第5話 龍たちの祭典
予選を終えてから、セレスティアの街を歩くたびに視線を感じるようになった。
十年に一度の龍神祭。その中心となる武闘大会で、武器も持たずに予選を勝ち抜いた白銀の吸血鬼――そんな噂が、思っていた以上の速さで広がっているらしい。
「……やっぱり見られてるな」
朝の大通りを歩きながら、グレイは串に刺された焼き魚を一口齧った。
炭火で焼かれた皮は香ばしく、少し強めに振られた塩が白身によく合う。香草の匂いも悪くない。ただ、せっかくの朝食を楽しもうとしているのに、すれ違う者が振り返ったり、屋台の前にいた冒険者たちがこちらを見ながら囁いたりするのは少々落ち着かなかった。
「白銀の――」
「第四予選の……」
「本当に武器を持ってないぞ」
聞こえてくる声に、グレイは眉を寄せる。
「……面倒だな」
「だから言ったでしょう。お姫ちゃんは目立つんです」
隣を歩いていたライカには、同情する様子がまるでない。
「普通に戦っただけだぞ」
「お姫ちゃんの普通を世間の普通と一緒にしないでください。あれだけ大勢いる中で、拳だけで次々倒していけば嫌でも覚えられます」
「セバスならできる」
「基準にする人を間違えてます」
即座に返され、グレイは焼き魚をもう一口齧った。
少し前を歩いていたライアンが、楽しそうに振り返る。
「でも姫さん、まだマシっスよ。昨日なんて『白銀の拳姫』って呼んでる奴がいたっスから」
「……何それ」
「新しい二つ名じゃないっスか? 結構格好いいと思うんスけど」
「いらない」
「白銀の拳姫」
「ライアン」
低く名前を呼ばれた瞬間、ライアンが素早く距離を取った。
「大会の外なんで結界ないっスよ!」
「加減する」
「そういう問題じゃないっス!」
朝の大通りに抗議の声が響き、何事かと周囲の人間がこちらを見る。
余計に目立っている気がする。
その原因を作った本人は素知らぬ顔で逃げており、ライカは呆れたように兄を見送っていた。
セバスだけは普段と変わらない。
「グレイ様。大会が終われば、今ほど騒がれることもなくなるでしょう。それまでは諦めることをお勧めいたします」
「宿にいた方が楽かな」
「駄目です」
今度はライカがすぐに否定した。
「せっかく海まで渡って来たんでしょう? 知らない街に来て、人の目を気にして宿に籠もるなんてもったいないです」
「でも見られる」
「見られるだけです。それより――」
ライカの視線が、グレイの手元へ落ちる。
「冷めますよ」
「……それは困る」
改めて焼き魚を口へ運ぶ。
やはり美味い。
他人の視線より、今はこっちの方が大事だった。
「ライカも食べる?」
「少しだけ」
差し出した串の端を、ライカが小さく齧る。
「……本当ですね。美味しいです」
「だろ?」
「姫さん、俺も」
「自分で買え」
「なんでねーちゃんだけ!」
「にーちゃんはさっき食べてたでしょう!」
いつもの調子で騒ぎ始めた双子を横目に、グレイは残った魚を平らげた。
知らない国へ来ても、こういう朝は変わらない。
それが少しだけ嬉しかった。
◇
武闘大会は順調に進んでいた。
予選を抜けた者同士が競い、勝者が次へ進む。グレイも何人かの武人と戦ったが、今のところ空間魔法を使う機会はなかった。
槍を操る人間。
素早い双剣を使う獣人。
どちらも予選を突破しただけあって弱くはない。
それでも、セバスから学んだ《魔気闘法》と体術だけで十分に対応できた。
相手の構えを見る。
足運びから癖を探り、間合いへ入る瞬間を選ぶ。
必要なら拳を打ち、崩せるなら投げる。
無理に派手な技を使う理由はない。
観客からは、いつ空間魔法を使うのかと期待する声も聞こえていたが、グレイ自身に出し惜しみしているつもりはなかった。
