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白銀の旅路  作者: 人形遣い
白耀の龍神

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22/26

第4話 白銀の参加者


 龍神祭武闘大会、予選当日。


 朝からセレスティアの街には、昨日までとは少し違う熱が満ちていた。


 祭りの賑わいが消えたわけではない。


 通りには変わらず屋台が並び、龍を象った旗が風にはためいている。焼いた肉の匂いも、酒場から漏れる笑い声も、子供たちが駆け回る姿も昨日までと同じだった。


 ただ、その多くが一つの方向へ流れている。


 巨大なコロッセオ。


 十年に一度の武闘祭、その予選を見るために。


「……多いな」


 宿を出たグレイは、大通りを埋める人々を見て呟いた。


 昨日まで見かけなかった露店まで増えている。


 大会参加者の名を記した紙を売る者。


 誰が勝ち上がるかを大声で論じる者。


 武器や防具の最終調整を請け負う鍛冶師。


 中には、予選の組み合わせを見ながら賭けの話をしている者たちまでいた。


 その声を聞きながら、ライアンがグレイの隣を歩く。


「姫さん、結構人気みたいっスよ」


「俺が?」


「ほら」


 示された先。


 男が紙を広げていた。


 予選参加者の一覧らしい。


 その周りに何人かが集まっている。


「今年の変わり種ならこいつだろ。吸血鬼の女」


「空間属性って書いてあるぞ」


「珍しいだけじゃ勝てねぇだろ」


「武器なしだってよ」


「魔法使いなんじゃないか?」


 そんな声が聞こえてくる。


 グレイは少しだけ足を緩めた。


「……なんでそこまで載ってるんだ?」


「登録したでしょう」


 ライカが答える。


「名前、種族、武器、主属性。公開される基本情報だったんじゃないです?」


「聞いてない」


「説明を最後まで聞かなかったんじゃないっスか?」


「聞いた」


「本当に?」


「……多分」


「グレイ様」


 後ろからセバスの声。


「大会規約の末尾に記載されておりました」


「そうなのか」


「はい」


「じゃあ俺が悪いな」


 あまり気にした様子もなく歩き出す。


 ライカが横から顔を覗き込んだ。


「嫌じゃないんです?」


「何が?」


「知らない人たちに色々言われるの」


「別に」


 グレイはもう一度、参加者一覧を見た。


「どうせ戦えば分かるだろ」


「何がです?」


「強いか弱いか」


「……お姫ちゃんらしいですね」


「そう?」


「はい」


 ライカはそれ以上言わなかった。


 やがてコロッセオが近付いてくる。


 今日は入口から違った。


 観客用。


 参加者用。


 貴賓客用。


 大きく三つに分けられ、それぞれに長い列ができている。


 コロッセオの内側からは、すでに地鳴りのような歓声が聞こえていた。


 グレイが足を止める。


「もう始まってる?」


「別の予選組でしょう」


 セバスが答える。


「グレイ様の組は第四試合です」


「まだ先か」


「ええ。ですが、参加者は早めに控え室へ入るよう指示されております」


「分かってる」


 グレイは腰元の参加札へ触れた。


 数字の刻まれた小さな金属札。


 これを見せれば中へ入れる。


「じゃあ」


 ライアンが足を止めた。


「ここから別っスね」


「ああ」


「俺らは観客席行ってるっス」


「分かった」


「お姫ちゃん」


「何?」


 ライカがグレイの服を軽く整えた。


 別に乱れてはいない。


 それでも襟元を直し、肩についた小さな糸くずを取る。


「怪我しないでくださいね」


「結界あるんだろ?」


「そういう話ではありません」


「分かってる」


 グレイは少し笑った。


「気を付ける」


「ならいいです」


 最後にセバスを見る。


 セバスは何も言わない。


「何かないの?」


「ございますが」


「何?」


「昨日までに申し上げました」


「今日も言えばいいだろ」


 セバスの目が少しだけ細くなる。


「周囲をよく御覧ください」


「ああ」


「一人へ意識を向けすぎないこと」


「ああ」


「攻撃する前に逃げ道を確保すること」


「分かってる」


「そして」


 セバスが一度だけ間を置いた。


「楽しんでいらしてください」


 グレイが目を瞬いた。


 それから。


「うん」


 小さく頷く。


「行ってくる」


「行ってらっしゃいませ」


 グレイは三人に背を向け、参加者用の入口へ歩き始めた。


 そのままコロッセオへ入る直前、一度だけ足を止めて振り返る。


 ライアンは大きく手を振り、その隣ではライカも小さく片手を上げていた。セバスだけは普段と変わら ず、静かに佇んでいる。


 そんな三人へグレイも軽く手を上げて応えると、今度こそ前を向き、コロッセオの中へ足を踏み入れ  た。


     ◇


 控え室には、すでに多くの参加者が集まっていた。


