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白銀の旅路  作者: 人形遣い
第三章 「白耀の龍神」

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第8話 白銀と龍神


霊峰ヴァルグランの空は、どこまでも澄んでいた。


 首都セレスティアを満たしていた龍神祭の喧騒も、ここまでは届かない。峰の間を抜ける風が岩肌を撫で、遠くでは白い雲がゆっくりと山腹を流れている。


 龍族の居館からさらに山を登った先。


 人の手がほとんど入っていない広大な岩原に、グレイは立っていた。


 足元には長い年月を風雨に削られた岩盤が広がり、その隙間から背の低い草が僅かに顔を覗かせている。戦いの余波が首都へ届かないよう選ばれた場所だけあって、振り返ればセレスティアは遥か下方に小さく見えるだけだった。


 そして正面には、一頭の龍がいる。


 白耀龍神アルディエル。


 陽光を受けた純白の鱗は雪よりも鮮やかに輝き、畳まれた翼だけでもグレイの視界を大きく占めていた。四肢は太く、岩盤へ食い込んだ爪の一本一本が人間の武器ほどもある。頭部から後方へ伸びる二本の角には淡い金色の紋様が浮かび、呼吸に合わせて微かな光を明滅させていた。


 何かをしているわけではない。


 魔力を放ち、威圧しているわけでもなかった。


 ただそこにいるだけで、周囲の空気が普段より重く感じられる。


 グレイは銀灰色の瞳を細め、しばらく黙ったままアルディエルを見上げていた。


「……なるほど」


 昨日、ガルドが言っていた。


 自分では勝負にならない、と。


 レオルも、その言葉を否定しなかった。


 実際にこうして向かい合ってみれば、その意味は嫌でも分かる。


 強い。


 少なくとも、これまでグレイが出会ってきた龍たちとは明確に違っていた。


『どうした、白銀の。昨日までの威勢はどこへ行った?』


 低い声が岩原へ響く。


 アルディエルは巨大な頭を僅かに傾けた。


「見てる」


『何をだ』


「お前を。昨日より近いから、どのくらい強そうか分かるかなって」


 アルディエルの金色の瞳が僅かに細くなる。


『それで、分かったか?』


「全部は無理。でも、思ってたより強そうだな。ガルドが勝負にならないって言ってたのも、今なら少し分かる」


 一瞬だけ、二人の間を風が通り抜けた。


 やがてアルディエルの喉から低い笑い声が漏れる。


『クク……そうか。我を前にして、最初に出る感想がそれとはな』


「変だった?」


『いや。やはり、そなたは面白い』


 グレイは少し考えてから首を傾げた。


「それ、褒めてる?」


『もちろんだ』


「なら、ありがとう」


 それだけ答えると、グレイは再びアルディエルを見上げた。


 龍神祭の優勝者には、龍神から一つだけ願いを叶えてもらえる。


 金でも地位でもない。


 失ったものを取り戻すことでもない。


 グレイが望んだのは、ただ一つ。


 ――俺と戦ってほしい。


 アルディエルは理由を尋ねることもなく、その願いを受け入れた。


 そして翌朝。


 二人は約束通り、この岩原に立っている。


 少し離れた高台には、ライアン、ライカ、セバスがいた。そのさらに後方にはガルドとレオルの姿もある。


 祭りの余興ではない。


 観客へ見せるための試合でもない。


 一人の吸血鬼が一頭の龍へ戦いを望み、その龍が受け入れた。


 ただ、それだけの勝負だった。


「姫さん、本当にやるんスね……」


 高台でライアンが呟く。


 いつもなら隣から何かしら軽口が飛んでくるところだが、ライカは何も言わない。視線は岩原に立つグレイへ向けたままだった。


「今さら止めても聞かないでしょう。昨日からずっと楽しみにしていたんですから」


「まあ、それはそうなんスけど……相手、龍神っスよ?」


「分かっています。だから心配しているんでしょう」


 ライカの声には僅かな硬さがあった。


 少し離れたところでは、セバスが腕を背中へ回し、いつもの執事らしい姿勢で立っている。


 ただし、その目だけは違う。


 グレイの立ち位置。


 アルディエルの四肢。


 二人の距離と、足元に広がる岩盤。


 かつて拳聖と呼ばれた男は、戦いが始まる前から静かに戦場を見ていた。


「セバス。姫さん、勝てると思うっスか?」


 ライアンの問いに、セバスはすぐには答えなかった。


「分かりません。私は長くグレイ様を見てまいりましたが、アルディエル様の底を存じません。知らぬ相手との勝敗を、始まる前から決めつけることはできません」


 一度言葉を切り、その視線をグレイへ戻す。


「ですが――グレイ様が勝つつもりで立っておられることだけは、よく分かります」


 その言葉と重なるように、岩原のグレイが一歩前へ出た。


 風に銀髪が揺れる。


「アルディエル。一つだけ言っておく」


『申してみよ』


