第6話 人と龍
決勝の日。
朝からセレスティアは落ち着きを失っていた。
宿の窓を開ければ、大通りを行き交う人々の声が二階まで届く。龍神祭も終盤へ差しかかっているというのに、街の熱気は衰えるどころか昨日までより増していた。遠くから響く鐘の音に屋台の呼び声が重なり、道を行く者たちの会話にも、何度となく同じ二つの名前が混じっている。
武闘大会の決勝。
白銀の吸血鬼、グレイ。
蒼炎龍、レオル。
「……朝から元気だな」
窓辺から通りを眺めていたグレイが呟くと、食卓の方から呆れた声が返ってきた。
「姫さんが言うんスか? 昨日だって寝る前までセバスと動きの確認してたじゃないっスか。俺、床が抜けるんじゃないかと思ったっスよ」
「抜けるほどやってない。少し確認しただけだぞ」
「その『少し』が信用できないんスよねぇ」
ライアンが肩を竦める。
反論しようとしたグレイだったが、その前にセバスが温かな茶を卓上へ置いた。
「本日の決勝は午後からでございます。それまでは身体を休めていただきます。昨日も同じことを申し上げましたので、今度こそお聞きください」
「分かってる。今日はちゃんと休む」
「左様でございますか」
「……何だよ、その顔」
「何も申しておりません」
セバスの表情は普段とほとんど変わっていない。
なのに信用されていないことだけは、妙にはっきり伝わってくる。
グレイは少しだけ眉を寄せたものの、これ以上何か言えば余計に疑われそうな気がして、焼いたパンへ手を伸ばした。
決勝だからといって特別なことをするつもりはない。
昨日までと同じように食べ、身体を休め、時間になったら戦う。それだけだ。
ただ、相手には興味があった。
「グレイ様。レオル殿について、何か気になる点はございましたか?」
セバスに尋ねられ、グレイはパンを持ったまま少し考えた。
「昨日の試合なら、ほとんど動いてなかっただろ。相手の大剣も腕一本で止めてた。でも、たぶん身体が頑丈なだけじゃない」
「と申しますと?」
「受け方が上手かった。力を受けても軸が動いてなかったし、次に動ける位置へちゃんと足を置いてた。昨日はすぐ終わったから、それ以上は分からなかったけど」
龍だから強い。
それだけなら、ここまで気にはならなかった。
生まれ持った肉体の強さに任せている者と、それを理解した上で使っている者とでは、同じ一撃でもまるで違う。
レオルは後者に見えた。
「だから、楽しみだな。俺とやれば昨日よりは色々見られるだろ」
そう言ってグレイは何事もなかったように食事へ戻る。
向かいに座っていたライアンが、少し笑った。
「姫さん、そういう時は分かりやすいっスね」
「何が?」
「楽しみにしてる時っスよ。さっきからちょっと機嫌いいっス」
「そう?」
「そうっス」
自分ではよく分からない。
けれど否定するほどのことでもなかった。
「まあ、楽しみなのは本当だしな」
グレイは茶を一口飲む。
窓の外から、また大きな歓声が聞こえてきた。
◇
昼を過ぎる頃には、コロッセオ周辺は人で埋め尽くされていた。
大通りから続く石段だけではない。屋台の間や建物の窓、少しでも試合場を見られそうな場所には人が集まり、入場できなかった者まで外で決勝の行方を待っている。
コロッセオ内部は、それ以上だった。
幾重にも重なる観客席はほぼ満席。人間や獣人、エルフ、ドワーフ、ドラゴニュートに混じって、人化した龍たちの姿もある。
選手用通路の奥にいるグレイのところまで、歓声が石壁を震わせながら届いていた。
「……昨日より多いな」
「決勝ですからね」
隣でライカが答える。
グレイは通路の先へ目を向けた。
明るい。
出口の向こうには、昼の光に照らされた試合場が見えている。
緊張はしていなかった。
それより、早く相手を近くで見てみたい。
「姫さん、そろそろっスよ」