 正確には、控え室というより広間に近い。


 石造りの広い空間。


 壁際には長椅子が並び、中央には武器の最終確認をするための場所まで用意されている。


 剣を研ぐ音。


 防具を締め直す音。


 魔法使いが杖を確認する声。


 誰かが深呼吸する音。


 祭りの空気は、ここにはなかった。


 皆、戦う顔をしている。


 グレイは入口近くで立ち止まった。


「……へぇ」


 面白い。


 外で見るのとは違う。


 緊張している者。


 目を閉じて集中する者。


 仲間と話している者。


 一人で壁にもたれている者。


 同じ予選組の参加者が全員敵になる。


 だからだろう。


 互いに視線を交わしても、積極的に話す者は少ない。


 グレイは空いている長椅子へ座った。


 武器も防具も持たないグレイには、試合に向けて準備するものなどなかった。


 両手を膝へ置き、身体をわずかに前へ傾ける。その姿勢のまま、開始の合図を静かに待った。


「……五十人」


 正確な人数は四十八人。


 そこから八人。


 倒す必要はない。


 残ればいい。


 だが。


「それじゃ、つまらないか」


「何がだ?」


 横から声がした。


 グレイが顔を上げる。


 大柄な男が立っていた。


 見覚えがある。


「あ」


「覚えてたか」


「受付の前にいた人」


「そうだ」


 参加登録の日。


 グレイを観戦客と勘違いした男だった。


 男も同じ組らしい。


「本当に出るんだな」


「登録したから」


「いや、そうなんだが……」


 男が苦笑する。


 今日は巨大な戦斧を背負っている。


 身体も大きい。


 近くで見ると、腕はグレイの腰ほどもありそうだった。


「武器、本当にないのか?」


「ない」


「杖も?」


「ない」


「……拳?」


「うん」


 男がグレイの手を見る。


 細い。


 少なくとも外見だけなら、大男の戦斧と打ち合えるようには見えない。


「嬢ちゃん」


「何?」


「悪いことは言わん。最初は端へ行け」


「端?」


「ああ」


 男が声を落とす。


「乱戦は中央が一番危ねぇ。最初の一分で何人も落ちる。生き残りたいなら外周へ行って、数が減るまで待て」


「なるほど」


「特にお前みたいな軽装は狙われる」


「どうして?」


「落としやすそうだからだ」


「……俺、落としやすそう?」


「見た目はな」


「そうか」


  グレイは改めて自分の姿を見下ろした。


 確かに、身にまとっているのは普段の旅装だけ。


 武器もなければ鎧もなく、身体つきも周囲の男たちと比べれば遥かに小さい。


 これでは侮られるのも無理はなかった。


「ありがとう」


「おう」


「でも中央行く」


「なんでだよ!」


 男の声が広間へ響いた。


 何人かがこちらを見る。


「うるさい」


「お前が変なこと言うからだろ!」


「中央の方が人多いんだろ?」


「そうだよ!」


「なら、その方がいい」


「何がいいんだよ……」


 男は頭を抱えた。


「まあいい。俺も敵だ。止める義理はねぇ」


「うん」


「当たったら容赦しねぇぞ」


「俺も」


 グレイが笑う。


 男は一瞬黙った。


 それから。


「……本当に変な嬢ちゃんだな」


 男は苦笑を浮かべ、そのまま離れていった。


 遠ざかる背中を見送りながら、グレイは自分の手をゆっくりと開き、握る。もう一度開いてから呼吸を 整え、《魔気闘法》に必要な気と魔力の流れを確かめた。


 まだ発動はしない。


 二つの力が身体の内側を巡り、肩から肘、手首へ。腰を通り、膝から足首へ流れていく。


 問題はない。


 昨日はセバスの言いつけに従って十分に休んだ。そのおかげか、身体はいつも以上に軽かった。


「第四予選参加者!」


 係員の声が響いた。


 空気が変わる。


「入場準備!」


 グレイが立ち上がると、周囲の参加者たちも一斉に動き始めた。


 剣を鞘へ収め、兜を被り、杖や盾を手に取る。それぞれが最後の支度を整えるなか、グレイだけは何も 持たずに通路の先へ目を向けた。


 そこには、闘技場へ続く巨大な扉がある。


 閉ざされた扉の向こうからは、すでに観客たちの歓声が響いていた。


     ◇


「姫さん、どこっスかね?」


「まだ出ていません」


「分かってるっスけど」


「落ち着きやがってください」


「ねーちゃんだってさっきから入口ばっかり見てるじゃないっスか」


「見てません」


「見てるっス」


「ライアン」


「はいっス」


「静かに」


 セバスの一言。


 ライアンは素直に口を閉じた。


 三人が座っているのは、競技場をほぼ正面から見下ろせる位置だった。


 白い砂。


 その周囲を囲む石壁。


 観客席はほぼ満員。


 先ほど第三予選が終わったばかりだ。


 敗退した者たちが退場し、係員が競技場を確認している。


「しかし、すごい結界っスね」


 ライアンが呟く。


 先ほど。


 胸を槍で貫かれた参加者がいた。