「手加減はいらない。俺も最初から全部使うつもりだから、お前も好きにやってくれ」


 高台でライアンが額を押さえた。


「……言うと思ったっス」


 アルディエルは笑わなかった。


 金色の瞳が、小さな吸血鬼を真っ直ぐに捉えている。


『そなたは、我が本気を知っているのか?』


「知らない」


『ならば、なぜそのようなことを言える』


「知らないから見たいんだろ。手を抜かれたら、わざわざ戦ってもらう意味がない」


 グレイは肩を軽く回した。


 普段と変わらない仕草だった。


『死ぬやもしれぬぞ』


「その時は俺が弱かっただけだ。俺から頼んだ勝負なんだから、その結果までお前に気を遣わせるつもりはない」


 死を軽んじているわけではない。


 恐怖を知らないわけでもない。


 自分が望んだ戦いだからこそ、その結果まで相手へ押しつけたくない。


 グレイにとっては、それだけのことだった。


 アルディエルはしばらく黙っていたが、やがて巨大な翼をゆっくりと広げた。


 巻き起こった風が岩原を走り、砂塵を舞い上げる。


『よかろう。ならば我も、そなたを一人の戦士として扱おう』


「うん。それでいい」


 グレイは一度だけ目を閉じた。


 そして、開く。


 銀灰色だった瞳が、ゆっくりと深紅へ染まっていく。


 真祖解放。


 白い肌の下を膨大な魔力が巡り、その身体を中心に周囲の空間が微かに軋んだ。


 アルディエルの瞳が細くなる。


 グレイは右足を半歩前へ出した。


 これから戦う相手は龍神。


 数千年を生きる古龍。


 願いを叶える存在としてではなく、一人の強者として自分の願いを受け入れた相手だ。


 だからこそ。


 グレイは名乗ることにした。


「――我が名は、Glay Altarf Zero」


 声は静かだった。


 だが、峰を抜ける風に消えることなく、アルディエルまで届く。


「白銀の真祖、グレイ・アルタルフ・ゼロ」


 アルディエルの表情から、僅かに笑みが消えた。


 グレイは深紅の瞳を逸らさない。


「覚えておけ。俺は、お前に勝つつもりでここに立ってる」


 数秒の静寂。


 やがて白耀龍神の口元が大きく吊り上がった。


『――よい。覚えたぞ、Glay Altarf Zero』


 巨大な翼がさらに広がり、大気が震える。


『ならば我が名も改めて刻め。白耀龍神アルディエル――そなたの挑戦、我が全霊をもって受けよう』


 グレイの口元が僅かに緩んだ。


「それでいい。じゃあ――やろうか」


 次の瞬間。


 アルディエルの巨体が、視界から消えた。


     ◇


 速い。


 そう認識した時には、白い前脚がすでに眼前まで迫っていた。


 巨体からは想像できない加速。


 グレイは反射的に空間を繋ぎ、その場から消える。直後、アルディエルの爪が岩盤へ突き刺さり、轟音とともに大量の岩が弾け飛んだ。


 背後へ転移したグレイは、振り返ることなくこちらを追う尾を視界の端に捉える。


「いきなりだな」


『手加減はいらぬと言ったのはそなたであろう』


「言ったけど、思ったより速かった。あの身体でそれだけ動けるなら、かなり面白そうだな」


『ならば喜べ!』


「もう喜んでる」


 尾を転移で避け、そのまま上空へ。


 足元とアルディエルの頭上を空間で繋ぎ、距離そのものを飛び越える。


 真祖の身体能力へ《魔気闘法》を重ねた拳が、白い頭部へ叩き込まれた。


 重い衝撃。


 アルディエルの頭が僅かに沈む。


「……硬いな。レオルも硬かったけど、お前はもっと硬い」


『あれと比べるでない』


「本人に聞かせたら怒るぞ」


 言葉を返した直後、アルディエルの翼が動いた。


 風ではない。


 押し出された空気そのものが壁となってグレイへ迫る。


 咄嗟に両腕を交差させたが、受け止めきれない。身体が岩盤へ叩きつけられ、そのまま何度も跳ねた。


 四度目の衝突の直前、空間を繋ぐ。


 吹き飛ばされる勢いを別方向へ逃がし、どうにか両足を岩盤へつけた。


「……痛いな」


 痺れの残る腕を軽く振る。


 骨には細かな損傷が入っているが、すでに再生が始まっていた。


『その程度では終わらぬか』


「これくらいならな。でも、何回も食らいたくはない」


 グレイは足を止めない。


 そこから戦いは一気に速度を増した。


 正面から力をぶつけることは避け、アルディエルの周囲を空間転移で移動する。一度目は右へ。爪を誘って左へ抜け、追ってきた尾を上へ逃がし、翼が動くより先に懐へ潜る。


 拳や蹴りだけでは白耀龍神の鱗を抜くには足りない。


 ならばと、空間そのものを断った。


 細い断絶がアルディエルの肩口を走り、純白の鱗へ初めて亀裂が入る。


『ほう……』


「やっぱりこれは通るな。でも、思ったより浅い」


『十分に恐ろしい術だ』


「なら、ちゃんと避けた方がいいぞ。俺も当てるつもりで使ってるから」


『言われずとも!』