先の様子を確認していたライアンが戻ってくる。
「うん。じゃあ、行ってくる」
グレイが壁から背を離す。
その背中へ、セバスから声が届いた。
「グレイ様」
「何?」
「楽しんでいらしてください」
注意でも、助言でもない。
少し意外に思って振り返ると、セバスはいつもと変わらない穏やかな顔をしていた。
グレイの口元が僅かに緩む。
「うん。そうする」
それだけ答え、光の差す出口へ向かった。
◇
試合場へ足を踏み出した瞬間、音が押し寄せてきた。
歓声と拍手、それに足を踏み鳴らす音が一つになり、広大なコロッセオそのものを震わせている。
グレイは僅かに目を細めながら中央へ向かった。
反対側の門も開く。
そこから姿を現したのは、青みを帯びた黒髪の青年だった。
蒼炎龍、レオル。
昨日と同じく武器はない。
近づくにつれて、その身体に収められた魔力の濃さがはっきりと分かる。ガルドとも、人間の魔法使いとも違う。熱を孕んだ膨大な魔力が、荒れることなく身体の奥へ収まっていた。
二人が中央で向かい合う。
「グレイ。昨日の試合を見た」
「俺も見たぞ。ほとんど一発で終わったけど」
「ガルドを魔法なしで倒したそうだな。奴が随分と悔しがっていた」
「俺も決勝でもう一回やりたかったんだけどな」
「それは悪かった」
あまりにも真面目な顔で返され、グレイは思わず笑った。
「そこは謝るところじゃないだろ。レオルが勝ったんだから」
「そうか。それならいい」
見た目ほど堅苦しい相手ではないらしい。
グレイは少しだけレオルを見る。
昨日から気になっていたことが一つあった。
「なあ、一つ聞いていい?」
「何だ?」
「レオルって何歳?」
「……それを今聞くのか?」
「今思い出したから」
レオルが一瞬言葉を失う。
少し離れたところで、審判まで妙な顔をしていた。
「百八十七だ」
「若いな」
「……お前はいくつなんだ」
「俺の方が上」
「それは答えになっていないだろう」
「昨日も同じこと言われた」
「ガルドか?」
「うん」
レオルはしばらくグレイを見つめ、それから小さく息を吐いた。
「奴が何を言いたかったのか、少し分かった気がする」
「何て?」
「変わった奴だと」
「それも言われた」
「だろうな」
審判が二人の間へ進み出たところで、会話は終わった。
グレイが半歩下がる。
レオルも腰を落とした。
互いに武器はない。
グレイの身体を《魔気闘法》の魔力が静かに巡り、対するレオルは何の魔法も見せないまま拳を構える。
審判の腕が上がった。
一瞬だけ、観客席が静まり返る。
そして――振り下ろされた。
先に動いたのはレオルだった。
巨体からは想像しにくいほど鋭い踏み込み。一瞬で間合いへ入った拳を、グレイは頭を傾けて避ける。
頬の横を風圧が抜けた。
「……やっぱり重いな」
「まだ当てていないぞ」
「見れば分かる」
続く拳を腕で流す。
それだけで骨まで響くような衝撃が残った。
グレイは力へ逆らわず懐へ潜り、胸へ掌底を打ち込む。確かな手応えはあったが、レオルが下がったのは僅か半歩だけだった。
「硬い」
「龍だからな」
「それだけじゃないだろ」
言葉と同時にレオルの膝が跳ね上がる。
グレイは後ろへ逃れ、着地と同時に再び距離を詰めた。
そこから何度か拳が交わされた。
グレイは真正面から力比べをせず、相手の重心を崩すように角度を変える。レオルはそれを強引に押し切るのではなく、足運びと身体の捻りで受け流していく。
拳、肘、蹴り。
派手な大技はない。
だが互いに、相手の次の動きを読みながら少しずつ間合いを変えていた。
観客席の一角で、その攻防を見ていたライアンが前へ身を乗り出す。
「……思ってたより打ち合えてるっスね。龍って聞いた時は、もっと力で押されると思ってたっスけど」
「姫さんが真正面から力比べしてないからでしょうね」