 その瞬間、身体が白い光に包まれ。


 次に現れた時には傷一つなく、競技場の外へ転送されていた。


「確かに」


 セバスも競技場を見る。


「治癒とは違う」


「分かるんスか?」


「傷を治したのではない。負傷する以前の状態へ戻しているように見える」


「時間魔法?」


「それだけではないでしょう」


 セバスが僅かに目を細める。


「私にも分からん」


「龍神ってすごいんスねぇ」


「ええ」


 ライカは黙って競技場を見ていた。


 結界がある。


 分かっている。


 それでも。


 戦うのはグレイだ。


「大丈夫ですよ」


 セバスが言う。


 ライカが振り返る。


「何がです?」


「グレイ様です」


「……別に心配してません」


「そうですか」


「はい」


「ならばよろしい」


 セバスはそれ以上言わなかった。


 ライカが少しだけ頬を膨らませる。


「なんです、その反応」


「何も」


「絶対分かってるでしょう」


「長いこと使えているので」


「便利ですね、それ」


  ライアンが笑いかけたものの、隣にいたライカに睨まれ、慌てて前を向いた。


 その直後、低く重い鐘の音がコロッセオ全体へ響き渡る。


 試合開始を告げる音に、観客席が一斉に沸いた。


『これより――第四予選を開始する!』


 拡声魔法で増幅された声が響く。


『参加者、入場!』


 巨大な扉が開いた。


     ◇


 暗い通路を抜けた瞬間、眩い陽光が視界いっぱいに 差し込み、グレイはわずかに目を細めた。


 白い砂に覆われた闘技場。


 そして――。


「……うるさいな」


 歓声。


 想像していたより遥かに大きい。


 身体に響くほどの音だった。


 数万人。


 これほどの人数に囲まれて戦うのは、初めてだった。


 グレイは歩く。


 前後から他の参加者も入場してくる。


 名前が一人ずつ呼ばれている。


 歓声。


 拍手。


 有名な者が呼ばれると、特に大きな声が上がる。


『――そして、参加番号二百四十七! 武器なし! 空間属性! 吸血鬼――グレイ!』


 少し。


 ざわめきが変わった。


「……俺?」


 昨日の参加者一覧で話題になっていたらしい。


 歓声というより。


 好奇心。


 珍しいものを見る目。


 それが多い。


「まあ、いいか」


 グレイは大男から「端へ行け」と忠告されていたにもかかわらず、そのまま闘技場の中央へ向かい、足 を止めた。


 離れた場所から様子を見ていた大男と目が合う。


 次の瞬間、彼は呆れたように額へ手を当てた。


「何?」


 声は届かない。


 だが。


 口の動きだけで何となく分かった。


 ――馬鹿。


「失礼だな」


 大男の反応に、グレイは小さく笑った。


 やがて四十八人の参加者が、円形の競技場に配置さ

 れていく。


 自由に立つ場所を選べるわけではなく、開始時の距 離が均等になるよう、床に刻まれた印の上へ立たされるらしい。


 グレイの右には槍使い、左には剣士。


 後方には杖を構えた魔法使いがおり、少し離れた場所では大盾を持つ男が周囲を警戒していた正面に立 つのは、二本の剣を携えた獣人だ。


 誰から狙うのか。どこへ逃げ、誰と距離を取るのか。


 参加者たちの視線が忙しなく交差するなか、グレイも一人、二人と順に観察していく。


 呼吸、足運び、肩の力み。手にした武器と、身体から感じられる魔力。


 始まる前に得られる情報を、静かに拾い集めていった。


「なるほど」


 面白い。


 セバスの言った通り、一対一の勝負とはまるで違う。目の前の相手だけに意識を向ければいいわけで はなく、むしろ周囲から注意を外した瞬間に負ける。


 グレイは静かに息を吐き、体内の魔力を動かした。

 全身を巡る気へゆっくりと重ね、《魔気闘法》を発動する。


 力を派手に噴き上げる必要はない。


 魔力と気を筋肉や骨へ行き渡らせ、感覚と反応を研ぎ澄ませる。


 グレイは確かめるように、拳を握った。


「……よし」


 準備はできた。


     ◇


  貴賓席では、第三王子が昨日よりも前の席に座っていた。


 理由を問われれば、大会をよく見るためだと答えるだろう。それも嘘ではない。


 ただ――その視線は、闘技場の中央に立つ白銀の女へ向けられていた。


『吸血鬼――グレイ!』


 その名が呼ばれた瞬間、青年の視線は迷うことなく一人の参加者を捉えた。


 昨日と変わらぬ白銀の髪に、飾り気のない旅装。見たところ、武器らしいものは何一つ持っていない。


「……本当に出るのか」


 小さく呟く。


 隣にいた側近が答える。


「登録上は空間魔法の使い手とのことです」


「空間魔法」


「はい。極めて希少な属性かと」


「武器は?」


「登録なしとなっております」


「杖もない」


「無詠唱で扱うのかもしれません」


 第三王子は、競技場の中央に立つグレイを見つめた。


 周囲にいるのは、彼女よりも遥かに大柄な者ばかり。鎧をまとい、それぞれが武器や盾を構え、すで に魔法の準備を始めている者までいる。