必要になれば使う。
今は、その必要がないだけだ。
「今日は試合ないんスよね?」
朝食を終えたライアンが尋ねる。
「ああ。だから祭りを見る」
「昨日も見てませんでした?」
「まだ北側に行ってない」
当然のように答えたグレイへ、ライカが半眼を向ける。
「お姫ちゃん、完全に観光客ですね」
「旅人だからな」
「それを言われると何も返せませんけど……」
大会へ出場することも、この国を訪れた目的の一つにはなった。
だが、それだけではない。
知らない土地を歩く。
知らない料理を食べる。
見たことのない文化に触れる。
旅をしている以上、それを楽しまない理由はなかった。
◇
セレスティアの北側へ進むにつれ、祭りの喧騒は少しずつ遠ざかっていった。
代わりに目につくようになったのは、この国が長く龍と共に歩んできたことを示すものだった。
古びた神殿の壁には翼を広げた龍が彫られ、道端には小さな祠が置かれている。工房の軒先には龍の鱗を模した装飾品が並び、歴代の龍神祭について刻まれた石碑の前では、旅人らしい者たちが足を止めていた。
そんな街並みを抜けた先で、グレイは大きな石門を見つけた。
「ここ、何だ?」
門柱には、翼を広げた龍の彫刻。
その脇に設置された石板をセバスが読む。
「《龍憩庭》。龍が人里へ降りた際、休息するために設けられた場所だそうです。現在は一般にも開放されているようですね」
「龍がいるかもしれない?」
「可能性はあるかと」
「行こう」
返事を聞き終えるより早く歩き出したグレイに、ライアンが笑った。
「即決っスね」
「見たことないから」
「お姫ちゃん、大会に龍が参加しているかもしれないって聞いてから、ずっと気にしてましたもんね」
「うん」
隠す理由もない。
石門を抜けた先は、庭園というより小さな森に近かった。
背の高い木々が陽射しを遮り、葉の隙間から落ちた光が石畳にまだら模様を作っている。中央には澄んだ池があり、流れ込む水の音が祭りのざわめきを遠ざけていた。
人の手は入っている。
それでも、街中の庭園より遥かに自然に近い。
「……扉、大きいな」
道の途中に建つ建物を見上げ、グレイが呟く。
入口だけでも、人間が使うものとは明らかに規格が違う。
「人化せず利用する龍もいるのでしょう」
「龍ってもっと大きいんじゃないっスか?」
「個体差もあるのではないでしょうか」
セバスとライアンが話している横で、グレイは巨大な扉を眺め続けていた。
「実物見たいな」
「見つけても勝手に触らないでくださいね」
ライカが釘を刺す。
「子供じゃない」
「お姫ちゃんだから言ってるんです」
「信用ないな」
「ありますよ。だから先に言ってるんです」
どういう理屈だろう。
納得できないまま歩き出すと、ライカが小さく笑った。
庭園の奥へ進む。
木陰は涼しく、池から流れてくる風には湿った土と草の匂いが混じっている。
やがて前方に人影が見えた。
池のほとりに、一人の男が座っている。
深緑の髪に簡素な服。
武器らしいものは持っていない。
けれど、グレイには見覚えがあった。
「……受付にいた奴だ」
「ああ、姫さんがずっと見てた人っスね」
ライアンも覚えていたらしい。
大会の受付で見かけた時から、妙に気になっていた。
魔力の大きさだけではない。
人間とは何かが違う。
「声掛けてくる」
「待ってください」
すぐに歩き出そうとしたグレイの袖を、ライカが掴んだ。
「何を聞くつもりです?」
「龍かどうか」
「いきなり聞かないでください」
「じゃあ強いかどうか」
「もっと駄目です!」
「グレイ様。まずは挨拶からでよろしいかと」
セバスまで加わり、グレイは不満そうに三人を見る。
