。


 知らない国の街道で聞こえる二人の声を、グレイはもう煩わしいだけとは思わなくなっていた。

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