 それでも、グレイに緊張した様子はなかった。


 むしろ――


「……笑っている?」


 ほんの少し。


 口元が上がっている。


 第三王子は知らない。


 その理由を。


 恐怖がないからでも。


 自分の力を誇示したいからでもない。


 ただ。


 グレイがこの瞬間を楽しみにしていたことを。


     ◇


『参加者、構え!』


 空気が張り詰めるなか、グレイはわずかに腰を落とした。


拳は顔の前まで上げず、余計な力を抜いたまま自然に構える。


 構えた時点で、次の動きを決めるな。


 セバスから何度も言われた言葉を思い出し、周囲へ視線を巡らせた。


 相手を見て、動いてから選ぶ。



『――始め!』


 鐘が鳴り響いた。


 次の瞬間、四十八人の参加者が一斉に動き出す。


 そのなかで、グレイだけは動かなかった。


「……やっぱり」


 真っ先に仕掛けてきたのは、正面にいた二刀の獣人だった。


 砂を蹴り上げ、一気に間合いを詰めてくる。


左右から続けざまに迫る刃を、グレイは半歩だけ下がって一刀目を外し、二刀目に合わせて身体を沈めた。


 刃が白銀の髪をかすめるように頭上を通り過ぎる。


 大きく振り抜いたことで、獣人の脇が開いた。


 グレイはその隙へ踏み込み、腹部へ拳を叩き込んだ。



「ぐっ――!」


 獣人が短い声を漏らし、その身体が宙へ浮いた。


 だが、グレイは追撃しない。


 左から迫る気配を捉え、振り返ることなく身体を前へ倒す。首を狙った剣が白銀の髪を掠めて通り過ぎた。


 そのまま軸足を回し、背後の男へ踵を振り抜く。


 振り抜いた踵が、男の側頭部をまともに捉えた。


 意識を刈り取られた男の身体が砂の上へ倒れかけたところで、結界が白く輝く。


 一人目だった。



「……こういう感じか」


 確認した直後。


 足元に魔法陣。


「っ」


 グレイが地面を蹴って跳び上がると、直後に石の槍が突き出し、それまで立っていた場所を貫いた。


 空中へ逃れたグレイを、今度は三本の矢が狙う。身体を捻って一本目と二本目をかわし、最後の一本は手の甲で外側へ払い落とした。


 そのまま砂地へ着地する。


 だが、足が地面に触れた瞬間、視界を覆うように大盾が迫ってきた。


「おおおおっ!」


 大盾を構えた男が、そのまま突進してくる。


 グレイは正面から受けず、斜め前へ踏み込んだ。


 すれ違いざまに盾の側面へ手を添え、その勢いを外へ流す。



「な――」


 勢いを殺しきれない男が、そのまま前へつんのめる。


 グレイは足を掛けて体勢を崩し、無防備になった背中へ掌底を打ち込んだ。


 男は顔から砂地へ突っ込んだが、結界は反応しない。


 まだ戦える。



「硬いな」


 追撃しようとしたグレイは、右から近づく魔力に気づいて足を止めた。


 飛来した火球を横へ跳んでかわす。直後、火球は倒れた男のすぐそばへ着弾し、砂を巻き上げた。


「おい!」


 盾の男が怒鳴る。


「悪い!」


 離れた場所から魔法使いが叫び返した。


 敵も味方もない乱戦なら、こういうことも起こるらしい。グレイは面白そうに少しだけ笑った。



「面白い」


     ◇


「……お姫ちゃん」


 ライカが額へ手を当てる。


「楽しそうっスねぇ」


「楽しそうですね」


 セバスもまた、その動きを認めていた。


 グレイは開始から一度も中央を離れていない。


 本来なら最も危険な場所であり、実際、その周囲では参加者の数が急速に減っていた。


 剣や槍が交わり、その合間を魔法と矢が飛び交う。


 だが、その中心にいるグレイの白銀の髪だけは捕まらない。迫る攻撃のわずかな隙間を縫い、するり、するりと抜け続けていた。



「セバス」


 ライアンが聞く。


「どうっスか?」


「何がだ」


「姫さん」


 セバスは答えず、グレイへ視線を向けたまま沈黙していた。


 ライアンもそれ以上は尋ねず、同じように競技場へ目を戻す。


 それから、しばらくして――。


「……悪くない」


 やがて、セバスがぽつりと言葉を漏らした。


 それを聞いたライアンは、嬉しそうに笑った。


「それ、かなり褒めてるっスよね?」


 ライアンが笑いながら尋ねると、セバスは競技場を見つめたまま短く答えた。


「まだだ。あれしきで満足されては困る」


「十分すごいと思うんスけどねぇ。相変わらず厳しいっス」


「当然だ。誰が鍛えたと思っている」


 そう言いながらも、セバスの口元はほんのわずかに上がっていた。



     ◇


 十人。


 グレイは、自分が直接倒した人数をそこまで数えていた。正確には十一人だったかもしれないが、攻撃が入り乱れるうちに分からなくなった。


 競技場全体を見渡せば、すでに半数近くの参加者が姿を消している。


「速いな」


 想像していた以上に、乱戦は厄介だった。


 一対一なら正面から受け止められる攻撃でも、別方向から魔法が飛んでくれば、そうはいかない。身をひねって避けた先には別の剣が待ち構え、こちらが攻撃へ意識を向けた瞬間には、背後から新たな気配が迫ってくる。