「分かってる」
「本当です?」
「……たぶん」
ライカが額を押さえた。
ともかく、話してみなければ何も分からない。
グレイが池へ向かうと、男は途中でこちらに気づいた。
金に近い琥珀色の瞳が向けられる。
「こんにちは」
「……ああ」
返ってきた声は低い。
拒絶されてはいないらしい。
「隣、座っていい?」
「好きにしろ」
「ありがとう」
少し間を空けて腰を下ろす。
ライアンたちは離れた木陰に座った。
水面を渡る風が、白銀の髪を揺らす。
しばらく互いに何も言わなかった。
妙な沈黙ではない。
池で跳ねた魚が小さな波紋を作り、それが岸へ届く前に消えていく。
先に口を開いたのは男だった。
「何か用があったんじゃないのか?」
「ああ。大会に出てるよな?」
「出ている」
「まだ残ってる?」
「残っている。お前もだろう、グレイ」
名前を呼ばれ、グレイが瞬きをする。
「知ってるのか?」
「白銀の髪は目立つ。それに、拳だけで勝ち上がっている吸血鬼となれば嫌でも耳に入る」
「……そんなに広まってる?」
「かなりな」
男の口元がわずかに動いた。
笑われたらしい。
グレイは少しだけ眉を寄せたものの、気を取り直す。
「そっちは?」
「何がだ」
「名前」
男は少し間を置いてから答えた。
「ガルドだ」
「ガルド。よろしく」
「……妙な女だな」
「たまに言われる」
「たまにではないだろう」
失礼な奴だ。
けれど、不思議と嫌な感じはしない。
グレイは池へ視線を戻しながら、しばらく考えた。
最初に挨拶。
名前も聞いた。
なら、もういいだろう。
「ガルド」
「何だ」
「龍?」
木陰から、ライカが額を押さえるのが見えた。
ガルドは答えない。
琥珀色の瞳だけが、じっとグレイを見ている。
「なぜそう思った」
「人間と少し違う気がする」
「獣人かもしれんぞ」
「耳も尻尾もない」
「隠せる種族もいる」
「悪魔?」
「可能性はある」
「エルフ」
「耳を見ろ」
「じゃあ龍」
「随分と雑な絞り込み方だな」
「でも否定しない」
一瞬の沈黙。
やがてガルドは堪えきれなくなったように肩を揺らした。
「ハハッ……なるほど。お前、面白いな」
「そう?」
「ああ。そこまで聞かれたら隠す気も失せる」
池へ小石を投げる。
跳ねた石が何度か水面を叩き、向こう岸の手前で沈んだ。
「そうだ。俺は龍だ」
その瞬間、グレイの表情が明らかに変わった。
「本当に?」
「ああ」
「どんな龍?」
「……そこまで聞くのか?」
「駄目ならいい」
「いや、構わん。翠嵐龍だ。風と森に馴染む一族だと思えばいい」
「翠嵐龍……」
初めて聞く名を、確かめるように口にする。
ガルドの深緑の髪も、その特徴によるものなのだろうか。
聞きたいことが一気に増えた。
どこに住むのか。
どんな魔法を使うのか。
人化している今と、本来の姿では何が違うのか。
けれど全部を一度に聞けば、さすがにライカに怒られそうだった。
「そんなに珍しいか?」
「実際に話すのは初めてだからな」
「この国まで来ておいて?」
「だから会いたかった」
ガルドは少し意外そうな顔をした。
その反応に、グレイの方が首を傾げる。
「何?」
「いや。龍だから崇めるでも、怖がるでもないのだなと思っただけだ」
「話してるだけだろ?」
「……そうだな」
ガルドは小さく笑った。
その後は、驚くほど普通に話が続いた。
◇
龍は霊峰だけに住むわけではないらしい。
森を好む者もいれば、海を渡る者もいる。乾いた土地に棲む一族もいれば、人のほとんど寄りつかない場所を縄張りとする者もいるという。
「空に浮かぶ島を住処にしている奴もいるぞ」
「空に島があるのか?」
「知らんのか」