 アルディエルの口元へ光が集まり始めた。


 白から金へ。


 膨大な魔力が一点へ圧縮されていくのを見て、グレイの表情から僅かに笑みが消える。


「……それは、まともに受けたくないな」


 白金の光が放たれた。


 岩原を呑み込むほどの奔流を前に、グレイは逃げない。


 正面へ両手を向け、迫る光の前後を別の空間へ接続する。


 白金の奔流が途中で消失した。


 直後。


 アルディエルの頭上に空間が開き、今しがた放たれた光が龍神自身へ降り注ぐ。


『我に返すか!』


「撃ったのはお前だろ!」


 アルディエルが翼を打ち、巨体を横へ滑らせる。


 行き場を失った光が岩原へ直撃し、大地を深く抉った。


 衝撃が収まったあと、グレイは出来上がった溝を横目に見る。


「……威力もかなりあるな。次はもっと遠くへ繋いだ方がよさそうだ」


『そう簡単にさせると思うか?』


「思ってない。簡単だったら、ここまで楽しみにしてないし」


 アルディエルが低く笑った。


『やはり、そなたを選んで正解だったようだ』


「選んだの俺だけどな」


『細かいことを言うな』


「そこは大事だろ」


 再び、白と銀がぶつかった。


     ◇


「……これ、俺らもう少し離れた方がよくないっスか?」


 高台から戦場を見ていたライアンが、珍しく真面目な顔で呟いた。


「賛成です。さっきの光、ここまで地面が揺れましたから」


 ライカも即答する。


 冗談ではなかった。


 十分な距離を取っているはずなのに、先ほどから何度も衝撃が足元まで届いている。


 レオルも険しい顔で二人の戦いを追っていた。


「アルディエル様……随分と楽しんでおられる」


「これで?」


 ライアンが振り返ると、ガルドが頷いた。


「ああ。俺も、あんな顔をしているアルディエル様は初めて見る」


 白耀龍神は笑っていた。


 巨大な身体で岩盤を砕き、空間を渡る小さな吸血鬼を追いながら、明らかにこの勝負そのものを楽しんでいる。


「……姫さんも同じっスね」


 グレイも笑っていた。


 大声を上げるわけではない。


 それでもアルディエルの攻撃を避けるたび、知らない動きを見るたび、ほんの僅かに口元が緩んでいる。


「お姫ちゃん、本当に楽しそう」


「だから余計に心配なんスけどね」


 その横で、セバスは何も言わない。


 ただ一度だけ、グレイがアルディエルの爪を紙一重で避けた瞬間、その眉が僅かに動いた。


「セバス?」


「……転移へ頼りすぎています」


 ライアンが首を傾げる。


「避けられてるならいいんじゃないっスか?」


「今は、です。同じ相手と長く戦えば、癖は必ず読まれます。グレイ様も承知しておられるでしょうが――あの龍神が、それを見逃すとは思えません」


 その言葉を証明するまで、さほど時間はかからなかった。


     ◇


 一日目の午後。


 戦場は岩原だけでは収まらなくなっていた。


 アルディエルが翼を広げて空へ上がれば、グレイも空間を渡って追う。


 雲を抜けた先。


 冷たい空気が頬を刺す高度で、白い巨体が大きく旋回した。


 グレイはその進路を見ながら二つの空間を繋ぐ。


 アルディエルが飛び込んだ先が、その背後へ接続された。


 前へ進んだはずの巨体が、自分自身の後ろから現れる。


『またこれか!』


「便利だろ」


『される側はたまらん!』


「俺もされたら嫌だと思う。でも、使えるのに使わない理由はないだろ」


 さらに空間を繋ぎ、アルディエルの進路を狭める。


 上へ飛べば下へ戻され、右へ抜ければ左から同じ場所へ返される。


 だが、それも長くは続かなかった。


 アルディエルが空中で翼を広げ、完全に動きを止める。


『ならば――術ごと崩せばよい』


「何する気だ?」


 白耀龍神の全身から魔力が溢れた。


 次の瞬間、それが爆発的に広がる。


「っ――!」


 グレイの繋いでいた空間が激しく揺れた。


 精密に組み上げていた接続が強引に崩され、反動が術者へ返ってくる。一瞬だけ視界が歪み、グレイの身体が空中で僅かに傾いた。


『空間を支配するなら、その空間ごと揺らせばよい』


「……無茶苦茶だな。でも、そういう壊し方もあるのか」


 思わず感心した声が漏れた。


 その一瞬。


 アルディエルが距離を潰す。


 グレイは反射的に転移した。


『読んでいるぞ!』


 転移先へ、すでに爪が振り抜かれていた。


 グレイの目が見開かれる。


 空間そのものを読まれたわけではない。


 もっと単純だった。


 これまで自分が選んできた位置。


 相手との距離。


 攻撃後に好む角度。


 その癖を覚えられている。


 避けきれない。


 左肩から胸へ爪が走り、肉が大きく裂けた。


 鮮血が空へ散る。


 グレイは即座に転移し、距離を取った。


 左腕が力なく垂れている。


 だが傷口から流れた血はすぐに止まり、裂けた肉がゆっくりと繋がり始めた。