 敵の一人ひとりが脅威なのではない。


 複数の攻撃が絶え間なく重なり、わずかな判断の遅れさえ許されないことこそが、乱戦の恐ろしさだった。


 グレイもまた、何度か紙一重で攻撃をかわしていた。


「セバスの言った通りだ」


 一人の相手へ意識を向けすぎず、常に周囲を捉え続ける。


 気配や魔力の揺らぎ、耳に届く音。足裏から伝わる砂の感触まで、使えるものはすべて使った。


「おい!」


 不意に声が飛んできた。


 グレイが振り返ると、そこにいたのは受付で出会った大男だった。


「嬢ちゃん!」


「なんだ?」


「後ろ!」


 グレイは振り返らず、その場で身体を沈めた。


 直後、頭上を槍が通り過ぎる。グレイはすれ違った柄を掴み、そのまま強く引き寄せた。


「うわっ!」


 槍を引かれた男が、勢いのまま前へ崩れる。


 そこへグレイの膝が胸を捉えた。


 男の身体を結界の白い光が包み、そのまま競技場から消えていった。


「ありがとう。助かった」


「礼を言ってる場合か! 余所見すんな!」


 大男の怒鳴り声に、グレイは槍使いが消えた跡を見ながら答える。


「してない。ちゃんと分かってた」


「こっち見ながら言ってただろうが! それを余所見って言うんだ!」


 大男は叫ぶと同時に戦斧を振るった。


 ただし、狙ったのはグレイではない。横から斬りかかってきた剣士の一撃を戦斧で受け止め、力任せに弾き返す。


 重い金属音が響き、剣士の身体が大きく吹き飛んだ。


「おじさんも、やっぱり強いな」


「誰がおじさんだ! まだそんな歳じゃねぇ!」


「名前を知らなかったから」


「バルガスだ! 今度からそう呼べ!」


「分かった。バルガス」


 素直に名前を呼び直し、グレイは楽しそうに笑った。


「じゃあバルガス」


「おう!」


「後ろ」


「は?」


 巨大な氷塊。


「うおおおおっ!?」


 バルガスが横へ飛ぶ。


 氷が砂へ突き刺さる。


「余所見すんな」


「お前なぁ!」


 怒鳴りながらも、バルガスの顔には笑みが浮かんでいた。グレイもつられるように笑い返す。


 だが、次の瞬間には二人同時に別方向へ跳んだ。


 直後、先ほどまで立っていた場所を紫電が駆け抜ける。



「……強いのいるな」


 グレイが視線を向けた先には、杖を構えた女がいた。その周囲には三人の参加者がおり、互いを守るように陣取っている。


 どうやら一時的に手を組んでいるらしい。


「なるほど」


 乱戦だからこそ、序盤だけ手を組む者もいるらしい。三人で魔法使いを守り、その間に遠距離からほかの参加者を狙わせる。


 いつ裏切るかは別として、合理的な戦い方だった。



「先にあそこか」


 グレイが一歩踏み出す。


 その瞬間。


 別の参加者が前へ入った。


「行かせるか!」


 長剣が振り下ろされる。


 グレイは半身になって刃をかわし、空いた懐へ拳を打ち込もうとした。


 だが、すぐに止める。


 剣を避けられることを読んでいたのか、男の足はすでに次の攻撃へ動いていた。


「っ」


 直後、男の蹴りがグレイを襲った。


 腕を上げて受け止めるが、見た目以上に重い。


 衝撃を殺しきれず、グレイの足が砂の上をわずかに滑った。


「へぇ」


 男は間を置かずに追撃してきた。


 長剣を振るい、避けた先へ蹴りを放ち、さらに拳を重ねる。


 剣士でありながら、使うのは剣だけではなかった。


「いいな」


「余裕ぶるな!」


 男が鋭い突きを放つ。グレイは半身になり、剣の腹へ手を添えて外へ流した。


 だが、男は長剣に固執しなかった。自ら柄を放し、空いた両腕でグレイの腰へ組み付く。


「え?」


「取った!」


 腰へ力が加わり、グレイの身体が宙へ浮いた。


「――まだ」


 空中で身体を捻り、足から砂地へ着地する。男の手は、まだ離れていない。


 グレイはその手首を掴み返した。


「なっ――」


 強く引き、懐へ肩を入れる。今度は男の身体が宙を舞った。


 背中から砂地へ叩きつけられた直後、結界が白く輝く。男の姿は、その光に包まれて競技場から消えた。


「……危なかった」


 グレイは掴んでいた手を開き、軽く指を動かした。あのまま投げられていれば敗北と判断されたかは分からない。だが、今はそれを考えている暇はなかった。


「まだいる」


 周囲へ視線を巡らせる。


 残っている参加者は、二十人ほどだった。



     ◇


「……強い」


 気づけば、第三王子は身を乗り出して競技場を見つめていた。隣に控える側近も、それを咎めることなく試合へ目を向けている。


 最初は、彼女の空間魔法を見るつもりだった。


 希少な属性をどのように扱い、どんな術を使うのか。それを確かめたかっただけだ。


 だが――。


「魔法を……使っていない」


「そのようです」


「一度もか?」


「確認できる限りでは、一度も」


 使っているのは、拳と蹴り、投げや受け流しだけ。


 しかし、単に身体能力が高いわけではない。その動きには無駄がなく、正面から力で押し切ることもほとんどなかった。


 相手の勢いを利用し、武器の軌道を逸らし、足元を崩す。必要な時にだけ踏み込み、最小限の動きで相手を倒していく。


 そして何より――。


「……笑っている」


 まただ。


 グレイは戦いの最中だというのに笑っている。


 相手を見下すような嘲笑ではない。ただ拳を交え、次々と変わる状況に身を置くことを、心から楽しんでいるような笑みだった。


 第三王子は、いつしか彼女から目を離せなくなっていた。


     ◇


「十二」


 グレイが一人を倒し、続けて迫ってきた相手も競技場から落とす。


「十三。次で……十四?」


 そこで小さく首を傾げた。


「いや、今のが十二だったか」


「ずいぶん余裕だな!」


 横から斧が振り抜かれる。


「数えてただけだ」


 グレイは半歩退いて刃をかわし、開いた脇腹へ拳を打ち込んだ。身体を折った男の顎へ、続けて膝を突き上げる。


 結界が白く輝き、男の姿が消えた。


「これで十四」


 今度こそ間違いない。


 そう思った直後、周囲の空気が変わった。


「……ん?」


 グレイが顔を上げる。


 残る参加者は十五人。あと七人が脱落し、八人になれば予選は終了する。


 その十五人のうち、何人かがグレイへ視線を向けていた。


 一人、二人――五人。


 いや、それだけではない。


「まずはあいつを落とすぞ!」