「見たことない」
「なら、そのうち探してみるといい。世界は広い」
その言葉に、グレイは少し笑った。
「知ってる。だから旅してる」
「なるほどな」
ガルド自身も、一ヶ所に留まり続ける性格ではないらしい。
故郷を離れ、気の向くまま各地を巡っているという。
その話を聞いているうちに、グレイは龍に抱いていた印象が少しずつ変わっていった。
もっと近寄り難いものだと思っていた。
この国では神聖な存在として扱われているし、実際、人間とは比較にならないほど長く生きる者も多い。
けれど、目の前にいるガルドは笑う。
冗談も言う。
知らない土地を旅し、気になったものを見に行く。
少なくとも、話している限りでは思っていたほど遠い存在ではなかった。
「龍って、もっと偉そうなのかと思ってた」
「お前は俺たちを何だと思っている」
「神様みたいなもの」
「それはこの国の人間がそう見ているだけだ。俺たちからすれば、龍は龍だ」
「アルディエルも?」
初めて、ガルドの返事が少し遅れた。
木々の向こうにそびえる霊峰ヴァルグランへ視線を向ける。
「龍神様は……別だな」
「やっぱり神?」
「どう説明したものか。俺たちと同じ龍ではある。だが、同じものとして語るにはあまりにも違う」
その声には、信仰とは少し異なる敬意があった。
「会ったことある?」
「ああ」
グレイが身を乗り出す。
「どんな奴?」
「お前、龍神様を『奴』呼ばわりするのか」
「本人の前では気をつける」
「そこだけは本当に気をつけろ」
呆れながらも、ガルドは教えてくれた。
豪快で、気に入った者には寛容。
逆に興味を持たなければ、どれほど名のある者であろうと気にも留めない。
そして何より――圧倒的に強い。
「俺では相手にならん」
その一言で十分だった。
グレイの目がわずかに細くなる。
どうやら顔に出たらしい。
「……お前、今すぐ山へ登りたいとか考えていないだろうな」
「登ったら会える?」
「その前に止められる」
「誰に?」
「国中に」
「それは面倒だな」
「そこだけ冷静になるな」
ガルドが頭を抱える。
少し離れた場所では、ライアンが笑いを堪え、ライカが呆れた顔をしていた。
「そういえば、お前は優勝したら何を願うつもりだ?」
「決めてない」
「願いも決めずに大会へ出たのか?」
「強い奴が集まるって聞いたから」
「それだけか」
「うん」
ガルドは信じられないものを見るような顔をした。
「富でも武具でも、望めば普通では手に入らんものを授かれるかもしれんのだぞ」
「金は旅できるくらいあればいい。武器も今はいらない」
「欲がないな」
「欲しいものならある」
「何だ?」
「美味い飯」
「急に規模が小さくなったな」
「大事だぞ」
真顔で返すと、ガルドが吹き出した。
グレイもつられて笑う。
少し考えてから、木陰にいる三人へ視線を向けた。
「それと、家族と旅を続けられればいい」
ガルドもそちらを見る。
ライアンとライカが何か言い合っており、セバスが静かに見守っている。
「それは龍神様に頼むものではないな」
「だろ?」
「ああ。自分で守れ」
「そのつもりだ」
短い言葉だった。
けれど、それ以上はいらなかった。
◇
庭園の奥には、龍だけでなくドラゴニュートたちも集まっていた。
角や鱗、尾を持つ者たちを眺めながら歩いていると、グレイの疑問は再び増えていく。
ドラゴニュートと龍は同族なのか。
竜と龍は何が違うのか。
人化できない龍もいるのか。
ガルドは面倒そうな顔をしながらも、一つずつ答えてくれた。
龍と竜はまったく別の存在。
ドラゴニュートとも直接の同族ではない。
龍は高い知性を持ち、多くが言葉や魔法を扱う。一方で、人の姿を取れるかどうかは個体によって違うらしい。
