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白銀の旅路  作者: 人形遣い
第三章 「白耀の龍神」

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第9話 三日目


 三日目の朝。


 霊峰ヴァルグランの東から昇った陽が、二日間の戦いで見る影もなく姿を変えた岩原を照らしていた。


 最初に二人が向かい合った場所は、もう残っていない。


 硬かったはずの岩盤には幾筋もの亀裂が走り、巨大な爪痕を思わせる窪みが点々と刻まれている。白金の光に削られた峰の一部は崩れ、グレイが空間を繋いでアルディエルの攻撃を返した場所には、岩が溶けて再び固まった跡まで残っていた。


 朝の冷たい風が荒れ果てた大地を抜けていく。


 その中央に、二つの影があった。


 一人は、銀髪の少女。


 一頭は、純白の古龍。


 二日間、一度も完全には倒れなかった者たちだった。


「……まだやるんスか」


 離れた高台から戦場を見下ろし、ライアンが呆れたように呟く。


 いつもの軽さは残っているものの、目元には隠しきれない疲労が浮かんでいた。戦っている二人ほどではないにせよ、見守る側も二日間、まともに気を抜けていない。


 隣ではライカが岩へ腰を下ろしていた。


「にーちゃん。もう聞きやがらないでください。あの二人の顔を見れば分かるでしょう」


「分かるから聞きたくなるんスよ。普通、三日目になったら少しくらい嫌そうな顔するもんじゃないっスか?」


「少なくとも、あの二人に普通を求めるのは諦めた方がいいですね」


 ライカが深く息を吐く。


 二人の少し前では、セバスが背筋を伸ばして立っていた。


 視線は一度もグレイから外れない。


「セバス」


「はい」


「姫さん、あとどれくらいいけると思うっスか?」


 セバスはすぐには答えなかった。


 遠くに立つグレイを見る。


 服は裂け、銀髪は土と血で汚れている。傷の大半はすでに塞がっているものの、それを無傷と呼ぶ者はいないだろう。


 再生にも魔力を使う。


 空間魔法にも当然、魔力を消費する。


 二日間、龍神を相手に戦い続けている以上、外から見えない消耗の方が大きい。


「分かりません。ですが、普段であればすでに止めております」


「ですよね」


 ライカが即座に頷いた。


「では、どうして止めやがらないんですか?」


「……止められますか?」


 静かに返され、ライカが黙る。


 視線の先で、グレイが僅かに笑っていた。


 疲れている。


 傷ついている。


 それでも、目だけはまだ死んでいない。


 むしろアルディエルを見る深紅の瞳には、普段より分かりやすいほどの興味が宿っている。


 あれほど楽しそうなグレイを、三人は長い付き合いの中でもそう多くは知らなかった。


「……無理ですね」


「でしょう」


「でも、本当に限界なら止めやがってくださいよ」


「もちろんでございます。その時は、たとえグレイ様がまだ戦えると仰ろうとも、お止めいたします」


「聞こえてるぞ」


 三人の視線が一斉に動いた。


 かなり離れているにもかかわらず、グレイがこちらを見ていた。


「姫さん、戦いに集中してくださいっス!」


「してるよ。聞こえただけだろ」


『我を前にして随分と余裕だな、グレイ』


 アルディエルが巨体を起こす。


 その口元から白い息が漏れた。


 グレイもすぐに視線を戻した。


「余裕はないぞ。だから、そろそろ来るなら来い」


『言ったな』


 巨大な前脚が岩盤を踏み砕く。


 次の瞬間、グレイの姿が消えた。


     ◇


 三日目に入っても、二人の戦い方そのものが大きく変わったわけではなかった。


 グレイが空間を折る。


 アルディエルがそれを読み、爪を振るう。


 白金の神威が大地を走れば、グレイは空間へ逃がし、別の場所から返す。アルディエルもすでにその手を知っているため、出口が開くより早く巨体を動かした。


 二日間。


 互いの攻撃を受け、避け、返し続けた。


 何をすれば危険なのか。


 どの動きが誘いなのか。


 どの瞬間なら踏み込めるのか。


 考えるより先に、身体が相手を警戒するほどになっている。


 グレイの姿が消えた。