 数秒後。


 グレイは左手を握る。


 まだ鈍いが、動く。


「……やるな。転移じゃなくて、俺の動きを見てたのか」


『ようやく気づいたか』


「セバスに言われてたんだけどな。分かってても使いやすい方に寄ると、やっぱり癖になるか」


『誰だ、そのセバスという者は』


「俺の師匠。体術はほとんどセバスに教わった。たぶん今、あそこで嫌な顔してる」


 高台では、実際にセバスが小さく息を吐いていた。


「……怒ってるっスか?」


 恐る恐る尋ねたライアンに、セバスは穏やかな声で答える。


「いいえ。ただ、帰られましたら確認いたします」


「それ絶対怒ってるやつっス」


「にーちゃん、今そこ気にするところ?」


 ライカが呆れたように兄を見る。


「いや、姫さん治ってるし……」


「治れば怪我をしてよいわけではありません」


 セバスが静かに割って入った。


 声は穏やかだった。


 だからこそ、ライアンはそれ以上何も言わなかった。


 戦場では、すでにグレイが動き始めている。


 先ほどまでとは違う。


 転移先を読まれることを前提に位置を選び、アルディエルがそこへ攻撃を置くことまで利用する。


 一度目で誘う。


 二度目で確認する。


 三度目。


 わざと同じ場所へ転移した。


『そこだ!』


「知ってる」


 爪が振り下ろされる直前、グレイの上半身だけが別空間へ消える。


 部分転移。


 爪が空を切った。


 次の瞬間には身体が戻り、グレイはアルディエルの懐へ潜り込んでいる。


「今度は俺」


 《魔気闘法》。


 拳と龍神の胸部、その間の距離を空間ごと折る。


 全力の一撃が、白い胸部へ叩き込まれた。


 巨体が大きく揺れる。


 アルディエルが初めて高度を失い、雲を突き抜けて落下した。


 グレイは追わなかった。


 直前まで力なく垂れていた左腕を見ながら、短く息を吐く。


「……追いたいけど、今ので左肩まで使った。次が遅れるな」


 落下していたアルディエルの翼が大きく開き、巨体が再び空へ戻ってくる。


『追撃せぬのか』


「今はやめる。勝ちたいからな。楽しいだけで突っ込んで負けたら、それこそセバスに怒られる」


『随分と恐ろしい師だ』


「強いぞ」


『そちらではない』


「?」


 グレイはよく分からないという顔をしたが、アルディエルは説明しなかった。


 再び二人の距離が縮まる。


 夕暮れになっても。


 夜になっても。


 戦いは終わらなかった。


 月が昇る頃には、真祖であるグレイの身体能力が昼間よりさらに上がっている。


『夜はそなたの時間か』


「まあな。昼より動きやすいから、少し楽になった」


『ならば好都合だ。強くなったそなたを倒した方が面白い』


 グレイは一瞬だけ目を丸くした。


 やがて口元が僅かに緩む。


「……気が合うな。普通なら嫌がるところだろ」


『我もそう思い始めたところだ』


 夜の霊峰へ、再び轟音が響いた。


     ◇


 夜半を過ぎる頃には、戦いの形そのものが変わっていた。


 最初のように、互いの攻撃へ驚くことは少ない。


 グレイはアルディエルの翼が動く前に来る攻撃を予測し、アルディエルも空間が歪む僅かな前兆とグレイの視線から転移先を読む。


 単純な奇襲は、もう通じない。


 だから一手先を読む。


 さらに、その先を読む。


 グレイが背後へ転移する。


『待っていたぞ!』


「だと思った」


 攻撃しない。


 アルディエルが振り返った瞬間、もう一度転移する。


 真正面。


 顎へ掌底。


 龍神の頭が僅かに跳ね上がった。


「二回目」


『小癪な!』


「それ褒めてる?」


『違う!』


「残念」


 直後に尾を受け、グレイの身体が岩壁まで吹き飛ばされた。


 轟音とともに岩が崩れ、姿が瓦礫の下へ消える。


 数秒後。


 瓦礫が動いた。


「……今のは痛かった」


『そなた、そればかりだな』


「痛いものは痛いだろ」


 立ち上がったグレイの右腕は、明らかにおかしな方向へ曲がっていた。


 左手で掴み、位置を戻す。


 鈍い音が鳴る。


 アルディエルの目が僅かに細くなった。


『……見ているこちらが痛くなるな』


「俺より頑丈な龍神が何言ってるんだよ」


『頑丈さと、痛そうに見えるかは別だ』


「そういうものか。じゃあ覚えとく」


 右手を一度握る。


 再生はまだ完全ではない。


 それでも動く。


 グレイは再び歩き出した。


 一日目は、そうして終わった。


 正確には――終わらないまま、二日目へ続いた。


     ◇


 二日目。


 朝日が昇った時、二人は霊峰の反対側まで移動していた。


 いつ山を越えたのか、見ていた者たちでさえ正確には分からない。


 ただ戦いながら移動し続けた。


 それだけだった。


 グレイは大きな岩を蹴り、空中へ身を躍らせる。