ライカの視線は試合場から動かない。
隣に座るセバスも、静かに二人の動きを追っていた。
「レオル殿も優れた使い手でございます。身体能力へ任せているだけなら、グレイ様はすでに何度か崩していたでしょう」
「やっぱそうっスよね」
「ええ。しかし――」
セバスの目が僅かに細くなる。
試合場では、レオルの拳を流したグレイが腕を取ったところだった。
そのまま投げようとするが、動かない。
ならばと足を掛け、自分から重心を沈める。
肩を押し込み、ようやくレオルの巨体が傾いた。
片手が石床につく。
観客席から大きな歓声が上がった。
「グレイ様も、随分と楽しんでおられます」
「……そこなんスか?」
「そこです」
セバスの口元が、ごく僅かに緩んでいた。
◇
「やっぱり、ちゃんと強いな」
立ち上がったレオルへ、グレイは素直に感想を伝えた。
「先ほどから気になっていたが、その『ちゃんと』とは何だ?」
「龍だから強いんじゃなくて、レオル自身が強いってこと。受け方も足の置き方も上手いし、俺が崩そうとしてるのも途中から分かってただろ」
「……褒められているらしいな」
「褒めてるぞ」
「なら受け取っておこう。だが、俺からすればお前も同じだ。小さい身体でよくこちらの力を流せる」
「セバスに教えてもらったからな。まだ全然勝てないけど」
「お前より強いのか?」
「体術なら」
グレイは迷わず答えた。
それを聞いたレオルが、観客席へ一瞬だけ目を向ける。
だが、すぐに視線はグレイへ戻った。
「なら、俺もまだ鍛え方が足りんな」
「そういうの好き?」
「嫌いなら大会になど出ていない」
「それもそうだな」
二人の口元が同時に緩む。
しかし、レオルはそこで構えを解かなかった。
「だが、このまま続ければ俺が先に崩されそうだ」
「俺はそのつもりだぞ」
「なら――ここからは、龍として戦おう」
空気が変わった。
レオルの身体から青白い炎が立ち上がる。
腕から肩へ、そして背中へ。
燃え上がる蒼炎は衣服を焼くことなく、レオルの身体だけを包み込んでいった。
熱が離れたグレイのところまで届く。
「それが蒼炎か」
「ああ」
「綺麗だな」
「……警戒するより先に出てくる感想がそれなのか?」
「警戒はしてる。でも綺麗なのは本当だろ」
「お前という奴は……」
呆れながらも、レオルは笑っていた。
次の瞬間、その姿が掻き消える。
先ほどより速い。
グレイは横へ身を逃がした。
蒼炎を纏った拳がすぐ脇を通過し、熱気が頬を撫でる。先ほどまでなら腕で流せた攻撃も、今は触れるだけで焼かれる。
続く蹴りを低く沈んで避ける。
そこへ炎が追った。
グレイは後ろへ跳び、間合いを広げる。
「これは体術だけだと面倒だな」
「なら使え、グレイ」
「何を?」
「空間魔法だ。お前が本来何を得意としているのか、俺にも見せてみろ」
レオルの両腕で蒼炎が揺れる。
挑発ではない。
純粋に、グレイの力を見たいのだろう。
なら隠す必要もない。
「分かった。ここまで付き合ってくれたしな」
グレイが構えを解いた。
右手を僅かに上げる。
詠唱も魔法陣もない。
ただ、それまで何もなかった空間が微かに歪んだ。
レオルの表情から笑みが消える。
「……何をした?」
「まだ空間を触っただけだぞ。これから使う」
「それを『だけ』と言える感覚が、すでに分からん」
それでもレオルは退かなかった。
蒼炎を纏ったまま、一気に踏み込む。
拳がグレイの顔へ届く。
その寸前――腕が消えた。
「なっ……!」
レオル自身の拳が、背後の空間から現れる。
前へ向かっていた力の行き先を失い、身体が僅かに崩れた。
そこへグレイが入る。
今度の拳は胸の中心を捉えた。
レオルの巨体が数歩後退する。
「さっきより入った」
「嬉しそうに言うな」
「効いたからな」
「否定はせん。だが……なるほど、確かに厄介だ」