『右だ!』


 アルディエルの爪が薙ぎ払われる。


 同時に右側の空間が歪み、グレイが現れた。


「正解」


 だが、そこにはいない。


 現れた瞬間に再び空間を折り、今度はアルディエルの懐へ潜り込む。


『それも読んでいる!』


 白い尾が地面すれすれを薙いだ。


 グレイは身体を沈める。


 銀髪の先を尾が掠めた。


 そのまま一歩。


 懐へ踏み込み、拳を握る。


 《魔気闘法》。


 魔力と気を重ねた拳が、白い鱗へ叩き込まれた。


『ぐっ……!』


 巨体が僅かに浮く。


 グレイは手応えを確かめるように拳を開いた。


「効いたな」


『三日も同じところを殴られればな!』


「ちゃんと覚えてたんだ」


『忘れるものか!』


 翼が大きく振るわれた。


 まともに受ける必要はない。


 グレイは後方へ空間を繋ぎ、一瞬で距離を取る。


 その様子を見ていたセバスが僅かに目を細めた。


「……転移の間隔が長くなっておりますね」


「やっぱりっスか?」


「はい。初日であれば、今の一連の動きでもう一度は使っていたでしょう」


 ライアンの表情から少しだけ軽さが消える。


「アルディエル様も同じです」


 少し離れた場所にいたレオルが口を挟んだ。


 彼の視線は龍神へ向いている。


「神威の規模が落ちている。翼も重い。あのお二人は、互いに同じだけ消耗しているのでしょう」


「だから決まらないんスね……」


「それだけではございません」


 セバスが静かに答えた。


「互いを知りすぎたのでしょう」


 戦場では、再び白金の光が走った。


 グレイが空間を開く。


 飲み込まれた光が、アルディエルの背後から返される。


『そこだ!』


 アルディエルは振り向かない。


 翼を畳み、巨体を沈めた。


 光が頭上を通過する。


 だがグレイも止めない。


「じゃあ次」


 別の出口が開く。


 通り過ぎた神威がもう一度空間へ入り、今度は下方から跳ね返った。


『しつこいぞ!』


「撃ったのお前だろ!」


 アルディエルが横へ跳ぶ。


 白金の光が岩盤を砕き、濛々と土煙が立ち上がった。


 その中からグレイが飛び出す。


 拳と爪が正面からぶつかった。


 力ではアルディエルが上。


 押し負ける直前、グレイが距離を折った。


 一歩分だけ。


 それで十分だった。


 踏み込んだ拳がアルディエルの顎を打ち抜く。


『ぐっ――!』


 龍神の頭が跳ね上がった。


 追撃。


 そう判断してグレイがもう一歩入る。


 しかし、振り上げようとした腕に力が入らなかった。


「……っ」


 ほんの一瞬。


 それで十分だった。


 アルディエルの尾が横からグレイを捉える。


 鈍い衝撃とともに身体が吹き飛び、岩盤を何度も転がった。


 最後に大きな岩へ背中から叩きつけられる。


「ぐっ……!」


 息が詰まった。


 すぐには動けない。


 それでもグレイは片手を地面につき、ゆっくり身体を起こした。


『どうした』


「腕が止まった。思ったより疲れてるみたいだ」


 隠すことなく答え、右手を握り直す。


 指は動く。


 まだ戦える。


『ならば終わりにするか?』


 アルディエルの問いに、グレイは顔を上げた。


 少し考える。


 それから立ち上がった。


「いや。お前も同じくらい疲れてるだろ。それなら、まだ終わりじゃない」


『……見抜いておったか』


「見れば分かる」


 アルディエルの左翼が僅かに下がっている。


 初日なら、そんな姿勢は見せなかった。


「俺だけ限界ならやめる。でも、お前もまだ立ってる。だったらもう少しやる」


『よかろう』


 アルディエルが笑う。


『ならば、我が先にそなたを倒す!』


「やってみろ」


 グレイも僅かに口元を緩め、再び構えた。


     ◇


 昼を過ぎても、決着はつかなかった。


 ただ、攻防の密度は明らかに落ちている。


 グレイは無駄な転移を減らし、アルディエルも神威の乱発をやめた。互いに残った力を見ながら、決定打になる瞬間だけを探している。


 それでも決まらない。


 グレイが空間を開けばアルディエルが止まり、アルディエルが神威を集めればグレイが射線から外れる。