 その身体をアルディエルの爪が追う。


 転移。


 背後。


 さらに転移。


 右上。


 アルディエルが振り返るより早く、グレイは空間を断った。


 白い鱗に新たな傷が走る。


『まだ動くか、Glay Altarf Zero!』


「そっちこそ。龍神でも二日ずっと戦えば疲れるんだな」


『何だと思っている!』


「神だろ」


『その名で呼ばれているだけだ。我は龍だ!』


「それは昨日も聞いた気がする!」


 返しながら、グレイは横へ身体を投げた。


 直前までいた場所を白い爪が貫く。


 着地と同時に足元の空間を折り、アルディエルの懐へ飛び込む。


 拳。


 受け止められる。


 巨大な前脚と小さな拳がぶつかり、衝撃が岩肌を走った。


 力では勝てない。


 グレイは競り合わず、接触した瞬間に腕だけを空間へ逃がす。


 支えを失ったアルディエルの前脚が前へ流れた。


 その脇を抜け、首元へ蹴りを叩き込む。


『相変わらず、まともに力を競う気はないか!』


「勝負なんだから、勝てるやり方するだろ。お前と力比べしたって俺が負ける」


『潔いのか卑怯なのか分からぬ奴だ!』


「勝手に悩んでろ」


 アルディエルが身体を捻る。


 迫る尾をグレイは転移で避けた。


 だが、その転移先へ白金の光が走る。


「っ――!」


 咄嗟に空間を断ち、光を左右へ割った。


 その隙を狙ってアルディエルが突っ込んでくる。


 グレイは正面衝突を避け、翼の付け根へ転移した。


『そなたは――』


「何?」


『なぜ、そこまで強者との戦いを求める!』


 戦いの最中に飛んできた問いに、グレイは僅かに目を瞬いた。


 だが、動きは止めない。


 アルディエルの背を蹴って離れ、振り払うように動いた翼を空中でかわす。


「急だな!」


『昨日から気になっていた! これだけ戦ってなお、その顔をしている者はそうおらぬ!』


「どんな顔?」


『楽しそうな顔だ!』


 言われたグレイは、自分の頬へ触れる暇もなく転移した。


 直後、先ほどまでいた場所を爪が通過する。


「別に、戦うことだけが好きなわけじゃないぞ!」


『そうは見えぬ!』


「嫌いでもないけどな!」


 アルディエルの頭上へ出る。


 拳を振り下ろす。


 龍神が頭を振り、初めてその拳を明確に避けた。


「……避けた」


『そなたの拳は妙に効くのでな!』


「それ、セバスに聞かせたいな」


『話を逸らすな!』


「逸らしてない。戦いながら長く喋るの大変なんだよ」


『ならば簡潔に答えよ!』


「知らないものが見られるからだ!」


 今度はアルディエルが一瞬だけ黙った。


 その隙をグレイは見逃さない。


 空間を折り、一気に懐へ入る。


 だが、拳が届く寸前、アルディエルの翼が地面を叩いた。


 巻き起こった暴風に押され、グレイの身体が後方へ流される。


 空中で姿勢を整え、岩壁へ足をついた。


『知らないもの?』


「技とか、魔法とか、どう考えて動いてるのかとか。強い奴と戦えば、俺が知らなかったものが一つくらいは出てくるだろ」


 岩壁を蹴る。


 銀色の影が再びアルディエルへ迫った。


「昨日だってそうだ。俺の空間を魔力で無理やり崩した奴なんて初めて見た。転移先も途中から読まれた。そういうのを見るのが面白いんだと思う」


『なるほどな!』


「だからって喋ってる間に狙うな!」


『戦いの最中であろう!』


「それはそうだな!」


 白い爪を紙一重でかわし、その腕を踏み台にしてグレイが駆け上がる。


 肩。


 首。


 頭部。


 アルディエルが身体を大きく振った瞬間、グレイは跳躍し、そのまま空間へ消えた。


 正面へ出る。


 拳を振るう。


 今度は頭を引かれて空を切った。


「また避けた」


『効くと分かっているものを、何度も受けると思うな!』


「そういうところも面白い。最初は受けてたのに、もう俺の拳まで警戒してる」


 尾が横から迫る。


 グレイはそれを避けず、空間へ呑み込ませた。


 消えた尾が、アルディエル自身の頭上から現れる。


『また我の身体を使うか!』


「使えるものは使う。お前の尾、長くて便利だぞ」


『我を便利と言うな!』


「尾の話だって!」


 自分の尾を自分で避ける巨大な龍を見て、グレイの口元が僅かに緩む。


 その隙を、今度はアルディエルが逃さなかった。


 金色の瞳が光る。


「――まずい」


 至近距離から白金の光が放たれた。


 避ける時間はない。


 グレイは正面の空間を一瞬だけ断つ。


 世界に細い亀裂が走り、白金の光が左右へ割れた。


 背後の岩峰が吹き飛ぶ。


 衝撃だけは殺しきれず、グレイも地面を滑るように吹き飛ばされた。


 どうにか着地し、荒く息を吐く。


「……危なかった。今の距離で撃つのはずるいだろ」


『そなたにだけは言われたくない!』


「それもそうか」


 グレイは膝を伸ばす。