「よく言われる」
レオルが笑いながら、再び蒼炎を広げた。
◇
観客席から見ていたライアンが、思わず顔を引きつらせる。
「……あれ、相手からすると最悪っスね」
「でしょうね。避けたわけでも受けたわけでもなく、攻撃そのものを別の場所へ流しやがりましたから」
「姫さん相手だと距離って何なんスかね」
「考えない方がよろしいかと」
答えたのはセバスだった。
試合場では、レオルが距離を詰めようとするたび、その間隔そのものが変えられている。
十歩が一歩になり、一歩が十歩になる。
右から放った攻撃が左へ抜け、前へ進んだはずの身体が元の位置へ戻される。
だが、レオルもただ翻弄されてはいない。
一度見た空間の歪みを警戒し、踏み込みを途中で変える。広範囲へ蒼炎を放ち、グレイが空間を繋ぐ前に逃げ道そのものを潰そうとする。
「レオル殿も早いですね」
ライカが呟く。
「ええ。初めて見る魔法へ、すでに対応を始めております」
セバスは静かに頷いた。
「ですが、相性が悪い。レオル殿の強みは強靭な肉体と蒼炎を活かした近接戦闘。それに対し、グレイ様は相手が近づくための距離そのものへ干渉できます」
「じゃあ、もう決まったっスか?」
「いいえ」
セバスの視線の先で、レオルの蒼炎が一段と強くなる。
「勝負は、最後まで分かりません」
◇
そこからの攻防は長く続かなかった。
空間魔法を解禁したことで、試合の流れは明確にグレイへ傾いている。
レオルが踏み込めば距離をずらし、蒼炎を放てば別の空間へ逃がす。逆にグレイは一歩踏み出すだけで間合いを消し、拳を当てるとすぐに離れる。
それでもレオルは止まらなかった。
何度失敗しても空間の癖を読み、少しずつ攻撃を近づけてくる。
だからこそグレイも楽しかった。
「……やるな」
「お前に言われると、素直に喜んでいいのか迷うな」
「何で?」
「褒めた直後に、もっと面倒なことをしてくるからだ!」
レオルが腕を振る。
蒼炎が広く放たれた。
グレイは正面の空間を繋ぎ、炎を呑み込ませる。
「上」
「何――」
頭上から同じ蒼炎が降り注いだ。
レオルは横へ飛び、青白い炎が石床を焼く。
「自分の炎は熱い?」
「試してみるか?」
「遠慮する」
「なら返すな!」
「撃ったのレオルだろ」
「お前は本当に……!」
怒鳴りながらも、レオルは笑っている。
グレイも小さく笑った。
戦う前より、ずっと相手のことが分かる。
強い。
真面目で、考えて戦う。
負けず嫌い。
それに何より――まだ諦めていない。
レオルが大きく距離を取った。
呼吸が荒い。
蒼炎を維持し続けた消耗も大きいのだろう。
それでも、その目から闘志は消えていなかった。
「グレイ。一つ聞く」
「何?」
「まだ余力があるか?」
グレイは少し考えた。
嘘をつく理由はない。
「ある。レオルは?」
「次で最後だ」
「分かった」
レオルの右腕へ蒼炎が集まっていく。
青白い光が強さを増すたび、周囲の空気が揺らぎ、離れた場所にいるグレイの肌にまで熱が届いた。
次で決める。
分かりやすい。
グレイは逃げなかった。
転移で背後へ回ればいい。
距離を伸ばし続けてもいい。
やり方はいくらでもある。
けれどレオルは、自分の持つものを全部乗せて向かってくる。
なら、最後くらい真正面から見たかった。
「来い」
「後悔するなよ!」
レオルが石床を蹴った。
蒼炎が尾を引く。
一気に間合いが消え、燃え上がる拳が真正面から迫る。
グレイは動かない。
拳が届く寸前、空間を繋ぐ。
レオルの右腕が消えた。
「同じ手は――二度も食らわん!」
レオルは止まらなかった。
腕が流されることを最初から読んでいたのだろう。
さらに踏み込み、肩から身体ごとぶつかろうとする。
グレイの目が僅かに細くなった。
「うん。だから、こっち」
今度は足元の空間がずれた。