 空間断絶には距離を取られ、巨体を生かした攻撃には懐へ潜り込まれる。


「……面倒だな」


 距離を取ったグレイが呟く。


『奇遇だな。我も同じことを考えていた』


「お前のことだぞ」


『我もそなたのことだ』


「じゃあ同じか」


『そういうことになるな』


 グレイは肩で息をしながら、アルディエルを見る。


 倒す手段がないわけではない。


 もっと深く空間を断てばいい。


 相手も同じなのだろう。


 だが、これは殺し合いではない。


 互いにそこだけは最初から変わっていなかった。


「これ、終わると思う?」


『我に聞くな』


「お前も分からない?」


『分かっていれば、とっくに終わらせている』


「だよな」


 グレイが一度構えを解く。


 アルディエルも攻撃してこない。


 妙な沈黙だった。


 敵を前にしているというより、二人して同じ問題の答えを探しているような間だった。


 やがてアルディエルが低く唸る。


『……ああ、もう面倒だ』


「それ、さっき俺も言ったぞ」


『違う。そういう意味ではない』


「じゃあ何?」


 アルディエルの身体から白い光が溢れた。


 グレイの目が細くなる。


 攻撃ではない。


 魔力の流れが違う。


 巨大な輪郭が光の中で縮み、翼と尾が消えていく。


 四肢の形が変わった。


 やがて光が収まる。


 そこに立っていたのは、一人の男だった。


 見た目は二十代半ばほど。


 白に近い銀髪が肩へかかり、瞳は龍の姿と同じ金色。額からは短い白角が伸び、肌の一部には僅かに鱗が残っている。


 グレイが何度か瞬いた。


「人化できるんだ」


「できる。普段は必要がないから使わぬだけだ」


「ガルドたちもしてたし、できるとは思ってたけど……何で今?」


 アルディエルは肩を回し、首を左右へ傾けた。


「そなたの空間魔法も、我の神威も面倒になった」


「それで?」


「どちらが先に倒れるか。それだけでよかろう」


 グレイが僅かに首を傾げる。


「つまり?」


 アルディエルが拳を握った。


「殴り合う」


 数秒。


 グレイはアルディエルを見る。


 冗談ではないらしい。


 それを理解すると、少しだけ口元が上がった。


「……いいな。それなら分かりやすい」


 高台で、セバスが静かに目を閉じた。


「グレイ様……」


「乗ったっスね」


 ライアンが頭を抱える。


「絶対乗るとは思ってましたけど、本当に乗りやがりましたね……」


 ライカも額を押さえた。


 しかしセバスだけは、呆れながらも二人から視線を逸らさない。


「ですが、先ほどまでよりはよろしいでしょう」


「え?」


「少なくとも、霊峰を削るような攻撃はなくなります」


「基準そこなんスか?」


「三日目ですので」


 その一言に、ライアンは何も返せなかった。


 戦場ではグレイが腕を軽く振っていた。


「空間魔法なし?」


「逃げるために使うな」


「そっちも神威なしな」


「使わん」


「龍の力は?」


「これは身体だ。諦めろ」


「そこはそのままなんだな」


「真祖の再生を持つそなたに言われたくない」


 グレイは一瞬考えたあと、あっさり頷いた。


「それもそうか。条件が同じじゃなくても、今さらだな」


「ようやく理解したか」


「最初から気にしてないぞ。聞いただけ」


 腰を落とす。


 構えは自然と、セバスから教わったものになった。


 アルディエルも拳を上げる。


 人化したことで体格差は大きく縮まった。


 それでも分かる。


 強い。


「行くぞ」


「来い」


 アルディエルが踏み込んだ。


 速い。


 グレイは僅かに首を逸らし、頬の横を拳が抜けるのと同時に半歩踏み込んだ。


 返す右拳がアルディエルの頬を捉える。


 顔が横へ流れた。


「入った」


「だからどうした!」


 返された拳が腹へ突き刺さる。


「ぐっ……!」


 身体が僅かに浮いた。


 グレイは二歩下がり、腹を押さえる。


「やっぱり重いな」


「今さらであろう」


「龍の時と人の時じゃ感覚が違うだろ」


「ならば覚えろ!」


「今やってる!」


 再び距離が詰まった。


 技術ではグレイが上だった。