 昨日より身体が重い。


 傷の再生にも時間がかかるようになっている。


 それでも、まだ戦える。


『先ほどの話だが』


「まだ続くの?」


『そなたは、知らぬものを見るために旅をしているのか?』


 アルディエルが地面を蹴る。


 グレイは正面から迫る巨体を見ながら、三つの空間を同時に繋いだ。


 一つ目で爪を逸らす。


 二つ目で自分の身体を側面へ運ぶ。


 三つ目でアルディエルの背後へ回り込む。


「それだけじゃない。でも、理由の一つではあると思う」


 空間断絶。


 アルディエルが翼を畳んで避ける。


「知らない場所へ行けば、まだ知らないものがあるだろ。それを見るのが好きなんだ。知ったものが増えて、それが普通になっていくのも嫌いじゃない」


『退屈だからではないのか!』


「違うな」


 返答は迷わなかった。


 グレイは迫る前脚の軌道を見切り、最低限の動きだけで脇へ抜ける。


「退屈を潰したいだけなら、こんなに長く旅してない。俺は自分で見たいんだよ。知らなかった場所も、そこにいる奴も」


 言い終えると同時に、アルディエルの胸へ拳を叩き込んだ。


 龍神の巨体が僅かに後退する。


『……なるほどな』


「お前は?」


『我?』


「俺に聞いたんだから、お前も答えろよ。何で戦うの好きなんだ?」


 アルディエルは翼を広げ、空へ舞い上がった。


 グレイも空間を渡って追う。


『龍だからだ!』


「雑だな!」


『そなたに言われたくはない!』


「俺、もう少しちゃんと答えただろ!」


 雲を突き抜ける。


 白い翼が朝日に照らされ、グレイの銀髪が強い風になびく。


 アルディエルは上昇しながら身体を反転させた。


『ならば言い直そう! 数千年生きても、我を驚かせる者はいる。それを知るのは悪くない!』


 白金の光。


 グレイは転移で射線から逃れ、そのままアルディエルの真横へ現れた。


「それ、俺と似てる?」


『そうかもしれぬな! 少なくとも、龍神への願いを戦いに使う吸血鬼など、我も初めて見た!』


「珍しかった?」


『初めてだと言っておろう!』


 グレイの口元が少しだけ緩んだ。


「じゃあよかった。俺ばっかり知らないもの見せてもらうのも悪いし、お前にも一つくらい見せられたなら、それでいい」


 アルディエルの翼が、一瞬だけ止まりかけた。


『そなたは――』


「止まると殴るぞ」


『余韻というものを知らんのか!』


「戦ってる最中だろ!」


 空間を折る。


 拳が迫る。


 アルディエルが笑いながらそれを受け止めた。


『ハハハハ! まったく、そなたという奴は面白い!』


「それ、昨日も聞いたぞ!」


『ならば何度でも言ってやろう!』


「別にいいけど――」


 グレイは掴まれかけた腕だけを転移させ、そのまま身体を回転させた。


 踵がアルディエルの顎を捉える。


「――戦ってる時は、ちゃんと前見た方がいいぞ」


『言ったな、白銀!』


 白耀龍神の魔力が膨れ上がる。


「そういうの待ってた」


 グレイも深紅の瞳を細めた。


 二日目の戦いは、一日目より静かで、それでいて遥かに厄介なものになっていった。


 互いに相手を知っている。


 それだけで、一つ一つの攻防が変わる。


 アルディエルは無闇にグレイを追わなくなった。転移先を読み、空間が歪む前兆を見て、時には広範囲へ攻撃を放つことで安全に転移できる位置そのものを減らしていく。


 対するグレイも、単純な転移を減らしていた。


 二点間転移。


 部分転移。


 空間接続。


 空間断絶。


 必要に応じてそれらを組み合わせ、正面からアルディエルの力を受けない。


 一日目に通じた攻撃は、二日目には通じない。


 だから変える。


 読まれたなら、その読みを利用する。


 防がれたなら、別の使い方を考える。


 グレイが傷を与えれば、アルディエルがそれ以上の力で押し返す。


 アルディエルが転移先を読めば、次にはグレイがその読みを逆手に取る。


 決定打はない。


 だが、互いの身体には確実に傷が増えていった。


     ◇


「……あの二人、戦いながら普通に話してるっスね」


 さらに離れた高台で、ライアンが呆れたように呟いた。


「最初より余裕があるわけではないと思いますよ」


 ライカは戦場から目を離さない。


 むしろ逆だ。


 二日目に入り、グレイの傷の治りは明らかに遅くなっている。アルディエルの白い鱗にも細かな亀裂が増え、翼の動きにも僅かな鈍さが見え始めていた。


 余裕などない。


 それでも二人は、攻防の合間に言葉を交わしている。


「余裕がないからでしょう」


 セバスが静かに言った。


「どういうことっスか?」


「互いの動きをある程度理解したのです。最初は相手の攻撃を見るだけで精一杯だった。しかし今は、次に何をするのかを予測しながら戦っている。だからこそ、言葉を交わすだけの間も生まれる」