「知らないことばかりだな」
グレイが呟く。
「それを楽しんでいるように見えるが」
「楽しいぞ」
即答だった。
「知らないから見に行く。分からないから聞く。それで一つ知ったら、また別の知らないものが出てくる」
「ずっと旅を続けるつもりか?」
「まだ分からない。でも、今はそうしたい」
ガルドは少し黙った。
やがて、納得したように頷く。
「悪くない生き方だ」
「ガルドも旅してるだろ」
「だから分かる」
それだけで、妙に話が通じた。
生きる時間も、種族も違う。
それでも、知らない世界を見たいという部分は似ているのかもしれない。
後ろを歩くライアンが、ライカへ小声で話しかける。
「姫さん、めちゃくちゃ仲良くなってないっスか?」
「お姫ちゃん、気になる相手には昔からああですよ」
「でも相手、龍っスよ?」
「だからじゃないですか?」
二人の視線がセバスへ向く。
「セバスはいいんスか?」
「何がだ」
「もう少し警戒するかと思ったっス」
「警戒はしている」
セバスの目はガルドの背中を捉えていた。
人の姿をしているとはいえ、本来どれほどの力を持っているかは分からない。
だからといって、敵意まで疑う必要はなかった。
「だが、グレイ様が楽しんでおられる。それなら今は十分だ」
ライアンとライカが前を見る。
知らない相手を前にしているとは思えないほど、グレイは自然に話していた。
「……それならいいっスね」
「ですね」
二人も笑った。
◇
昼を過ぎた頃、庭園の出口でガルドと別れることになった。
「大会に残ってるなら、当たるかもしれないな」
グレイが言うと、ガルドは腕を組んだ。
「その時は遠慮せんぞ」
「俺も」
「魔法も使え。拳だけで勝とうなどと思うな」
「必要なら使う」
「……そこは相変わらずか」
「ガルドなら必要になるかもしれない」
「それなら光栄だ」
互いに笑う。
「ではな、グレイ」
「また」
別々の道へ歩き出したところで、グレイは一度だけ振り返った。
ちょうどガルドもこちらを見ている。
目が合った。
特に言葉はない。
それでも互いに軽く手を上げ、そのまま背を向けた。
「お姫ちゃん」
「何?」
「友達ができましたね」
「……友達?」
グレイは少し考えた。
今日初めてまともに話した相手だ。
けれど、時間だけで決めるものでもない気がする。
「次に会ったら聞いてみる」
「本人にですか?」
「うん」
「普通は確認しないと思いますけど……」
「駄目?」
「いいんじゃないですか。お姫ちゃんらしくて」
「何だそれ」
ライカの笑い声を聞きながら、グレイも少しだけ口元を緩めた。
◇
大会が進むにつれ、対戦相手も明らかに手強くなっていった。
大盾と長槍を操るドラゴニュートには、正面から力比べを挑まず、槍をかわしながら盾の動きを探る。防御へ移る際の癖を見抜くと、踏み込みを途中で変え、盾を引いて体勢を崩した。そのまま足を払い、拳を首元へ止めて勝負を決める。
続く水と風を操る魔法使いには距離を取られたが、グレイは攻撃を避けながら機会を待った。
やがて風の壁が立ちはだかる。
正面からは抜けず、流れの薄い場所へ身体を滑り込ませる。一気に懐へ潜り込んだ時には、相手はもう対応できない。
寸前で止めた拳を前に、結界がグレイの勝利を告げた。
◇
「……楽しい」
宿へ戻るなりグレイが呟くと、ライアンが怪訝そうな顔をした。
「いきなりどうしたんスか?」
「勝ち上がるほど相手が強くなる」
「大会なんだから当然っスよ」
「分かってる。でも、いい大会だな」
「姫さん、完全に満喫してるじゃないっスか」
「うん」
否定する理由はなかった。