 人型で戦い続けてきた経験があり、《魔気闘法》も使える。真正面から力を受けずに流し、軸を崩して懐へ入る。


 一方でアルディエルは、細かな技術を圧倒的な身体能力で補っていた。


 一発が重い。


 受け流しただけで腕が痺れる。


 グレイが拳を流して懐へ入る。


 肘。


 アルディエルが腕で受ける。


 そのまま膝を返す。


 グレイは身体を捻って外し、肩をぶつけて体勢を崩した。


「お前、人化して戦うの慣れてないだろ」


「分かるか」


「少し。力でどうにかしてるところが多い」


「ならば隙であろう!」


「だから狙ってる」


 グレイの拳が頬へ入る。


 アルディエルが半歩よろめいた。


 だが倒れない。


 すぐに返された拳を額で受け、今度はグレイが下がる。


「っ……頭硬いな」


「龍だからな」


「それ便利だな」


「そなたの再生ほどではない!」


「俺も便利だと思ってる」


 どちらからともなく笑った。


 高台からそれを見ていたライアンが、少しだけ目を丸くする。


「……セバス」


「はい」


「姫さん、笑ってるっスね」


「ええ」


「アルディエル様もです」


 レオルの声が続いた。


 セバスはしばらく二人を見つめてから、僅かに口元を緩める。


「勝負の意味が変わったのでしょう」


「意味?」


「最初は互いに勝つための戦いでした。今は――」


 そこで言葉を切る。


 戦場では、グレイがアルディエルの拳を紙一重で避けていた。


 踏み込む。


 拳を返す。


 避けられる。


 アルディエルも返す。


 グレイが受ける。


 互いに一歩下がり、また前へ出る。


「……意地の張り合いでございますね」


「子供っスか」


「否定はいたしません」


 ライカが肩を震わせる。


「お姫ちゃん、ああいうところは昔から変わりませんからね」


 セバスは答えなかった。


 だが否定もしなかった。


     ◇


 時間が経つほど、二人の動きは鈍くなっていった。


 最初のような鋭い攻防はもうない。


 避けられるはずの拳への反応が遅れる。


 受け流すはずだった腕が間に合わない。


 それでも、どちらも退こうとはしなかった。


「アルディエル」


「何だ」


「楽しいな」


 グレイが拳を振るう。


 アルディエルが避ける。


「今さら気づいたか!」


「最初から楽しかったぞ。今は別の意味で面白い」


「ならば余計なことを言っておらず、拳を出せ!」


「出してるだろ」


 直後、アルディエルの拳がグレイの頬へ入った。


 身体が傾く。


 だが足を踏ん張って耐える。


「……今の効いた」


「まだ立つか」


「お前もな」


「当然だ」


「じゃあ、もう一発」


「来い!」


 グレイが踏み込む。


 《魔気闘法》の精度も、もう最初ほどではない。


 身体が重い。


 腕も上がりにくい。


 それでも拳を振るう。


 アルディエルも同じだった。


 右。


 受ける。


 左。


 返す。


 肩がぶつかる。


 距離が離れる。


 再び近づく。


 細かな攻防を繰り返しながら、二人は少しずつ互いの体力を削っていった。


 戦い始めた時のような、命を奪いかねない攻撃はもうない。


 ただ先に膝をつきたくない。


 それだけだった。


「しぶといな……」


「そなたに言われたくない……」


「龍だろ」


「真祖であろう」


「今さら関係ある?」


「ないな」


「だよな」


 また拳がぶつかる。


 グレイが笑う。


 アルディエルも笑っていた。


 その様子を遠くから眺めていたガルドが、ぽつりと呟く。


「……アルディエル様が、あんなふうに戦われるのは初めて見た」


 ライアンが横を見る。


「いつもは違うんスか?」


「当然だ。アルディエル様へ挑む者はいる。だが、最後までああして立ち続ける者はほとんどいない」


 ガルドの視線は龍神から動かなかった。


「それに……あれはもう、挑戦者を見る顔ではない」


「じゃあ何なんスか?」


 答えたのはレオルだった。


「友なのだろう」


 ライアンが瞬きをする。


 戦場を見る。


 グレイの拳がアルディエルの肩へ当たり、アルディエルの拳がグレイの脇腹へ返る。


 どちらも苦しそうなのに。