 その視線の先で、グレイがアルディエルの爪を避ける。


 転移は使わない。


 足運びだけで僅かに身体をずらし、爪が岩盤へ触れる直前に腕を蹴って上へ跳ぶ。


 そこから初めて空間を折った。


「それに、グレイ様は一日目より転移を減らしております」


「昨日読まれたから?」


 ライカの問いに、セバスは頷く。


「それもあります。しかし、それだけではありません。空間魔法の使用回数を抑えているのでしょう。再生にも魔力を使っています。三日目まで続く可能性を考え始めたのかもしれません」


 ライアンが遠くの銀色の影を見る。


「姫さん、ああ見えてちゃんと考えてるんスね」


「にーちゃん、それ本人に言ったら怒られるよ」


「言わないっスよ」


「聞こえておりますよ」


「セバスまで!?」


 僅かな軽口の間にも、戦いは続く。


 レオルはしばらく黙って見ていたが、やがて低く呟いた。


「純粋な力だけなら、アルディエル様の方が上だ」


 ライカが顔を上げる。


「でも、お姫ちゃんは戦えてる」


「ああ。それがグレイの強さだ」


 レオルは遠くで動く銀色の影を見つめる。


「自分が何をできるのかを知っている。そして相手が何をできるのかを、戦いながら覚えていく。空間魔法も、再生も、体術も、それぞれ一つだけならアルディエル様を上回る決め手にはならない」