ライカが笑いながら飲み物を差し出す。
「楽しんでるのはいいですけど、今日も危ないところありましたよ」
「それについては私から」
セバスが会話へ入った。
「魔法使いとの試合。風の壁へ接近しすぎです。抜けられたから良かったものの、途中で流れを変えられていれば直撃していました」
「確かに」
「それから盾の相手ですが、癖にはもっと早く気付いておられたのでは?」
「途中で気付いた。でも確信が欲しかった」
「大会だから待てた時間です。実戦で同じ余裕があるとは限りません」
「次から気をつける」
素直に頷くグレイを見て、ライアンが苦笑する。
「もう大会なのか修行なのか分からないっスね」
「両方でいいだろ。戦えて、修行もできる」
「姫さんにとっては最高っスね」
そんな話をしていた時だった。
宿の扉が開き、祭事を取り仕切る神官が入ってくる。
「グレイ様はいらっしゃいますか?」
「俺」
手を上げると、神官は一礼して一枚の紙を差し出した。
「次戦についてのお知らせです。勝ち残った参加者が絞られましたので、次が準決勝となります」
「もうそこまで来たのか」
紙へ目を落とす。
自分の名前。
その隣に記されていた名を見た瞬間、グレイの口元が上がった。
「ガルド」
「はい。翠嵐龍ガルド様との対戦です」
「やった」
「対戦相手決まって喜ぶ人、初めて見たっス」
ライアンが呆れている。
しかし、神官から渡された紙にはもう一つ気になる記載があった。
反対側の組。
そこにも龍族の名がある。
「蒼炎龍……レオル」
「御本人から種族の公開許可が出ております。こちらも準決勝へ進まれています」
グレイの視線が紙の上を往復する。
次はガルド。
そして勝てば、決勝でも龍と戦える可能性がある。
未知だった存在が、急に身近になった。
「楽しみが増えたな」
「まずは次の試合ですよ、お姫ちゃん」
「分かってる」
そう答えながらも、グレイの目はしばらく対戦表から離れなかった。
◇
準決勝の日。
コロッセオはこれまで以上の熱気に包まれていた。
観客席から降り注ぐ歓声を受けながらグレイが競技場へ入り、反対側からガルドが姿を現す。
深緑の髪。
琥珀色の瞳。
庭園で会った時と変わらない。
ただ、向けられる空気だけが違った。
「やっぱり当たったな」
「ああ。こうなる気はしていた」
「今日は話しに来たんじゃないぞ」
「分かっている」
ガルドの周囲で風が揺らぐ。
まだ試合開始前だというのに、肌へ触れる空気が変わった。
「俺は最初から魔法も使う。お前のやり方に付き合うつもりはない」
「それでいい」
グレイの身体にも魔力が巡る。
《魔気闘法》。
筋肉を無理に強化するのではなく、動作に魔力を重ね、踏み込みや打撃へ繋げる。
セバスから盗み、教わり、自分なりに磨いてきた技術。
「その方が面白い」
「本当に戦いが好きだな」
「ガルドもだろ?」
「否定はせん」
開始を告げる鐘が鳴った。
次の瞬間、ガルドの姿が消えた。
いや、違う。
速い。
風を纏った踏み込みで、一気に間合いを奪われたのだ。
拳が来る。
グレイは腕を上げて受けた。
鈍い衝撃が骨まで響き、靴底が石床を滑る。
ガルドは止まらない。
返すように蹴りが迫り、グレイは上体を沈めてかわす。頭上を抜けた脚が風を巻き込み、白銀の髪を激しく揺らした。
距離を取る。
互いに構え直す。
「なるほど」
グレイは痺れの残る腕を軽く振った。
人の姿になっても、龍の身体能力は失われていない。
それだけではない。
ガルドは武術を知っている。
力任せに殴るのではなく、相手の重心を見ている。
ならば。
今度はこちらから行く。
踏み込みと同時に拳を放つ。
ガルドが受け、その腕の外側から肘が返ってくる。