 どちらも笑っている。


「……なるほど」


 ライアンも少しだけ笑った。


     ◇


 太陽が傾き始めた。


 さすがに、もう速くない。


 グレイが右拳を振るう。


 アルディエルが顔を逸らして避ける。


 だが戻すのが遅い。


 左が頬へ入った。


「ぐっ……!」


「今のは入った」


「分かっている!」


 アルディエルが拳を返す。


 グレイは避けようとした。


 しかし足が思ったように動かない。


「……っ」


 拳が側頭部を掠める。


 よろめいたところへ追撃は来なかった。


 アルディエルも足を止めている。


「どうした」


「足が動かなかった」


「ならば倒れろ」


「嫌だ。お前が先に倒れろ」


「断る」


「じゃあ続きだな」


「望むところだ」


 もう会話まで意地の張り合いだった。


 二人が同時に踏み込む。


 拳が出る。


 互いの頬へ。


 鈍い音が重なった。


 グレイとアルディエルが反対方向へ倒れる。


 岩盤へ転がり、そのまま動かない。


 高台が静まり返った。


「姫さん!」


 ライアンが立ち上がる。


 数秒後。


 グレイの右手が動いた。


「……まだ」


 地面へ手をつき、身体を起こす。


 反対側でもアルディエルがゆっくり上半身を起こしていた。


「我もだ」


 グレイが息を吐く。


「やる?」


「当然だ」


「じゃあ――」


「よくありません」


 聞き慣れた声が割って入った。


 グレイが止まる。


「……セバス?」


 いつの間にか、セバスが二人の間へ立っていた。


 背筋を伸ばし、いつも通りの姿勢。


 ただし、目が笑っていない。


「グレイ様。いい加減になさいませ」


「まだいけるぞ。さっきのも倒れただけで――」


「存じております」


「じゃあ」


「戦えることと、続けてよいことは別でございます」


 グレイが黙った。


 セバスの後ろからライアンとライカも歩いてくる。


「姫さん、さすがにもう十分っスよ。三日間ずっとやってるんスから」


「お姫ちゃん。これ以上続けるなら、わたくしたちも本気で止めやがりますよ」


「……二人まで」


「当たり前っス」


 グレイは三人を見る。


 それからアルディエルを見る。


 少し考えてから口を開いた。


「あと一発だけ」


「なりません」


「まだ軽くなら――」


「駄目です」


「セバス」


「駄目です」


「……まだ何も言ってない」


「分かりますので」


 グレイが僅かに眉を寄せる。


「ずるいな」


「何年お仕えしていると思っておられるのですか」


 返す言葉がない。


 その時、アルディエルが立ち上がろうとした。


「待て。我はまだ――」


「アルディエル様」


 今度は別の声だった。


 数人の龍族が人化した姿で戦場へ降りてくる。


 龍神に仕える側近たちだ。


「お止めください」


「何をだ」


「戦いを、でございます」


「まだ終わっておらん」


「三日三晩でございます」


「だから何だ」


「御身がまともに歩けぬ状態になるまで続ける理由にはなりません」


「歩ける」


 アルディエルが一歩踏み出す。


 膝が揺れた。


 側近がすぐに腕を支える。


 グレイの口元が緩む。


「歩けてないぞ」


「そなたも同じであろう!」


「俺はまだ――」


 言いながら立ち上がる。


 一歩。


 そこで足から力が抜けた。


「……あ」


 身体が傾く。


 すぐにセバスが支えた。


「ほら、ご覧ください」


「今のは……疲れただけだ」


「最初からそう申し上げております」


 アルディエルが笑う。


「グレイ。そなたの負けではないか?」


「じゃあ一人で立てよ」


「容易い」


 側近の手を離そうとしたアルディエルの膝が、再び崩れる。


 今度はグレイが笑った。


「お前もじゃん」


「……今のは足場が悪い」


「それ俺が言おうとしてやめたやつ」


「ならば我が使ってもよかろう」


「よくないだろ」


 二人とも笑う。


 対照的に、セバスと龍族の側近たちは揃って疲れた顔をしていた。


「では」


 セバスが静かに口を開く。