 誰かの叫びを合図に、参加者たちの意識が一斉にグレイへ向けられた。


「白いのを落とせ!」


「残したら面倒だ!」


「囲め!」


「……俺?」


 だが、狙われるのも当然だった。


 開始から中央に居続け、ほとんど傷を負うことなく十人以上を倒している。しかも、まだ一度も魔法を使っていない。


 残る八人を争うなら、余力のある今のうちに落としておきたい相手だろう。


 グレイは素早く周囲を見渡した。


 七人――いや、八人。


 全員が手を組んでいるわけではない。それでも今だけは、狙いが一致していた。



「なるほど」


 グレイの口元が上がる。


「そうなるか」


     ◇


「来たっスね」


 ライアンが身を乗り出す。


「お姫ちゃん……」


 ライカの表情が少し硬くなる。


 セバスは動かない。


「セバス」


「見ていろ」


「でも」


「グレイ様も分かっている」


 競技場の中央で、八人の参加者が互いに距離を保ちながらグレイを取り囲む。


 近接武器を構える者。その後ろから狙う弓使い。そして、すでに魔力を練り始めている魔法使い。


 逃げ道を塞ぐように、包囲が狭まっていった。


「どうするんスかね」


「さあな」


「セバスでも分からないんスか?」


「今のグレイ様が何を選ぶかまでは分からん」


 それは。


 少しだけ嬉しそうな声だった。


     ◇


「魔法は使わないのか?」


 包囲する一人が問いかけたが、グレイは答えなかった。


 まだ使うつもりはない。


 空間を折り、距離を消す。攻撃を逸らし、包囲の外へ転移する。空間魔法を使えば、この状況を抜けるのは難しくない。


 だが、今日はそれを試すために参加したのではなかった。


「……やってみるか」


 グレイは腰を落とし、《魔気闘法》をさらに深めた。体内を巡る魔力と気が重なり、視界がわずかに澄み渡る。周囲の音も、先ほどまでより鮮明に聞こえた。


 右には弓。左では魔力が膨らみ、正面では槍が狙いを定めている。


「行け!」


 声と同時に、矢と火球、槍の穂先が三方から迫った。


 グレイは後ろへ退かず、正面へ踏み込む。


「なっ!?」


 槍の突きを外へ流し、柄へ手を添えたまま身体を滑らせる。一息で槍使いの背後へ回り込んだ、その直後。


 矢と火球がグレイを追って迫ってきた。


「悪い」


「え――」


 グレイは槍使いの背中を押し、矢の軌道へ割り込ませた。


 矢が男の胸を貫く。致命傷と判断した結界が白く輝き、槍使いの姿が消えた。


 続く火球から逃れるように、グレイはさらに前へ踏み込む。背後で爆発が起こり、熱風が背中を撫でた。


 一人。


 次に迫ったのは剣士だった。


 低い斬撃に跳ばず、片足を引いてかわす。刃が旅装を掠めた直後、グレイは懐へ踏み込み、胸へ肘を打ち込んだ。


 男の身体が後ろへ飛ぶ。


 だが、結界は反応しない。


 追撃せず、横から迫る戦斧へ意識を切り替える。まともには受けられない一撃を、身体を回して紙一重でかわした。


 鼻先を刃が通り過ぎる。


 グレイは戦斧の柄を掴んで引き、前へ崩れた男の顎へ膝を突き上げた。


 結界が白く輝き、二人目が消えた。


「囲め!」


 相手の動きが遅い。


 グレイは包囲を立て直す隙を与えず、すぐに次の相手へ向かった。


 中央で足を止めれば、再び全方向から狙われる。それなら動き続ければいい。


 常に誰か一人を盾にして魔法使いの視界から外れ、位置を変えながら弓の射線も切っていく。


「ちょこまかと!」


 振り下ろされた大剣を半歩でかわし、手首へ拳を打ち込む。武器を落とした男の胸へ掌底を重ねると、その身体が背後の参加者へぶつかった。


「邪魔だ!」


「お前が――」


 グレイは言い争う二人の間を抜け、一人の腹へ拳を、もう一人の側頭部へ蹴りを叩き込む。


 結界が輝き、三人目が消えた。


「……いいな」


 呼吸は乱れていないが、無傷ではない。背中や手足には、攻撃が掠めた小さな傷が増えていた。


「姫さん!」


 遠くからライアンの声が聞こえ、グレイは笑った。


「見てるよな」


 セバスが見ているのなら、もっと綺麗に動きたい。


 右からの剣を受け流し、左から迫る槍をかわす。そのまま剣士の腕を取り、槍の軌道へ押し込んだ。


「くっ!」


 結界が反応し、四人目が消える。


 直後、地面を走る雷を跳んでかわしたグレイへ、弓使いが三本の矢を放った。


「もらった!」


 一本目が肩を掠め、二本目は身体を捻って避ける。最後の一本を空中で掴むと、弓使いの表情が固まった。


「……は?」


 着地と同時に矢を捨て、一気に距離を詰める。次の矢がつがえられるより早く腹へ拳を打ち込み、折れた身体を掌底で地面へ叩きつけた。


 結界が白く輝く。


 五人目。


 残る参加者は十人。グレイを囲んだ者も、すでに半数以下になっていた。


「……まだ来る?」


 返事はない。参加者たちが息を呑んだ、その時。


 終了を告げる鐘が鳴った。


『そこまで!』


『規定人数に到達! 第四予選――終了!』


「え?」


 グレイが周囲を見渡すと、残っているのは八人。戦っている間に、別の場所でも二人が脱落していたらしい。


「……もう終わり?」


 どこか物足りなさを覚えながら拳を開き、《魔気闘法》を解く。全身を巡っていた力が、ゆっくりと静まっていった。


 直後、これまで以上の歓声が押し寄せる。


「……うるさ」


 思わず耳を押さえて観客席を見ると、多くの者が立ち上がり、名前を叫んでいた。


「グレイ!」


「白銀!」


「なんだあの女!」


「魔法使ってねぇぞ!」


「吸血鬼ってあんな動きするのか!?」


 声が重なる。


「……目立った?」


 今更。


 グレイは少しだけ困った顔をした。


     ◇


「目立ったなんてもんじゃないっスよ!」


 観客席でライアンが笑っていた。


「お姫ちゃん……」


 ライカは額へ手を当てている。


「予選くらい静かに勝ち上がればいいのに」


「姫さんにそれ無理っスよ」


「分かってます」


 セバスだけは歓声に加わらず、競技場のグレイを見つめていた。


 拳の運び、足取り、重心、視線。そのどれも、九十五年前に教え始めた頃とは違う。


 もはや、セバスの型を真似ているだけではない。真祖としての身体能力に、空間魔法で培った距離感、長い旅で得た経験。それらが混ざり合い、グレイだけの武へと形を変え始めていた。