グレイは手のひらで軌道を流し、空いた脇腹へ膝を狙った。
風が割り込む。
身体がわずかに押され、膝が浅くなる。
そのまま二人は離れた。
「いいな」
「まだ始まったばかりだ」
ガルドの周囲で風が集まる。
今度は身体を運ぶためではない。
圧縮された空気が細い刃となり、競技場の石床を掠めた。
グレイは身体を捻ってかわす。
背後で石が削れた。
続けて二本。
避ける。
三本目だけ腕で軌道を逸らし、そのまま前へ出た。
空間魔法はまだ使わない。
使わなくても届く。
そう判断している間は、この距離で戦いたかった。
ガルドも意図を察したのか、風を攻撃だけには使わなくなった。
足元へ流して加速し、拳の軌道を途中で変え、わずかな風圧で間合いをずらす。
グレイも《魔気闘法》で応じる。
拳と拳が交差する。
ガルドの一撃が頬を掠め、グレイの蹴りが脇腹へ入った。
しかし風が衝撃を逃がしている。
「効いたぞ」
「なら次はもっと入れる」
「言うな」
笑ったガルドが踏み込む。
風による加速。
これまで何度か見た動きだった。
グレイは拳を見るのではなく、足元を見る。
踏み込む位置。
風を使っても、攻撃を届かせる最後の瞬間には身体を支える場所が必要になる。
「そこ」
正面へ拳を出す。
ガルドが避けた。
狙い通り。
拳は囮だ。
グレイの踵が、次に置かれるはずだった足を払う。
「っ!」
ガルドの体勢が崩れた。
肩から懐へ入り、腰を落とす。
投げる。
だが龍も素直には落ちない。
宙へ浮いた瞬間に風を放ち、身体を回して着地した。
「……危なかった」
「惜しい」
「今ので決めるつもりだったか?」
「できれば」
「恐ろしい女だな」
言葉とは裏腹に、ガルドは楽しそうだった。
そこから先は、互いに大きな隙を見せなかった。
長い攻防をすべて追う必要などない。
打って、受ける。
誘って、外す。
崩せると思えば踏み込み、危険を感じれば退く。
ガルドは風を操り、グレイは《魔気闘法》で食らいつく。
そして勝負が動いたのは、ほんの一瞬だった。
ガルドが深く踏み込んだ。
風を纏った右拳。
これまでで最も重い。
グレイは避けなかった。
腕を交差させ、真正面から受け止める。
「――っ!」
衝撃で腕が痺れる。
身体が沈む。
だが、距離は消えた。
ガルドの腕が目の前にある。
グレイはそれを掴んだ。
「捕まえた」
「しまっ――」
腰を入れる。
ガルドの身体が浮く。
風を使われるより早く回転し、そのまま石床へ投げた。
追撃はしない。
胸元へ膝を止める。
直後、結界が白く輝いた。
『勝者――グレイ!』
歓声が爆発する。
グレイはしばらくそのまま動かなかったが、やがて大きく息を吐いた。
「……疲れた」
結界によって傷を戻されたガルドが起き上がる。
「言っておくが、次は負けん」
「俺も次はもっと上手くやる」
「そこは『また勝つ』と言うところだろう」
「同じようなものだろ?」
「違う」
ガルドが手を差し出した。
グレイも迷わず握る。
「決勝へ行け」
「ああ」
「恐らく相手はレオルになる」
ガルドは反対側の入場口へ目を向けた。
「油断するな。あいつは俺より厄介だ」
グレイの口元が上がりかける。
「……その顔をするのは、せめて俺が競技場から出てからにしろ」
「あ」
「今気付いたのか」
「ごめん」
「まったく……」
ガルドは呆れながら、それでも最後には笑った。
「勝てよ」
「うん」
◇
もう一方の準決勝を、グレイたちは観客席から見届けた。
蒼炎龍レオル。
人化した姿は若い青年に見える。
青みを帯びた黒髪と鮮やかな瞳。
武器はない。
対するのは大剣を担いだ人間の戦士。
ここまで残った以上、間違いなく強者だった。