「双方、自力でまともに立てないということでよろしいですね」


「まだいける」


「我もだ」


「聞いておりません」


 ぴしゃりと言われた。


 グレイが黙る。


 アルディエルまで何故か黙った。


「三日間、双方とも決定打なし。これ以上続けても、戦いではなく単なる我慢比べでございましょう」


「途中からそうだったぞ」


 グレイが答える。


 ライアンが思わず顔を向けた。


「姫さん、自覚あったんスか?」


「うん。アルディエルが倒れないから続いた」


「そなたも倒れぬからだろう」


「だから続いたんだろ」


「そういうことだ」


 二人で頷く。


 ライカが深く息を吐いた。


「本当に似た者同士ですね」


「どこが?」


「どこがだ?」


 声が重なった。


 一瞬の沈黙。


 最初に吹き出したのはライアンだった。


 ガルドが続き、レオルも口元を緩める。ついには龍神の側近の一人まで顔を逸らした。


「何だよ」


「何がおかしい」


 グレイとアルディエルが揃って周囲を見る。


 それが余計におかしかったらしい。


 笑い声が増えた。


「……よく分からないな」


「我もだ」


 グレイは少しだけ考えた。


 それからアルディエルを見る。


「なあ」


「何だ」


「引き分けでいい?」


 アルディエルがグレイを見る。


 金色の瞳と、深紅の瞳が正面から向き合う。


 三日間。


 十分だった。


 どちらが強いのか。


 結局、最後まで決まらなかった。


 グレイにあってアルディエルにないものがある。


 アルディエルにあってグレイにないものもある。


 何より、もう一度戦いたいと思える程度には互いを知った。


「……よかろう」


 アルディエルが手を差し出した。


「此度は引き分けだ。Glay Altarf Zero」


 グレイは差し出された手を見る。


 傷だらけだった。


 自分も同じだ。


 その手を握る。


「うん。引き分け」


 強く握り返される。


 グレイも同じだけ返した。


「強かったぞ、アルディエル。三日やっても倒せなかった」


「そなたもな、白銀」


「グレイでいい」


 アルディエルが僅かに目を見開いた。


「何?」


「……いや。では、グレイ」


「うん」


「我のこともアルディエルと呼べ」


 グレイが首を傾げた。


「最初から呼んでるぞ」


「……そうであったな」


「今さら?」


 アルディエルが途中で笑った。


 グレイの口元も少し緩む。


「次は勝つ」


「我の台詞だ」


「じゃあ、またやろう」


「ああ。ただし今ではないぞ」


「分かってる。俺も無理」


「珍しく意見が合ったな」


「三日も戦ったんだから、一個くらい合うだろ」


 アルディエルが手を離した。


 陽はかなり傾いている。


 夕方の光が、壊れた霊峰を橙色へ染めていた。


「グレイ」


「何?」


「そなたは面白い」


「それ、何回か聞いたぞ」


「ならば覚えておけ」


「覚えてるよ」


 アルディエルは少し考えるように黙る。


「我へ願いを使ってまで戦いを求めた者は、そなたが初めてだ。そして、これほど長く我と戦った者も久しくおらん」


「そうなんだ」


「もう少し驚かぬのか?」


「別に記録作りたくて戦ったわけじゃないし。俺はお前と戦いたかっただけだ」


 グレイは一度言葉を切る。


 少しだけ目を細めた。


「戦えたし、楽しかった。それでいい」


 アルディエルが黙る。


 やがて、その表情が緩んだ。


「……そうか」


「うん。だからまた戦いたい」


「ならば次に会う時まで、我も鍛えておこう」


「龍神が?」


「そなたにだけは言われたくない」


「俺も鍛えるぞ」


「ならば、なおさらだ」


 アルディエルが拳を差し出した。


 グレイはそれを見る。


「何?」


「人の戦士は、こうするのであろう?」


「誰に聞いたんだよ」


「レオルだ」


 少し離れた場所でレオルが静かに顔を逸らした。


 グレイは小さく笑い、自分の拳をアルディエルの拳へ当てる。


 こつん、と小さな音がした。


 つい先ほどまで互いを殴っていた拳とは思えないほど軽い音だった。


「じゃあ、またな」


「ああ」


 アルディエルが答える。