「セバス?」


 ライカが呼ぶ。


「どうでした?」


「……まだ粗い」


「そこからなんですね」


「当然だ」


 セバスは答える。


「魔力へ意識を割かずに済む状況だからこそ、もう一歩早く判断できる場面があった。三度ほど不要な受けもある。空中で矢を掴んだのも悪手だ」


「めちゃくちゃ見てるっスね」


「見るよう頼まれたのでな」


「でも」


 ライアンが笑う。


「嬉しそうっスよ」


 セバスが黙る。


「そう見えるか」


「見えるっス」


 少し。


 セバスは競技場のグレイを見た。


「……そうか」


 否定しなかった。


     ◇


 貴賓席では、第三王子が席を立っていた。


 競技場のグレイを見つめたまま、自分がいつ立ち上がったのかさえ分かっていなかった。


「殿下」


「殿下」


 側近に呼ばれても、第三王子は返事をしなかった。ただ競技場に立つ白銀の女――グレイだけを見つめている。


 昨日は、美しいと思った。それだけだった。


 珍しい女だから少し調べてみたい。その程度の興味にすぎなかったはずだ。


 だが、今は違う。


 四十人を超える参加者のなかで、彼女だけがまるで別の場所にいるように見えた。大勢に囲まれても焦ることなく、魔法すら使わず、拳だけで次々と相手を倒していく。


 そして最後には、沸き立つ歓声など気にも留めず、どこか物足りなそうに自分の手を見つめていた。

「……あの女は、何者だ」


 第三王子の口から、独り言のような声が漏れた。


「登録情報以上のことは、まだ判明しておりません」


「種族は吸血鬼だったな」


「はい。本人がそう申告しております」


「それに、空間魔法を使うと聞いた」


「登録上は、そのようになっております」


「だが、今の予選では一度も使わなかった」


「少なくとも、我々が確認できた範囲では」


 第三王子はしばらく黙り込み、退場口へ向かうグレイを目で追った。


「……面白い。空間魔法を隠しているのか、それとも、使うまでもなかったのか」


「さらにお調べいたしますか?」


「ああ。だが、余計な手出しはするな。まずは次の試合を見たい」


「承知いたしました」


 美しく、そして強い。


 これまで彼の周囲にいた女たちとは、何もかもが違っていた。


 王族や貴族の令嬢は、彼が第三王子だと知った途端に態度を変える。だが、あの女はそもそも彼の存在すら知らない。


 胸に芽生えたものは、まだ小さな興味と好奇心にすぎない。


 それでも昨日より確実に、第三王子はあの白銀から目を離せなくなっていた。



     ◇


「お疲れっス、姫さん! いやぁ、派手にやったっスね!」


 控え区画を出た瞬間、待ち構えていたライアンの声が飛んできた。


「うるさい。もう少し静かにできないのか」


「さっきの歓声よりは小さいっスよ?」


「お前は近くで叫ぶから、余計にうるさい」


「勝って帰ってきた姫さんを迎えただけなのに、理不尽っスね!」


 不満そうなライアンを横目に、グレイは三人のもとへ戻る。


 するとライカがすぐに近寄り、頭から足元まで確かめるように目を走らせた。


「おかえり、お姫ちゃん。怪我はしてない?」


「これくらいだ」


 グレイが肩を見せる。矢が掠めた場所は服がわずかに裂け、その下の皮膚にも浅い傷が残っていた。


「結界、勝ち残った奴は治してくれないみたいだな」


「当たり前です」


 傷を確かめたライカは、安心したような、呆れたような溜息をついた。


「だから、気をつけてって言ったでしょう。お姫ちゃんは夢中になると、すぐ無茶をするんだから」


「これくらいなら、すぐに治る」


「治るかどうかの問題じゃありません。怪我をしないで戻ってきてほしいって言ってるの」


「……はい」


 素直に答えるグレイのもとへ、今度はセバスが歩み寄った。


「グレイ様」


「うん」


「まずは、予選通過おめでとうございます。お疲れ様でした」


「ありがとう。それで、どうだった?」


 そう問い返した瞬間、グレイの表情がわずかに変わった。


 観客から向けられた歓声よりも、予選を勝ち上がったことよりも、セバスが自分の戦いをどう見たのか。その評価の方が気になるらしい。


「まず、初動は悪くありませんでした」


「うん」


「乱戦の中でも周囲は見えていた。重心も以前より安定しております」


「うん。それで?」


「ただし――」


「やっぱりある?」


「当然です」


 グレイはすぐに姿勢を正し、セバスの言葉を待った。


「空中で、あえて矢を掴む必要はございませんでした」


「あれは避け切れなかった」


「掴まずとも、腕で軌道を逸らせばよろしい。失敗した際の危険が違います」


「なるほど。次はそうする」


「それから、七人に囲まれた場面です。三人目を落とした直後の踏み込みが、半歩ほど深すぎました」


「……剣士と槍使いのところか」


「はい。相手の反応がもう半歩早ければ、背後から斬られております」


「確かに。あそこは前に出すぎた」


「さらに申し上げれば――」


「ちょっと待つっス、セバス」