「なっ――」
踏み込んだ右足だけが、想定した位置へ届かない。
ほんの一瞬。
レオルの重心が崩れた。
それでも振り切った拳がグレイの頬を掠め、熱が走る。銀髪の先が僅かに焦げた。
だが、それだけだった。
グレイは崩れた懐へ入り、右手をレオルの胸へ触れさせる。
「捕まえた」
レオルの目が見開かれる。
二人の姿が同時に消えた。
次に現れたのは、場外線の際。
グレイは内側。
レオルは――外側。
「……は?」
静寂が落ちた。
レオルが自分の足元を見る。
完全な場外。
審判も一瞬だけ呆気に取られたものの、すぐに旗を上げた。
「勝者――グレイ!」
直後。
コロッセオが揺れた。
歓声と拍手が一斉に押し寄せ、グレイは思わず片耳を押さえる。
「……うるさ」
「お前な……」
呆れた声に振り返る。
レオルが場外からこちらを見ていた。
「最後の最後に、それで決めるのか」
「勝っただろ?」
「普通は今の流れなら、最後に一撃を叩き込むところではないのか?」
「何で? 場外に出した方が早いだろ」
「……そうだった。お前はそういう奴だったな」
レオルは額へ手を当てる。
しばらく黙っていたが、やがて耐えきれなくなったように笑い出した。
「ハハッ……ああ、完敗だ。最後までお前の戦い方に付き合わされた」
「レオルも最後、ちゃんと俺の空間を読んでただろ。腕じゃなくて身体ごと来たのはちょっと危なかったぞ」
「なら、次は足元も警戒しておく」
「じゃあ俺も別のところをずらす」
「……やはり再戦は少し考えさせてくれ」
「何でだよ」
グレイが笑う。
レオルも笑いながら右手を差し出した。
その手をグレイは迷わず握る。
「優勝おめでとう、グレイ。強かった」
「ありがとう。レオルも強かったぞ。蒼炎も面白かったし、最後の攻撃はかなりよかった」
「次は掠めるだけでは済ません」
「じゃあ、またやろう」
「……そこだけは即答するんだな」
呆れながらも、レオルは楽しそうだった。
◇
観客席では、ライアンが大きく息を吐いて背もたれへ身体を預けていた。
「勝ったっスねぇ……最後、絶対殴り合うと思ったんスけど」
「お姫ちゃんですよ?」
ライカが当然のように返す。
「勝てる方法があるのに、わざわざ相手の得意な形へ付き合い続けるわけないでしょう」
「途中までは結構付き合ってたじゃないっスか」
「あれは楽しんでやがっただけです」
「それもそれで姫さんらしいっスね」
二人の会話を聞きながら、セバスは試合場のグレイを見つめていた。
「最後の判断は見事でございました」
「セバス的にもっスか?」
「はい。レオル殿は最後までグレイ様の空間魔法へ対応しようとしておられました。あのまま攻防を続ければ、さらに対応される可能性もあったでしょう。ゆえに、最も確実に終わらせられる瞬間に終わらせた」
そこでセバスは僅かに目を細める。
「もっとも……途中で何度か、必要のない攻防まで楽しんでおられましたが」
「やっぱそこは怒るんスね」
「後ほど申し上げます」
「姫さん、優勝した直後に説教っスか……」
ライアンが試合場へ同情するような視線を向けた。
何も知らないグレイは、レオルと何か話しながら笑っている。
◇
表彰式は、グレイにとって決勝より疲れる時間になった。
壇上へ立たされ、名前を呼ばれ、大勢から拍手を受ける。
そこまではまだいい。
問題は、その後だった。
神官から優勝を称える言葉を受け、その後も大会関係者が次々と話しかけてくる。
「この度の見事な戦い、まことに――」
「ありがとう」
「特に最後の空間魔法による鮮やかな決着は――」
「うん。どうも」
最初のうちは普通に応じていたグレイも、人数が増えるにつれて明らかに返事が短くなっていった。
ようやく解放され、壇上から降りた頃には、戦いの直後より疲れた顔をしていた。