だが、試合開始から間もなく、グレイはレオルがガルドとはまったく違う戦い方をすることに気付いた。
鐘が鳴る。
大剣の戦士が踏み込む。
レオルが片手を上げた。
青い炎が広がる。
正面を塞ぐ壁。
戦士が横へ回れば、炎も動く。
ただ追いかけているのではない。
進める場所を意図的に残している。
「……誘導してる」
グレイが呟く。
「ええ」
セバスも気付いていた。
「逃げ道を与えているように見せて、実際には相手の進路を選んでおります」
炎の威力だけなら、もっと派手に攻撃することもできるだろう。
レオルはそうしない。
相手がどこへ動くかを決めている。
やがて戦士は、大剣を盾にして炎を突破する道を選んだ。
その先に。
レオルがいる。
待っていた。
拳が放たれる。
大剣の腹へ直撃した一撃は、その向こうにいた戦士ごと持ち上げた。
結界が発動する。
『勝者――蒼炎龍レオル!』
歓声の中、グレイはゆっくり立ち上がった。
「決まったな」
「明日の決勝、お姫ちゃんとあの人ですね」
ライカの声を聞きながら、競技場を見下ろす。
レオルがこちらを向いた。
かなり距離がある。
それでも、確かに目が合った。
レオルがわずかに笑う。
挑発ではない。
敵意でもない。
明日。
互いに戦う。
それだけで十分だった。
グレイも小さく笑い返した。
◇
夜になっても、セレスティアの熱気は冷めなかった。
宿の窓を開ければ、通りから祭りの音が届いてくる。
白銀の吸血鬼。
蒼炎龍。
明日の決勝について話している声も少なくない。
グレイは窓枠へ寄りかかり、遠くに見える霊峰を眺めていた。
「グレイ様」
「ん?」
セバスが温かい飲み物を机へ置く。
「明日の決勝ですが、空間魔法はどうなさいますか」
グレイはすぐには答えなかった。
今日見たレオルの戦いを思い返す。
炎による誘導。
相手の選択を利用する戦い方。
単純な力だけではない。
「最初から使うつもりはない」
「レオル殿はガルド殿以上の実力者と聞いております」
「分かってる。だから最初は近くで見たい」
セバスは止めなかった。
「必要になれば?」
「使う」
「でしたら、私から申し上げることはありません」
グレイは頷き、カップを手に取った。
湯気が頬へ触れる。
「今日、ガルドと戦って思ったんだけど」
「はい」
「龍って面白いな」
セバスがわずかに眉を上げる。
グレイは窓の外へ視線を戻した。
「戦い方だけじゃない。話してみたら、思ってたのと全然違った」
「良い出会いだったようですね」
「うん」
短く答える。
それ以上を説明する必要はなかった。
長く生きる者。
旅をする者。
人とは違う時間の中にいながら、それでも笑い、知らないものを求めて歩いている者。
世界には、自分たちとは違う形で長い道を歩く存在がいる。
それを知れただけでも、この国へ来た意味はあった。
そして、その龍たちから特別な存在として敬われる者がいる。
白耀龍神アルディエル。
霊峰ヴァルグランに住む、この国の神。
ガルドでさえ勝負にならないと言った相手。
グレイは山頂を隠す雲を見上げた。
今はまだ遠い。
会えるかどうかも分からない。
それでも大会を勝ち抜けば、その機会は訪れる。
「まずは明日だな」
「はい」
「勝つ」
セバスは静かに頭を下げた。
「そのおつもりで」
グレイは窓を閉める。
外から届いていた祭りの喧騒が少しだけ遠くなった。
明日の相手は蒼炎龍。
その先には龍神がいる。
けれど、急ぐ必要はない。
一つずつ見ればいい。
知らないものに出会い、その度に自分の目で確かめる。
そうやって旅を続けてきた。
明日も同じだ。
ただ少しだけ――いつもより楽しみなだけだった。