 グレイが転移する。


 アルディエルの爪を避け、その爪が地面へ落ちる瞬間、崩れた岩を蹴って別の角度から接近する。


「だが、グレイは全部を使う。自分の力だけではなく、地形も、相手の攻撃も、必要なら相手自身さえ利用する。強さを一つの力だけで考えていない」


 ガルドが静かに頷いた。


「長く戦ってきた者の戦い方だな」


「……でも姫さん、めちゃくちゃ楽しそうっスよ」


 ライアンの言葉に、レオルが小さく笑った。


「それが一番厄介だ」


 その時、遠くで轟音が響いた。


 全員が顔を上げる。


 岩峰の一つが崩れ、その中からアルディエルが飛び出した。


 少し遅れて、銀色の影が空間を渡る。


 まだ続いている。


     ◇


 昼が過ぎ、午後になり、夕陽が峰を赤く染めても決着はつかなかった。


 夜が訪れれば、グレイの身体能力は再び上がる。


 しかし一日目の夜とは違う。


 身体そのものが蓄積した疲労までは消えない。


 再生は遅くなり、空間魔法を連続で使用する間隔も僅かに伸びている。


 アルディエルも同じだった。


 純白だった鱗には無数の傷が走り、片方の翼には空間断絶による深い裂傷が残っている。


 それでも二人は止まらない。


『まだ来るか!』


「まだ立ってるだろ!」


 アルディエルの爪を避け、グレイが懐へ潜る。


 拳を打ち込む。


 直撃するが、浅い。


 反撃の翼が迫り、グレイは部分転移で上半身だけを逃がす。


 戻った瞬間、尾が来る。


 今度は間に合わない。


 身体が大きく吹き飛ばされ、岩盤を何度も転がった。


 立ち上がる。


 アルディエルも追撃には来ない。


 その場で呼吸を整えている。


 互いに疲れている。


 互いに傷だらけだ。


 それでも、どちらからも終わりを口にする気配はなかった。


「……やっぱり強いな」


『今さら何を言う』


「二日戦っても、まだそう思えるから言ったんだよ。最初に見た時より、今の方が分かる」


『そなたもな。ここまで我についてくるとは思わなかった』


「俺は最初から勝つつもりだったぞ」


『それと、我がどう思っていたかは別であろう』


「それもそうだな」


 グレイが再び構える。


 深紅の瞳には、まだ光が残っている。


「じゃあ、もう少し驚かせる」


『望むところだ』


 再び二人がぶつかった。


 そこからの攻防は、それまでより短く、そして重くなった。


 互いに無駄な動きを減らしている。


 大技を放つ回数も少ない。


 一撃を外せば、その分だけ体力と魔力を失う。


 だから確実に届く瞬間だけを狙う。


 グレイが空間を繋ぎ、アルディエルの爪を別方向へ逸らす。


 生まれた隙へ拳を入れる。


 アルディエルは身体を捻り、急所を外しながら尾でグレイを追う。


 転移。


 しかし移動距離は短い。


 最低限だけ避け、すぐに戻る。


 アルディエルも広範囲の白金光を使わず、爪と翼を中心に攻める。


 二日間戦い続けた末に、互いの戦い方は最初よりもずっと単純になっていた。


 できることが減ったのではない。


 必要なことだけを選ぶようになった。


 それでも決着はつかない。


     ◇


 二日目の深夜。


 さらに離れた高台で、ライアンはとうとう地面へ座り込んでいた。


「……まだ終わらないっスね」


「終わりませんね」


 ライカもその隣へ腰を下ろしている。


 セバスだけは最初と変わらず立っていた。


「セバス、疲れないんスか?」


「疲れております」


「全然そう見えないっス」


「執事ですので」


「それ、便利な言葉っスね……」


 少し離れたところでは、レオルとガルドも戦場から目を離していなかった。


 ガルドが小さく息を吐く。


「二日か」


「龍族同士でも珍しいんスか?」


 今度は茶化さず、ライアンが尋ねた。


「ああ。ここまで長く戦い続けることは滅多にない。ましてアルディエル様と、二日間ほぼ休まずにな」


 ライアンの表情から僅かに軽さが消える。


「……姫さん、そんなに強いっスか?」


「強い」


 答えたのはレオルだった。


 迷いはない。


「だが、純粋な力だけならアルディエル様の方が上だ。それでも二日間戦えているのは、先ほど言った通りだ。グレイは自分より強い力を持つ相手との戦い方を知っている」


 セバスが僅かに目を細めた。


「それだけではありません」


 レオルが横を見る。


「グレイ様は、この二日でアルディエル様の戦い方をかなり覚えております。そしてアルディエル様も同様でしょう」


 遠くで白と銀が交差する。


 グレイの拳が空を切る。


 アルディエルの爪も届かない。


 互いに相手の一撃を、最小限の動きだけで避けている。


「おそらく、明日でしょう」


「何が?」


 ライカが尋ねる。


「決着です」


 セバスはグレイから目を離さない。


「グレイ様の再生速度は明らかに落ちております。空間魔法の精度にも僅かな乱れが出始めました。アルディエル様も同様でしょう。あの翼は昨日ほど力強く動いておりません」


 ライアンが息を呑む。


「じゃあ……」


「三日目」


 セバスの声は穏やかだった。


「おそらく、そこで決まります」


     ◇


 二日目が終わろうとしていた。


 東の空が、ほんの僅かに白み始めている。


 グレイは片膝をつき、荒くなった呼吸を整えていた。


 右腕には大きな裂傷が残っている。


 傷口は塞がり始めているものの、一日目のように数秒で元通りにはならない。


 魔力もかなり減っていた。


 数十メートル先。


 アルディエルも地上へ降りている。


 白く輝いていた鱗は土と傷で汚れ、片翼には空間断絶によってつけられた深い傷が残っていた。


 二人とも、もう無傷とは程遠い。


 それでも立っている。


「……アルディエル」


『何だ』


「まだやれる?」


 金色の瞳が細くなる。


『そなたこそ』


「俺はやる。まだ決着ついてないし」


『ならば聞く必要もあるまい』


「一応確認しただけだ。お前がもう無理なら、続けても仕方ないだろ」


『余計な気遣いだ。我もまだ立っている』


「そっか。ならいい」


 グレイは膝へ手を置き、ゆっくりと立ち上がった。


 一瞬だけ身体がふらつく。


 すぐに踏ん張る。


 アルディエルも四肢へ力を込めた。


 二人の間を、朝の冷たい風が抜けていく。


 二日間。


 互いに何度も攻撃を当てた。


 何度も避けた。


 グレイは焼かれ、叩き落とされ、アルディエルも空間に裂かれ、拳を受けた。


 それでも。


 まだ互いに立っている。


 グレイは右手を見下ろした。


 一度、握る。


 完全ではない。


 だが、動く。


「……まだ殴れるな」


『我を何だと思っている』


 グレイは顔を上げた。


「対戦相手。それ以外に何かある?」


 アルディエルは一瞬黙り、やがて低く笑った。


『……そうであったな』


「忘れるなよ。俺は最初からそのつもりで戦ってる」


『誰のせいで二日も戦っていると思っている』


「俺だけじゃないだろ。お前も途中からかなり楽しんでたぞ」


『否定はせぬ』


「なら、お互い様だ」


 グレイも僅かに笑った。


 東の空から朝日が昇り始める。


 淡い光が銀髪を照らし、傷だらけの白い鱗へ反射した。


 三日目。


 最後の日が始まろうとしていた。


『Glay Altarf Zero』


「何?」


『今日で終わらせるぞ』


 グレイは深紅の瞳でアルディエルを見る。


「うん。俺もそのつもりだ。さすがに、このまま四日目までやる気はない」


『勝つのは我だ』


「それはまだ分からないだろ。二日やって決まらなかったんだから、今日確かめればいい」


『ならば、そうするとしよう』


「最初からそのために戦ってる」


 白耀龍神が翼を広げる。


 傷ついた翼が朝の風を受け、それでも大きく広がった。


 グレイの周囲でも、再び空間が軋み始める。


 二日間を経て。


 互いの力を知った。


 癖も覚えた。


 何を考えて動くのかも、最初に向かい合った時より遥かによく分かっている。


 そして戦いながら言葉を交わしたことで、強さとは別の部分も少しだけ知った。


 数千年を生きても、まだ知らないものを求める龍。


 長い時を旅しながら、知らないものを見ることを楽しむ真祖。


 種族も、生きてきた場所も違う。


 それでも、どこか似ている。


 グレイはそのことを言葉にはしなかった。


 今はまだ、目の前の勝負が終わっていない。


 だからこそ。


 三日目は、昨日までと同じ戦いにはならない。


 昇り始めた朝日が霊峰ヴァルグランを照らす中。


 白銀の真祖と白耀龍神は、最後の一日を前に、もう一度向かい合った。

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