壁際で待っていたセバスのところまで戻ると、差し出された水を受け取る。
「お疲れ様でございました」
「……戦ってる方が楽だった」
「存じております」
「人、多すぎ」
「優勝者ですので、致し方ございません」
グレイは水を飲みながら、まだ歓声の残る会場を見た。
そこへ、聞き覚えのある声が届く。
「相変わらずだな」
振り返るとガルドがいた。
隣にはレオルもいる。
「ガルド」
「優勝おめでとう。レオルから聞いたぞ。最後は場外へ転移させたそうだな」
「一緒に転移したんだぞ。レオルだけ飛ばしたわけじゃない」
「結果は同じだろう」
「違う。俺は場内だった」
「そこなのか?」
ガルドが笑う。
隣でレオルが深く頷いた。
「こいつに理屈を求めると疲れるぞ」
「昨日の時点で分かっている」
「二人とも失礼だな」
「事実だ」
二人の声が重なった。
グレイは交互に二人を見る。
「……仲いいな」
「お前のせいだ」
また重なった。
今度はグレイも笑った。
試合が終わったからといって、それで全部が終わるわけではない。
戦った相手とこうして話せる。
昨日まで知らなかった相手のことを、少しずつ知っていく。
それも、この大会へ出てよかったと思える理由の一つだった。
「そういえばグレイ」
レオルが口を開く。
「明日は霊峰へ向かうのだろう?」
「そうみたいだな」
「優勝者はアルディエル様へ直接願いを伝えることになる。何を願うか、もう決めたのか?」
「まだ」
「……まだなのか?」
「欲しいものないしな。大会も強い奴と戦えそうだったから出ただけだし」
レオルとガルドが揃って黙る。
やがてガルドが額へ手を当てた。
「お前、優勝者の願いが目的じゃなかったのか?」
「うん。別に」
「龍神様が願いを一つ叶えてくださるんだぞ?」
「知ってる。でも、欲しいものがないのに無理に決めても仕方ないだろ」
「それは……そうかもしれんが」
ガルドは納得しきれない顔をしている。
グレイにとっては、その方が不思議だった。
欲しいものなら自分で探せばいい。
手に入らないものを無理に望んでも仕方がない。
今すぐ龍神へ叶えてもらいたい願いなど、特に思いつかなかった。
「まあ、会ってから考える」
「一つだけ忠告しておく」
レオルの表情が少し真面目になる。
「アルディエル様の前では、多少は礼儀を考えろ」
「俺だって礼儀くらい知ってるぞ」
「本当か?」
「元王族だぞ」
二人が黙った。
その反応にグレイが眉を寄せる。
「何、その顔」
「……王族?」
「元だけど」
「初耳だぞ」
「言ってないからな」
ガルドが何か言いたそうに口を開き、結局閉じた。
「吸血鬼で、俺よりずっと年上で、元王族……知るほど分からなくなる奴だな、お前は」
「何が?」
「お前がだ」
グレイは少し首を傾げる。
そんなに難しいことだろうか。
「俺は俺だぞ」
それだけだった。
王女だったことも、吸血鬼になったことも、長く生きていることも全部自分の一部ではある。
けれど、それだけで今の自分が決まるわけでもない。
ガルドはしばらくグレイを見ていたが、やがて小さく笑った。
「……そうだな。それでいいか」
「だから何の話だよ」
「こっちの話だ」
「変なの」
少し離れた場所で、神官がこちらを待っている。
まだ優勝者への説明が残っているらしい。
グレイは露骨に嫌そうな顔をしたが、逃げれば後で余計に面倒になる。
「じゃあ、行ってくる」
「ああ。またな、グレイ」
「うん。また」
ガルドとレオルへ手を上げ、グレイはセバスと共に神官の方へ歩き出した。
◇
すべての説明が終わった頃には、日は大きく傾いていた。
コロッセオを出ると、昼間の熱気を残した街へ橙色の光が差している。祭りはまだ終わっておらず、大通りには多くの人が残っていた。
グレイたちは人混みを避けながら宿へ向かう。