「また戦おう、グレイ」


「うん」


 それだけで十分だった。


     ◇


 帰り道。


 グレイは最初、自分で歩くと言った。


 だが数歩進んだところで足が止まる。


「……セバス」


「はい」


「肩貸して。思ったより足に力入らない」


「最初からそのつもりでございました」


「なら先に言ってよ」


「ご自身で歩くと仰ったのはグレイ様でございます」


「……そうだった」


 素直にセバスの肩へ腕を回す。


 反対側にはライカがついた。


 少し前を歩いていたライアンが振り返る。


「姫さん、俺も代わるっスか?」


「大丈夫。二人で足りてる」


「そうっスか。じゃあ荷物持つっスよ」


「ありがとう」


 ライアンが自然にグレイの荷物を受け取った。


 その先では、アルディエルも側近たちに支えられている。


 人化したまま、どうにか自分の足で歩こうとしていた。


「アルディエル」


 グレイが呼ぶ。


 白銀の髪が振り返った。


「何だ」


「お前も歩けてないな」


「そなたもだろう!」


「俺は何歩か歩いたぞ」


「我も歩いた!」


「じゃあ同じだろ」


「……そうだな」


 珍しく素直に認めた。


 グレイもそれ以上は言わない。


 ライアンが二人を交互に見て、小さく笑う。


「何か、急に大人しくなったっスね」


「疲れた」


「我もだ」


「そりゃそうっスよ……」


 呆れた声に、ライカまで笑う。


 セバスも僅かに口元を緩めていた。


 夕暮れの霊峰を、一行はゆっくりと下っていく。


 三日前。


 グレイは龍神の前へ立ち、たった一つの願いを口にした。


 戦ってほしい。


 ただ、それだけだった。


 そこから三日。


 魔法をぶつけた。


 拳を交えた。


 傷つけ、傷つけられた。


 最後には、どちらが先に倒れるかという意地だけで殴り合った。


 勝者はいない。


 敗者もいない。


 けれど、不思議と物足りなさはなかった。


 むしろ、今はそれでよかった。


「アルディエル」


「今度は何だ」


「戻ったら、ちゃんと休めよ」


 アルディエルが目を丸くする。


「それは我の台詞ではないか?」


「俺も休むよ。セバスが怖いし」


「聞こえておりますよ、グレイ様」


「ほら」


 アルディエルが声を上げて笑った。


「そなたにも恐れるものがあったか!」


「セバスは怒ると長いんだぞ」


「グレイ様」


「……今のなし」


「遅うございます」


 ライアンが吹き出す。


 ライカも肩を震わせた。


 アルディエルはしばらく楽しそうに笑っていた。


 もう。


 龍神だから話しているわけではない。


 この国で崇められる存在だからでもない。


 強者だから興味を持っているだけでもなかった。


 三日間、同じ場所で戦い続けた。


 互いに疲れ。


 互いに意地を張り。


 最後まで倒れなかった。


 それで十分だった。


 グレイは山の麓へ視線を向ける。


 遠く、セレスティアの街に少しずつ灯りが点り始めていた。


 夜が来る。


 けれど、今夜はもう戦わなくていい。


 ようやく眠れる。


 そう思ったところで、隣を歩くセバスへ少しだけ体重を預けた。


「……楽しかったな」


 小さく漏れた声を拾ったのは、セバスだけだった。


 彼は何も言わない。


 ただ、グレイを支える肩へ僅かに力を入れた。


 グレイもそれ以上は言わなかった。


 少し先では、アルディエルが側近たちから何かを言われている。おそらく戻ってから休めだの、治療を受けろだのと注意されているのだろう。


 アルディエルが何か言い返す。


 側近たちが揃って困った顔をする。


 その様子を見て、グレイの口元が少しだけ緩んだ。


 三日間の戦い。


 勝敗はつかなかった。


 けれど次に会った時は、もう願いを使って戦いを申し込む必要はない。


 きっと顔を合わせれば、どちらからともなく言う。


 ――また戦おう。


 それでいい。


 グレイはもう一度だけ遠ざかっていく戦場を振り返り、それから仲間たちと共に霊峰を下っていった。


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