 まだ続けようとするセバスを、ライアンが慌てて止めた。


「何だ」


「もしかして、それをここで全部やるつもりっスか?」


「そのつもりだ。忘れぬうちに伝えた方がよい」


「姫さんも最後まで聞く気なんスか?」


「聞く。今のうちに直したい」


「……本当に似た者師弟っスねぇ」


「師弟?」


 グレイとセバスの声が、ぴたりと重なった。


 ライアンは呆れたように二人を見比べる。


「そこだけ息を合わせるの、やめてもらっていいっスか?」


「にーちゃん」


 ライカが慰めるように、その肩を軽く叩いた。


「もう諦めましょう。この二人に何を言っても無駄よ」


「ねーちゃんまでそんなこと言うんスか!?」


 二人のやり取りを見て、グレイは楽しそうに笑った。


「続きは宿で聞く」


「承知しました。では、戻ってから改めて」


「その前に」


 ライカが裂けた服と、その下にある傷を指さした。


「肩の手当てをして、服も直します」


「これくらいなら別にいい」


「駄目です。そのまま歩かないでください」


「なんで?」


「お姫ちゃん」


「……はい」


「返事だけは素直ですね」


「ライカが怒ってるから」


「分かっているならよろしい」


 グレイはライカに連れられ、その後ろをライアンとセバスがついていく。


 四人で通りへ出た途端、周囲の視線が一斉に集まった。


「あっ、あの女だ」


「第四予選の……」


「白銀の参加者だ!」


 聞こえてくる声に、グレイは思わず足を止める。


「……何?」


「姫さん、完全に有名人っスね」


 ライアンが面白そうに笑う。


「嫌だな。明日には忘れるだろ」


 そう言うと、三人はそろって黙り込んだ。


「……何?」


「たぶん、忘れられないと思います」


 ライカが困ったように答えた。


「なんで?」


「拳だけで十人以上を倒したからです」


「ほかにも強い奴はいた」


「でも、お姫ちゃんは特に目立っていましたから」


「髪が?」


「それもあります」


「吸血鬼だから?」


「それもですね」


「武器を持ってなかったから?」


「それもです」


「……全部?」


「はい。全部です」


 即答され、グレイは心底嫌そうに顔をしかめた。


「次からは、もう少し目立たないようにする」


「それは無理っスね」


 ライアンが間を置かずに言い切った。


「なぜだ?」


「姫さんだからっス」


「それでは何の説明にもなっていない」


「俺の中では十分な説明っスよ。姫さん、普通にしてても目立つんで」


「納得できない」


 楽しそうに笑うライアンを、グレイは不満げに見つめた。


 それでも、しばらく歩くうちに、まあいいかと思い直す。知らない人間にどう見られるかよりも、今日の戦いで何が足りなかったのかを知る方が重要だった。


「セバス」


「はい」


「宿に戻ったら、さっきの続きが聞きたい」


「承知しました。細かな点も含めてお伝えいたします」


「あと、足運びも見てほしい。何度か踏み込みが深くなった」


「もちろんです。その辺りも確認いたしましょう」


 二人の会話を聞いていたライアンが、呆れたように眉を下げた。


「姫さん、今日まだやるつもりなんスか?」


「軽く確認するだけだ」


「大会が終わったばかりっスよ? 少しくらい休んでも罰は当たらないと思うんスけど」


「身体が覚えているうちに直した方がいい」


「……ねーちゃん。この二人、止めた方がよくないっスか?」


「放っておきましょう」


 ライカは迷うことなく答えた。


「止めないんスか?」


「止めたところで、お姫ちゃんは聞きません。それにセバスも止まりませんから」


「よく分かってるっスねぇ」


「九十年も一緒にいますから」


「それ、便利っスね。俺も今度から使おうかな」


「にーちゃんの場合は、諦めるのが早いだけでしょう」


「ひどいっス!」


 ライアンとライカの声を聞きながら、グレイは肩の傷へ触れないよう気をつけつつ、宿への道を歩いていった。


 祭りの音が響く昼のセレスティアを、グレイは三人とともに歩いていた。頭上では龍を描いた旗が風に揺れ、その向こうには、街のどこからでも見える霊峰ヴァルグランがそびえている。


 歩きながら一度だけ、その頂を見上げた。


 山頂はまだ雲の向こうに隠れ、白耀龍神アルディエルがどこにいるのかも見えない。


「……見てたかな」


「何をです?」


 小さな呟きを拾ったライカに、グレイは首を横へ振った。


「何でもない」


 そう答えて前へ向き直る。


 予選では空間魔法を使わず、拳だけで戦い抜いた。セバスに指摘されたように、直すべきところはいくらでもある。


 それでも、九十五年かけて積み重ねてきたものは、確かに自分の身体へ残っていた。


 今は、それが分かっただけで十分だった。


 グレイは歩きながら、確かめるように一度だけ拳を握る。


 次は、どんな相手と戦えるのだろう。


 白銀の参加者はすでに、次の戦いを楽しみにしていた。


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