途中、ライアンが隣へ並んだ。
「姫さん」
「何?」
「優勝した感想、まだ聞いてなかったっス。どうだったんスか?」
「感想?」
グレイは少し考える。
勝ったことは嬉しい。
けれど、それだけならここまで気分は良くなかっただろう。
ガルドと戦った。
レオルとも戦った。
龍という、自分とは違う長命種を少し知った。
知らなかった戦い方を見て、話して、次にまた会おうと思える相手も増えた。
グレイは大通りの先へ目を向ける。
「来てよかった」
「大会にっスか?」
「この国に。知らない奴と会えたし、龍とも戦えた。まだ見てないものも多そうだしな」
「そっスか」
ライアンはそれ以上聞かなかった。
グレイも、それ以上言う必要はないと思った。
知らない場所へ行く。
知らないものを見る。
誰かと出会う。
時には戦う。
長い時間を生きていても、知らないものがなくなるわけではない。
だから旅は、まだ飽きない。
ふと顔を上げる。
街の建物よりも遥か高く、夕日に照らされた霊峰ヴァルグランが聳えていた。
明日は、あそこへ行く。
白耀龍神アルディエル。
数千年を生きる古龍。
ガルドもレオルも、龍たちが揃って別格と呼んでいた存在。
「……強いんだろうな」
無意識に声が漏れた。
隣を歩いていたライアンが嫌なものを聞いたような顔をする。
「姫さん。その顔、ちょっと嫌な予感するんスけど」
「何で?」
「いや、明日は願いを叶えてもらいに行くんスよね?」
「そうだぞ」
「龍神様と戦いに行くわけじゃないっスよ?」
グレイの足が僅かに遅くなった。
視線だけがライアンへ向く。
「……戦えるの?」
「そこに食いつかないでほしいっス!」
少し前を歩いていたライカが振り返った。
「にーちゃん。余計なことを言いやがらないでください」
「俺のせいっスか!?」
「お姫ちゃんが今まで思いついていなかった可能性がありやがります」
「いや、姫さんならそのうち絶対思いついてたっスよ!」
「それはそうですね」
「じゃあ俺のせいじゃないっス!」
二人のやり取りを聞きながら、グレイはもう一度霊峰を見上げた。
願いは一つ。
欲しいものは、今のところない。
富もいらない。
地位もいらない。
武器なら必要になった時に自分で探せばいい。
けれど――。
数千年を生きる古龍。
龍たちから別格と呼ばれる存在。
そんな相手と戦える機会は、そう簡単にはない。
「……それ、いいかもな」
「よくないっス!」
即座にライアンから返ってきた。
「何でだよ。願い一つなんだろ?」
「そうっスけど! 普通もっと別のことに使うっスよ!」
「でも俺が欲しいものを頼むんだろ? だったら別にいいじゃん」
「龍神様に『戦ってくれ』って頼む優勝者なんて聞いたことないっス!」
「じゃあ俺が最初だな」
「そういう問題じゃないっス!」
グレイは少し笑った。
まだ決めたわけではない。
アルディエルがどんな相手なのかも知らない。
会って、話してみなければ分からない。
ただ、さっきまで何も浮かばなかった「願い」という言葉に、一つだけ形が生まれていた。
夕日に染まる霊峰を眺める。
「まあ、明日会ってから決めるよ。どんな奴かも知らないのに、今から考えても仕方ないだろ」
「……それならいいんスけどね」
「何だよ。その信用してない顔」
「今日の朝、セバスにも同じ顔されてたじゃないっスか」
「お前ら、俺のこと何だと思ってるんだ?」
答えは返ってこなかった。
代わりにライアンが視線を逸らし、ライカまで何も言わず前を向く。
「おい」
それでも二人は答えない。
「何か言えよ」
夕暮れの大通りに、ライアンの堪えきれない笑い声が漏れた。
グレイは納得できないまま二人の後を追う。
そのさらに向こう。
夕日に照らされた霊峰ヴァルグランが、明日訪れる白銀の吸血鬼を待つように静かに聳えていた。




